衆院厚生労働委員会でのALS患者の意見陳述拒否について思うこと
[2016年05月25日(Wed)]
5月10日の衆院厚生労働委員会で、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の意見陳述が拒否されたのである。障害者差別解消法が施行されたのにもかかわらず、しかも国会の場で、である。
その理由が「コミュニケーションに時間がかかるから。」というのにはさらに驚いた。もし、そんな論理がまかり通ったら、健聴者とのコミュニケーションの際に手話通訳者や要約筆記者を介しなければならないことが多く、コミュニケーションに時間がかかる聴覚障害者はあらゆる場面で拒絶されることになりかねない。そう考えると恐怖を覚えざるを得ない。
どうしてこのような発想が出るのだろうか。考えてみると、世の中が効率優先になってしまっていることが大きいのではないかと思われる。経済的な効率を優先するあまり、時間がかかることは無駄という風潮が広まってしまっている。少しでも時間がかかるとすぐイライラしてしまう人が多いようである。私もその一人である。イライラしている自分に気づき、恥ずかしくなることもしばしばである。
このような社会は、一般的に健常者に比べていろいろな事に時間がかかる障害を持つ人たちにとっては生きづらい。高齢者も同様であろう。もっと心にゆとりを持ちたいものである。皆が心にゆとりを持てるようになれば、自然といろいろな人に対して配慮ができるようになり、すべての人が暮らしやすくなるのではないか。(事務局長記)
その理由が「コミュニケーションに時間がかかるから。」というのにはさらに驚いた。もし、そんな論理がまかり通ったら、健聴者とのコミュニケーションの際に手話通訳者や要約筆記者を介しなければならないことが多く、コミュニケーションに時間がかかる聴覚障害者はあらゆる場面で拒絶されることになりかねない。そう考えると恐怖を覚えざるを得ない。
どうしてこのような発想が出るのだろうか。考えてみると、世の中が効率優先になってしまっていることが大きいのではないかと思われる。経済的な効率を優先するあまり、時間がかかることは無駄という風潮が広まってしまっている。少しでも時間がかかるとすぐイライラしてしまう人が多いようである。私もその一人である。イライラしている自分に気づき、恥ずかしくなることもしばしばである。
このような社会は、一般的に健常者に比べていろいろな事に時間がかかる障害を持つ人たちにとっては生きづらい。高齢者も同様であろう。もっと心にゆとりを持ちたいものである。皆が心にゆとりを持てるようになれば、自然といろいろな人に対して配慮ができるようになり、すべての人が暮らしやすくなるのではないか。(事務局長記)