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中国の若者の心に映った“日本” ―「クイズ大会・作文コンクール」訪日感想文―@ [2010年02月25日(Thu)]
中国の若者の心に映った“日本”
―「クイズ大会・作文コンクール」訪日感想文―


 中国の若者から訪日感想文が届きました。

 今回来日したのは、中国の2地域(東北地域と華東地域)で開催した「笹川杯日本知識クイズ大会」の成績優秀者と2種類(中国語文と日本語文)の「笹川杯作文コンクール」の成績優秀者からなる訪日団です。日本理解”をキーワードとして中国の各地域から結集し、1つの団となり、共に体験し、共に感じ、貴重な時間を共有した団員たちですが、そのひとりひとりを見れば、日本語の分かる人・分からない人、初来日の人・再来日の人、学生・社会人等々、様々な背景を持った若者たちであり、それぞれの心に映った日本にも微妙な差異があるようです。

 日本滞在の8日間は、飽くことのない探究心に突き動かされ、朝早くから夜遅くまで寝る間も惜しんで日本を体験し続けた日々でしたが、そうした中で彼らは、何を感じ、何を学び、何を得たのでしょうか。そして、帰国後、家族や友だちには何を伝ようとしているでしょうか。それらの答えは、訪日感想文の中に見つけられる気がします。

 このブログでは、「クイズ大会」(東北地域、華東地域)訪日団の感想文を2回に分けて、「作文コンクール」(中国語文、日本語文)を1回にまとめて紹介する予定です。

 今回は、東北地域の「クイズ大会」訪日団分です。
 この訪日団は、黒龍江大学東語学院の院長をトップに、7名/4大学の日本語専攻の大学生からなりますが、殆どの団員にとって今回の招聘が初めての来日です。
 大学の4年間、日本語のみならず日本の文化、社会、歴史、政治など日本に関する広範な知識を蓄積してきた彼らですが、「啓発を受けたことについては、学校で学んだ四年間に勝ると言っても過言ではありません」(黒龍江大学・鄭博識さん)、「この旅を通して、私の日本への認識が少し変わったと思います。リアルっぽくなったというか、二次元から三次元へ進んだ」(黒龍江東方学院・李吉順さん)と感想に述べているように、「百聞不如一見」だったようです。

 日本語で書かれた感想文は原文のまま、中国語で書かれた感想文は原文に忠実に和訳して掲載しました。
また、個人名については、個人情報保護の観点から仮名で表記しました。


 

元安川から原爆ドームを望む訪日団員




「訪日感想」(原文中国語)


黒龍江大学日本語学部4年 鄭博識



 ある外国語学習者フォーラムで、各国の言葉を学ぶ中国の学生が、外国語についての体験や、その国に対する感情を書いていました。そこで日本語を学んでいる学生が「愛すべき、恨むべき国」と形容していたのを覚えています。理由は分かりませんが、とても印象に残りました。適切でもないし、過激で幼稚な表現ですらあります。ただ、私達のような若い中国の学生が徐々に日本を理解していく中での心境の変化をまとめているような感じがしました。このたび偶然にも貴重な機会を得て、本当にその国を訪れることができました。本当に自分の目で日本の全てを見て、本当に自分の身で中日両国の有史以来の様々な結びつきを味わうことができたのです。わずか八日間の日本旅行で感じたことはたくさんあります。啓発を受けたことについては、学校で学んだ四年間に勝ると言っても過言ではありません。

 今回の見学日程はとても豊富で全面的なものでした。日本の政治の中心を見学し、工業文明を体感しただけでなく、金閣寺、大阪城、清水寺といった歴史文化遺産をこの目で見たり、茶道の魅力を自ら体験したりもできました。中国の古代建築の風格を学んで建てられた古寺を見て、茶道の先生の優雅でしとやかな一挙一動を見ると、思わず唐から宋の時代に日本へ伝わった文化だったなと思ったり、こうした歴史や文化の伝統が中国で失われてきたことを悲嘆したり、日本でこれほど完全に伝承されていることに感慨を覚えたりしました。孔子にもかつてこのような感慨があったそうです。自国で失われた文化が隣国で完全に保存されているのを見たとき、どんな気持ちだったでしょう!世界が認めたその文明が彼ら自身の創造によるものでないことを憤慨して非難するより、自らの祖先が創造した文明が隣国の手を借りてここまで完全に伝わっていることを感謝した方がいいでしょう。

 非常に感慨を覚えたのは他に、広島へ原爆の遺跡と資料館を見に行ったことです。見るだに痛ましい画像や文を目にして、言葉にならない感傷を覚えました。戦争による傷はかくも痛ましくて巨大なもの。人類は結局いつか自らを処罰するのでしょうか。国境のなくなる日が来たら、私達は再び歴史を振り返り、人類がいったいどれほど愚かだったかと感慨を覚えることでしょう。しかし資料は米国に対する非難に重点を置いたものではありませんでした。感傷的になって悲しみ恨んでいる節もなく、ひたすら客観的な説明がなされていたのです。

 もちろん、中国侵略戦争、南京大虐殺まで述べることは避けられません。そのときはいつも、解説を担当する係の日本人は深々と頭を下げ、かつて中国人を傷つけたことについて謝ります。50数歳の女性が私達20数歳の学生に対して深々と長々とお辞儀をする様子に、悲しみと誠意が見えました。しかし、それは彼女の過ちではないし、私に許す資格などないことは私にも分かっています。最後まで説明してから、彼女は自分のことを教えてくれました。生後四ヶ月で原爆に遭い、負傷こそしなかったものの、放射線被害を受けたこと。両親が重傷を負い、祖父母が亡くなったこと。父親が街全体の惨劇を目の当たりにして鬱病になり、言葉を発しなくなったこと。そして彼女がこの資料館でボランティアを始めてから、話せるようになったこと。後で知ったことですが、この資料館に勤める人々は全員が原爆の被害者やその親族で、何も報酬を受け取っていないのだそうです。同じように戦争の被害を受けながら、彼らが選んだのは、その後の人生の義務として戦争をやめるよう世界に伝えることでした。自らの行動によって、より多くの人たちが戦争の苦しみを受けずに済むよう望んでいるのです。

 実は、こうすることが静かなる糾弾としては最強なのです。私達は全員、いつでも、どの国の人々に対しても、どんな理由があってでも、戦争を発動することは決してあってはならないのです。略奪であろうと報復であろうとです。広島の資料館にあった石の彫刻に、過去を振り返ることは未来を背負うことだと書いてありました。そうです。私達は過去を忘れることはできません。歴史に逆らうことも永久にできません。しかし、私達がすべきことは恨みではなく責任を肝に銘じることです。自分に対しての、世界に対しての、全人類に対しての責任です。全世界の友好と平和は、私達若者が生涯をかけて追求するに値します。そして最も大切なのは、中日友好という世界平和の大いなる課題に対して貢献することです。普通の日本語学習者である私も、自ら背負うべき責任です。

 八日間は深く印象に残ったものの、本当に短い間でした。今後、もっと努力してさまざまな困難を克服し、もっと長く日本に滞在して、もっと日本のことを古今を通じて理解し、中国とのつながりをもっとはっきりさせ、中日友好の増進により適切な貢献をしたいと思います。
 最後に、日本科学的協会、日本財団、私達のため奔走してくださった職員の皆さん、今回知り合った愛すべき人々に感謝します。今回の忘れがたい日本旅行では、本当にたくさんのことが得られました。


中国の若者の心に映った“日本” ―「クイズ大会・作文コンクール」訪日感想文―A [2010年02月25日(Thu)]


「万花鏡」(原文日本語)


黒龍江大学日本語学部4年 馬林



 日本語を勉強してからもう4年近くになりました。日本っていう国は、私の頭に私なりに想像したイメージがずっとあります。今度の旅のおかげで、いろいろな考えが変わりました。まるで、万花鏡を通して、まったく別の世界に入ったかのように感じました。
 まず、日本は本当に秩序のある国だなあって実感しました。何でも列を作って、ちゃんと自分の番を待つ情景はたびたび目に入ったものです。電車に乗るだけではなくて、レジで払う時も、信号を待つ時もそうです。みんなが強いられるのではなくて、自らそれにしたがうということです。それに、泥棒なんかいないみたいです。みんなの財布はただファスナーなしのかばんに入れることにびっくりしました。日本人の素質の高さに感心しました。

 また、今度の訪日で、一番印象深いことと聞かれたら、はやっぱり広島原爆ドームに行って、そこで見たこと、感じたことなのです。私たちはちょうどあるガイドさんに逢って、いろんな写真を見ました。被害者の写真だけではなくて、その放射線を受けた人の子供、孫のも見ました。あの悲惨な有様を見て、自分も落ち込みました。涙ぐみまして、いてもたってもいられないのです。核は本当に恐ろしいものです。人の命を奪うばかりでなくて、人に苦痛ももたらしたのです。その放射線を受けた人は人生をめちゃくちゃにさせました。それは死ぬよりも苦しいことではないか。私は日本に来る前に、原爆についての本をよんだことがありますけど、それはやっぱり文字で、写真ほど刺激ではないです。資料館のガイドはその被害者の一人だそうですが、両親が身で自分を守ってやっと生きられるそうです。資料館で、平和を象徴した紙で折った飛行機もくれました。これは一人の願いではなくて、一つの国の願いでもなくて、人類全体の強烈の願いと私は思っています。

 戦争は怖いものです。核も怖いものなんです。世界が平和ではないかぎり、発展するどころか、行き続けることも問題になるって実感しました。平和と発展が今世界のテーマといつも世界中の人々に言われていますけど、それを無視して、わがままに自分の思うとおりに核実験を行う国もあるといってもいいでしょう。それについて、アピールしなくてはいられないのです。地球は一つしかないということは子供でも分かるものです。ですからこそ、大切にしなければならないです。この世帯のために、未来の子孫のためにもなります。

 この8日間の訪日で、やっと身で持って日本の雰囲気を味わうことができました。私の一生の宝物として、かけがえない思い出として大切したいです。今度のたびを通して、私たちは責任を担っていることに気がつきました。それもこれから努力の動力にもなると思います。



「訪日感想」(原文日本語)



黒龍江大学日本語学部4年 張麗穎



 この八日間、あっという間に過ごしてしまいました。本当に楽しかったでした。何度も言いましたけど、日本財団と日本科学協会の皆様に誠に感謝しております。特に、同行してくれた日本科学協会の皆さん、ありがとうございました。
 日本にいた一週間、夢を見ていたような気がします。印象深く残されたのは日本の空が青かった。すべてのものははっきり見えます、植物も動物も、人も建物も。今の中国の北の方とは違って、緑が目に映っていたのです。あちらこちらにも生命の活力にあふれていて、まるで春の息吹を感じるようでした。

 しかし日本の建物は中国のとちょっと雰囲気が違うように感じます。窓が小さいほうが多いと思って、ちょっとうっとうしく気がします。それは建築のスタイルなのでしょうか。
 日本の街を歩いたとき、日本人の忙しさが身にしみていたのです。誰でも忙しそうで、足元のスピードが速いのです。中国の街でみんなおしゃべりしながらゆっくりと歩いている様子は日本で見えなかったのです。特に東京です。上海に一度行ったったことがありますが、東京の雰囲気が上海と少し似ている。しかし、上海よりもっとファッションの気がします。はじめて国際化の大都市と触れ合いました。

 そして最後の日、京都で憧れの金閣寺を見ました。その姿が目に浮かぶと美しいと思わずに口にしました。以前インターネットで金閣寺を見ましたが、本物を見ると意外にもびっくりしました。中国の歴史遺跡と異なって、中国の遺跡は勢いが盛んなタイプで、日本のは精緻で美しいと思います。
 いろいろ感じていましたが、一口で言い切れないのです。このチャンスをきっかけに、もっと深く日本を知りたいのです。チャンスがあったら、日本へ留学に行きたいのです。そうすると、日本に身をおいて、多種多様の日本人と付き合って本当の日本を身にしみることができると思います。以上です。
 ありがとうございました。



「友情に国境なし−訪日の感想−」(原文中国語)


遼寧大学 日本語学部4年 王翔宇



 2010年1月、「笹川杯日本知識クイズ大会」と「笹川杯文コンクール」受賞者一行が日本に招待され、日本財団、日本科学協会の職員の方々から温かいもてなしを受けました。季節は真冬でしたが、心はこの上なく温まりました。8日間の日程は周到に組まれており、いくつかの特徴的なイベントがとても深く印象に残っています。ここで、ずっと私達に随行してくださった、日本科学協会のスタッフの皆さんに心からの感謝を申し上げます!

 今回の訪問では、前後して東京、広島、大阪、京都の四都市を巡り、当地の美食を味わい、景色を観賞し、風俗習慣を理解してきました。さらに全日空の機体整備工場の見学、茶道と広島お好み焼きの体験、京都の中国語学習者が同行しての金閣寺参拝など、特徴的なイベントが盛りだくさんでした。この数々のイベントで見聞きしたことにより、日本の社会、経済、文化といった多くの面に対する理解が大幅に進み、脳裏にあったいくつかの疑念や誤解が解消されました。日本財団の笹川陽平会長は私達に「知日派」になってほしいと仰っていましたが、今回の訪日を通じて、私は「知日派」になるという目標にまた一歩近づけたと思います。

 今回の訪日で最も印象に残ったのは、日本財団の会議室で笹川陽平会長に面会したことです。訪日の前から、会長の生い立ちや経歴、社会活動などについてはある程度の知識がありました。会長ご本人にお会いして、心からの敬意をより深く感じたものです。会長はもう古稀のお年ですが、まだまだお元気で顔色にもつやがあり、中日関係の問題に言及した時の考え方が非常に深く明確で、優れていらっしゃいました。隣国と全くもめ事がなく過ごしてきた国は、世界中を見ても有りはしないとのことです。私達中日の両国が歴史を鏡にするということに関しては、より強調すべきは二千年の歴史を鏡にすることであり、長い目で見つめ、相手への理解を深めてこそ、代々の中日関係が真に友好的なものとして続けられると仰っていました。会長のお話はとても分かりやすく、中日関係に関する正しい認識を説明するものでした。私達若者は会長に学び、自分にできる最大限の努力をして中日の友好に貢献すべきだと思いました。

 八日間の日程には余りにもたくさんの出来事と感動がありました。思ったことは更にたくさんありますが、浅学非才の私には完全には言葉にできないことをお許しください。中日関係が何世代にもわたって友好的なものとして続けられるよう、友情に国境無きよう、心から願っております!

中国の若者の心に映った“日本” ―「クイズ大会・作文コンクール」訪日感想文―B [2010年02月25日(Thu)]



東北地域の「クイズ大会」訪日団(大阪城)




百聞は一見に如かず−8日間で感じた日本−」(原文中国語)


東北林業大学 日本語学部4年 王天然



 大阪発、北京行きの全日空NH159便が雲を貫き、ゆっくりと首都国際空港に降り立ちました。まだ供用開始から一年あまりの新しい国際ターミナルを窓から眺めながら、思わず1月24日に東京の成田空港から出たときの光景をぼんやり振り返っていました。
冬の東京は北京より少し暖かく、きれいに晴れていました。初めて来日した中国人である私に午後ののどかな日差しが降りかかり、満足に感じました。みんながこのひとときに期待していたのでしょう、一行は誰の目も輝いていました。予想していたように、私達訪日団の一行は順調に到着しました。この高度に発達して文明的な、そして私達と非常に複雑なつながりを持つ隣国へ。

 まず目に飛び込んできたのは、近い感じのする日本語の看板と広告でした。ちょっと見たところ中国のものと似ていますが、よく見ると、環境も施設も全てが清潔に整っていました。日本は尋常でなく清潔だとは早くから聞いていましたが、今日こうして見ることができたのは、宣伝にあるような塵一つ無い様子ではありませんでしたが感服するには十分のものでした。もしかすると、空港だというせいもあるかもしれませんが、日本国民が環境をこの上なく重視し保護に全力を尽くしているのでしょう!

 「郷に入っては郷に従え」という言葉がありますが、日本に来て最初のできごとは、当地の人々と同じようにお辞儀をすることでした。頭を下げるのが一種の習慣となっており、「すみません」と「ありがとう」を人付き合いに必須の口癖にしました。この数日間にお辞儀をした数は、それまで20年間の総和を超えていたと思います。以前はくどくないだろうかと思っていたのですが、今「自ら」体験してみると、こうした儀式的な振る舞いには限りない温かみと真心が込められているのだと感じました。お店に入ると、向かいから澄み切った「いらっしゃいませ」が伝わってきます。気持ちを伝える友好的な会釈と、心を温める笑顔がありました。エレベーターのドアが開いたとき、同乗していた見知らぬ人に先を譲ろうとしたのですが、相手の方が先にその態度を取っていました。全く関わりのない人でも、この光景を目にしたら、きっと暖かいものを感じただろうと思います。たちまち身の回りが全てすばらしくなったように感じました。間違いなく、これはまさに日本社会で最もよくある一幕です。さりげなく、確かにその時その時、居合わせた人の心を潤してくれます。その地で生まれ育った日本人であろうと、私のような者であろうとかまいません。

 ほどなく、中国人の間でもお辞儀や遠慮が風習となって、高官であろうと、庶民であろうと、「礼儀作法を知っている」ことを「誠実さ」の次に重要な、不可欠な生活の一部と考えるようになるでしょう。今日の日本で、中国と一衣帯水の隣国が意外にもこの習慣が今なお生き続けており、より整った体系にさえなっていることに気づきました。例えば、上半身をかがめる角度です。日本人は、尊敬の程度によって、お辞儀をだいたい3種類に分けています。15度は、ふだん顔を合わせたときの会釈。尊敬の意志を示すには普通、30度を用います。最大の角度である60度は、最高の敬意を表しています。こういう簡単な儀礼ひとつにも、ここまではっきりと違いがあるのです。ここから、この民族が「礼」をどれだけ重視しているかが少し分かります。

 比べると、思わずため息をついてしまいます。堂々たる大国である我が国は懸命に経済の急速な成長を求めており、全国に飛躍の意識が充満していながら、生産高のためにはかない環境の破壊をいとわず、そうした自身が意識しづらいけれど十分に貴重な、そして取り戻しにくいものを忘れ、失ってきたのでしょうか?

 韓国の学者、李御寧には『縮み志向の日本人』というとても有名な著作があります。この中では、日本社会のこうした文化現象が詳しく述べられています。日本の街頭を歩いていると、こうした現象はよく見かけます。特に、日本の商店や飲食店では、限られた空間をうまく合理的に生かしているものが町中によくあります。店内の装飾はそう目立つものではありませんが、精致に整えられています。店頭にはショーウインドウが多く、見本が並べられており、数枚のポスターと店先を構成しています。足を止めて眺めるととても魅力的で、すぐ入りたくなります。飲食店では、既に満腹な人の食欲さえ喚起できます。商店だと、大小の荷物で両手が塞がっている人の購買意欲を呼び覚ますことができます。私のように見るだけで買い物はしない観光客でも、目の保養に感じ、思わずカメラを取り出して何枚か記念写真を撮りたくなりました。

 世界初のポータブルトランジスタラジオは日本のソニーが製造したものです。絶えず小型化と簡素化が進められ、続く電子製品の最も明らかなトレンドとなりました。電気のように近代化を示すものばかりでなく、日本の「小さい」特徴は、日本人が好む花から推察することもできます。周知のように、日本の国花は桜で、皇室の家紋は菊の花がモチーフです。この二種類に共通する特徴は、花が小さく花びらが細かいこと。そしてもう一種、よく葉書で見かける「ヤマハギ」という花もこの類です。

そのほか、日本の「和菓子」も同様に世界中で名をとどろかせています。来日した外国人は、どんな目的だった人であれ、帰国時には何箱も買うものです。自分で味わうためだったり、お土産用だったり、見た目がよいからインテリアにするという人もいたりします。店内でたくさんの素晴らしく精緻なお菓子を見ていると、日本の「小さくて精密なもの」に対する思いが特に強くなります。

 旅程のうち2日間は広島でした。この都市に言及すると、私はいつも心に憂いを感じます。私達は、一部の問題と字句に敏感で、振り返るに忍びない過去もありますが、いずれにせよ全て認めざるを得ません。これは全人類の共通の傷跡であり、あまり話題にしたくないため、どうしても直面するのを避けてしまいがちです。

 今回のとても楽しい旅行の中で、この午前中は重苦しいひとときでした。空もちょうど雨が降ったところで晴れ間が出ておらず、どんよりとしていました。原爆ドームと平和記念資料館の見学時、捉えがたい微妙な感情が引っかかっていました。平和記念公園にある平和の火は絶えず輝いており、あの有名な原爆ドームは静かにそびえ立っていました。何人かの観光客が戻ってきているのが見えました。平和の門から平和記念館への道のりは、足取りがことに重く感じられました。青い服を着たボランティアのお年寄りが原子爆弾の爆心地に案内してくれました。そこには既に当時の情景はなく、何もなかったかのようでしたが、彼が手にした資料や写真を見て詳しい説明を聞くと、ぼんやりとその時の情景を体得することができました。きのこ雲が昇った後、都市全体が一瞬でこの世の煉獄に変わって、傷だらけの罹災者が至る所に満ちている情景です。記念館の中で解説をしてくれたガイドさんもお年寄りのボランティアでした。皆さんは自発的にここへ来て、その歴史を語っているのだそうです。見学中、お年寄りが私達に一人一つずつ「Hope for peace」と書かれた折り鶴をくれました。


中国の若者の心に映った“日本” ―「クイズ大会・作文コンクール」訪日感想文―C [2010年02月25日(Thu)]
 

 解説は全体に重苦しいものでしたが、説教のような意味合いはなく、皆さんが伝えたいことは平和への祈りと待望だけのようでした。2年前に見た『夕凪の街 桜の国』という映画のことも思い出しました。広島市にある普通の一家の原爆後の生活を描いた作品です。原爆はこの地の人々に巨大な災難をもたらしましたが、誰もあまりそれに触れようとせず、悪夢だと見なしていました。映画は何十年もの期間と三世代に亘っており、物語に激しい衝突の場面や恨み言を言う人物などはありませんでした。単純に全てが好転することを期待するのみで、その情景と今日お年寄り達から感じたものが何となく重なりました。日本を離れる前の晩に、伊藤さんがバスの中で贈り物をくれたとき、私の手を握りながら「中国だけ、日本だけでなく、米国だけでもなく、全世界なのです」と話していたことを覚えています。もしこれが全世界で共通の期待とあこがれでなかったら何なのだ?と思います。

 日本に何日か訪れ、自分の日本語レベルがだいぶ低いことをはっきりと自覚しました。努力して各能力を高めないと、笑い話の種になってしまいます。それに関連して忘れられないことがありました。大阪の街を見学していた午後のことです。あるお店で買い物をしていたとき、店員さんが必要なものを紹介してくれたあとで、私が「これらぽっちしかないのか?」と口を滑らせてしまいました。その時はその質問の何が悪いのかなど分かっていませんでしたが、後で同行していた黄満竜さんから、「ぽっち」という言葉はごく気軽な口語の語彙で、しかも尊重しない意味合いや卑しめる語気なども持っており、とても失礼な表現なのだと教わりました。それを知って、私はこの上なく恥ずかしさと不安を覚えました。自分の不注意が笑い話の元になり、不要な誤解を招いたことに気づいたのです。それならば、この出来事はとても心を打ったので、言語を学ぶときはどういう微妙な部分に注意すべきなのかを深く悟ったことになります。また、いっそう努力が必要だということも痛感させられました。

 「長城に行かなければ立派な人間ではない、京都に来ないのは本当に残念だ」と言われています。もっと全面的に日本を理解し、日本を感じるためには、京都に行かなくてはなりません。京都は日本の千年の古都として、その評判が奈良を上回っています。日本における京都は中国における西安と同じです。今日に至るまできちんと保存されている古い街で、また私が長くあこがれていた場所でもあります。東京や大阪と比べ、ここでは現代都市の喧噪や混み合った感じがしません。歴史や文化が沈殿してできた、千百年も変わらない気骨が多く感じられます。京都はこのように、言葉も発せず、驕ることも騒ぐこともなく、静かに山の中でたたずんでいます。また、この現代化、工業化した都市の森にあって、千年の風雨、時代の移り変わりに関わらず、静かに、傲然とたたずんでいるのです。

 短い期間で日程は詰まっていましたが、ここを観光することができてとても安心し満足しました。私達は、立命館大学の孔子学院の学生達と交流しながら、京都の古跡を遊覧しました。中国の学生も、日本の学生も、みんな一緒に親切でバリアフリーな交流を行うことができて、この日はとても楽で楽しい雰囲気の中で過ごせました。

 その中でも言及せずにいられない景観は、かの有名な金閣寺です。京都に向かう途中、日本科学協会のスタッフが話していたのは写真上の、つまり印象の中の金閣でした。実際の金閣と比較して、誰の想像した「金閣」がより美しいかを知りたいという問いかけです。この質問で、私は三島由紀夫の美学が成熟した象徴的な作品――『金閣寺』を思い浮かべました。この作品の中で、金閣寺について想像した美しさと実在する美しさの比較が繰り返し言及されていたのです。この偉大な作品を拝読してから、私の心にも金閣寺に対する無限の想像と期待が芽生えました。今日その真相を目の当たりにして、思わず感嘆しました。ついに印象の中の金閣と目の前の金閣が一つになったのです。澄み切ってさざ波も立たない鏡湖が「静」とするならば、まばゆい彩りに煌めく金閣は「動」です。静寂で広い鏡湖を「横」と言うなら、高くそびえ立つ金閣は「縦」。この静と動、縦と横、持ちつ持たれつで互いに引き立つさまに、見きれない美しさを感じました。金閣を一周歩くと、ぐるりと山に取り囲まれた中に金閣がそびえ立っており、京都の古い町並みと同様であることに気づきました。もしかすると、金閣の品格は京都の品格だと言うことができるかもしれません!

 金閣寺だけでなく、後で見た清水寺にも同様に震撼しました。本堂は言うに及ばず、坂を登ると古い家並みも眼前に広がったのです。周りは常に和服を着た男女が通っており、その中を歩くと、しばし時間を忘れ時空を通り抜け、何か古き良き時代に身を置いたような感覚になれます。はっきり言うと、私は東京や大阪より京都のほうが好きです。とても昔、まだ見ていない頃から好きでしたが、今回わずか一日の滞在ではあったものの、行った甲斐があると感じています。本来、京都は想像も現実も超越しており、その二者より美しいのです。

 ここで私達と交流した日本の大学生達について特筆したいと思います。東京での三日目、東京の大学生、AさんとBさんの二人が試験期間中の一日という貴重な時間を割いて、ボランティアで私達のチームをたくさんの面白い場所へ案内してくれました。とても大変だったろうと思います。実に貴重な機会でした。特に言及に値するのはAさんの中国語です。群を抜いてすばらしく、私達の交流が気軽で楽しいものになったのはまさにそのためでした。お二人には心から感謝します。中国に来たら歓迎しますよ。また、立命館大学の孔子学院から来たCさんは、この上ない注意深さと根気良さで一生の思い出となる京都の旅をくれました。しかも欲しいものを買う手伝いまでしてくれて、本当に感謝しています。日本の大学生と交流した時間は短かったものの、全ての一分一秒が楽しく気軽に過ごせました。これから中日の学生がこうした交流をもっと頻繁に、密接にできればと私も期待しています。

 日本滞在の最後の夜、私と同行した数人はなかなか寝付けないので外を見に出ることにしました。大阪のナイトライフはとても豊かで、街には人の往来があり、照明がとても明るく、四人の若者がストリートライブでオリジナルの曲を歌っていました。とてもメロディアスで生命力があり、私達はしばらく立ち止まって聞いていました。全員が押し黙って、何か考えごとでもあるかのようでした。それから私達はあるラーメン屋に行きました。昔から日本のラーメンは有名だと聞いていたのですが、味わってみるとやはり非常に優れていました。私達はラーメンを味わいながらここ数日の旅行を思い出し、名残惜しさでいっぱいになりました。その晩は誰も遅くまで眠れませんでした。そして「天下に終わらぬ宴席なし」、別れの時が訪れましたが、少しは感傷的になったものの、きっと思い出すに値する、楽しさが満載の旅になるでしょう!

 訪日についてはここで終わりますが、ここで今回の活動を賛助してくださった日本財団の笹川陽平会長、日本科学協会の大島美恵子会長、そして全日程に随行し、誠心誠意の気遣いをしてくださったスタッフの皆さん、そして、訪日団全員に衷心からの感謝を申し上げたいと思います。まさに皆さんのおかげで、一生忘れられない旅行を経験することができました。日本文化を学ぶ者として、中日の友好的な交流に引き続き関心を持っていこうと思います。また、こうした活動がもっと多くなり、もっとよくなればと心から望んでおります。私達両国の友情が深まり続けられますように。

 唐代の有名な皇帝である太宗・李世民は「銅を鏡とすれば、身なりをただせる。人為を鏡とすれば、損得に明るくなれる。歴史を鏡とすれば、栄枯盛衰を知ることができる」という言葉を残しています。日本にもよく似た言葉、「人の振りを見て、我が振り直せ」があります。確かに、中日両国の歴史文化は長いもので、互いに参照しあい、肥やしとなってきました。中日両国は共に発展し繁栄することを考えなくてはと確信しています。相手は回り込むことのできない鏡、敷居なのです。参考にしあうことでしか、より高度の超越を実現することはできません。

 ここまで考えて、両国の未来に対する期待がますます強くなってきました。飛行機が首都空港のターミナルにゆっくりと駐機しました。私は窓の外を眺めて荷物を持ち、こんな気分で飛行機を降りたのです。


中国の若者の心に映った“日本” ―「クイズ大会・作文コンクール」訪日感想文―D [2010年02月25日(Thu)]


「訪日感想」(原文日本語)


黒龍江東方学院日本語学部4年 李吉順



 世界は広いなあ、と今回の訪日を通して改めて思いました。今まで、自分が関心をもっていたことを、でも、本やインターネットでしか知ることが出来なかったことを、身近に感じられることが出来、とても勉強になりました。八日間にわたる今回の訪日は、凄く楽しかったです。何もかも新鮮で、不思議で、「百聞は一見に如かず」と言うか、さすがだなと言うか、感心しました。

 特に日本の学生たちと過ごした一日が一番印象に残りました。みんなの明るくて親切な笑顔から、最初の不安は消え、楽しく会話することが出来ました。誰かと出会って、言葉を交わして、お互い知ってゆくことってなんか楽しい、と思いました。そして、それは素晴らしいことだと、改めて感じました。

 他にもたくさん心に残ったものがいっぱいです。正座をして茶道の見学したことも、築地の魚市場を歩き回したことも、世界遺産である厳島神社を見学したことも、賑やかな商店街で買い物したことも、それと清水寺、金閣寺などの名刹まわり、思い出をいっぱい作りました。
 日本は初めてなんで、つい調子に乗ってしまって、人に迷惑をかけたこともありました。買い物してから、うっかり財布をおきっぱなしで店を出てしまったことです。帰りのバスの中でそれに気づき、大変困っていた私をスタッフさんたちは助けてくださいました。財布なくしてどうしようかとショックだったんです。助かりました。本当にありがとうございました。

 この旅を通して、私の日本への認識が少し変わったと思います。リアルっぽくなったというか、二次元から三次元へ進んだというか、うまく言えないけど私はこの変化を喜んでいます。
昔の人はこんな風に言い回していました。
「この世に生きるには、1万冊の本を読み、1万里の道をゆき、四方の友を交わるべし」と。知識として知っていただけだったものを、こうして確実なものに換えて身に付けるということに、私は満足感を覚えました。
 最高の旅でした。心から感謝申し上げます。一生忘れません。



「日本での素晴らしい思い出」(原文日本語)


黒龍江大学日本語学部4年 唐サンサン



 一週間の訪日があっという間に終わりました。今振り返って見ると、この旅のおかげで、すばらしい思い出ができて、友達もたくさんできただけではなく、日本の自然、文化、社会についての認識も深めていました。今度の訪日の感想もいっぱいあって、これから、思い出しながらもう一度その旅を味わいたいのです。

*きれいな日本
 今度は二回目に日本に来たのですが、日本は本当にきれいなところだなというのは一回目も今度も一番印象深いところでした。ここのきれいっていう意味は人工的に作ったきれいな建物などのことではなく、自然を大切にして、どこへ行っても自然的なにおいが溢れている意味です。最初に日本に来たとき、日本の空の青さ、透明感、空気のきれいさに感動しました。日本の水がそのまま飲めることもびっくりさせました。日本人は自然からの恵みを大切にして、東京という一番賑やかな都市圏でも緑がいたるところが見えるのです。リサイクルのために、環境に優しいために、ごみをちゃんと分類して捨てて、今の中国ではなかなかできないことでしょう。経済の発展とともに自然も大事にして、これは我々これから重視しなければならないことで、日本から学ばなければならないことです。自然だけではなく、日本の伝統的な文化と現代的な文化の優れていた融合にも敬服しました。日本の茶道、今日までも伝えてきて、一期一会の意味が身をもって体験することによって理解を深めました。それに、和室の体験、京都の見学、いずれも日本人が伝統的な文化の重視と愛する気持ちが分かるように感じました。自分がなんか恥ずかしくなってきました。もし日本人の友達が中国の伝統的な文化を体験したいと言われたら、私は何か意見を教えてあげたらいいか全然分かりません。これから、中国の伝統文化も勉強していきたいと思います。

*まじめな日本人
 日本人はまじめで、働き蜂だとよく言われています。この前に、どんなにまじめであろうと想像につかないのですが、今回よく理解することができました。まずは、日本財団、日本科学協会の訪日に関する皆さんが準備してくださったスケジュールの緊密さと充実さからみえるのです。それに時間を分までに細かく分けて、私たちに体験してもらいたいことがちゃんとアレンジし、ほとんどの行動がスケジュールに沿って計画的に行われました。まだ社会人間になってない私にとって、敬服して大変勉強になりました。二日目、私たちは全日空機体設備工場見学するとき、今まで見たことのない本当の飛行機が目の前に現れるときの興奮さがいうまでもなく、日本の先進の技術も勤勉に働いている日本人が支えとしてということがわかってきました。とても印象深いなところは、我々は見学するとき、騒いでいた私たちに目向きもしない働き者に、そのまじめさにいままでもわすれることができません。

*平和への祈り
 1月28日、私たちは広島の平和記念公園を見学しました。この前、広島の原爆についてもいろいろ聞きましたが、やはり現地にいったら、平和の大事さと今の平和の幸せが身近に感じました。
ボランテイアが解説してくれるとき、何度も聞き耐えられなかったのです。戦争の残酷さ、戦争を経て皆さんのつらさ、そのところどころの展覧物に刻んでいます。世界中の平和を祈り、力限り世界の平和に貢献したいと思うようになりました。

*日本人との交流
 実は、私はずっと日本人が近寄りがたいと思っていましたが、今度、日本人との交流のチャンスが何回かできて、日本人が近寄りがたいのではなくて、自分が先入観に取られてしまいました。今回日本人との交流のとき、この先入観がすでになくなりました。テーマによりグループの交流で、私は華東地域の二人と早稲田大学の一人の学生さんが一グループになって、横浜を見学しました。時計がついている観覧車の中に一番大きい観覧車を見て、赤レンガ倉庫の歴史を探求して、中華街を回って、いろいろな話をしながら、交流を深めてきました。今は友達になっていて、メールで連絡をとっています。東京大学での交流会にもみな宴会をしながら話をして、拘束なし、日本の大学生も熱情に溢れていて、彼たちも中国のことに興味があるということにうれしく思います。これからの交流がますます深くなってほしいのです。それに、外国の人たちと交流するとき、声をかけられるのを待つことではなくて、積極的に声をかけて、真の心を持って、きっと友達がいっぱいできると思います。

 この以上はすばらしい思い出から勉強になったことや印象ぶかいところでした。そのほかにも、初めて食べたふぐの味、和牛の美味しさ、日本の中華料理と中国の流離の違うところ、自分の手作りのお好み焼きの味、厳島神社の見事さ、キラキラ輝いている金閣寺の風景、清水寺の伝説、いずれにしても、人生にとって忘れられない思い出になりました。

 もしチャンスがあったら、また日本へ留学に行きたいと思います。今まで勉強してきた知識を生かして中日友好関係に力を貢献したいのです。
最後に、我々の訪日に関するいろいろな仕事をしてくださった皆様に深くお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。



「訪日感想」(原文日本語)


黒龍江大学東語学院 院長 陳百海



 この度、日本科学協会のお招きで、1月24日から31日まで日本を訪問しました。日本は初めてではないが、やはり行きたい、この目でたくさん見たい気持ちには変わりません。
とても用意周到で、バラエティーなスケジュールのおかげで、名所旧跡を見学したり、名高い茶道を体験したり、日本料理を食べたり、日本の大学生と交流したりして、楽しく充実した8日間を過ごしました。これらの活動を通して、日本に関する理解は一段と深まりました。

 今回の訪問で一番印象に残っていることは二つあります。一つは28日午前中の広島平和記念資料館見学でした。広島と言えば、すぐ無数の命が奪われたあの人類史上初の大惨事を思い出します。その日、原爆から命拾いしたナレーターのおばさんのご説明を聞きながら、写真や実物を見て、悲しくてたまりませんでした。一瞬間、あれほどの尊い命が奪われた戦争はなんと無残だろう。戦争はいけない。平和を守らなければならいとつくづく感じました。
 その日、たまたま、欧米人の小学生たちが見学しているのを見かけました。これは本当にいいことです。できるだけ多くの人に、また子供に、戦争の残酷さを伝えるのは世界平和に役立つのではないかと思います。

 もう一つは26日の東京の大学生との交流と30日の立命館孔子学院の学生との交流です。中日友好は一代だけではなく、子々孫々まで続かなければなりません。そのために、若い人たちにどんどん交流の機会を与えなければなりません。中国と日本は一衣帯水の隣国です。友達を選択することはできますが、隣同士を選択することはできません。隣同士である以上、仲良くしなければなりません。そうしなければ、お互いに気持ちが悪くなります。笹川会長の「親日派でなくても、知日派が必要です」というお言葉に大賛成です。中国にとっても、やはり日本の皆様に中国のことをたくさん、正しく知っていただくことが必要です。
 私の参加している第二のグループで、日本の大学生のお二人、AさんとBさんはとても優しく、親切に案内してくれました。そのため、古き良き東京の情緒をたっぷり味わってきました。これからメールでも交流し続けると約束しました。

 日本で始めてできた立命館大学孔子学院の見学も印象的でした。もちろん温家宝総理が訪れたところですから、その存在の大きさを感じています。私は特に日本の年配の方々も中国語や中国文化の勉強に励んでいる姿にすっかり感動しました。それを見て、私たちもしっかり日本語や日本文化を勉強しなければならないと改めて認識しました。お互いの勉強は理解を深め、誤解を減らすことにつながります。その日、孔子学院の日本側の学生さんたちはずっと付き添って、一緒に行動してくれました。感謝の気持ちでいっぱいです。特に分かれる時、みんな名残惜しい気持ちで手を振りながら(涙を流した人もいる)、再会を期待する姿に心を打たれました。その時、私は目頭が熱くなりました。「隔絶時代」と言われるこの時代に、人間同士の心と心の触れ合いはなんと素晴らしいものだろうと感無量でした。
 滞在中、日本科学協会の皆様を始め、関係者の皆様にいろいろお世話になりました。どうもありがとうございました。




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