時習館に見る「甲子園の心を求めて」 [2010年04月01日(Thu)]
今日の甲子園は準々決勝、4試合が行われました・
中京大中京は惜しくも・・広陵に敗退.・・また、夏に向けて頑張ってください。 私の選抜も中京大中京の登場で盛り上がりました。 中京ナイン・・ありがとうね・・ 北照は昨日の又野投手のアクシデントが痛かった。夏も見たいです。頑張ってください。 第1試合 敦賀気比(北信越) 0 - 10 日大三(東京) 第2試合 広陵(中国) 5 - 1 中京大中京 (東海) 第3試合 興南(九州) 5 - 0 帝京(東京) 第4試合 大垣日大(東海) 10 - 1 北照(北海道) 28日に行われた東三河1次リーグ戦を時習館グランドで見てきましたが・・この時習館グランドは初めて見る場所・・・・時習館といえば・・成章OBの渥美政雄氏が最後の甲子園に出場した時の監督・・昭和の20年代だから・・かなり・時が経ってますね・・グランドの横には幹の周りが1m以上もある松の木がたくさん・・ありました。壮観です。・・そして・・時習館と言えば・・・全国に4000校以上ある高校の中で・・夏の甲子園大会、第1回大会の予選からずっと出場している伝統ある学校です。ちなみに・・たしかこの時習館を含め・・全国で15校だったと思います。・・その伝統校、時習館をこの松の木と当時から汗を流したであろう・・このグランドで・・当時の姿を垣間見る思いがしました。 時習館が予選を通過して全国大会への出場の経験は、戦前戦後を通して3回しかありません。戦前では大正5年(1916年)の第2回大会の一度のみ、戦後は、昭和21年(1946年)9月、名監督渥美政雄先生が就任されてから、めきめき実力をあげ、以後昭和30年代初めまでは、常にベスト8以上と県下で強豪校として知られた。そして昭和27、28年(1952、1953年)の2年連続の選抜大会へ出場を成し遂げた。 渥美政雄監督の話になるが・・成章の野球部卒業式の時に・・前OB会長だった伊藤さんにお話しを聞いた時に・・渥美さんの出身が・たしか田原町神戸の川岸じゃなかったかな・・とおっしゃってくださって・・びっくり、したことがありました。川岸と言えば私の住んでる隣の地区、このことを偶然にも・・神戸スポ少、元監督にお話ししたら・・何と・・渥美さんは遠い親戚に当たるとか・・でさらにびっくり!・・・私に身近な人に・・偉大な渥美さんがいたとは驚きでした。渥美さんは当時、川岸地区の藤田牛乳屋さんの前のところの家がありその後、東京のの移り住まわれたとそうです・・いや〜何と・・私がずっと取り上げていた甲子園出場9回の偉大な渥美政雄さんが・・・「神戸っ子」だったとは・・驚きました。何か不思議な縁を感じましたね・・ 試合が終わった後・・成章の全体練習が時習館グランドで行われていました。 全体練習を見るのは・・初めてです・ 選手が2列になって横一線に並びます・・ 思い出しました・・糟谷監督が「甲子園の心を求めて」の著者、東大和高校の佐藤道輔監督の練習を始めて見た時に・・グランドの端から端まで横、一列に並び・・全員が同じスタイルで練習をする・・うまい選手もへたな選手も障害のある選手も隔たり無く・・全員が声を合わせて練習に励む・・東大和高校の強さは・・ここにあるな・・と感じたとお話下さったことがありました。 今回のセンバツでも甲子園も心を求めての繋がり・・がありました。箕島元監督尾藤さん・・尾藤さんは・・昨年亡くなられた佐藤先生を師とあおぎ・・その尾藤さんを師とあおぐ北照の河上監督・・お二方の交流は記事でも紹介されていました。 |