中国の若者の心に映った“日本” ―「クイズ大会・作文コンクール」訪日感想文―@
[2010年02月25日(Thu)]
中国の若者の心に映った“日本”
―「クイズ大会・作文コンクール」訪日感想文―
中国の若者から訪日感想文が届きました。
今回来日したのは、中国の2地域(東北地域と華東地域)で開催した「笹川杯日本知識クイズ大会」の成績優秀者と2種類(中国語文と日本語文)の「笹川杯作文コンクール」の成績優秀者からなる訪日団です。日本理解”をキーワードとして中国の各地域から結集し、1つの団となり、共に体験し、共に感じ、貴重な時間を共有した団員たちですが、そのひとりひとりを見れば、日本語の分かる人・分からない人、初来日の人・再来日の人、学生・社会人等々、様々な背景を持った若者たちであり、それぞれの心に映った日本にも微妙な差異があるようです。
日本滞在の8日間は、飽くことのない探究心に突き動かされ、朝早くから夜遅くまで寝る間も惜しんで日本を体験し続けた日々でしたが、そうした中で彼らは、何を感じ、何を学び、何を得たのでしょうか。そして、帰国後、家族や友だちには何を伝ようとしているでしょうか。それらの答えは、訪日感想文の中に見つけられる気がします。
このブログでは、「クイズ大会」(東北地域、華東地域)訪日団の感想文を2回に分けて、「作文コンクール」(中国語文、日本語文)を1回にまとめて紹介する予定です。
今回は、東北地域の「クイズ大会」訪日団分です。
この訪日団は、黒龍江大学東語学院の院長をトップに、7名/4大学の日本語専攻の大学生からなりますが、殆どの団員にとって今回の招聘が初めての来日です。
大学の4年間、日本語のみならず日本の文化、社会、歴史、政治など日本に関する広範な知識を蓄積してきた彼らですが、「啓発を受けたことについては、学校で学んだ四年間に勝ると言っても過言ではありません」(黒龍江大学・鄭博識さん)、「この旅を通して、私の日本への認識が少し変わったと思います。リアルっぽくなったというか、二次元から三次元へ進んだ」(黒龍江東方学院・李吉順さん)と感想に述べているように、「百聞不如一見」だったようです。
日本語で書かれた感想文は原文のまま、中国語で書かれた感想文は原文に忠実に和訳して掲載しました。
また、個人名については、個人情報保護の観点から仮名で表記しました。

元安川から原爆ドームを望む訪日団員
「訪日感想」(原文中国語)
黒龍江大学日本語学部4年 鄭博識

ある外国語学習者フォーラムで、各国の言葉を学ぶ中国の学生が、外国語についての体験や、その国に対する感情を書いていました。そこで日本語を学んでいる学生が「愛すべき、恨むべき国」と形容していたのを覚えています。理由は分かりませんが、とても印象に残りました。適切でもないし、過激で幼稚な表現ですらあります。ただ、私達のような若い中国の学生が徐々に日本を理解していく中での心境の変化をまとめているような感じがしました。このたび偶然にも貴重な機会を得て、本当にその国を訪れることができました。本当に自分の目で日本の全てを見て、本当に自分の身で中日両国の有史以来の様々な結びつきを味わうことができたのです。わずか八日間の日本旅行で感じたことはたくさんあります。啓発を受けたことについては、学校で学んだ四年間に勝ると言っても過言ではありません。
今回の見学日程はとても豊富で全面的なものでした。日本の政治の中心を見学し、工業文明を体感しただけでなく、金閣寺、大阪城、清水寺といった歴史文化遺産をこの目で見たり、茶道の魅力を自ら体験したりもできました。中国の古代建築の風格を学んで建てられた古寺を見て、茶道の先生の優雅でしとやかな一挙一動を見ると、思わず唐から宋の時代に日本へ伝わった文化だったなと思ったり、こうした歴史や文化の伝統が中国で失われてきたことを悲嘆したり、日本でこれほど完全に伝承されていることに感慨を覚えたりしました。孔子にもかつてこのような感慨があったそうです。自国で失われた文化が隣国で完全に保存されているのを見たとき、どんな気持ちだったでしょう!世界が認めたその文明が彼ら自身の創造によるものでないことを憤慨して非難するより、自らの祖先が創造した文明が隣国の手を借りてここまで完全に伝わっていることを感謝した方がいいでしょう。
非常に感慨を覚えたのは他に、広島へ原爆の遺跡と資料館を見に行ったことです。見るだに痛ましい画像や文を目にして、言葉にならない感傷を覚えました。戦争による傷はかくも痛ましくて巨大なもの。人類は結局いつか自らを処罰するのでしょうか。国境のなくなる日が来たら、私達は再び歴史を振り返り、人類がいったいどれほど愚かだったかと感慨を覚えることでしょう。しかし資料は米国に対する非難に重点を置いたものではありませんでした。感傷的になって悲しみ恨んでいる節もなく、ひたすら客観的な説明がなされていたのです。
もちろん、中国侵略戦争、南京大虐殺まで述べることは避けられません。そのときはいつも、解説を担当する係の日本人は深々と頭を下げ、かつて中国人を傷つけたことについて謝ります。50数歳の女性が私達20数歳の学生に対して深々と長々とお辞儀をする様子に、悲しみと誠意が見えました。しかし、それは彼女の過ちではないし、私に許す資格などないことは私にも分かっています。最後まで説明してから、彼女は自分のことを教えてくれました。生後四ヶ月で原爆に遭い、負傷こそしなかったものの、放射線被害を受けたこと。両親が重傷を負い、祖父母が亡くなったこと。父親が街全体の惨劇を目の当たりにして鬱病になり、言葉を発しなくなったこと。そして彼女がこの資料館でボランティアを始めてから、話せるようになったこと。後で知ったことですが、この資料館に勤める人々は全員が原爆の被害者やその親族で、何も報酬を受け取っていないのだそうです。同じように戦争の被害を受けながら、彼らが選んだのは、その後の人生の義務として戦争をやめるよう世界に伝えることでした。自らの行動によって、より多くの人たちが戦争の苦しみを受けずに済むよう望んでいるのです。
実は、こうすることが静かなる糾弾としては最強なのです。私達は全員、いつでも、どの国の人々に対しても、どんな理由があってでも、戦争を発動することは決してあってはならないのです。略奪であろうと報復であろうとです。広島の資料館にあった石の彫刻に、過去を振り返ることは未来を背負うことだと書いてありました。そうです。私達は過去を忘れることはできません。歴史に逆らうことも永久にできません。しかし、私達がすべきことは恨みではなく責任を肝に銘じることです。自分に対しての、世界に対しての、全人類に対しての責任です。全世界の友好と平和は、私達若者が生涯をかけて追求するに値します。そして最も大切なのは、中日友好という世界平和の大いなる課題に対して貢献することです。普通の日本語学習者である私も、自ら背負うべき責任です。
八日間は深く印象に残ったものの、本当に短い間でした。今後、もっと努力してさまざまな困難を克服し、もっと長く日本に滞在して、もっと日本のことを古今を通じて理解し、中国とのつながりをもっとはっきりさせ、中日友好の増進により適切な貢献をしたいと思います。
最後に、日本科学的協会、日本財団、私達のため奔走してくださった職員の皆さん、今回知り合った愛すべき人々に感謝します。今回の忘れがたい日本旅行では、本当にたくさんのことが得られました。











