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中国の若者が綴る“感知日本”―受賞作品のインスピレーション― [2011年12月14日(水)]
中国の若者が綴る“感知日本”

―受賞作品のインスピレーション―



 前回、作品を紹介した「笹川杯作文コンクール」(日本語版)の2名の優勝者から、受賞の感想と作品執筆のインスピレーションが届きましたので、紹介します。

 まず、「津波被災地の少女への手紙」を書いた劉倩さんの感想は、
一生懸命、何度の何度も書き直した作文でした。それだけに、受賞の知らせを受けた時、とても驚き、うれしかったです。難しさがあり、いつも困っていますが、はじめてコンクールに応募した作文が選ばれるとは信じられませんでした。涙も止まりませんでした…(原文より抜粋)

 「思いやりの心 -日本の大地震に思うこと-」を書いた羅紫薇さんの感想は、
この作文は、自分の経験を基づいて、心を込め、私の本音を伝えられるように一生懸命書いたものです。私の本当の思いを皆様に届けることができて、何よりだと思います…(原文より抜粋)

とそれぞれに感想を述べ、最後は、日中の相互理解の深化と友好の増進のために力を尽くしたい(尽くさなければならない)旨の言葉で感想文を締めています。

 作品執筆のインスピレーションについては、全文を掲載します。
これらのインスピレーションにより、筆者が綴った“感知日本”をより深く感じ取っていただければと思います



東北大学の劉倩さん


  
  
中南林業科技大学日本語系4年 羅紫薇さん




創作のインスピレーション


東北大学日本語系4年 劉倩(「日本、私があなたに言いたいこと― 津波被災地の少女への手紙―」筆者)

 薄暗い明りの中で、女の子が机に顔を伏せて眠っています。腕の下に一枚の紙があり、紙に曲がりくねっている文字が書かれています。

 「ままへ、いきているといいね。おげんきですか」。
 授業で配られた新聞でそのニュースを読むやいなや、涙が止まらなくなりました。この子がいつものようにお母さんの懐に寄り添えることをずっと固く信じていたのに。災害は静かな、穏やかな日常を一瞬にして奪い去ってしまいました。

 少女の名前は昆愛海ちゃん。そんな美しい名前をもらって、どんな純粋な心を持っていたかということを考えると、とても痛ましいです。神様はなぜ愛海ちゃんを選んで彼女の家族を奪ったのか、なんで、そんな稚い心を傷つけたのだろうか。

 「いきているといいね」。それは幼い子供が言葉に表した覚悟のように思われます。それはまさしく、幼い心の生命に対する賛美だと思いました。私は手紙という形で女の子に話しかけようと決めました。女の子にもわかるように書けば、「日本」への手紙になるかもしれないと感じたのです。
 災難に面して、私たちは何ができるのか? 援助、交流、保護、励まし、思いやり。これらはすべて、手をつなぐことです。災難はいつ、どこで起きるか想像できません。人生が旅だったら、道は困難で満ちています。国を越えて幸せに生きるために、私たちは「手をつなぐこと」を将来もっと大切すべきだと思います。



創作におけるインスピレーション


中南林業科技大学日本語系4年 羅紫薇(「思いやりの心 -日本の大地震に思うこと-」筆者)

今年の3月11日に千年一度と呼ばれる巨大地震が東日本を襲いました。地震による津波や福島原発事故などで日本が全世界に注目されました。私は日本に留学していたとき、東京で今回の東日本大震災を経験しました。

地震から、すでに半年以上に経ったが、今でも記憶に新しいです。地震が発生したとたん、大きな揺れを感じました。もうすぐ死ぬかと巨大な瀕死感にせめられました。私は地震が死と絶望に結びついていると思うからです。私は言い知れない不安に襲われたが、日本人の温かい心遣いに心が癒されました。その国境を越えた温かさに感銘を受けました。日本にいても、私は一人ぼっちではないと気づきました。

目を覆うような災難が降りかかるけれども、人々の支えと思いやりの心は傷づいた心をなぐさめるでしょう。お先真っ暗でも、思いやりの心を持っていれば、共に乗り越えられる希望が芽生えるでしょう。その旨、ぜひ皆様に伝えたいと思います。


教育・研究図書有効活用プロジェクト室
中国の若者が綴る“感知日本 ”―日本語の「作文コンクール」各賞決定― @ [2011年12月07日(水)]
中国の若者が綴る“感知日本”

―日本語の「作文コンクール」優勝作品―


 日本科学協会、中国青年報、人民中国雑誌社が共催する「笹川杯作文コンクール」では、共通テーマ“感知日本”のもとに中国語版と日本語版の2つの独立した作文コンクールを開催しています。
中国語版の「作文コンクール」については、このブログでも紹介したとおり既に一等賞6点含む入賞作品全42点が決定しています。

 日本語版の「作文コンクール」については、「人民中国」誌・同webサイトを通じて今年の4月から募集を開始し、10月31日で募集を終了しました。この間、中国全土の日本語学習(習得)者から、自分なりの日本語で綴られた多彩な“感知日本”が寄せられ、最終的な応募作品数は1,907点となりました。
 これらの作品を対象に厳正な審査を行った結果、この度、優勝から優秀賞まで18点の入賞作品が決定しました。

 ここでは、優勝に輝いた東北大学の劉倩さんと中南林業科技大学の羅紫薇さんの作品を紹介します。ともに東日本大地震の被災者や日本人に対するメッセージで、悲しいけれど、温かくて優しい気持と希望が感じられる作品です。
その他の入賞作品も、後日、日本科学協会のHPに掲載します。
なお、優勝者2名については、副賞として来年2月1日から8日間の日程で日本に招聘します。

※2010年度のテーマ:「日本、私があなたに言いたいこと」、「日本の大地震に思うこと」
※日本語の原文を尊重し、作品には訂正・加筆など一切手を加えておりません。
※全ての入賞作品が「人民中国」webサイトでご覧いただけます。


★優勝作品


東北大学日本語系4年 劉倩

日本、私があなたに言いたいこと― 津波被災地の少女への手紙―

愛海ちゃん、お元気ですか?
 あなたは私のことを知らないけれど、私はあなたのことを知っています。「まなみ」と読むんですね。4歳の女の子でしょ。今、親戚の家に住んでいるでしょ。お母さんに「ままへ 生きてるといいね お元気ですか」という手紙を書いたでしょ。手紙を書きながら眠ってしまった写真が新聞に印刷されましたね。自分の写真を見ましたか? とても可愛いですね。

 その新聞であなたのことを知りました。お父さん、お母さん、2歳の妹さんが津波で亡くなりましたね。何度も読んで、涙が止まりませんでした。「愛海」は美しい名前ですね。海が大好きで、いつもおいしい魚を採ってくれた漁師のお父さんが、そんな美しい名前をつけてくれたのでしょう。

 今、あなたの寝顔の写真を見て、すこし安心です。夢を見ましたか? 夢でお母さんに会いましたか? いま、お母さんは童話の天国にいますよ。白雪姫と七人の背が低い人たちと幸せな生活を送っています。雨はお母さんの涙、風はお母さんの息、雷はお母さんのくしゃみ、太陽はお母さんの笑い。愛海ちゃんはお母さんの姿が見えないけれど、お母さんはずっとあなたのそばにいますよ。ずっと愛海ちゃんのことを見守っています。

 きょう、愛海ちゃんは何を食べたか?どんな服を着ているか?何を勉強するか?友達と遊んでいるか?身長はどのぐらい伸びたか?体重はどのくらい重くなったか?お母さんはすべて知っていますよ。だから、元気で大きくなってください。そうすると、お母さんも喜びます。青空にいつも太陽の笑いが見えますよ。

  「いきてるといいね」たしかにそのとおりです。4歳のあなたが書いた言葉の深い意味に気づき、驚き、感動しました。人間は生きているから、希望が満ちます。生きているから、奇跡が造れます。朝、眠りから醒め、太陽は光輝き、雲は空を漂い、鳥は歌を歌います。とても幸せですね。生きているから、愛海ちゃんはこれから、長い道を歩くのです。

 人生は冒険みたいです。アリスのようにいろいろな面白いところに行き、いろいろなやさしい人と出会い、いろいろな不思議なことを経験できます。未知と困難がいっぱいあります。でも、心配しないで。冒険の道程は楽しみも満ちています。そして、冒険の道であなたは一人ではない。みんなはずっとあなたのことを支え、信じています。お母さんも微笑んで、あなたのことを見守って、神様に加護を祈ります。

 愛海ちゃん、中国人の友達を作りたいですか。ここに一人のお兄ちゃんを紹介したいです。お兄ちゃんは林浩と言います。11歳です。2008年北京オリンピック大会開幕式の中国選手団の旗手ですよ。北京国家体育場、「鳥の巣」を行進しました。すごいでしょう。彼は中国四川省からきました。3年前の四川大地震のもっとも小さな救災英雄なのです。小学校2年生だったお兄ちゃんは、自分の怪我をものともせず、一人で校舎と校庭を往復して下敷きになった4人の同級生を救いだしました。災難にあったとき、小さな子供でも不思議な力を出すのです。お兄ちゃんは中国人民のヒーローです。家を失ったお兄ちゃんも今、人生の道を冒険しています。そして、同じ道で愛海ちゃんを待っていますよ。

 ここまで読んでくれたら、愛海ちゃんはこの手紙を書いた人はだれだろうと疑問を持つでしょう。私は中国人です。劉倩(りゅうせん)といいます。今、瀋陽市にある東北大学の四年生です。私を劉倩お姉ちゃんと呼んでください。愛海ちゃんのような妹がほしいです。専門は日本語ですから、日本文化、日本人の国民性についての知識を少し身につけました。

 日本人が好きな言葉に「一生懸命」があるでしょ。勉強や仕事のことで「がんばります」とよく使うでしょ。日本人は自分の仕事にわが身を捨てる精神があります。日本人の勤勉なところ、正確さを追究するところ、団結するところ、律儀なところ、こうした国民性は外国人にとって、勉強すべきところがたくさんあります。

 日本の大震災は悲しい出来事でした。でも、その災難に立ち向かう日本人の姿は世界の人々に感動を与えました。自然を受け入れる大きな器を持ち、子供でさえ取り乱さない冷静さ、身勝手な行動を慎む心、不安な生活を送りながらも、前に向かって冷静に一歩一歩進もうとする精神を、われわれ中国人も見習わないといけないと思います。4歳の愛海ちゃんに、そういう話はうまく理解できないかもしれませんが、ただ一つだけ理解してほしいです。あなたは日本人ですから、どんな困難でも打ち勝てます。だから、悩まないで、迷わないで、夢に向かって、わくわくする冒険の道を歩いてくださいね。

 私は、愛海ちゃんのことが大好きです。寝顔を見ただけで、しっかりした女の子であることがちゃんとわかります。今後の道は長いです。私はずっと愛海ちゃんのことを応援します。
中国の若者が綴る“感知日本 ”―日本語の「作文コンクール」各賞決定― A [2011年12月07日(水)]

中南林業科技大学日本語系4年 羅紫薇

思いやりの心 -日本の大地震に思うこと-


 人間はお互いの支え合って生きてゆくものです。一人の力だけで生きてゆくことは誰もできません。何があっても、他人の気持ちを察して、他人の身になって考えることが大切だと思います。これこそ思いやりの心というものではないでしょうか。

 私は昨年の7月から今年の7月まで日本に留学していました。中国で地震を経験したことがほとんどない私、東京で今回の東日本大震災を経験しました。正直にいうと、地震と言ったら、すぐ倒れた建築、廃墟の下に埋められた体、さんざん泣き叫ぶ姿など次々と頭に浮かびます。私にとって、地震は死と絶望などのイメージと結び付いています。

 地震発生から、すでに半年以上に経ちましたが、今までもその日のことはまだ記憶に新しいです。その日午後2時45分にアルバイト先についた私は店長さんとあいさつをしたとたんに、突然大きな揺れを感じました。それに、アルバイト先の室内は木造の内装だから、ぎしぎし音がしていました。外を見ると、道路を通りかかっている人が急に立ち止まり、大きな揺れに耐えられず、近くの電柱に手を伸ばし、しっかりとつかむところが目に入りました。それに、近くの高層ビルは振り子のように大きく揺れ、外に逃げる社員さんの姿も見えました。それを見て、不安で居ても立っても居られなくなり、私は早く逃げようと言わんばかり、店長さんを見つめました。
 でも、店長さんはずっとにこにこしていて、平気な様子でした。た日本人は、もう地震に慣れているからでしょうか。でも、私は平静ではいられませんでした。次の入ったニュースを聞いていると、私はますます心配で頭が真っ白になりました。親の元から遠く離れたままもうすぐ死んだら、親はどれほど悲しむのか、またやりたいことがいっぱいあるから、死にたくないと考えて、これまで感じたない瀕死感にせめられていました。

 その日東京ではJR全線が止まり、もう寮に帰れなくなり友達や家族に心配をかけるのではないかと思って、さらに怖くてせつなくて、私の目に思わず涙があふれてきました。
けれども、その時、一緒に仕事をしている店員さんは「大丈夫だよ。私たちがそばにいるから」と声をかけてくれました。また、店長さんは「ご両親はきっと心配しているだろう。連絡して」と言って、パソコンを貸してくれました。それに、「お腹空いた?おにぎり、食べてね」と店員さんは作りたてのおにぎりを私に渡してくれました。また、店員さんたちから「心配しないで。きっと大丈夫だよ」「泣かないで、お菓子食べてね」「頑張れ」という多くの感動的な心遣いに私の気持ちも少しずつ晴れて、不安も解けてきました。その心遣いにある国境を越える温かさに心が癒されました。「日本にいても、私は一人っぽちじゃない」と私は気づくようになりました。

 地震発生から私はずっと店にいたまま、時間は深夜12時を過ぎました。店長さんは私の帰りたくてならない気持ちを見通したようで、ある店員さんに私を車で寮まで送らせると言ってくれました。通常であれば、電車で40分ぐらいの道のりを3時間もかけて、私を無事に寮まで送り届けてくれました。私は店員さんたちに感謝の気持ちでいっぱいでした。私は深くおじぎをしながら、「どうもありがとうございました」と言う以外ほかの言葉が出てきませんでした。

 震災の後、あるCMで次の詩歌が流れていました。それは宮澤章二さんの書かれたものです。「心は誰にも見えないけれど、心遣いは見える。思いは見えないけれど、思いやりは誰にでも見える」というものです。私もそれを確信しています。思いやりの心は一種のやさしい気持ちで、家族や友人などの親しい関係に存在するだけでなく、さらに国境を越えて人と人の間の深いつながりとなると思います。

 目を覆うような災難は確かに恐ろしいものです。降りかかる災難は人々につらい思いをさせますが、そこから現れてきた愛の絆と心遣いは傷づいた心をなぐさめると感じました。
災難は人々に絶望をもたらしますが、思いやりの心は人々に希望を与えます。ですから、皆さん、思いやりの心で生きてゆきましょう。
中国の若者が綴る“感知日本 ”―中国語の「作文コンクール」一等賞決定― @ [2011年12月06日(火)]
中国の若者が綴る“感知日本 ”


―中国語の「作文コンクール」一等賞決定―



 日本科学協会が中国青年報社とともに実施している「笹川杯作文コンクール2011」(中国語版)については、既に優秀賞18点が全て決定しています。これらの作品を対象に最終審査を行った結果、この度、一等賞6点と二等賞12点が決定しましたので、一等賞作品をまとめて紹介します。

 一等賞者6名については、日本語の「笹川杯作文コンクール」優勝者2名とともに、副賞として2012年2月1日から8日間の日程で日本に招聘する予定です。受賞者の多くは来日の経験がなく、中国で抱いていた“感知日本”と日本で実際に感じ取った“感知日本”との差異については、興味が惹かれるところです。



「中国青年報」紙(2011年12月6日)


★一等賞受賞者・作品一覧



良き法は、美徳を養う支えとなる


広東省  王暁霞

 中国の列車事故、リビアの動乱、欧米の金融危機といった事件が続々と起きる中、3月11日に日本で発生した強い地震と津波は記憶から薄れてきている。今でもぼんやり覚えているのは、日本人が災害に直面した際に見せた冷静さと強靭さくらいのものである。しかし、私は、数ヶ月したある日の報道によって再び日本に目を向けることとなった。警察庁が表した情報によると、3月11日から7月10日の間に岩手、宮城、福島の被災地で回収された金庫が5700個あり、その中にあった現金は23.67億円にも上るという。それらの金庫は災害現場を整理する際に拾得されたもので、このうち三県の警察が拾得したものは1,740個で、残りは市民や自衛隊員が拾得したものである。発表時点では、現金の96%、合計22.7億円が元の持ち主へ返された。

 この報道を見て、中国の一般人が真っ先に思い付く言葉は、“拾った金を隠匿しない”であろう。“拾った金を隠匿しない”というのは、中国の伝統的な道徳で求められていることなので、当然のことであり、少なくとも中国人の心の深いところにはずっと根付いているものである。しかし、筆者からすると、この件に関するニュースは“拾った金を隠匿しない”というタイトルを貼るだけのものではなく、現在の社会背景のもと日本で震災後に回収された金庫の数の多さ、金額の大きさ、そして元の持ち主に返される迅速さは、私達が考えるに値することのように思われた。

 三県の被災地で回収された金庫の約70%は、現地の市民と自衛隊員が拾って届け出たものであり、警察が拾得したものは僅か30%だけである。これと対応するように、金庫の中にあった現金のうち96%は既に元の持ち主へ返されている。これは、日本人の道徳水準がかなり高いレベルにあるということを示すものではなかろうか。だとすれば、彼らが大金の誘惑に打ち勝つことができた原因は何だったのだろうか。

 法律の仕事に携わる者として、日本人が欲張らずに隠しもしないことに関するエネルギーと理由を法律の原点から探ってみたい。日本では100年以上も昔に『遺失物法』が出されており、近年になって一部が改正された。この法律では、拾得物を届け出ない人は起訴される可能性があるが、自主的に届け出た人は、当該拾得物が元の持ち主に返された後に元の金額の5〜10%に相当する報酬を得ることができる。ただし、国庫またはその他の公的機関(警察など)は、報酬を請求することができない。また、同法では警察署を拾得物の届け出先機関としている。このほか、政府は、ネットにデータベースを公開して国民が遺失物を捜しやすいよう便宜を図っている。
 こうした事情を知れば、被災地で何千もの金庫が回収できたということも、もしかしたら驚くべきことではないのかもしれない。日本人にとって、“拾った金を隠匿しない”は、遵守せねばならない法律上の義務だからである。
しかし、日本人は、内心では“拾った金を隠匿しない”を遵守せねばならない法律上の義務としか思っていないのだろうか。

 法律というダモクレスの剣が掲げられているとは言え、人間の“欲望”は“貪欲”に発展しやすいものである。震災後の混乱の中、被災地の市民は、恐らく誰にも知られない状況で金庫を拾ってしまうことも完全に可能であり、自分の物にしてしまうことすら他人に知られずに済んだことであろう。しかし、事実として、絶対的大多数(百パーセントと断言はできないが)の人は私物化しなかったのである。このことから、日本人にとって、拾った金を隠匿しないことは、法律上の義務と誠実な美徳の完璧に統一であると理解すべきではなかろうか。この命題が成立することを証明する別のデータもある。新華社の報道によると、2004年の日本における遺失物は740万件で、届け出のあった拾得物は1070万件にも上り、これらの中には携帯電話33万台、財布73万個、現金132億円が含まれている。これらの物品は大部分が持ち主の元へ返されている。

 モンテスキューの言葉に、「法律は基本的な道徳であり、道徳は最高の法律である」という言葉がある。日本政府が『遺失物法』の精神から遺失物照会データベースを整備したため、震災後に何千個もの金庫が回収されたというニュースからより進んだ結論を得ることができた。良い法律は美徳の養成を促し、美徳が継続することを保証するのである。

 『遺失物法』が良い法律であるとする根拠の一つは、物神両面で二重の奨励手段をとっていることである。この法律が拾った金を隠匿しないという行為を肯定し、人を善良に教化する行為の促進作用を果たし、誠実や信用といった道徳への誘導を実現しているのだ。もう一つの根拠は、同法が道徳的な要求と法律規範との関係でうまくバランスをとっているということである。市井に溢れる小市民が、聖人のように振舞えるかは法律ひとつで簡単に決められるものだろうか。道徳は人々に高尚な品行の聖人であることを求めるが、法律は俗人のために決められた規則である。法律規範は、社会が容認できる俗人の悪行のボトムラインを示しているに過ぎない。『遺失物法』は法律の権利本位で、道徳の義務本位に置き換え当事者間で合理的に権利と義務を配分することで普通の人を対象とする法律に調整されている。一定の範囲内で利益を得る欲望を肯定しているのだ。拾得者には報酬の請求権と一定の条件下における取得権を与えるが、社会の構成員ひとりひとりが道徳の模範的水準により自らを拘束することは求めていない。同法の実行力を効果的に保証することにより、拾った金を隠匿しないという道徳を最大限に現実化しているのである。

 『遺失物法』は、公的機関に対して更に高い法律上の要求をしていて、報酬の権利を主張できないことになっている。これは公的機関の職責が公民の財産を保護するためのものであるからであり、こうしたケースで公的機関が報酬を享受してしまうと、公的機関の社会的趣旨が損なわれてしまうのである。従って、『遺失物法』では、そこに制限を加えることにより、社会の人々に更なる美徳を養う誘因作用を果たしているのだ。
一つ一つの社会現象とその背後にある法律が映し出すものは、社会管理の知恵と水準である。調和社会のシステム構築の過程において、法律は不可欠なプロセスの一つである。良き法は、美徳を養う支えになる。これこそ、大災害が生じた日本が映し出してくれた、私達が学ぶに値する経験なのである。
中国の若者が綴る“感知日本 ”―中国語の「作文コンクール」一等賞決定― A [2011年12月06日(火)]

フラットな視点で

※アルファベット表記は、原文のままです。


北京市 周毅

 よく知っている人と向き合った時、或いは人だかりの中でふと見知らぬ人に出会った時、あなたは相手をどのように見るのだろうか。仰ぎ見るのか、見下ろすのか、はたまたフラットに見るのか。時にはこうしたことも問題となる。

 例えば数年前の話だが、アジアのX国から北京にやってきたばかりのYさんに中国語を指導するよう友人から紹介された。私が過敏だったわけではないことをひたすら願うが―話をしている時、彼はずっと私の名刺をもてあそんでいて、もみくちゃにされた名刺は、しまいには一塊のごみになってしまったのである。話の間、彼は先生に対する敬意を見せておらず、また初対面の友達に対する礼儀も感じさせない態度だった。おおかた彼は自分の国が中国より発展しているとか、在籍している会社が割と有名だとか、自分の職位が高い方だとでも思っていたのだろうが、何れにしても、彼の語気や態度にはある種の優越感がにじみ出ていた。それは、一種の“見下ろす”角度であり、面と向かって座る人にとって実に不快なものであった。そのため、彼が毎週二回の指導をできるだけ早く開始することができないかと尋ねてきた時、私は丁寧にではあるが迷わず、申し訳ありませんが…と言った。

 この件は、個人と個人との間で起きた、大勢に影響はない些細で小さな出来事に過ぎない。しかし、ある国の多くの人々が、他人や別のグループ、或いは他国の人々に対して、見下ろす、仰ぎ見る、ひいては敵視するという習慣を持っているとなると、問題であり、かなり深刻な話になってしまう。

 最近の例では、3年も経たないうちに、中国で“5.12”汶川大地震、日本では“3.11”大地震が発生した。この二度に亘る極めて破壊力の大きい地震が発生した時、発生以降、中日両国政府と両国民の間には人間性が輝き感動を呼び起こす多くのドラマが見られた。だが、同時に起きた別の出来事が、筆者を含む多くの人々にとって心配の種となったのである。

 私の仕事はインターネットと不可分の関係にあり、私が取得する情報の多くはネットから得られるものである。日本で“3.11”大地震が発生してから、中国国内のネットフォーラムで他人の不幸を喜ぶ書き込みをいくつか目にした。その言葉は恥ずかしいかしいかぎりであり、私はそれらを繰り返したくはない。
 時間を3年前に戻すが、中国で“5.12”ブン川大地震が発生した時、日本のネット上でも同じように他人の不幸を喜ぶ言論があったのだろうか。私は、日本語が分からず日本人の書き込みを読むことができないので、むやみに結論を出すことはできない。

 そうした言論の陰には、一種の根深い敵意が含まれている。その敵意については、それが生じた歴史的原因や必然か偶然かを分析する能力など私にあると思わないが、それは間違いなく中国社会の主流をなす視点ではないとだけは言いたい。そこに現れているのは人間の弱みであり、醜い一面である。
 “善意で人を助ける”、“徳をもって恨みに報いる”といった古い教えを説かず、ただ“相手の身になって考える”だけでも分かることである。誰の郷里で天災や人災が起きた時でも、その不幸を喜ばないで欲しい。彼らが蒙っている不幸は、自分が経験したものかもしれないし、これから自分が被らざるを得ないものかもしれないのだから。

 ネット上やマスメディア上で、別の言論的現象も目にした。事実を顧みず、分析を加えることもなく、惜しみなく相手方を持ち上げて自国と自国民を蔑む言論が見られたのである。
日本で“3.11”大地震が発生した時、どれほど日本国民の素質が優れているのか、どれほど秩序が整っているのか、どれほど政府の対応が素早く役立ったのか、など褒めそやし始める人がいたのだ。福島原子力発電所の放射性物質漏出危機が日増しに高まっている時、“ヨード塩が放射線を防げる”などといったデマが広がったため、中国のいくつかの都市では食塩を買いあさる騒動が起きた。“塩の買いあさり”騒動はごく短期間だったものの、この件に便乗して持論を展開し、多くの偏った言論を発表する人もいた。こうした言論のテーマとなっていたのは、日本人と比べて中国人は素質が低いという思想である。

 しかし、それは事実ではない。或いは、事実の一部しか論じていない。例えば買いだめにしても報道によると、地震発生後、遥か東京のスーパーでは食品が競って買い占められ、陳列棚が空になったということである。東京の水道水で放射性物質が見つかり、政府が「乳幼児には水道水を飲ませないように」と広報した時、人々は政府の公表データを半信半疑であった。被災地で“僅かばかりの水も求め難い”だけでなく、何百キロも離れた大阪などの“安全地帯”でさえ、市民が狂ったように瓶詰めの水を買いあさり、買いだめしたのだ。地震発生からわずか半年後の8月下旬、新米から放射性物質セシウムが発見された時、多くの日本人は古米を買い込んで主食にし始めるのではないだろうか。

 筆者は、こうしたことを羅列して、日本人の素質の高低について説明したいわけではない。ここで伝えたいのは、突発的な事件に直面して、人がすぐ見せる反応は善悪で計れるものではないということ、一つや二つの偶発的事件を、一人の人間ないし一国の国民の素質を判断する十分条件とすることはできないということである。

 上記のそれぞれは、何れも論者が観察にあるべきフラットな視点を欠いていたためのものである。むやみに尊大になると、相手を見下すのに慣れてしまう。むやみに自分を卑下すると、相手を仰ぎ見ることしかできなくなってしまう。人と人、国と国との交流には、何れもフラットな視点がもっとあるべきであり、見下す、仰ぎ見る、敵視するといった視点は少なくすべきなのである。

 色眼鏡を通さず相手を見、同様に自分も色眼鏡を通さずに見るのである。日本を観察する角度を正せば、“塩の買いあさり”、“水の買いあさり”、“米の買い込み”といった事件が起きた時、「中国人の素質は、日本人ほど優れていない」などといういい加減な結論を出すことはあり得ない。同じ理屈で、中国を観察する角度を正せば、中国の国民総生産が日本を追い抜いた時の“中国脅威論”も日本で少しは静かになるだろう。
中国の若者が綴る“感知日本 ”―中国語の「作文コンクール」一等賞決定― B [2011年12月06日(火)]

妖怪文化と畏敬の心


海南省 李芯儀

 小さい頃、私は、両親が残業のため、家で独りぼっちになることがあったが、あの孤独な夜は得も言われぬ怖さだった。上の階から玉の落ちるようなトントンという音が絶えず聞こえてきて、私は心臓を叩かれるような感じがした。偶然めくれ上がったカーテンの向こうが青紫色の光に照らされ、ぞっとする眺めだった。

 真夏の夜なのに、私は押し入れから綿布団を出してきて、きっちりとくるまったものである。分厚くて重たい布団で汗だくになれば、妄想の中の“怪物”を遠ざけることができそうな気がしたからである。こうして思い出してみると可笑しいのだが、子供の頃は、未知の事物に対して恐れや憧れの入混じった緊張をするものであるし、その感情は成長しても完全に消えるものではないのだ。すっかり大人になったと自認する今でも、あの頃と似た闇夜になると、まだ「そもそも妖怪なんていない」と自分に言い聞かせつつも、奇跡が起こるのを期待してしまうことがある。夜のとばりを切り裂いて、誰かが天から降り立ち、怪しいながらも怖くはない笑顔で、全てが単なる妄想ではないのだと告げてくれはしないかと待ち望んでしまうのである。

 大学では日本語を学んだのだが、先生に「日本の何が一番好きか」と聞かれた時には、私は迷わず「妖怪文化」と答えた。あるクラスメイトには「とても奇怪」と言われたが、却って私は本当のことを言えるのは愉快だと感じたものである。私は、以前から様々な神霊伝説の類が異常に好きだったし、“八百万の神”がいると言われる日本は、疑いなく世界で最も神霊文化の豊かな国なのである。こうしたことは、私が日本に触れ日本を深く理解したいと渇望するようになったきっかけの一つでもある。

 魔獣が一貫して邪悪なイメージである欧米と違って、日本の妖怪の世界は、正邪がそれほど明確には分かれていない。人の命を奪う悪霊もいれば、無害だったり、時々いたずらするだけだったりの妖怪もいる。人と殆ど関わらずに善悪の境界線を漂って、人間社会の影の中で悠然と暮らしている妖怪はさらに多い。聞くところによると、日本の妖怪の多くは、中国にその原型を見出すことができるそうだが、今や中国には、妖怪文化が育つ土壌は無くなっていて、ホラー映画では人食い幽霊や多情な女の霊といったものが見られるものの、古い神話の妖怪が暮らしの中で言及されることは殆どない。

 しかし、日本では、妖怪を題材とする小説、漫画、映画が次々と出てきて、妖怪文化を専門的に研究する学科や学者も増え、目も眩むほど様々な妖怪が人々の日常生活を彩り、不思議で面白い姿を度々見せてくれ、人間臭くて活発で可愛い妖怪が現れることさえあるのだ。日本の妖怪の大多数は人々に嫌われることなど決してなく、むしろ好かれているのだが、これは概ねこうした事情のためなのだろう。そして、私も、世界各地に存在する日本の妖怪ファンのひとりなのである。

 『日本妖怪大全』を買ったばかりの頃、私は、いつも寝る前にそのページをめくっていた。何ページか読んで満足してから眠りに就いて、自分が想像する妖怪達と夢の中で出会ったものである。私がずっと抱いていた幻想では、真夜中に人間が表面世界全体を覆う巨大な翼をたたみ、夢の中で最も原始的な自我に返る時、別の世界からの客人が気泡のように地面の裂け目から現れるのである。彼らは美しい彩りの身体や透明な身体を持ち、人の姿をした者や動物に似た者がおり、物や精神に化け、霧のように変幻自在な姿をとれる者もいる。美麗かつ奇怪、神秘的でオープンな彼らは、最も深い闇夜の中で無数の華麗な伝記を展開するのだ。

 妖怪を研究する学者達によると、日本の妖怪文化が異常なほど豊かなのは、日本人が島国に暮らしていることによる不安と密接な関連があるという。日本では自然災害が多発するため、人々は自然が持つ力に対してより深刻で複雑な感情を抱いている。この複雑な感情を的確に総括することができるのは、おおよそ“畏敬”の二文字に限られるだろう。こうした畏敬の心こそ、鬼神に関わる伝説を日本に広く伝播させ、唯一無二の“妖怪文化”を作り上げたものでもある。妖怪の世界は人間界の投影であり、多くの人々が妖怪を好み研究するが、これは決して盲信からではなく、こうした独特で奇怪な想像を通して、人間自身が思想の深くに隠している心理を窺い知りたいと思っているからである。

 今年3月に日本で大地震が発生してから瞬く間に半年余りが過ぎた。あの地震を思い出す度、日本に住むある中国人が書いた、地震後の心痛む細かなことが胸をよぎる。いつ来てもおかしくない余震に備え、人々はいつも寝る前にホイッスル、懐中電灯、ミネラルウォーター、保存食を枕元に置いていたという。万一、地震が来て避難できなくても、こうした物があれば、生き延びられる可能性が高まるからとのことだ。この話を聞いて、私の心の中には敬服と悲哀の感情が同時に湧き上がった。痛みを味わっても依然として勇敢さを失っていないこれらの人々は、屈することなく予期できぬ苦難に絶えず立ち向かい、死中に活を得るのである。この絶体絶命の中での冷静さ、そして、それでもどうしようもない状況は、共に私の心を深く揺さぶった。

  広い世の中のちっぽけな生命として、人が、世界に対する畏敬の心を終生持ち続けることができるのなら、それは貴く感心に値することなのである。心にいつも畏敬を抱いている人は、自分の足りないところをより意識することができ、豊かな心を持って、悲しみと哀れみを理解し、自省すること、寛大に許すこと、大切にすることを理解するのである。日本の彩り豊かで美しい妖怪文化は、人々の万事万物に対する畏敬の心が特殊な形で現れたもののひとつかもしれない。そこには日本国民の強靱な意志と軽妙さやロマンを忘れない心持ちが示されている。同時に、長い間衰えることのない妖怪文化も、自然と生命に対して畏敬を決して忘れないよう人々の注意を喚起している。

 現代の社会生活のリズムが日増しに加速しているため、妖怪伝説は次第に人々の生活からフェードアウトするかもしれないと言う人もいる。しかし、もし都市の喧噪が静まりかえった暗闇に残る最後の神秘的な息吹を本当に消してしまったら、私たちは、科学技術の発展と文化の進歩に喜びを感じると同時に、かけがえのない多くの物語を失ったことに残念な気持ちを覚えることだろう。つまり、妖怪に驚いて布団に逃げ込んだことがない子供の少年時代は、きっと楽しみも幾分少なかっただろうということである。
中国の若者が綴る“感知日本 ”―中国語の「作文コンクール」一等賞決定― C [2011年12月06日(火)]

日本にも教師の日はある


湖南省 譚咏
 
 9月10日は、中国の“教師の日”である。高校の国語教師である私は、この日を前にたくさんの生徒から祝福のショートメールや電話をもらい、思わず幸せな温かいものが心にこみ上げた。しかし、日本には”教師の日”はないと聞き、同業者として日本の先生方は辛いのではと感じた。まさか日本人は教師を尊重し、教育を重視するということを知らないのだろうか。
こうした疑問は、日本へ行って氷解した。

 一昨年の7月、私の叔父が日本の早稲田大学での学術交流に招待されたのだが、良い機会なので、私も彼に付いて旅行に行った。私にとって、日本の自然風景は憧れなのだが、“旅行”となると、そればかりではない。日本の教育を体験し、心の中にある疑問を解決するというのも今回の旅行の重要な目的の一つだった。
以前、大阪で山本恵子さんという先生に「日本では、何月何日が教師の日ですか。」と真顔で尋ねると、彼女は不思議そうな顔をしてから、日本には教師の日はないと教えてくれた。私は、耳を疑った。経済も文化も進んでいる国なのに、どうして教師のための祝日がないのだろうか。しかし、これで以前に聞いた話が間違いではなかったということが証明された。

 山本先生の自宅は学校からちょっと遠かったので、私たちは地下鉄でお宅に向かった。ちょうど退勤ラッシュの時間に差しかかっており、地下鉄は満員で、詰め込まれるように乗車してしばらく立っていると、近くにいたお年寄りが立ち上がって席を譲ってくれた。私の方が若いのに、お年寄りに席を譲ってもらうわけにはいかない。しばらく遠慮していたが、彼は頭を下げながら「どうぞ、どうぞ」と勧めてくれた。誤解されるといけないので、敬意を持って従うことにした。地下鉄を降りてから、あのお年寄りがわざわざ席を譲ってくれたのはなぜなのかと山本先生に尋ねると、彼女は笑いながら私の服についた校章を指さした。「あなたが先生だからですよ。」彼女のこうした説明を聞いて、私は教職の神聖さに熱い感情が自然に湧き起こってくるのを感じた。

 私が山本先生にプレゼントを買おうとしたら、彼女は断らず、ほど遠からぬ所に“教師の店“があり、自分が教師であることを証明できれば、全商品がそれぞれ割引きになると、私に教えてくれた。彼女が言うには、「日本の人々は教師を大事にするので、教師が自分のお店を愛用してくれることは、商売人にとっても、名誉の一つである。」とのこと。なるほど―日本には教師の日はないが、日本人は別の形で教師を敬っていたのだ。
 日本滞在中に見聞きしたことなのだが、日本では教師は“二高”、つまり、地位も収入も高い職種なのである。教師は医者、弁護士と並んで尊敬を集める職業で、30年も勤めた教師の月給は、3.3万元を超える。ふだん日本の教師はバスで出勤していて、胸にIDカードを着用しているが、他の乗客はそれを見ると席を譲るのである。日本では地下鉄に教師の席、街に教師の店があり、教師は並ばずに乗車券を買うことができるのだ。公的機関から物品の配給を受ける時でも、教師が優先なのである。

 日本人からすると、教師は社会のために巨大な犠牲を払う職業なので、この上なく神聖なものなのである。
 神戸市である高校を見学した時、学校としては、教師の優劣をどのように査定しているのかと、私が校長先生に質問すると、そうした問題に遭遇したことがないので、答えようがないとのことだった。中国の学校では、学校の教師に対する査定、校長の教員に対する評価が、教員個人にとってかなり重要なものであることを、教師である私は十分に承知している。

 日本の学校では、放課後に校門まで迎えに来る父兄の姿は一人も見受けられなかった。子供達も親が迎えに来るという発想はないようであった。しかし、中国では、多くの学校で「ご父兄は、ご遠慮ください」といった警告表示が立ててあっても、放課後には早くから人がごった返し、道路も渋滞する。日本では、児童達の交通安全を守る民間組織“PTA”というものがある。この組織は自発的ながら義務的なものであり、そのメンバーが定期的に安全当番を担当し、児童達の登下校時になると、通学路の要所で児童達を見守るのだ。

 日本における教育の様々な手法や社会の教育に対する理解と協力は、私達が考え参考とするに値するものである。こうしたことから考えが及んだのだが、日本の人々が大地震、津波、放射性物質の拡散という大災害に直面した時の冷静さ、秩序、強靭さは、日本の国民教育と緊密に関係しているのである。
 短い日本旅行ではあったが、日本人に言いたいことは思い浮かんだ。日本には教師の日こそないが、日本人は非常に教師を敬っていて、しかも、それを実行しているのだ。日本は教師の日を欠いているのではなく、毎日が教師の日なのだと言えるだろう。
中国の若者が綴る“感知日本 ”―中国語の「作文コンクール」一等賞決定― D [2011年12月06日(火)]

土の下の尊厳


四川省 王珂旻

 昔から“大和魂”と称される桜が見守る下で、滑らかなそよ風が無名の墓のひとつひとつを優しく撫でていく。生花、ミネラルウォーター、そして故人の遺品、こうしたものは忠実な“臨時の墓碑”であり、埋葬された遺体がそこにあることを示している。この公共墓地の写真からは、悲しい影どころか、この地で起きたばかりのことを推測できる人すらいない。

 これは、“3.11東日本大地震”後の宮城県気仙沼市内の身元不明被災者を納めた臨時の共同墓地の一つである。4月24日現在、地元自治体が造成したこの臨時の共同墓地には既に205名もの被災者が埋葬されている。こうした臨時の共同墓地は、被害が深刻な他の被災地にもたくさんある。被災地周辺の火葬場が大量の被災者の遺体に対処できないため、日本政府は、伝染病の流行を防止するという目的で集団土葬を緊急決定した。日本においては、土葬廃止から既に長い年月が経過している。公式統計によると、2009年に死亡した日本人の99.9%は火葬されている。

 「一時的に埋葬しているだけであって、二年以内に遺体を掘り出して改めて火葬する。」東松島市環境課の相沢氏は取材に対してこのように答えた。こうした臨時埋葬用の穴は正式な土葬の半分ほどの深さである。遺体は全て、納棺師が一体ずつ心を込めて清めた後、最寄りの臨時墓地へと搬送されるのである。埋葬を担う自衛隊員たちは、日本の伝統である“北枕”を守って遺体の頭を北に向けて安置し、安置する度、整列して敬礼するのである。被災者の遺族は、棺の上に菊の花や線香を手向けて黙祷し、それからスコップで棺に土をかぶせるのだ。毎回数時間に及ぶ儀式のため、仏像を祀った香堂も特別に設置されたが、それらも“臨時埋葬”のためだけのものである。

 マーク・トウェインが『バック・ファンショーの葬儀』の中で書いているとおりである。「ある社会の構造を理解したいのなら、その葬儀を観察することだ。どういう人が最も立派な葬儀をしてもらえるのかを知るだけで、多少のことは分かると古代の人は言ったものだ。」葬儀は人生最後の旅路として、一人の人間の長い一生、或いは短い一生の収穫と期待を載せている。しかも、残された身内のために思いを伝える橋を架けるのである。俗世間的な意味における完結を通じて、ある種のこの上ない円満さに達するのだ。葬儀の礼儀は、早い時代から既に社会の文化の縮図となっており、ある種の儀式を代表するだけでなく、ある社会の人の尊厳に対する保護を表しているのだ。
 この点から見ると、日本の大地震後の合同葬儀には火葬の過程こそないものの、自衛隊員の礼儀と現場における一連の儀式の過程は、一人一人の被災者の命に対する尊厳を具現化していると言える。

 日本映画には葬儀に関するシーンを含むものが多く、その中でも最も有名なのは、アカデミー賞外国語映画賞受賞作品『おくりびと』である。『おくりびと』は、作品全体の雰囲気に想像されるような死と関わる息詰まるものはなく、一貫してある種の静けさと安らぎに満ちている。この映画で最も印象に残ったシーンは、一家4人の老若の女性遺族が遺体の顔に赤く唇の跡をつけ、泣き笑いしながら感謝の言葉を口にするところである。この時の葬儀には伝統的な厳粛さ、連綿と続く悲しみの涙があるだけではなく、死者が身内と過ごす最後のひと時に家庭生活のような自然で温かい雰囲気が満ち溢れていた。

 筆者は日本で葬儀に参列したことはないが、近年の日本の葬祭業界で“死者の普通の生活の再現”を追究するホールが出始めたという話なら知っている。葬儀の形式的な煩わしい虚礼を排除して、それぞれの家柄によって家庭的な装飾、整ったきめ細やかなサービスを提供し、死者と遺族のために“恐れや嘆きがなく、互いに慰め祝福し合う”過程の雰囲気を醸し出して、死者の最後の旅路を生者に共有させるというものである。村上春樹は、日本人に高い評価を得ている『ノルウェイの森』の中で「死は生の対立面ではなく、生の一部分を永久に存在させるもの」という言葉で、死そのものに対する自分自身の理解、つまり生死同源を表現している。そして、概ねこれが、近年、日本の葬祭業が大胆な革新を行っている根拠なのだろう。

 中国の葬祭業は未だ整備段階にあるとは言え、経済発展に伴い、国家が重大災害における死者の尊厳を保護するという意識は日増しに強まっていることを容易に見て取ることはできる。ブン川大地震から暫くして掘り出された遺体は、天気や伝染病などを理由に“消毒後、地中深く埋却“されたが、こうした対応は、被災者の遺族や友人達にとって感情的に受け入れ難いものであった。

 玉樹地震後、政府は“死者の尊厳を尊重し、少数民族の葬儀と埋葬の習慣を尊重する”ことを原則として、千人近い被災者の遺体のため、塔葬に次ぐ高級葬―集団火葬を行い、活き仏が数百人の僧侶を率いて死者の霊のため読経して済度した。こうしたことから、これら二度の地震において、死者の尊厳が重視されるようになってきたことは容易に見てとることができる。この点だけでも、充分喜ばしく慰めを感じることである。

 日本にいようと中国にいようと、被災者の遺体処理だろうと普通の人の葬儀だろうと、私達一人一人が分かっておかなければならないことがある。それは、生命が果てまで歩きついた時、葬儀という旅はまるで最後の回顧のようなものであること、一人の遺体が深く埋葬される時、沈黙するのは死去する者の外に存在する身体だけではなく、その人の長い一生、或いは短い一生の尊厳でもあるということである。
中国の若者が綴る“感知日本 ”―中国語の「作文コンクール」一等賞決定― E [2011年12月06日(火)]

一つのりんごと一通の手紙


四川省 王丹青

 少しだけ複雑な感情と眼差しで、私はずっと黙々と日本に関心を持っている。日常会話で日本の話題が出ることは多いものの、2008年の“5.12”汶川大地震までは、日本と私個人との間に何か直接的な繋がりができるなどと思ったことはなかった。

 ブン川大地震の発生当時、私は18歳で、四川綿陽高校で大学入試に備えているところだった。突然の天災で全てが狂わされ、落ち着いていた心もかき乱された。まるで激しく揺れ動く夢の世界に身を置いているような感覚がして、頭がぼうっとした。地震から回復しつつあったある日、甥から大きな赤いりんご一つと一枚の紙をもらった。姉によると「日本人からよ」とのことだったが、不思議に思ってその紙を読んでみると、おおよその内容とは…

 「皆さん、最近いかがお過ごしですか。寒くなってきたので、お体にお気をつけてください。日本のWYと申します。居ても立ってもいられないので、私に出来ることをすることにしました。私が摘んだりんごを皆さんに送ります。お爺さん、お婆さん、頑張ってください。今こそ、あなた方の人生経験がものを言う時です。お父さんお母さん、今こそ、目下の人達に強さを見せる番ですよ。若者の皆さん、自分達の素晴らしい郷里を築くために奮起してくださいね。よい子のみんな、怖がらないで、力を合わせれば、何でもできますからね。このりんごは普通のりんごではありません。父のWJが生前に荒れた山を耕して植えた樹になったものなのです。生命力の強いりんごで、希望に満ちた果実なのです。財産より身体、身体より精神が重要です。冬はいつしか過ぎ去り、必ず春が訪れます。これは私達人類全体にとっての災難であり、全員の苦痛なのです。一緒に戦わせてください。頑張って!心から声援を送ります。

WYとその仲間達より


 感動と共に少し震撼を覚えた。私は長い時間ものを言わず、日中間のたくさんの事を一気に連想し、汶川大地震と関係した日本に関する情報を連想した。それまでも中日関係がらみの報道を見聞きすることはよくあったが、どうせ国同士の関係は、私個人の実際の生活からは遠いものだと思っていた。なので、一面識もないWさんが手ずから摘んだという、幸運と平安を表すりんごが私の手に届いた時には驚いた。まさか私自身の身にこんなことがあるとは。

 災難を味わった人は感性が鋭くなるのかもしれないが。長い間考えてから、私はこの「小さな出来事」と自分の感想を“人人網”に書き込んだ。多くの友人がその書き込みを見て、震災後に彼ら自身が味わったり聞いたりした日本人の善意を“晒し”た。みんなの気持ちは驚きに似たもので、まずは感動し、それから以前の偏見や誤解を後ろめたく感じるというものだった。

 時間が過ぎるのは早いもので、瞬く間に2011年となった。3月のある午後、同級生に「日本が大変だ、地震だよ」と言われ、私はぎょっとした。無情な地震と津波が日本を襲ったとは。同じような経験と痛みを味わった私には、他人事ではなかった。寝室に戻ると、私は、狂ったように日本の地震に関する情報を全て調べ、サイトを更新して、日本に留学している友人の最新情報を待った。その後、中国政府が日本の被災地にたくさんの物資を寄付したこと、多くの中国人が日本の被災者に募金したことをニュースで見た。時間の大きな傷口が裂けたように、私は3年前の5月に引き戻された。死傷者数は絶えず増え続け、テレビが映す惨状に心が痛んだ。時空が倒錯して混乱した私には、2011年と2008年との区別も、3月11日と2008年5月12日との区別も、宮城や福島と映秀や北川との区別もつかなくなってきた…唯一はっきりしていたのは、また多くの命が絶たれ、多くの家庭が崩壊し、多くの人々が居場所を失い、多くの心が苦しみ壊れていることだけ…

 手摘みのりんごと真心あふれる手紙が万里の彼方から他国の高校生に届いた。そこには、うわべだけの親切もパフォーマンスもなく、あったのは真心だけだった。“りんご事件”以来、日本に対する私の認識と見方には密かに変化が現れている。その時の手紙はずっと大切に財布の中にしまってあって、人間性の輝きとは、自然災害に破壊された中で益々きらめくものである、ということを思い出させてくれる。



教育・研究図書有効活用プロジェクト室
中国の若者が綴る“感知日本”−「作文コンクール」第6回優秀賞作品− @ [2011年12月02日(金)]
中国の若者が綴る“感知日本 ”


―「作文コンクール」第6回優秀賞作品―


 日本科学協会と中国青年報社が共催する「笹川杯作文コンクール2011」(中国語版)は、10月31日で作品の募集を締め切りましたが、中国全土の様々な身分・職業・年齢層・境遇の若者から8,410点の応募がありました。これらの作品を対象に厳正な審査を行った結果、第6回(11月分)優秀賞3点が決定しました。
これにより2011年度の優秀賞18点が全て出揃いましたが、これらの作品を対象に更に最終審査を行い、12月中旬には一等賞6点が決定します。

 ここでは、優秀賞3点の和訳を紹介しますが、中国語の原文は、それぞれ11月12日(「導師送我両本書」)、20日(「物哀之美」)、26日(「泥土下的尊厳」)の「中国青年報」紙と同webサイトでご覧いただけます。



「中国青年報」紙(2011年11月12日、20日、26日版)



先生がくださった二冊


北京市 盧学麗

 私の机の上には2冊の本が置いてある。1冊は稲森和夫の『働き方』で、もう1冊は呉暁波の『大敗局』である。
 どちらも、私が私の指導教師から頂いたものである。私が幸運にも大学院生として張先生について間もなく、私は先生から最初の本『働き方』を頂いた。先生は50数歳で、母親のような慈悲と優しさで私達全ての学生に気を遣ってくださる方である。先生は、私が農村の恵まれない家庭出身であることも、省都所在のある普通大学から中国政法大学に入学したため、基礎がそれほどしっかりしていないということもご存じである。先生は、新しい環境に入ったばかりで落ち着かない私の心情を見抜き、私をご自宅に招いて斬新な図書『働き方』を手渡してくださった。「私は、法大に来たばかりのあなたの気持ちとプレッシャーを理解できますよ。プレッシャーに打ち勝つには、努力をなさい。稲森和夫さんの精神を学ぶといいでしょう。きっと何ごとももっとできるようになります」と心のこもった言葉を添えて…。私は懸命に頷いた。

 その夜、私は、電気スタンドの下で稲盛和夫氏の精神を初めて感じ、日本人の仕事の態度を悟った。稲森氏は大学で有機化学を専攻していたが、幾つかの理由により最終的には有機化学の分野に進まなかった。彼は、未知の専門分野と業務環境に対して気落ちしたり尻込みしたりすることはなかったし、会社が破産して彼しか残らなかった時でさえ、仕事を離れることはなかった。彼は仕事を愛することに努め、自分の子供を抱くかのように実験材料を抱えて寝たことさえあった。そうした情熱と安定した心を持っていなかったら、基礎から始めた彼が、会社を最終的に世界500強企業に押し上げることはなかっただろう。

 稲森氏は、次のように語っている。「熱愛中の恋人は、傍目には呆然としそうなことがあっても、落ち着いて対処する。仕事も同じであって、夢中になって、心から愛してこそ、苦しい仕事でも長く続けることができる。こうした姿勢を貫けば、恨みも後悔もすることはない。」、「自分で仕事をし、仕事は自分でするという境地に達してこそ、全身全霊で仕事に打ち込める。」と。彼は自らを“自己発火型”人間に育て上げる努力をしたのである。事業を成就させるためには、自ら燃えることのできる人にならなければならないからである。仕事を心から愛して自分の火種とし、自分の情熱を全ての人や物にまで浸透させるのである。

 私は、彼の精神に深く震撼した。日本人は昔から、落ち着いていて、厳格で、目標が明確であるということで有名だが、日本人の優れた特質をここまで一身に集めた人は珍しい。こうしたことは、まず起こりえないことであるが、稲森氏には起きたのである。日本は小さいが、その意欲と戦闘力は決して弱くない。それは、日本が自分の弱みを明確に理解しているため、全力を尽くしてほぼ完璧に自らの忍耐力を示し、最終的にある精神を日本人から引き出し、こうした戦闘力を日本の至るところに広げてきたからである。

 指導教師は、研究の第二学期に二冊目の本『大敗局』を私に下さった。驕らず、焦らず、小さな成果に心を奪われないようにすること、さもなければ、即、敗北へ突き進むことになるとの教えだった。この本も、私の最愛の書の一つである。『大敗局』の三文字は、驕らず高慢にならぬよう、いつも私に警鐘を鳴らしてくれる。呉暁波氏の『大敗局』は、改革開放の数十年来、中国の一部民営企業が苦境の中でどのように苦闘しながら成長し、遂には一時的な輝きを得たが、それでも劣勢を脱することができなかった有様を記録したものである。その中の原因には深く考えさせられるものがある。浮き足だったり、巧妙に立ち回ったりすることを避け、物質的な誘惑と罠を回避しなければならないということである。勿論、偉大なる環境との関係をより良くする必要もある。全ての要素が調和した時、私達は成功から遠くない位置にいるはずだ。

  巨人集団(上海巨人網絡科技有限公司)、秦池酒、三株口服液…全ての輝きが黄ばんだ写真に納まっている。あの時代の若者には勇気、戦闘力、燃焼力があったし、創業に歩み出す時の落ち着きと、一歩ずつ進む戦略があった。しかし、成功と失敗は一夜のうちに決まってしまう。私達は“野蛮な生長”をしてきた。“大敗局”は、決して決定的な状態ではない。私達は今でも前に進んでいるのだから。

 私の机の上にある二冊には、東洋人の知恵と生命力が詰まっている。私は、『働き方』により日本を少し理解することができた。日本人は不屈の民族であり、その忍耐力と戦闘力が依然として強大であるということを知ったのである。日本は地震、津波、放射性物質の漏出など大小様々な災難を経験したが、日本人の精神はこうした困難に打ち勝ち、その精神をより輝かせ、伝承し続けていくと、私は信じている。こうした初歩的な認識の中で、個人的に恥ずかしさと悟りを覚えたこともある。新たな時代の若者として、私達は、些細な事でも勇気と活力をもって一つ一つ着実に片づけていってこそ、私たちの才能は成功への道をゆっくりと歩めるということである。『大敗局』は、吸収することのできる一種の教訓を私に与えてくれたのだが、この教訓は生涯に亘って私の役に立つことだろう。おかげで遠回りを減らすことができるのだから。
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