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救護ランナーは伝説のファイヤーマン! [2012年03月15日(Thu)]

さてセンバツの抽選組み合わせが決まりあたね!
大会1日目から花巻東×大阪桐蔭のドラフト1位候補、同士の投げ合いは注目ですね。いろんな意味で注目を集める試合となる事でしょう。

14日付けの中日新聞に春を駆ける・・穂の国豊橋ハーフマラソンと題して
今大会から初めて「救護ランナー」として導入された豊橋消防本部。高速救助隊に所属する村田さんが紹介されていました。

穂の国豊橋ハーフマラソンはお隣の市とあって・・あまり詳しくは知りませんでしたが、豊橋陸上競技場を中心に市内を駆け巡るもので4000人がエントリーしていると言う。いわゆる市民マラソン大会ですね。25日開催ですから後1週間あまり・・途中で具合が悪くなったり、いろんなアクシゼントも予想されます。そんな中で救護ランナーは貴重な存在だと思いますね。無事に全員が完走される事を期待しています。

2年前、夏大会の瑞穂グランドで奥さんとお話した時に消防士をされているとお話を伺ってました。人命を預かる仕事ですから、大変なご苦労があるかと思います。まさしくファイヤーマン、火消し人。プロ野球ではファイアマン賞(ファイアマンしょう)があります。日本のプロ野球において、優秀救援投手に贈られていた賞である。

そんな村田さんも現役時はファイヤーマンとして、燃えていた時代がありました。私の知り合いのKさんが書かれた・・幻の「背番号1」

img563.jpg

昭和57年県優勝野球大会・・準優勝 [2008年10月10日(Fri)]
昨日、スポ少の時からお世話になってる知人からメールをいただきました。
当時の延長18回のレギュラーメンバーで活躍していた方で、神戸っ子で見て、なつかしくなったと久しぶりにメールをいただきまいた。

延長18回、僕らの懐かしい思い出です。
未だに、勝っててもおかしくない試合だったと思ってます。
なんか昨日の出来事のような気持ちです。
この試合に勝っていれば、決勝までは行ってたはずです。
決勝で名電に負けてると思いますが。
本当に強いチームでした。


当時の名電はあの豪速球を誇る工藤投手・・でした。
今だに現役で頑張ってる工藤投手・・はほんとにすごかった。




昭和57年5月4日、第31回県高校野球優勝野球大会は熱田球場で決勝戦が行われ、名古屋電気(愛工大名電)が4−1で成章を下して4年ぶり4回目の優勝を飾った。

決勝
成章 00010000|1
名電 10210000x|4

攻守に勝る名古屋電気が打っては長打と足を使った攻めで前半に着々と得点、守っては名電のエース、工藤投手(西部・ダイエー・巨人・横浜)の好投で成章を破った。

名電は1回2死後、工藤の平凡な左飛が風に流されて3塁打となる幸運に恵まれ、続く山本が中前にはじき返し先制した。3回の2点は無安打でものにした。四球と失策で走者を2,3塁に進め、高橋が三前ニバント、3塁走者中井に続いて2塁走者中村も一気に本塁を突き、2点スクイズを成功させた。名電としてはこの大会初めてソツのない攻めを見せた。4回には佐藤がレフトにホームランをたたきこみ勝利を決定づけた。




昭和57年・・夏の大会 [2008年10月09日(Thu)]
昭和57年、夏の大会2回戦は瑞穂球場で行われた。

久しぶりに夏の日差しがまぶしい・・1塁側成章スタンドには今大会初の華やかなチアガールの応援お目見え。スカイブルーのセーラー服に白いスカート、白ハチマキが客席に映る。男女約30人の応援団は大会に備え毎日3時間、近く練習を重ねこの日は顧問の鳥居教諭に引率され、渥美郡田原町を午前7時に出発して駆け付けた。男子は学生服に白はちまき、太い声で昔ながらの応援だがその間、チアガールたちはピンクノボンボンを振りながら「カッセ、カッセ」の黄色い声援。



2回戦
成章 0010010|2
旭丘 171001x|10

7回コールド・・古豪旭丘が三河の強豪、成章をコールドで降した。
旭丘は2回近藤の3遊間安打で口火を切り、佐原四球、大島の安打で2死満塁とと攻め立てて加藤のの四球で1点。これで成章守備陣は動揺・・続く岡村にも四球を与えて2点目、ここで成章は投手を交代したがさらに四球を与えて旭が丘は3連続押し出しで労せず加点。さらに敵失とこの回2回目の打席に立った近藤の中越え2点2塁打など打者11人を送って大量7点を奪った。

成章は3回、無死満塁に暴投で、6回には中超え3塁打の沼尻を河合芳の犠飛それぞれ1点返したが及ばなかった(朝日新聞)













対戦相手は旭ヶ丘高校。
チーム内は楽勝ムード!
順当に勝ち進めば東邦高校と対戦できる!
それまでは、そんなに強い高校も無い!
たしか山本先生が言っていたと思いますが、坂口監督が「成章が順当に勝ち進んでくるだろう。」と言っていたと記憶しております。

残念ながらコールド負け!
私達の最初で最後の県大会はこうして終わりました。
最後の攻撃では涙で前が見えませんでした。
最後のバッターは内野ゴロでゲームセット。何のためらいも無く一塁ベースを駆け抜けました。
普通ヘッドスライディングにてベース上でうずくまり涙を誘うところですが・・・。
今でも会うと必ずその話が出ます。「何であそこでヘッドスライディングしなんだダー!」
控え室で泣きじゃくる我々を糟谷先生は一人一人に言葉を掛けてくれました。
それはとても暖かい言葉で今でも胸に刻まれています。



昭和57年・・春季東三河リーグ戦は再試合の混戦 [2008年10月08日(Wed)]
昭和57年春季東三河2次リーグ戦は再試合の混戦となった・・

春の県大会出場をかけた・・成章・豊川工・蒲郡の3校による再試合は
決着がつかず・・じゃんけんでの抽選となった・・

東三河2次リーグ戦

4月1日(蒲郡球場)
新城東01000000|1
成章  3101000x|5

投 金子・渡辺ー三浦
  堤・鈴木実ー後藤
2塁打 沼尻(成)鈴木実(新)
3塁打 後藤(新)
本塁打 長坂(成)

4月2日(豊橋市民球場)
成章 0000001002|3
蒲郡 0000001000|1
延長10回
投 渡辺・金子ー三浦
  小栗ー鋤柄
2塁打 居平・沼尻(成)内田(蒲)
3塁打 吉見(蒲)

4月4日(豊川工業G)
成章 000000000|0
豊川 20100000x|3
投 金子ー三浦
   朝倉ー小田
2塁打 丸山(豊)

出場決定戦

4月11日(豊川工業G)
成章  001400020|7
豊川工100030022|8

投 金子・中神・金子ー三浦
  朝倉・横川・朝倉ー小田
2塁打 木村(成)朝倉・白井・平岩(豊)
3塁打 金子(成)朝倉(豊)
本塁打 長坂(成)

成章 031001000|5
蒲郡 000000000|0

投 渡辺ー三浦
  遠山・小栗ー鋤柄
2塁打 吉見・安達(蒲)
3塁打 居平・沼尻(成)

全三河大会出場決定再試合

4月29日 成章6×5豊川工
4月29日成章6×7蒲郡高


全三河大会出場決定再々試合

5月5日 成章0×3蒲郡
5月5日成章5×7豊川工


県大会への出場をかけた成章・豊川工・蒲郡の再試合は
決着がつかずじゃんけんによる・・抽選となり成章は惜しくも・・
負けてしまった・・・・選手にとっては県大会への望みは絶たれ、辛かっただろうが、仲間と共にいい試合が出来て・・
よい思い出となったと思います。苦しい試合ほど思い出に残りますし、何年経っても・・忘れることは出来ません。青春の1ページ・・・として
いつまでも大切に・・思い出として・・忘れないでほしいものです。

昭和57年は中京大中京が甲子園に出場しています。

野中 徹博 中  京
(愛  知) 中京100勝エース 大型の本格派投手として、昭和57年〜58年にかけて4強2回、8強1回の好成績。57年春の大成戦で名門・中京(現・中京大中京)の甲子園100勝を完封で達成。控え投手に紀藤真琴がいた。

昭和56年・・延長18回守りぬく成章・・A [2008年10月07日(Tue)]
プロ野球のセーリグ、優勝争いが混戦となってきた。残り4試合だがマジックは点灯?していませんね。
阪神タイガースか巨人ジャイアンツか・・巨人ジャイアンツとはあまり呼ばないね・・読売ジャイアンツ・・こちらが正解かな・・
優勝は最後の勝率で決まる・・・そこで勝率の計算をすると勝利数÷(勝利数+負け数)となっている・・
6日現在の成績は・・
阪神 140試合 81勝 56敗 3分け .勝率591
巨人 140試合 81勝 56 敗3分け 勝率.591

阪神、巨人の直接対決が8日にあるが・・
仮に巨人が残りを全勝すると85勝56敗・・勝率602で優勝!
仮に阪神に負けて84勝57敗なら596
一方の阪神・・も全勝すれば文句なしに優勝
巨人戦勝って3勝1敗だと・・同率では巨人が優勝
阪神にとっては1敗でもすると・・厳しい展開
ここまでは巨人が半歩リードの展開ですね。
いずれにしても8日の天王山が優勝の行方をきめそうですが
優勝争いは最終戦まで持ちこしそうな感じですね、

同率の場合、慨に同一対戦カードの多いほうが優勝なので・・巨人は阪神に勝ち越ししているため、残り全勝ならば・・優勝が決まる


昭和56年・・延長18回守りぬく成章・・A

投げ抜いた4時間35分は成章の伝説として語りつがれた

延長18回。もうあとはない・・先行の成章は3者凡退で終わった。「負けはない」の愛知は、はやったためか・・早いカウントから打ち出し。中飛、遊ゴロ、そして最後のバッターも1塁のファルフライ・・「死闘」こんな言葉がぴったりする戦いだった。4時間35分の息詰まる投手戦にスタンドを埋めた2500人の観衆はだれ一人最後まで席を立てなかった。
試合前「3−5点の争いでしょうね」(糟谷成章監督)「3点とった方が勝ちでしょうか、もっと打撃戦になりかも知れない」(鹿島愛知監督)と両チームとも打撃戦を予想。

しかし、愛知・浜田・・成章・宮本の両投手はこの予想を裏切った。ストレートでグイグイ押す右腕・浜田、技でかわす左腕・宮本・・タイプの違う2人が真っ向から4つに組んだ。浜田は投球数200球。被安打4、奪三振18、死四球3、一方の宮本は投球数248球、被安打10、奪三振15、死四球8、データーを比べると浜田がやや上回ったが宮本のピンチに陥ってからの踏ん張りは「さすが春の県大会準優勝投手」と思わせるものだった。
この死闘をじっと見ていた県高野連役員は「県高校野球史に残る名勝負。すごい試合をやってくれた」と感嘆と満足が入り混じった表情。




再試合・成章力尽く

再試合は11対1の6回コールドで愛知の勝ち・・
さすがに連投の宮本投手には球に切れがなかった・・




熱闘24回、愛知勝つ・・

前日とは打って変わって2日目の決戦は1時間50分でケリがついた。成章の張りつめていた「糸」もついに切れた・・6回愛知は1死2,3塁芽野の投前スクイズを宮本がすくいあげ本塁に投げたが野選。この1点で成章のリズムは完全に乱れた。続く法元が2塁打、2死後、安打の内田をおいて浜田が宮本の内角直球をレフトスタンドへ・・さようなら2点本塁打。

前日と、見事な投球を見せゼロ行進を続けた宮本がマウンドで肩を落とした。1塁スタンドをいっぱいに埋めた4000人の成章応援団は誰もがこんな痛打を浴びようとは予想もしていなかった。溜息と沈黙の一瞬だった。試合中場内放送をしながらネット裏でかたずをのんで見守っていた成章野球部マネジャーの3年、大場恵子さんも涙で試合終了の放送さえ出来ない。

「精いっぱいです」とベンチに引き揚げてきた宮本。真黒に日焼けしたほおに涙が光っていた。「宮本はよく投げてくれた。18回投げ切ったことをほめてやりたい」といたわる糟谷監督の目にもまた・・涙があった。「選手に責任はありません。監督として3年間指導してきたがあの速球が打てなかった。ただ、それがくやしい」監督と選手18人の男たちはベンチ前で男泣きに泣いた。落とした肩をスタンドから拍手が包んだ。

18回のドラマ  高34回 斉藤

・・8回、僕たちも愛知の投手浜田をとらえた、2塁打、四球そして2塁打これで1点を取り同点。なおも無死2,3塁。ホームを踏みこで帰ってきた僕、ベンチにいるみんな、監督さん、部長さん、そしてスタンドで見ている後輩たちもこれでが逆転と思ったことだろう。しかし、そんなに甘くはなかった。そう簡単には逆転させてくれない・・なんと3者連続三振<だった。一人ぐらいと思うかも知れないが打席に入った人なら分かると思う。打てる球、当てれる球、なんて投げてこなかったことを。しかし、この八回が一番残念だった。三年間でも一番悔しい八回だった。そこからはまったくと言っていいほどチャンスは無かった。・・・・・翌日の再試合、悲惨にもコールドゲーム。泣いた。悔しかった。その時は涙が止まらなかった。家でも泣いた。でもこうして考えてみると、いろんな思い出がいっぱい出来た。秋に全三河優勝、春の県大会準優勝、中部大会、そしてこの夏の大会。悔いはない。そして後輩たちに期待する。僕たちの夢だった甲子園に行くことを。甲子園に成章の校旗があがり、校歌が流れることを。/大>

昭和56年・・延長18回守りぬく成章 [2008年10月06日(Mon)]
昭和56年・・延長18回守りぬく成章・・@

昭和56年の夏・・成章野球部は壮絶な試合を展開していた!


春の愛知大会、準優勝の成章は夏の大会でも大いに注目を浴びていた
成章野球部史上にも残る伝説の延長18回は・・夏の愛知大会4回戦は豊橋市民球場で行われた。

成章000000010000000000|1
愛知000000100000000000|1

力の浜田、技の宮本、持ち味を生かした両主戦の見事な投げ合いと堅い守りでともに譲らず、延長18回再試合となった。先に均衡を破ったのは愛知。7回、萩野、法元、の連打でやっと1点をあげた。成章も8回斉藤の2塁打などで同点。延長戦に入ってからも両投手は決定打を与えずバックスも力投を盛り立てた。




両エース、見事な力投4時間半・・両ナイン満足

「ウー」試合終了を告げるサイレンの音が長く尾を引きながら暮れなずむ夏空に消えていった。4時間34分、豊橋市民球場の成章ー愛知の1戦は延長18回引き分け・・ホームベースをはさんで。試合終了のあいさつを交わす両軍選手の汗に光る顔は満足感にあふれていた。
前半は愛知が押しまくった。7回法元の2塁打で先制。完璧な浜田の投球から見て試合の流れは愛知に傾くかに見えた。



ここ1番に粘りをみせる成章。8回、2塁打の走者を宮本が適時打で返し、試合を振り出しに戻した。1塁側スタンドに生気が戻った。「それー逆転だ」
だが、愛知の浜田も頑張る。同点にされなお無死2,3塁のピンチ。3人三振にとる。マウンドで胸をはる浜田。試合終了後、浜田は汗びっしょりの顔で「疲れた」と一言。浜田の延長戦の経験は12回。「浜田がよく投げてくれた」と鹿島監督はねぎらった。

成章・宮本は球威より巧みな配給が生命。「7回に点を取られた時が一番つらかった。このまま、ずるずる行かないようにバックを信頼して投げた」という。9回裏にもピンチ。1死2塁。1本出ればサヨナラ負け。が宮本は根性を見せ愛知打線を封じた。

清水球審は「本当に2人の投手の持ち味を出し切っていた。宮本にしろ浜田にしろ、カーブが直球をより生かす効果をあげ、また浜田はコーナーを丹念につき、宮本はコンビネーションがよく、一見打てそうで・・そう打てない投球術だった」と2人の力投をたたえた。

(続成章史より)

延長戦18回を戦い抜いた成章・・多くの人に・・語り草として紹介されている。
宮本投手は250球ぐらい投げたと・・100年史で語っておられた。
この粘りは・・すごいです!再試合では負けたが・・多くの選手が満足したと・・

愛知の浜田投手は暮れのドラフトで中日に2位で指名され、工藤(名電ー西武)槇原(大府ー巨人)と共に愛知の3派カラスと呼ばれプロ入りした・・
浜田投手はその後1988年に韓国プロ野球界に入り、3勝をあげている。

大府の槇原は中日希望だったが指名されず・・涙する槇原の姿が写真にあった。
1982年、大府高校からドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。入団1年目は登板機会が無かったが、翌1983年、一軍初登板にして阪神戦で初完封を達成するなどの大活躍を見せて一軍で12勝を挙げ新人王を獲得。当時max155kmで日本最速。以降も150km/hを超えるストレートとフォークボールを武器に本格派として活躍した。
1994年には福岡ドームで広島を相手に完全試合を達成した。
FA取得後も・・中日入りの可能性があったが長嶋監督がバラの花を持って槇原家に訪れたシーンはテレビでもニュースとして放送され・・長嶋監督の情熱が巨人への思いをとどませられたと・・言っていいでしょう。1993年オフ、当時の長嶋監督がFA宣言した彼に17本のバラを贈ったが、槙原は自身の著書で「17本入っていませんでした」と書いている。また、2007年12月10日に出演したJスポでは「20本入ってました」と発言している。
もしドラフトで中日の指名されていたら又、違った野球人生を歩んだかも知れませんね。


工藤投手は社会人の熊谷組に決定していた。12球団にドラフト断りの手紙を送ったが西武が強引に1位指名・・当時の西武根本管理部長が・・交渉にあたり吹き伏せた。ともに九州男児のその熱い言葉に工藤投手のお父さんが・・この人なら任せられると・・入団を決意したと言われる。

プロ後の人生はそれぞれ・・違うが当時の3人にとって
その後プロ野球の歴史をつくる快挙も飾っている・・

工藤投手は西武ー巨人ー横浜と・・浜のおっさんと親しく呼ばれ・・まさしく今だに青春を謳歌している数少ない・・当時の選手です・・工藤選手はプロ野球の鏡・・頭が下がりますね。
今年45歳の工藤投手、今シーズンはまだ0勝・・そろそろ・・現役の野球生活にも別れの時期が来たが・・少しでも長く野球をやってほしいと願ってます。

愛知の彦野選手は翌年中日に5位でドラフトに指名され、現在はプロ解説者として活躍されています。







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