こんにちは。科学振興チームです。
本日は、2021年度「“未知の水”から紐解く水の特異物性の謎」という研究課題で笹川科学研究助成を受けられた、東北大学多元物質科学研究所・助教の新家 寛正さんからのお話をお届けします。
<新家さんより>
2021年度笹川科学研究助成学術研究部門にてご支援頂きました、東北大学多元物質科学研究所の新家(にいのみ)です。今回は、ご支援のもと明らかにすることができた、普段の生活でみなさんが当たり前のように接している液体である“水”に関する奇妙な事実をご紹介させて頂きます。
みなさんは、水について深く考えたことはあるでしょうか。液体と言えば水、というほどに水はありふれた液体ですので、なんとなしに特徴のない液体のように思われるかもれません。ところが、そのような直感とは裏腹に、実は、水は他の一般的な液体とは異なる性質を示す特殊な液体であることが科学的に知られています。例えば、一般的な液体の密度は温度が下がるとともに単調に大きくなっていくのに対して、水の密度は4oCで極大を示し氷が形成する0oCでは4oCの時よりも密度が小さくなります。このような特異な性質の上で、わたしたちの環境は彩られています。水の特異性の起源を説明する上で、水の“液体構造”の多様性が重要であると考えられています。ここで、液体に構造なんてあるのか?と思われるかもしれません。ここでいう構造とは、個々の水分子同士の幾何的な関係のことを指します。液体ですので、その幾何関係は時間的にも空間的も揺らいでおり、結晶構造のように堅固に分子同士の幾何関係を決めることはできませんが、揺らいでいる中でも平均として分子同士が好む幾何関係があります。このような関係を液体構造と呼んでいます。4oCから0oCへと温度が下がるにつれて密度が小さくなる理由は、氷が水に浮かぶという事実が示すように、氷の密度が水の密度よりも小さいことと関係しています。氷は水分子が水素結合ネットワークによって正四面体構造として秩序化した結果現れる状態であり、液体の無秩序な状態よりも分子が疎な状態にあるため、その密度は水よりも小さくなります。温度が0oC、すなわち、水が氷へと結晶化する温度へ近づくにつれて、水が正四面体様の秩序だった構造を取る傾向が顕著となるため、密度が小さくなると考えられています。ここでお気づきかと思いますが、水は無秩序な状態と秩序だった正四面体様の状態を取り得るということになります(図1)。これが水の液体構造の多様性です。このような多様性と特異な性質との関係の詳細は後述させて頂きますが、このような背景から水の液体構造の多様性に関する研究は重要視されています。
図1. 水の液体構造における多様性. (左)指向性を持つ水素結合を基にした正四面体構造. (右)等方的なvan der Waals相互作用に基づいた無秩序状態.
私は、結晶成長学を専門として研究を続けて参りました。水がどのような過程を経て氷へと結晶化するか明らかにすることを動機として、高圧氷IIIと呼ばれる、水を圧縮することで結晶化する氷(普段みなさんが目にする氷は氷Ihと呼ばれていますが、それとは結晶構造が異なる氷です。)と水の界面を光学顕微鏡で観察してみました。すると、実に奇妙な現象を目の当たりにしました。図2に顕微鏡像を示します。水と氷III結晶の界面で液滴が形成する様子がおわかりになるかと思います。周囲は水で満たされているのにも関わらず、その中で別の水滴が形成しています。周囲の水とは分離した別の“未知の水”が液滴の形で現れたということになります。水同士が、まるで水と油のように分離するという、実に奇妙な現象が顕微鏡その場観察で直接的に捉えられたのです。私たちは、この未知の水を同素不混和水と命名することにしました。水と同素不混和水が分離するからには、そこには何か理由があるはずです。現在のところ、その理由は水と同素不混和水の液体構造が互いに異なるためと私は考えています。
図2. 同素不混和水を初めて捉えた光学顕微鏡その場観察像とその模式図. (A) 超純水の中で成長する高圧氷IIIの偏光顕微鏡その場観察像. (B) 観察像A中の灰色の四角で囲まれた領域Bの拡大像. (C) 観察像B中の黒色の四角で囲まれた領域Cの拡大像. これらの観察像から模式図で表されるような水と高圧氷IIIの界面に水から分離する別の未知の水が液滴状で形成する様子がわかる. 図はAmerican Chemical Societyの許可を得て掲載(Niinomi et al., J. Phys. Chem. Lett. 2020, 11, 16, 6779–6784).
氷IIIと水の界面で同素不混和水が現れるとなると、私たちにとって馴染み深い氷である氷Ihや他の異なる結晶構造を持つ高圧氷で同素不混和水が同様に生成するか、その一般性を確かめたくなるのは自然のことと思います。私は、水と共存できる氷である氷Ih、V、VIの界面を同様に観察してみました。すると、観察した全ての氷と水の界面で同様に同素不混和水が現れ、同素不混和水の生成には一般性があることが分かりました。図3に氷や高圧氷の結晶化する条件とその場観察像と同素不混和水の模式図を示します。ご覧のように、同素不混和水が様々な形態と動力学を伴い生成することが明らかになった点も特筆すべきではありますが、ここで強調させて頂きたいのは、氷Ihと高圧氷は、それぞれ、水に対して低密度および高密度であり、それぞれの界面に現れる同素不混和水には密度を指標にした多様性が存在する可能性が示唆された点です。密度が異なるということは液体構造に多様性が存在するということとなります。
図3. 水の相関係図と様々な氷と水の界面で現れる同素不混和水の光学顕微鏡その場観察像とその模式図. (A) 水の相関係. 図中の@-Cは本研究で実施した観察の温度圧力条件を示す. 紫色で示された領域は、水を実験的に過冷却した際にその過冷却水を液体のまま保持することができない条件の領域(No man’s land). 白い丸は、理論的に予想されている水が低密度液体と高密度液体に分離する臨界点. (B)図A中の@-Cの観察条件における顕微鏡その場観察像. 条件@, A, B, Cはそれぞれ氷Ih, III, V, VI の界面を観察する条件に対応する. 図中の矢印は同素不混和水の位置を示す. 観察像Cの氷VIの同素不混和水は一般的な光学顕微鏡では可視化することができなかったが, レーザー干渉計を導入することで可視化することに成功した. 紺色の渦状の点線は同素不混和水からの干渉縞を示す. (C) 観察された同素不混和水の形態を表す模式図. 図はAmerican Chemical Society, Springer Natureの許可を得て掲載(Niinomi et al., J. Phys. Chem. Lett. 2022, 13, 19, 4251–4256., Niinomi et al., Sci. Rep. 2023, 13, 16227.).
さて、ここで冒頭にご紹介した水の特異な性質の起源の話に戻りましょう。まだその起源がどのように説明されているか述べておりませんでしたので、その一説を簡単にご紹介します。実は、水分子が秩序だった正四面体構造を取る「低密度液体」と無秩序な「高密度液体」の2種類の異なる液体へと水が分離する温度圧力条件が存在すると仮定をすると、水の特異な性質の説明がつくことが理論的に指摘されています。一般的な感覚からすると極めて奇妙な仮定と思われることでしょう。しかし、この仮定を置くことで、ありとあらゆる水の特異な性質がエレガントに説明されるようです。では、これまでに、水が別の異なる液体へと分離する様を目撃した者はいるのでしょうか。答えは否です。この理由は、水の分離が起こる温度圧力条件がもどかしいことに実験的に到達不可能な深い過冷却を伴う低温高圧条件にあると理論的に予想されているからです。その条件を実験的に実現しようとしても深い過冷却状態にある水は瞬く間に氷へと結晶化してしまうため、液体である過冷却水として保持することができません。このような条件は、研究者の間で未踏の地―no man’s land―などと呼ばれています。これが、これまでに誰も水の低密度液体と高密度液体への分離を見たことがない理由です。
水が低密度液体と高密度液体へ分離するか否かを巡る長い論争の中、我関せずとまことやしかに私たちの目の前にひょっこり姿を見せた低・高密度な同素不混和水は私の興味だけでなくみなさんのご興味も掻き立てるミステリアスな存在ではないでしょうか。現段階では、低・高密度な同素不混和水と低・高密度液体との関係を科学的に立証するには至っておりませんが、今後このような観点からも同素不混和水の性質や構造を明らかにしていきたいと思っております。
末筆ではございますが、笹川科学研究助成を通じてご支援を頂いた日本科学協会に心より感謝申し上げます。昨今の研究資金獲得にかける競争は激化しており、資金獲得には研究計画における、世界情勢に基づいた戦略性、社会還元の即効性、計画に説得力を持たせるための過去の実績や具体的な準備状況などがますます厳しく問われるようになって来ているように若輩者ながら感じております。これは言い換えますと、全くの萌芽的段階にある純粋な好奇心に基づいた発想の若手基礎研究の場合、まとまった研究資金の獲得が比較的難しいということを意味します。更に厳しいことに、昨今、若手の研究ポストはそのほとんどが任期制であり、極めて短い期間で研究に目途を立てなければならず、長期的な視野に基づいた研究計画を、例え頭の中では想像できたとしても、書面に表し難い状況にあるように感じます。笹川科学研究助成の趣旨は、まさにそのような苦境にある萌芽的な若手研究を尊重する支援であり、他にはない特別な意味があります。実際に、私の研究は全くの基礎研究であり、更には研究期間前後には2度の異動が伴いました。笹川科学研究助成を通じて、多大なるご支援を頂くことで、私たちにとって極めて重要な液体である水の新たな側面を明らかにすることができました。この場を借りまして、重ねて感謝を申し上げる次第です。
<以上>
日本科学協会では過去助成者の皆様より、研究成果や近況についてのご報告をお待ちしております。最後までお読みいただき、ありがとうございました。