中国の若者が綴る“感知日本 ”―中国語の「作文コンクール」一等賞決定― D
[2011年12月06日(Tue)]
土の下の尊厳
四川省 王珂旻
昔から“大和魂”と称される桜が見守る下で、滑らかなそよ風が無名の墓のひとつひとつを優しく撫でていく。生花、ミネラルウォーター、そして故人の遺品、こうしたものは忠実な“臨時の墓碑”であり、埋葬された遺体がそこにあることを示している。この公共墓地の写真からは、悲しい影どころか、この地で起きたばかりのことを推測できる人すらいない。
これは、“3.11東日本大地震”後の宮城県気仙沼市内の身元不明被災者を納めた臨時の共同墓地の一つである。4月24日現在、地元自治体が造成したこの臨時の共同墓地には既に205名もの被災者が埋葬されている。こうした臨時の共同墓地は、被害が深刻な他の被災地にもたくさんある。被災地周辺の火葬場が大量の被災者の遺体に対処できないため、日本政府は、伝染病の流行を防止するという目的で集団土葬を緊急決定した。日本においては、土葬廃止から既に長い年月が経過している。公式統計によると、2009年に死亡した日本人の99.9%は火葬されている。
「一時的に埋葬しているだけであって、二年以内に遺体を掘り出して改めて火葬する。」東松島市環境課の相沢氏は取材に対してこのように答えた。こうした臨時埋葬用の穴は正式な土葬の半分ほどの深さである。遺体は全て、納棺師が一体ずつ心を込めて清めた後、最寄りの臨時墓地へと搬送されるのである。埋葬を担う自衛隊員たちは、日本の伝統である“北枕”を守って遺体の頭を北に向けて安置し、安置する度、整列して敬礼するのである。被災者の遺族は、棺の上に菊の花や線香を手向けて黙祷し、それからスコップで棺に土をかぶせるのだ。毎回数時間に及ぶ儀式のため、仏像を祀った香堂も特別に設置されたが、それらも“臨時埋葬”のためだけのものである。
マーク・トウェインが『バック・ファンショーの葬儀』の中で書いているとおりである。「ある社会の構造を理解したいのなら、その葬儀を観察することだ。どういう人が最も立派な葬儀をしてもらえるのかを知るだけで、多少のことは分かると古代の人は言ったものだ。」葬儀は人生最後の旅路として、一人の人間の長い一生、或いは短い一生の収穫と期待を載せている。しかも、残された身内のために思いを伝える橋を架けるのである。俗世間的な意味における完結を通じて、ある種のこの上ない円満さに達するのだ。葬儀の礼儀は、早い時代から既に社会の文化の縮図となっており、ある種の儀式を代表するだけでなく、ある社会の人の尊厳に対する保護を表しているのだ。
この点から見ると、日本の大地震後の合同葬儀には火葬の過程こそないものの、自衛隊員の礼儀と現場における一連の儀式の過程は、一人一人の被災者の命に対する尊厳を具現化していると言える。
日本映画には葬儀に関するシーンを含むものが多く、その中でも最も有名なのは、アカデミー賞外国語映画賞受賞作品『おくりびと』である。『おくりびと』は、作品全体の雰囲気に想像されるような死と関わる息詰まるものはなく、一貫してある種の静けさと安らぎに満ちている。この映画で最も印象に残ったシーンは、一家4人の老若の女性遺族が遺体の顔に赤く唇の跡をつけ、泣き笑いしながら感謝の言葉を口にするところである。この時の葬儀には伝統的な厳粛さ、連綿と続く悲しみの涙があるだけではなく、死者が身内と過ごす最後のひと時に家庭生活のような自然で温かい雰囲気が満ち溢れていた。
筆者は日本で葬儀に参列したことはないが、近年の日本の葬祭業界で“死者の普通の生活の再現”を追究するホールが出始めたという話なら知っている。葬儀の形式的な煩わしい虚礼を排除して、それぞれの家柄によって家庭的な装飾、整ったきめ細やかなサービスを提供し、死者と遺族のために“恐れや嘆きがなく、互いに慰め祝福し合う”過程の雰囲気を醸し出して、死者の最後の旅路を生者に共有させるというものである。村上春樹は、日本人に高い評価を得ている『ノルウェイの森』の中で「死は生の対立面ではなく、生の一部分を永久に存在させるもの」という言葉で、死そのものに対する自分自身の理解、つまり生死同源を表現している。そして、概ねこれが、近年、日本の葬祭業が大胆な革新を行っている根拠なのだろう。
中国の葬祭業は未だ整備段階にあるとは言え、経済発展に伴い、国家が重大災害における死者の尊厳を保護するという意識は日増しに強まっていることを容易に見て取ることはできる。ブン川大地震から暫くして掘り出された遺体は、天気や伝染病などを理由に“消毒後、地中深く埋却“されたが、こうした対応は、被災者の遺族や友人達にとって感情的に受け入れ難いものであった。
玉樹地震後、政府は“死者の尊厳を尊重し、少数民族の葬儀と埋葬の習慣を尊重する”ことを原則として、千人近い被災者の遺体のため、塔葬に次ぐ高級葬―集団火葬を行い、活き仏が数百人の僧侶を率いて死者の霊のため読経して済度した。こうしたことから、これら二度の地震において、死者の尊厳が重視されるようになってきたことは容易に見てとることができる。この点だけでも、充分喜ばしく慰めを感じることである。
日本にいようと中国にいようと、被災者の遺体処理だろうと普通の人の葬儀だろうと、私達一人一人が分かっておかなければならないことがある。それは、生命が果てまで歩きついた時、葬儀という旅はまるで最後の回顧のようなものであること、一人の遺体が深く埋葬される時、沈黙するのは死去する者の外に存在する身体だけではなく、その人の長い一生、或いは短い一生の尊厳でもあるということである。
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