中国の若者が綴る“感知日本 ”―中国語の「作文コンクール」一等賞決定―@
[2009年12月15日(Tue)]
中国の若者が綴る“感知日本 ”―中国語の「作文コンクール」一等賞決定―
日本科学協会が中国青年報社とともに実施している「笹川杯作文コンクール2009」(中国語版)については、既に優秀賞18点が全て決定しています。これらの作品を対象に最終審査を行った結果、この度、一等賞6点と二等賞12点が決定しましたので、一等賞作品をまとめて紹介します。
一等賞者6名については、日本語の「笹川杯作文コンクール」優勝者2名とともに、副賞として2010年1月24日から8日間の日程で日本に招聘する予定です。ほぼ全ての受賞者にとって、この招聘が初めての来日であり、中国で抱いていた“感知日本”と日本で実感した“感知日本”との差異については、興味が惹かれるところです。
★一等賞受賞者

★一等賞作品
「人生を変えたアニメのワンシーン」
上海市 叶珠峰
数年前のあの日、孔子廟の日本アニメコーナーでCDをあさっていた時、店内のテレビで『スラムダンク』が放送されており、私は思わず足を止めて眺めた。まさか自分の人生を変えるシーンに出会うとは思ってもいなかった。
“俺は自分が言ったことを曲げない男、三井寿だからだ!”
“もう二度と喧嘩はしないとコーチに誓ったんだ。…もう喧嘩はしないぞ!!!”
“なぜ、… どうして、俺はこんなに多くの時間を浪費してしまったんだ。…” “俺はやるぞ!歯が欠けていても!”
哀感に満ちたBGM「世界が終わるまでは…“が流れる中、三井寿が安西コーチの前に跪き“もう一度バスケがしたい。」と言う場面を目にして、私はさめざめと涙を流した。
三井寿は、日本の漫画家・井上雄彦の漫画『スラムダンク』の登場人物である。中国の“80年代”以降の人なら、きっと誰でもこのバイブル的なアニメを見たことがあり、この作品からバスケットボールを好きになった人も多いはずである。私が好感を持っている三井寿には、主人公である桜木花道の尊大さや愚劣さがなく、ナンバー2である流川楓のように垢抜けて洒落たところもないが、彼は正直で果敢であり、欠点を改める勇気があり、強烈な責任感を持つバスケットボール選手であって、再生を果たした男なのである。
私は漫画のあらすじを余り述べたくはないが、三井寿の成長の軌跡を大まかに紹介したい。
三井は高校生の素晴らしいバスケットボール選手で、チームから大いに期待されていた。しかし、ある激しい練習試合で事故に遭い、左膝を負傷して入院治療を余儀なくされる。回復には長い時間がかかり、彼はひどい挫折感と苦痛を味わった。強烈な自尊心と名誉を失った落差感に心を痛めた彼は、バスケットボールに泣く泣く別れを告げる。その後、自暴自棄になり堕落し、不良少年になってしまった。ある暴力沙汰の中で、三井は昔のチームメイトに遠い記憶を呼び起された。最終的には、自尊心も強情さもかつての恩師・安西コーチの前では脆くも崩れ去り、三井は地面に跪き泣きながらもう一度バスケットボールがしたいと本音を漏らしたのだ。それから彼は長髪をばっさり切って自惚れと傲慢な態度を改め、暫らく振りにコートに戻ると、直ぐにチームの主力に成長した。
私は読書家の家庭に生まれた。両親が首尾よく育ててくれたおかげで、私の人生の序章は光り輝いていた。成績はずば抜けて良く、美術に長け、文学とスポーツを心から愛するようになっていた。
しかし、私が高校に進学した時、全てが変わってしまった。あの青春の日々は異常なほど反抗的だった。私は三井と同じように、血気盛んで気が短く、他人を眼中に置かなかったため、取るに足りないことで他人と不要な口論や衝突をしてしまうこともあった。もしかしたら、高校時代のクラスメイトが優秀すぎたため、成績のランキングが下がったという落差感から自分を卑下する心理が生まれ、自暴自棄になってしまっていたのかもしれない。深い考えもなしに多くの不良少年と付き合っていたため、私は学生にあるまじき長髪をしており、義侠心から何度となく集団で喧嘩をしては多くのトラブルを招いていた。あの一時期は、振り返るに忍びない経歴である。
幸運なことに、私が泥沼に深くはまり込んで自力では抜け出せないでいた時、命の恩人に出会った。―三井寿、その恩人とは君だった。
長髪を振り乱し、前歯が二本も折れた状態で体育館の喧嘩に踏み込む君の姿を初めて見た時、私の中で君は偶像となったのだ。当時、私は、君を魅力的で喧嘩が強い馬鹿としか感じておらず、君がバスケットボールチームの人を痛打するのを見ては、心の中で喝采していた。しかし、友達思いのチームメイトによって、君が輝かしくも痛ましい過去を少しずつ思い起こさせられた時、安西コーチの前で声にならない声で「もう一度バスケがしたい」と言った時、私の心も震え、強烈に自分を責めだしたのだ。「なぜ…どうして僕はこんなに多くの時間を浪費してしまったんだ…」その時から尊敬の念に打たれはじめた。自身さえ予測していなかったのだが、最終的に私は君のことが無茶苦茶好きになり、君を人生の模範とするようになったのだ。
私は改めて自分をじっくり見つめ始めた。私の高校時代は、果たしてこんな無知蒙昧に過ごすしかないのか? 高校の1、2年を“世間をなめて不遜”な態度で過ごしたため、私は理想の大学に合格することができなかった。今、改めて考えてみても、私は後悔していない。たとえ回り道でも、これは私自身の選択であり、溝は自分で埋めるべきである。また、最後まで自分に対する責任を負うことができるのは、自分だけなのである。喜ばしいのは、三井と同じように、私達もそれから正しい道に戻れたことである。あの振り返るに忍びない経歴については、神が与えたもうた試練だったのだろう。
私は三井寿の過去と“現在”に対して共感している。私も彼も、人生の序章は輝かしく誇らしいものだった。それから“不良少年”の経歴もあり、“人生経験も豊富”である。そして、私たちには、再び帆を揚げて出航する願望と努力があった。きっと、このような経験をしたことがある人なら誰でも、私や三井のように再び自分を奮起させることができるのではないだろう。重要なのは、世間をなめて勝手気ままに振舞っていた裏側に、強靭で善良な心を隠していたことである。自分と似た三井の経歴に感嘆し、彼のため、いやそれ以上に自分のために私は涙を流した。彼が私の精神的成長の描写であり縮図であったからだ。
三井よ、君は私の心の英雄だ。私が挫折や困難に遭遇する度、君のその身から放たれる日本式の志を励ます精神は、いつも君の再生後の言動の一つ一つを思い出させてくれる。 作品の中で、三井は最後には真の成熟した男になっている。同様に私も謹厳で落ち着いた素晴らしい男になることができると固く信じている。



