小見出しは、次のとおりです。
はじめに なぜこのテーマを 友人から、「あなたの体は9割が細菌」を薦められたに 「闘う微生物」から微生物を考える 続いて「土と内臓」から微生物を考える 「闘う微生物」や「土と内臓」を読んで、どのようなことを考えたはじめに 私は微生物の魅力に取りつかれています。多くの方々に微生物について考えてほしいと思い、いつものように、参考文献を引用しながら、微生物の魅力を紹介させていただきたいと思います。今回の引用図書は外国の著者によるものです。「闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守る」(エミリー・モノッソン著、小山重郎訳、築地書房、2018年)と「土と内臓―微生物がつくる世界」(デイビッド・モンゴメリー、アン・ビクレー共著、片岡夏実訳、築地書房、2019年)です。これらを引用しながら、少し考えてみたいと思います。微生物の世界を知ることで、様々なことが見えてくると思います。特に「土と内臓」の方は300頁を超える大作ですが、比較的読みやすく、多くの方々に読んでほしいと思っています。
「土と内臓」から多量に引用したことから、結構長いものとなりました。時間の取れる時にお読みいただければと思います。なお言葉の後ろの[ ]書きは、本書のキーワード解説から引用しています。また文中の挿絵は、「土と内臓」から勝手に転写させてもらっています。
なぜこのテーマを 私が微生物に関心を持つようになるきっかけをつくってくださったのは、中島紀一茨城大学名誉教授にいただいた資料によってです。中島先生は、2017年11月4日の「山口市有機農業推進協議会」設立総会で記念講演をお願いした先生です。先生は農業に全く素人の私に何篇かの資料をくださいました。十分理解できないなりに興味深く読み、農学の奥深さを感じることができました。
特に次の3点に大きな関心をもちました。
まず1点目は、「有機農業・自然農法の技術的メカニズムが少しずつ見えてきた―最近の先端的研究の成果から―」と題する資料には「米ぬかを速やかに受けて入れる土と受け入れにくい土の違いは、土の微生物(主にバクテリア)の組成(群集構造)とその力能にあった。それは土の有機物のあり方、すなわち土づくりの状態と履歴による」とありました。さらに「土には、有機農業・自然農法が作っていく系と、近代農業が作っていく系の2種類がある。有機農業・自然農法が作る土に多くの有機物があり、そこに動的な生物構造が作られているということ」とありました。有機農業の有効性・重要性を感じるとともに、土の中の微生物に着目することの重要性を強く認識することができました。
2点目は、「地力論の見直しと有機農業・自然農法の土壌論の課題」と題する資料です。冒頭に「肥料を沢山やっていろいろ手間をかけて生育をうまく調整すれば、生育量は増して、お米もたくさん穫れます。でも、肥料をやらなくても、ただ放って置いて、毎日、見つめるだけで、あまり勤勉に働かなくても、うまく工夫すれば、長期にわたってそれなりに穫れ続けていく。収量は肥料たっぷりの周りの田んぼの7〜8割です。手間もかからず、経費は格安です。前者は単純な物質循環論でおおよそ説明できると考えられてきました。農学はその線を一途に追究してきたわけですが、後者のあり方は、その理論ではなかなか説明できない。そして周りの空き地や森や沼地などの多彩な植物の育成はむしろ後者に近い」とありました。有機質たっぷりの肥料を圃場に撒き豊かな農作物を収穫するといった物質循環論を自明の理だと信じ込んでいた私に疑念をもたせるご指摘は、青天の霹靂でした。確かに自然界をじっくり観察すると、物質循環論だけでは説明しきれない事象があるように思えます。
3点目は、「説明仮設としての『物質循環論』(覚書)」と題する資料です。そこには「農業においてはインプットとアウトプットとは必ずしも対応しない。両者の間には複雑なそして変動的な、さらには生命連鎖的な内部構造がある。さまざまな気候条件があり、さまざまな土壌条件があり、さまざまな作物側の条件があり、そして農家の実に多彩な営農対応がある。こうした全体構造の視野からすれば、インプットもアウトプットも系の動態にかかわる一要素でしかない。そしてその複雑な全体構造の動態をできるだけ丁寧に、短期視点、中期視点、長期視点から観察し、解析していくことが、農学の基本的あり方であり、課題なのだ。こうした点にこそ農業生産と工業生産、農学と工学の基本的な質的相違点があるだろう」とありました。このようなことを高校時代に聞いておれば、農学の世界に進んだのにと後悔しています。もっとも高校時代このような説を理解できたとは思えませんが。
長々と書いてしまいましたが、以上のような出会いがあり、微生物の世界に大きな関心を寄せるようになったのです。
友人から、「あなたの体は9割が細菌」を薦められた さらに友人から、「あなたの体は9割が細菌―微生物の生態系が壊れはじめた」(アランナ・コリン著、矢野真千子訳、河出書房新社、2018年)という衝撃的な題名の本を薦められました。この本により、私はさらに強く微生物に関心を持つようになったのです。訳者によると、この本の著者はイギリスのサイエンス・ライターだそうです。この著書を書くようになった経緯と抗生物質に対する見解を次のように「訳者あとがきで」で記しています。
彼女は、マレーシアでたった一度ダニにかまれただけで、数年間まともな暮らしができなくなるほど体を病んだ。そこから抜け出せたのは専門家による正確な診断と、原因を退治するための大量の抗生物質だった(本人によると、家畜の群れをまるごと治療できるほどの量だったという)。そんな経験もあって、彼女はこの本で再三、抗生物質をすべて「悪」と決めつけてはいけないと言う。微生物は人類にとっていまなお恐ろしい敵であり、抗生物質はそれに対抗しうる貴重な手段だということだ(P323-324) このように著者は抗生物質の有効性は評価した上で、その濫用を戒めているのです。また訳者は、この本のテーマについて、次のように記述しています。
2003年にヒトゲノム・プロジェクトが完了したとき、研究者たちはヒトの遺伝子が線虫と同じ、21,000個しかないことに驚いた。ヒトはなぜ、そんなに少ない遺伝子でこんな複雑な生命活動ができるのだろう? そのカギは、体内に棲む微生物に多くの活動を「アウトソーシング」していることにあった。赤ん坊は産道を通るとき、母親から微生物一式を受けとり、その微生物集団と共に成長する。ところが最近では、赤ん坊がその微生物を受けとれなかったり、せっかく育ったコロニーを消滅させてしまったりすることが増えてきた。肥満、過敏性腸症候群、アレルギー、自己免疫疾患、自閉症など20世紀後半から先進国で急増している病気は、人体内に存在する細胞の90%を占める微生物の様相が従来とは変わってしまったことで生じている。というのがこの本のテーマだ。(P322) さらにこの本の知見について、次のように訳者は指摘しています。
この本で紹介されている知見は、2008年にはじまったヒトマイクロバイオーム・プロジェクトの研究成果がベースになっている。このプロジェクトの何が画期的かといえば、分離と培養をしなくても、体内にいる微生物種をDNA配列から直接特定できることだ。これを可能にしたのは、ヒトマイクロバイオーム・プロジェクトのおかげでコストと時間が大幅にダウンした塩基配列の解析技術(シークエンシング)だ。以前から、腸内細菌がヒトの健康とかかわりがあることは経験的に推測されていた。だが細菌を人体の外に取り出して調べるということが恐ろしく困難だったため、そもそも腸内にどんな細菌がどのくらいいるかすら知ることができなかったのである。
とはいえ、特定の健康状態と特定の細菌が一対一で対応しているわけではもちろんない。細菌を一方的に「いい」「悪い」と区別して、悪い細菌をとりのぞき、いい細菌を入れてやれば健康になるというほど単純な話ではないのだ。生き物にとって棲息地はつねに戦場だ。細菌どうしでスペースを奪い合い、その時々の環境に少しでも適応力のある細菌がそうでない細菌を駆逐する。ニッチを確保した細菌はあらゆる手段でそれを守ろうとするだろう。彼らには彼らなりの都合があり、こちらの思い通りにふるまうとはかぎらない。(P322-323) この本から、私は次の3点について知ることができたように思います。
1点目は、既に訳者がこの本のテーマとして記述しているように、出産時における母親の微生物の赤ん坊への伝達の不思議です。このため著者は安易な帝王切開の乱用を戒めています。また出産をする女性には特に有用な微生物が多く住める腸内環境とするために、食事に留意してほしいなと思いました。さらに言えば、このことを保障する地域、社会にしていく必要があるなとも考えました。
2点目は、糞便移植についての一般化の必要性です。既に中国では古くから行われていた治療法だそうで、その有効性について微生物に着目した研究が深まることを期待しています。なおネットによると、既に糞便移植を導入している病院もあるようです。その有用性が認められ、保険適用ができるようになってほしいと思っています。
3点目は、抗生物質の濫用防止の徹底です。抗生物質が安易に処方されることももってのほかですが、成長ホルモンとして畜産に使用されていることは、即座に止めてほしいと思います。お金儲けの畜産ではなく、消費者に美味しくて安全な肉を食べて欲しといった本来の畜産に立ち返ってほしいと考えています。
「闘う微生物」から微生物を考える それでは本題に入りましょう。まず「闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守る」を引用しながら、微生物の素晴らしさ、怖さについて考えてみましょう。訳者によると、この本の著者はアメリカの自らを生態学にもとづく独立した毒物学者だと言っているそうです。またこの本の中で著者が強調していることを「訳者あとがきで」で次のように記しています。
著者がこの本の中で強調しているのは、人間の健康と食物を守るために抗生物質の有効性を維持し、農薬の使用を減らすことである。そのために、生態学にもとづき、最近のゲノム学、コンピューター学の進歩を取り入れるならば、自然と敵対するのではなく、自然を味方につけた解決方法が生み出されることについて、彼女は楽天的である。(P225-226) 著者はこの本を書いた動機を「まえがき」で次のように述べています。
これは、1つの解決策についての本である。2年前、私は現代農業と医学の問題点について、ある講演を行った。この講演では、病害虫と病原体が、農薬と抗生物質に対する抵抗性を発達させることによって、薬がしだいに効かなくなっていることについて述べた。講演後、一人の聴衆が「それでは、どうしたら良いのでしょうか?」と尋ねた。私は肩をすくめて、「あまり使わないことです」と答えた。聴衆の中に小さな笑いと、私が次に何を言うかを待つひと時があったが、私は、それ以上何も言うことが出来なかった。私たちは薬効範囲の広い抗生物質なしに、いかにして病気を治すことが出来るだろうか?
あるいは、出来るだけ農薬を使わずに作物をいかに守ったら良いのだろうか? この本は、私かこうした質問に答えようとするものである。(P3) 訳者は、この本の内容を次のように「訳者あとがきで」で整理してくれています。少し長くなりますが、引用させていただきます。
この本はこのような医薬と農薬の現状に対して、どのように対処すべきかを、最新の情報にもとづいて、特に微生物に焦点をあてて紹介したものである。
第1章と第2章では、自然にある私たちの味方になる微生物について紹介される。
これまでは、自然には特定の病気や病害虫が単独に存在して、人や農作物を襲うという考えであった。しかし、これらの微生物は単独に存在するのではなく、多くの無害な微生物と共に「微生物群」をなし、お互いに影響し合っている。人体には多くの微生物がおり、それが影響し合って、そのうち病原性を持っているものが優勢になった時に病気が発生する。農作物の場合には土の中に微生物群があって、特定の病原菌が多くならないように働いている。しかし、抗生物質や化学合成農薬は、病原菌の多発を抑えてくれる私たちの自然の味方を含めて、無差別に攻撃した。その結果、病原微生物や害虫を抑えていた働きが弱まって、病気や作物の病害虫がかえって増えるようになってしまったのである。普段は病原性がなく、人間と平和に共存していた微生物が病原性を持つようになることもあった。
第3章と第4章では、私たちの敵である微生物と闘っている微生物や自然の化学物質を、私たちの友としていかに利用すべきかについて述べている。
自然界には細菌よりもはるかに小さいウイルスがいることがわかったのは最近のことである。ある液体の中の細菌を濾すために、磁器で作られた濾過器があったが、これを通り抜けた液体が病原性を持つことがわかり、これを濾過性病原体と名付けた。電子顕微鏡の発明によって、その正体が明らかになり、これはウイルスと呼ばれるようになった。インフルエンザなどの病気はこのウイルスによって起こる。ところがこのウイルスの中に細菌を食うものが見つかった。これをバクテリオファージ、あるいは単にファージという。このファージを地力論に使うための研究が始まったが、抗生物質の発見によって研究は停滞した。しかし、このファージは抗生物質のように多くの種類の細菌を皆殺しにすることがなく、特定の病原菌のみ抑えるという有利な点があり今後が期待される。
作物害虫の場合には、ある種の害虫の防除に利用出来る化学物質が紹介されている。それは、昆虫の雄と雌の交信のために使われているフェロモンという化学物質である。この物質を合成して広範囲に散布することによって、雌雄間の交信をまどわし、交尾の機会を失わせることによって、防除の目的が果たされる。
また、害虫の被害を受けた作物が、ある化学物質を放出して、さらに害虫が来ることを防ぐと共に、害虫の天敵を呼び寄せるという働きがあることも最近わかってきた。これは、農薬にかわる自然の化学物質として重要である。
第5章と第6章では、病原微生物を抑えるための遺伝子組み換え技術の利用について述べられている。
生物の遺伝をつかさどっている物質がDNAであることは広く知られるようになっている。DNAはアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)という4種類の塩基と呼ばれる分子が、鎖状に並んでいる大きい化学構造を持っているが、この塩基の特定の配列が特定のアミノ酸を合成し、そのアミノ酸が特定のタンパク質を構成する。生物の体と働きはすべて、このタンパク質によって行われているので、ある生物の性質はDNAの特定の塩基配列によって特徴付けられている。すなわち、親の性質を子に伝える「遺伝子」を保持しているのがDNAである。
遺伝子組み換え技術はこのDNAの一部を、別の生物から持ってきて組み込むという技術である。例えば、昆虫の病気を起こす細菌のバチルス・チューリンゲンシス(Bt)のDNAを作物のDNAに組み込むと、その作物を食った昆虫は殺される。Btはすでに農薬として使用されているが、Bt作物はそれ自体が昆虫を殺す存在となるのである。また、遺伝子組み換えによって除草剤に抵抗性のある作物を作り、畑に除草剤を撒いて雑草のみを枯らす(その作物だけが生き残る)という方法も広く行われてきた。このような遺伝子組み換え作物は大豆、コムギ、アブラナ、ワタなど多くの作物で作られ、欧米を中心に普及してきた。
しかし、遺伝子組み換えは自然に対する人間の過度の介入ではないかという論争が今もつづいている。Bt作物の人間に対する安全性が確認されたとしても、これが自然の近縁植物と交配して、Bt植物が生み出され、害虫ではない昆虫を殺す可能性がある。また、除草剤に抵抗性のある遺伝子組み換え作物は除草剤の使用量を増やし、その結果、除草剤に抵抗性のある雑草の系統が発達することもあるだろう。
著者はこのような遺伝子組み換えに対する反対論には配慮しているが、農薬の使用を減らすために病害虫抵抗性の品種を育種する上での遺伝子組み換えは認めるべきであると言う。新しい病害虫抵抗性の品種を、自然に起こる突然変異のみに頼って育種するためには、十年以上の年月がかかるが、遺伝子組み換えによって、近縁の植物からの抵抗性遺伝子を組み込むことで、抵抗性品種を短期間で作ることが出来るからである。インフルエンザウイルスのようにその系統が毎年変化する病気に対しても、すみやかに対応できると考えている。
最近、「遺伝子編集」という新しい技術が開発され、遺伝子操作が一層簡単に行えるようになった。訳者はこれらの問題について、研究者だけでなく、政策立案者や一般市民を含めた幅広い議論の場が早急にもうけられるべきだと考える。
第7章と第8章では、人や農作物の病気の原因がどういう病原微生物によるものかをより速く診断する方法について述べている。
どういう病気や病害虫でも、それが何であるかを知ることによって適切な対応が出来る。これが診断である。病気の場合、病原菌を培養して調べるためには数日〜数週間が必要であった。その間は病気が進行したり、まわりの人に感染させたりするおそれがあるので、医師はやむなく抗生物質のような、体内の微生物を無差別に攻撃してしまう薬を処方してきた。これが抗生物質の濫用をまねいている。病害虫の場合でも、かつては、その道の権威者が見ないと正確に診断出来なかった。そういう権威者がいないアフリカなどの遠隔地では、診断されないままに被害がひろがっていた。
そこで、速やかで正確な診断が求められているが、DNA塩基配列を判別する機器の発達によって実現の可能性が出て来た。また、スマートフォンに代表される情報通信機器が作物病害虫の映像による診断を加速する可能性がある。このような機器の開発は、まだ始まったばかりであるが、簡便な機器はアフリカのような地域でも正確で速やかな診断を可能にするであろう。(P221-225) 続いてこの本を読んで重要な指摘だと感じた個所を順次列記していきたいと思います。
まず著者は、抗生物質の誤用あるいは濫用の恐ろしさについて、次のように記述しています。なお、「ひろく抵抗性のある」病菌は、アメリカでは毎年少なくとも23,000人の命を奪っていると書かれていますが、日本では薬剤耐性菌による死者数が8,000人を超えたと報じています。
この本の全体を通して、私たちは病院や開業医や農場における抗生物質の誤用あるいは濫用の結果を見てきた。化学薬品の使用開始から1世紀後、病菌は反撃しはじめた。2016年に研究者たちはコリスチン《抗生物質》に抵抗性のある大腸菌をはじめて識別した。コリスチンはその毒性により50年近く前に評判を落とした、「最後の手段」の抗生物質である。しかし、それは抵抗性への対応のために再び兵籍に入った。病菌それ自体は他の抗生物質で治療出来るが、DNAの小片の上に抵抗性遺伝子が存在し、それが他の細菌に容易に分け持たれることが恐ろしいのである。「ひろく抵抗性のある」病菌はアメリカでは、ある尿路感染の患者から培養された。そこでは抵抗性が毎年少なくとも23,000人の命を――抵抗性の感染による合併症で死んだ人を含めればもっと多い――奪っている。この出来事はこの世の終わりという見出しで、インタビューと共に突然報道された。もし、抵抗性と感染への新しい解決法がすぐに見つからなければ、アメリカと世界(毎年数十万人が抗生物質に抵抗性のある微生物によって死んでいる)の両方での死者の数は2050年までに数百万人に増えると見積もられている。抗生物質に抵抗性のある微生物は人を殺すだけではなくて、費用もかかる。アメリカだけで医療費は1年でおよそ200億ドルにのぼる。それは家族、仕事、病院の収容人数に影響する。抗生物質に抵抗性のある微生物は大きく数十万の患者とその家族に被害を与え、広域的抗生物質による体内の微生物群に手の込んだ被害を与え、それはクロ・ディフのような日和見的な病菌による荒廃地を腸内に作り出す。(P164) 抗生物質の耐性菌については、医学界でも問題視され、その認識の普及と対応策についてのシンポジウムが開催されたことが報道されていました。その対応策として、著者は次のように述べています。
もし、私たちが抗生物質を保持し、私たちの微生物群と共に働き、世界中で病気の大発生を本気で阻止するならば、細菌、ウイルス、原生動物、そして菌類の速く、正確な識別を行うことは必須である。私たちは有益な微生物群を守り、維持する一方、クロ・ディフ、MRSA、淋病、そして結核茵のような日和見的病菌をゼロにする必要がある。これらの21世紀の技術は診断を新しい時代に導くことか出来、私たちの自然の味方の協力を仰いで、敵とわかる場所で、それに対して防御することが出来る。(P182) 著者は、私たちは無数の微生物のただ中に生きており、これらの微生物のあるものは危険であるが、大部分は有益であり、この「私たちの自然の味方」との付き合い方を変えつつあると次のように記述している。
抑制と正確さは半世紀前の計画には入っていなかった。その時、ボイドは一人の詮索好きな学生としてワタ畑に採集に出かけた。今日、私たちは害虫と病原体を化学物資によって破壊しても、単純に撃退出来ないことを認識している。私たちは生態学、生物学、化学、そして遺伝学からより良い情報を得る必要がある。目標は抗生物質と農薬が効果を保ちながら、私たちの自然の味方――私たちの腸の中の微生物から農場にいる有益な微生物と昆虫に至るまで――を維持することである。私たちはこれまでの全面的戦争から、昆虫と細菌を含む「野生生物」の新しい理解にもとづく管理へと戦略を変えつつある。
新しい科学技術は、私たちを、かつては目に見えなかった世界に導いてきた。今や、私たちが無数の微生物のただ中に生きていることを知っている。そして、ゲノム学は私たちの体内、皮膚、根、芽、そして、植物のまわりの土に生存する1兆の細菌の種類を特定するまでになった。これらの微生物のあるものは危険であるが、大部分は植物、人間、そして他の生物に有益である。遺伝子工学における進歩もまた、新しいワクチンや、病気に抵抗し、殺菌剤を減らすように改良した植物を作り出している。(P184) 著者は、害虫と病原菌との対抗の仕方について、今までのやり方を改めるべきであると、その理由を次のように述べている。
害虫と病原体は常に存在する。黄色ブドウ球菌、結核菌、エボラ出血熱と淋菌のような、病気の原因となる細菌は今後も発生するだろう。蚊、アブラムシ、蛾もいるだろう。農業生産者は永久に害虫と雑草を防ぐであろう。これが、なぜ、私たちが害虫と病原菌を消滅させる戦術を考え直す必要があるかの理由である。この戦術はうまくいかない。彼等は生きのびる。たとえ私たちがある目標の害虫を成功裏に破壊したとしても、別のものがそこに現れるだろう。(P185) 農業の専門家である訳者は、著者との農業に対する考え方の違いを、次のように記述しています。
著者は、有機栽培を必ずしも否定してはいないが、労働生産性が低いので、まもなく90億人になろうとする世界人口を有機栽培だけで支えることは困難であり、必要な場合には農薬も使わなければならないと言う。そのためには、速やかで的確な診断と、その病害虫のみに有効で、味方になる生物を殺さないような薬剤を開発することか不可欠であると主張し、この本でその可能性と展望を示している。
このような著者の見解に対して訳者は、人類か歴史的に土地からの収奪をくりかえし、現在では化学肥料と農薬に依存した大規模単作農業が行われていることか病害虫の大発生と、それによる食料不足の真の原因であると考えている。これに対して有機栽培は。有用な土壌微生物を増やすことによって作物の病害虫抵抗性を強め、輪作や間作によって天敵類を豊冨にして害虫の発生を減らすなどの技術であって、これをさらに発展させることによって、生産性を減らすことなく農薬を減らすことか可能であると考える。医薬について述べる能力を訳者は持たないが、おそらく健康と疾病の関係についても同じようなことが言えると思う。
しかし、著者と訳者の考えは矛盾するものではなく、自然の味方を増やすことによって人間の生命と食料を守る点においては共通していると考える。(P226-227) 次の2点について、この本の著者のご意見に私は賛同できません。訳者のお考えに賛成です。ただ訳者は「著者と訳者の考えは矛盾するものではなく、自然の味方を増やすことによって人間の生命と食料を守る点においては共通している」とおっしゃっています。
まず1点目は、「まもなく90億人になろうとする世界人口を有機栽培だけで支えることは困難であり、必要な場合には農薬も使わなければならない」という著者の考えに対してです。このようなお考えは、抗生物質の濫用に対する著者の考え方とは矛盾するように感じます。しかも「その病害虫のみに有効で、味方になる生物を殺さないような薬剤を開発すること」に極めて楽観的です。そのような開発を目指すのではなく、「自然の味方を増やすことによって」、世界人口を支える方策を見出すことこそ、これからの時代必要になってくるのではないでしょうか。食品ロスの問題にも言及する必要があります。
2点目は、遺伝子組み換え技術の利用についての著者の考え方についてです。著者は「農薬の使用を減らすために病害虫抵抗性の品種を育種する上での遺伝子組み換えは認めるべきである」という立場です。「自然の味方を増やす」というスタンスである以上、反自然的行為である遺伝子組み換え技術を容認するべきではないのではないかと思います。
皆さんはどのようにお考えになりますか。
続いて「土と内臓」から微生物を考える 続いて「土と内臓―微生物がつくる世界」を引用しながら、微生物の素晴らしさ、怖さについて考えてみましょう。
訳者はこの本の著者を「訳者あとがき」で次のように紹介しています。また著者がこの本を著すことになった経緯にも触れています。さらに読後のご自分の感想も書かれています。私も訳者と同じようなことを感じました。
著者のデイビッド・R・モントゴメリーとアン・ビクレー夫妻はそれぞれ地質学者と環境計画を専門とする生物学者で、土と環境のエキスパートではあるが、微生物学者や医師ではない。2人が微生物に関心を持つきっかけとなったのは、彼らの個人的な体験だった。そのいきさつは本文中に、臨場感あふれる筆致で描かれている。著者は新居の庭が植物の栽培に適さないことに気づき、土壌改良のために有機物を大量に投入する。それが予想以上の効果を収めたころ、アンががんと診断され、自身の健康と食生活に向き合うことになる。
この2つの経験を通じて、自分の身体と庭というもっとも身近な環境から微生物をとらえ直し、実体験を医学、薬学、栄養学、農学など多分野の知見と融合させ、魅力的な物語に仕上げたのが本書だ。この本を読み終えたとき、私たちの健康や生活が隠された自然の半分なしには1日として成り立たないことが、改めて認識されるだろう。著者も言うように、それは私たちの一部であり、また私たちがその一部でもあるからだ。(P333) 訳者は、この本の概要を「訳者あとがき」で次のようにまとめています。
本書の原題The Hidden Half of Natureは「隠された自然の半分」という意味だ。それが示すとおり本書は、肉眼で見えないため長いあいだ私たちの前から隠されていた、そして今も全貌が明らかにはなっていない微生物の世界を扱っている。
昨今、腸内フローラという言葉がちょっとした流行語となっている。腸内細菌の重要性は以前から言われてきたが、さらに一歩進んで、細菌の多様性やバランスが注目されるようになったということだろう。腸、特に大腸の内部は、人間にとってもっとも身近な環境といえる。そこでは数多くの微生物が生態系を築き、人体と共生して、食物を分解し人間に必要な栄養素や化学物質を作り、病原体から守っている。それと同じことが、土壌環境でも起きている。腸では内側が環境だったが、根では裏返って外部が環境となる。そこに棲息する微生物は植物の根と共生して、病原体を撃退したり栄養分を吸収できる形に変えたりしている。さらに、微生物は細胞内でも動植物と共生していることがわかっている。古代の海で、あるとき捕食され他の微生物に取り込まれた微生物細胞が、生き延びて捕食者と共生関係を築くという常識を超えた事態が起きた。ここからやがて複雑な多細胞生物への進化か始まったのだ。
そうした微生物感は、決して古いものではない。コッホやパスツールらによる病原体の発見以来、長い間微生物は主に、撲滅すべき病気の原因とされてきたし、この見方は今も根強く残っている。病原体としての微生物という考え(細菌論)にもとづいてさまざまなワクチンや抗生物質が作られ、おかけで多くの人の命が救われたこともたしかだ。しかし抗生物質の濫用は薬剤耐性菌を生み、また体内の微生物相[ある生態系または宿主に定住する微生物集団]を改変して免疫系を乱して、慢性疾病の原因になっている。
同じことは土壌でも起きている。人類は有機物と土壌の肥沃度の関係に直感的に気づき、農地に堆肥や作物残渣などを与えてきた。科学者が、有機物に含まれる栄養分は植物の成長に寄与していないことを発見すると、化学肥料がそれにとって代わった。当初、化学肥料の使用で爆発的に収穫が増大したが、やがて収量は低下し、病気や害虫に悩まされるようになった。実は、土壌中の有機物は植物そのものではなく土壌生物の栄養となり、こうした生物か栄養の取り込みを助けて、病害虫を予防していたのだ。
このような進化史、科学史の流れから、微生物と動植物との共生関係、免疫との関わりについての新しい知見までの概観が本書1冊に凝縮されている。(P332-333) 著者は、多くの科学者らの知見に基づき、「微生物は人間と植物の欠くことのできない一部分であり、そうあり続けていたのだ」という見分をすることにより、農業と医学の分野において新しい解決方法を見出す可能性が生まれると、本書の概要について「はじめに」で次のように書いています。新たな微生物を求めてジャングルを飛び回っている学者をテレビが紹介していました。
近年の発見を見れば見るほど、微生物が植物と人間の健康維持に果たす役割に、私たちは興味をそそられた。そして私たちは、人間の体表面と体内に住む微生物を指す新しい呼び名――ヒトマイクロバイオーム――を知った。地力を回復させ慢性的な現代病の流行に対抗するのに微生物が役立つことを、私たちは知り始めた。自然のまったく新しい味方を、私たちは偶然発見したのだ。
本書で私たちが話すのは、自然の隠れた半分をめぐって起こりつつある革命についての知識と洞察を明らかにし、両者を結びつけていく過程だ。私たちは多くの科学者、農家、園芸家、医師、ジャーナリスト、作家の仕事に依拠し、そこから引用し、それらを支持している。それは人類と微生物との関係を探究するものがたりだ。目に見えない厄介物と長い間考えられていた微生物が、人間が現在直面するもっとも差し迫った問題のいくつかに取り組む手助けをしてくれることを、今私たちは認識している。
この微生物に対する新しい見方は衝撃的だ――微生物は人間と植物の欠くことのできない一部分であり、そうあり続けていたのだ。こうした見分をすると、農業と医学の新しいやり方を約束する驚くべき可能性が生まれる。顕微鏡規模での畜産や造園を考えてみよう。有益な土壌微生物を農場や庭で培養すれば、病害虫を防除して収穫を高めることができる。医学分野では、人体の微生物生態の研究が新しい治療法を推し進めている。2、30年前であれば、このような考えは荒唐無稽なものに思われただろう。目に見えない生命自体が何世紀か前にはそうであったように。微生物が健康の基礎であるという科学的知識が明らかになってきたことで、農地の土壌と私たち自身の身体に棲む微生物への、無差別攻撃の正当性が疑われている。土やからだの中には私たちの密かな物言わぬ仲間がいるのだ。(B-C「はじめに」) 続いてこの本を読んで重要な指摘だと感じた個所を順次列記していきたいと思います。
著者は、地球上の生命の誕生を次のように記述しています。にわかには信じがたいことですが、微生物の不思議を信じる私には、すとんと入ってきます。皆さんはいかがですか。
遠い違い昔のある日、二つの微生物が次々と驚くべき出来事を引き起こし、それによって生命の歴史はすっかり変わった。すべては最古の生物の一つ、古細菌が細菌と合体したときに始まった。この結合により複合生命体、初期の単細胞生物が複雑な生物へと進化するきっかけとなった微生物の雑種が誕生した。そう、この奇想天外な生命体がやがてあなたや私を含むあらゆる真核生物となって地球の表面を歩き、走り、滑空し、のだうち、くねり、泳いでいるのだ。
生物が密接に共同して、あるいは一方がもう一方の中で生きていることを共生と呼ぶ。微生物の共生が多細胞生物のもとになったという考えは、初めは生物学の権威筋からほとんど支持されなかった。20世紀の進化生物学者の大半は、ダーウィンが信じたものを信じていた――進化は個体間の競争が動かす、ゆっくりとしたたゆみない種分化の過程である。しかし粘り強い異才の科学者、リン・マーギュリスは、1970年代から80年代にかけてこの旧来の進化観に立ち向かった。彼女は、地球上に棲息していた最初期の微生物同士の協力関係を基礎にした、根本的に違う進化過程を提唱したのだ。(P61) 上図は「微生物の融合」を示した挿絵で、「古細菌と細菌がどのように最初の原生生物を構成し、その後に続く多細胞生物すべての基礎を築いたかについてのマーギュリスの見解。二番目の融合では、原生生物が酸素を利用する細菌と共生関係を結んで、動物、菌類、さらに後には植物の祖先となった」(P69)と解説されています。
著者は、微生物の世界は、対立と同じくらいに協力と順応が行われており、微生吻と植物と動物の関係も同様であり、この共生関係が植物の健康と土壌の肥沃さの基礎となっていると、次のように述べています。
微生物が手を組んで多細胞生物を生み出して以来、全面的な対立と同じくらいに協力と順応が、微生吻と植物と動物の関係を形成した。くり返し、生命の樹が大きくなるにつれて、逆境の中で関係が生まれ、必要に応じて加えられた。顕微鏡下の世界がこれほどまでに協力的な場所だとは――また、証拠のいくらかはまさにわれわれの体内に隠されていようとは――ダーウィンは想像もしなかっただろう。私たちは、遺伝子の3分の1以上を細菌、古細菌、ウイルスから受け継いだのだ。
微生物の共生がありふれたものであり、不可欠なものでもあることを認識することは、自分と自然の隠れた半分との関係の見方を作り直すことだ。こうした持ちつ持たれつの関係が明らかになるにつれて、微生物を病気を運ぶもの、作物と人間への脅威という型にはめる旧来の考えを、科学者は見直し始めた。私たちは特に、共生関係が植物の健康と土壌の肥沃さの基礎をいかに形作っているかを学んでいる。(P75-76) 著者は、ハワードの主張を正しいと考え、「化学肥料はステロイド剤」であり、昆虫と菌類は「生物学的清掃係」だと述べています。このような考え方がより自然と共に暮らすことになるのだと思います。人間は自然の一部なのですから。
化学肥料はステロイド剤
それからの20年間、ハワードは実験を続け、常にリービッヒの弟子たちの信じるところと対立する見解に至った。植物がなぜ病気になるのか、ハワードは急進的な新しい結論に達した。作物を病害虫から守るために殺虫剤や除草剤を使用すると、作物が健康に育ちにくくなる――そしてさらに多くの毒物が必要になる――とハワードは考えた。昆虫と菌類はさほど問題ではなく、むしろ生物学的清掃係だ。傷ついたり・弱ったりした作物を取り除いてくれるのだ。ハワードの見方では、近代農業は作物を病気にかがりやすくする道を突き進んでいた。(P92) 著者は、「有機物は微生物と菌類という触媒に栄養を与え、それらがかつての生物を新たな生命の基本成分へと再び循環させる」と考え、「化学肥料を、長期的な土壌の肥沃さや植物の健康と引きかに短期的な能力を高める農業のステロイド剤」とみなし、「農芸化学的手法がやがては必ず失敗する」と考えています。
ハワードが、実物大の畑で実際に起きた事例証拠に執着したことは、その見解を科学界に広めるためにならなかった。統計学的分析と小試験区での実験――農業研究の基本――をあからさまに軽蔑したこともだ。
それでも、現代の有機農業・園芸運動の起源は、ハワードの研究から直接始まるものだ。堆肥を用いて熱帯の土壌に肥沃度を復活させる実験から、ハワードは化学肥料を、長期的な土壌の肥沃さや植物の健康と引きかに短期的な能力を高める農業のステロイド剤として見るようになった。リービッヒによる農芸化学の強調は、化学者の目を曇らせたと、ハワードは考えた。新しい農芸化学の英知の致命的欠陥は、ハワードの見たところ、農芸化学を重視したことで、リービッヒとその信奉者は有機物の役割の大切さを見過ごしてしまったことにあった。有機物は微生物と菌類という触媒に栄養を与え、それらがかつての生物を新たな生命の基本成分へと再び循環させるのだ。
化学肥料を土壌肥沃度維持の基礎とする同僚たちの見方とは対照的に、ハワードは農芸化学的手法がやがては必ず失敗すると考えるようになった。
【ハワードの著書より】
化学肥料によって徐々に土壌が汚染されつつあることは、農業と人類にふりかかった最大の災害の一つである。(P94-95) 上図は「根の健康」と題する写真で、「異なる肥料を与えて100日目のトマトの根」(P101)の状況を示したものだそうです。いわゆる有機農業の優位性を如実に示しているとともに、根の生育が悪いために与える化学肥料を増やしていかなければならないという慣行農法の問題点を示しているように感じます。
「微生物という仲介者の活動を通じて」、土壌中の腐植が植物に影響するというハワードの説を、著者はハワードの著書を引用しながら、次のように解説しています。
これほど明白な違いがあったのは、菌根が植物と土壌が持つ栄養とのあいだに橋渡しをしたからだと、ハワードは考えた。肥沃度は単に土壌の化学成分のことを言うのではない。菌類、土壌生物、植物のあいだの生物学的相互作用もかかわっているのだ。
【ハワードの著書より】
自然は、植物と肥沃な土壌を結びつけるために、そのメカニズムを担う命をもった重要な「部品」を与えてくれた……私たちは、ある土壌菌が作物の根と土中の腐植を直接に結びつけるという共生の顕著な実例を扱うことになりそうだ。
土壌中の腐植が植物に直接影響するのではないことを、ハワードは理解した。微生物という仲介者の活動を通じてそれははたらくのだ。これはリービッヒが見落としていたことだ。(P103) ミミズの働きを「小さな肥料工場」といい、その役割の大きさを、次のように記述しています。ミミズの多寡が、肥沃な土壌かどうかを確かめるリトマス試験紙と言えるようです。
ハワードはミミズを「庭師の無償の下働き」であり、同時に農業における炭坑のカナリアだと考えた。ミミズの数が増えていれば、土が健康であるしるしだ。ミミズの減少は破滅の予兆だ。コネチカット農業試験場が、腐植にはミミズの糞が平均的な表土と比べて50%多く含まれていることを報告した理由を、ハワードは説明している。ミミズの糞には、表土全体の5倍の窒素、7倍の水溶性リン酸塩、11倍のカリウムが含まれているのだ。ミミズは腸内で土を有機物と混ぜて新しく作りかえ、植物養分を含ませて土壌に戻していた。要するに、ミミズは小さな肥料工場として働き、来る日も来る日もせっせと畑を肥やしているのだ。よい土地ではミミズは少なくとも1エーカー当たり25トンの栄養豊富な糞を作りだすと、ハワードは計算した。これを無料で毎年やってくれるのだ。そんなミミズたちを殺す化学物質を農地にまき限らすことに、何の意味があるのか。化学肥料に費用をかけず作物の生長を促すにはミミズの養殖をすることだと、ハワードは考えていた。ミミズに餌を与えれば、土に餌を与えることになるのだ。(P104-105) 上図は「地下の経済」と題する挿絵で、「植物の根を取り巻く根圏は、植物と土壌微生物のあいだで無数の取引が行なわれる場所だ。菌類と細菌は植物の滲出液を消費し、見返りとして植物の生長と健康に必要な栄養および代謝産物を与える」(P131)と解説されています。このように自然界には、いろんな場面で共生関係が存在しています。私たち人間も見習うことが必要なのではないでしょうか。
「微生物が自然の土壌肥沃度に生物学的な触媒としてはたらいでいる」という立場に立つと、農芸化学つまり慣行農業の、次のよう問題点が見えてきます。
微生物が自然の土壌肥沃度に生物学的な触媒としてはたらいているとする新しい解釈は、現代農業の哲学的基礎に異を唱えるものだ。農芸化学が短期的に収穫量を高めるうえで効果的だったことは、誰にも否定できない。しかし徐々にそれによって、長期的な収穫を危うくしてしまったと思われるようになってきた。養分移行の阻害に加えて、農薬の過剰使用は植物の防衛機構を低下・無力化させ、弱った作物を病原体が攻撃する隙を作ることがある。うかつにも有益な土壌生物を激減させてしまったことで、植物が微生物との適応的な共生によって築き上げた栄養と防衛のシステムを、私たちは邪魔しているのだ。
土壌を生物学的システムと考えれば、少数の植物病原体に「対処」する農芸化学的手法が、現代農業を悩ませている問題の根っこにある理由を把握しやすい。広範囲に効く殺生物剤がよいものも悪いものも一緒に殺してしまうと、真っ先に復活するのは悪者や雑草のようにはびこる種だ。この根本的な欠陥によって、農薬を基礎とした農業は中毒性を持たされている――使えば使うほど必要になるのだ。販売店や中間業者にとって、これは商売としてうまみのあるものだが、客にとっては長い目で見て逆効果だ。そして農業の場合、私たち全員に影響が及ぶのだ。(P132) 上図は「ハイジの皿」と題する挿絵で、「全体的な健康を促進し、免疫系を維持し、がん予防に役立つ食事見直しの出発点」(P148)と解説されています。ただ祖先が何を食べていたかによって、腸内にいる微生物の種類は異なるようですので、あくまでも参考程度でいいのではないかと思っています。
著者は、私たちの「足元にある微生物の世界を発見して」、「自分自身の健康の基礎に対する見方が変わり始めた」と言っています。微生物の世界をできる限り正確に知ることにより、私たちは従来の常識を考え直す必要があるようです。
私がマイクロバイオーム[宿主に定住する微生物の遺伝子の総称。ある宿主の特定の微生物相、つまり微生物個体群も指す]について調べてわかったことで、たぶん一番奇妙なのは、マウスを使った実験で大腸の腸陰窩の内部奥深く、大腸の磨耗でできた渦のようなくぼみに、ある種の細菌が大量に棲息しているのが見つかったことだ。研究者もこれは奇妙だと思った。粘液と腸陰窩は共に、大腸細胞が分泌する抗菌物質のために、細菌の棲息に適していないと長いあいだ考えられてきたのだ。
しかし大腸陰窩での生活は、粘液中の抗菌物質を逃れる方法を見つけた細菌にとっては快適なものだ。腸陰窩と大腸壁を覆う粘液は、餌だけでなく捕食者からの保護も提供してくれる。腸陰窩の側面や底に見られる特殊な細胞は、杯細胞と呼ばれるが、これ以上ぴったりの名前はない。この細胞は炭水化物を豊富に含む粘液を分泌し、腸陰窩に棲む細菌はそれを食べることができる。細菌の中に、粘膜に入りこむだけでなく、大腸細胞やGALT[腸管関連リンパ組織と呼ばれる、消化管を取り巻く免疫組織および細胞。人体内にある免疫系の大多数はGALTである]の近くで何ごともなく棲息できるものがいるという発見は、微生物とそれが人間の健康と幸福に与える影響について新しい考え方へと通じている。
デイブと私は、マイクロバイオームについて熱心に学ぶにつれて、このテーマに関する最新の研究のほとんどが、免疫と炎症を中心にしていることに気づいた。そして、足元にある微生物の世界を発見して土壌肥沃度に対する古くさい見方を捨てたように、免疫学の興味深い世界におそるおそる足を踏み入れると、自分自身の健康の基礎に対する見方が変わり始めた。ある意味で、私たちの母親がいつも言っていたことは、正しかったようだ――人間は中身が肝心。(P164) 上図は「体内の生命」と題する挿絵で、「マイクロバイオームは人体内のどこよりも大腸に多く棲んでいる。ほとんどの細菌は内腔に棲息するが、ある種の細菌は大腸陰窩や腸壁を覆う粘膜層の中にいる。免疫細胞はGALT(腸管関連リンパ組織)に集まっている」(P163)と解説されています。
最近では腸内フローラという言葉が一般化されているように思えます。つまり私たちの腸内には微生物が生息していることは、十分認知されてきているように思います。
著者は、抗生物質ができる前の人間の健康にとっての最大の脅威は、感染と感染症であったと指摘し、その例を次のとおりいくつか挙げています。抗生物質によって感染と感染症は制圧されたが、その一方で増えた病気についても言及しています。それは、現代病である慢性疾患や自己免疫疾患であるとし、新たな脅威として私たちの前にたちはだかっていると述べています。
減った病気と増えた病気
抗生物質ができる前、感染と感染症は人間の健康にとって最大の脅威だった。何世紀にもわたり、結核、天然痘、腸チフスは世界中で主要な死因の座を占めていた。黄熱病の大流行が、18世紀末から19世紀初めにかけてニューヨークとフィラデルフィアを襲った。感染者の5%から10%ほどが死亡した。生き残った人々も苦痛――熱、痛み。一目でわかる皮膚と白目の黄変――にさいなまれている。1822年までに、蚊の駆除が功を奏して、北部の都市では黄熱病はおおむね収束した。しかし内部の都市は19世紀末まで悩まされ続けることになる。
北部では黄熱病が下火になり始めたころ、新しい病気がアジアから船で到来した。1832年、コレラがニューヨークで発生し、数十年にわたってアメリカじゅうの大都市を席巻した。流行のたびに都市はがたがたになった。田舎に逃げる手段がある人々はそうしたが、貧しく、ほとんどが来たばかりの移民は街にとどまり、苦しみ続けた。
アメリカ人の感染症による死亡者数は、上下水道、ゴミ収集などの衛生対策が広く行なわれるようになると、徐々に減少した。1940年代には、抗生物質とワクチンの開発が本格化し始めていた。公衆衛生対策が引き続き行われたことと相まって、これら新しい治療法は、悪名高い病原体を1つまた1つと制圧していった。
しかし現代病、つまり関節炎、若年性(一型)あるいは成人発症性(二型)糖尿病といった、いわゆる慢性疾患は、第二次世界大戦後の数十年間も増え続けた。慢性疾患は人から人へ移ることはないが、子どもから大人までどの世代にも襲いかかる。そして、いったんかかってしまうと縁を切るのは難しい。アメリカ疾病予防センターによれば、慢性疾患は2010年のアメリカにおける成人の死因で、上位10項目中7項目を占める。全成人の約半数が少なくとも1つの持病を持つと、2012年に同センターは報告している。
《中略》
20世紀後半の数十年間に、先進国では自己免疫疾患が劇的に増加し、哀えるきざしは見られない。先進諸国では一型糖尿病がこの30年で2倍以上増えており、より若くしてかかるようになっている。慢性的炎症に関係する現代の健康問題は、もっとも古い敵、病原体と今や肩を並べる脅成となっている。(P167-P169) 著者は、「自分の身体が完全に自分だけのものではないことを受け入れるなら、免疫系の二重性を矛盾なく説明できる」と、次のように解説してくれています。これは「あなたの体は9割が細菌」にも通じる指摘で、どうも私たちの体は自分だけのものではいないようです。このように考えた方が、現代病への適切な対応策も受け入れることができるように思えます。
新しく出てきたもう一つの免疫系の見方は、ある観察結果にもとづいている。それは、脊椎動物の腸内微生物相が比較的安定した多様性の非常に高い群集からできていて、ほかにはいない種が数多く棲息しているというものだ。これらの性質は、無脊椎動物の体内に棲み外部の環境条件に応じて絶えず変化する、きわめて一過性の微生物群集とはまったく対照的だ。複雑な免疫系のおかげで、私たちを含めすべての脊椎動物は、接触する微生物すべて――蛮族と生涯体内に棲んでいる微生物相――を識別することができるのだ。
自分の身体が完全に自分だけのものではないことを受け入れるなら、免疫系の二重性を矛盾なく説明できる。いくつもの微生物景観から自分の身体ができていると考えてみよう。腸の河川流域、髪の毛の森、乾いた足の爪の砂漠、目の空。これらの場所には相互に影響しあう住人が多数いて、地球上のあらゆる生態系と同様に活発に動いている。それは同時に、目に見える生態系で起きているいつもの自然のプロセス――資源の不足と充足の循環、激変、捕食と被捕食の関係、温度と湿度の勾配など――に支配されている。
私たちにとってもっとも利益にかなうのは、身体の生態系に棲息するものたちが、焦土作戦を採用するために免疫系の引き金を引かないことだ。そんな事態は人間にとっても微生物にとっても災難だ。そこで、正当に評価がされていないけれども、免疫系の本業は、体内外に無数にある生態系と、その居住者の健康を保つことだと考えてみる。もちろん時には、急激な炎症を引き起こして、門の前に現れた蛮族を撃退する必要もあるだろう。しかし全般的に見て免疫系の最優先目的は、身体の生態系が正しく――私たちのために――はたらくようにすることだ。
このような見方は、マイクロバイオームに関する新しい発見ときわめて一致する。哺乳類の免疫系は、身体に長く棲んでいる微生物との関係を監視し、良好に維持するように進化したという証拠が積みあげられている。そしてあらゆる共生関係と同じで、微生物が繁栄するとき、私たちも繁栄する。メカニズムや細かい部分はまだ完全にはわかっていないが、マイクロバイオームの混乱が、多くの慢性疾患と自己免疫疾患にかかりやすくなる根本的原因の中にあるようだ。(P171-172) 人間の微生物の獲得方法を次のように記述しています。まさに人間誕生の神秘です。人類存続のためには、社会全体で母体を大切にすることが必要です。と同時に、私たちは微生物と共に生きていることも承知しておかなければなりません。
植物と同じように、私たちは周囲の環境を利用してマイクロバイオームを集め、培養する。しかし人間の獲得計画はもう少し複雑だ。出産の数時間前、母親は特殊な膣粘液の生産量を増やし、特有の微生物を育てる――子どものためにだ。赤ん坊が子宮をするりと抜け、この世に向けて下降を始めるとき、その微生物が取りつく。私たちと微生物は切っても切れない関係になる。それは色々な意味で一生の準備だ。誕生の旅路もまさに終わりに近づいたとき、母親の便にまみれて、私たちの最初のマイクロバイオームに仕上げが完了する。科学者の中には、胎盤と、おそらくは子宮さえも、最初のマイクロバイオームの種をまくのを助けているのではないかと考える者がいる。母親の細菌は臍帯血と羊水からも見つかっているからだ。(P187) 「生態学では、宿主の体内または体表に害を及ぼすことなく棲んでいる生物」であり、「マイクロバイオームにおいては、一部の共生生物は他の要因、たとえば環境条件や微生物群集などが変化すると病原性を持つことがある」と解説されている共生生物について、著者は次のように紹介しています。その量の多さといい、その役割の重要さといい、私たちは共生生物に大きな恩恵を受けているようです。
共生生物の本当の重要性は、やはり数字を検討することで明らかになる。微生物の細胞の数が、特に腸内では、われわれ自身のものを大きく上回ることを思い出してほしい。そして細胞の重さは100万分の1グラムのそのまた100万分の1にすぎないが、人間のマイクロバイオームを全部合わせると数キログラムになる。ヒトの皮膚1平方インチに約50万個の微生物が棲んでいる――ワイオミング州の人口とほぼ同じだ。人間の体内には天の川銀河の星の数よりたくさんの微生物がいる。私たち1人ひとりか微生物の銀可を持っているのだ。そして細菌の場合、ある人のマイクロバイオームを構成する微生物の組み合わせ全体は、指紋のように固有であるだけでなく、時とともに変わる。50歳になってからのマイクロバイオームは、2歳のときのマイクロバイオームと似ても似つかない。
そして面白いのが、根圏に棲息する細菌が病原体の存在を植物に知らせるのと似た活動が、大腸の中でも起きでいる形跡があることだ。粘液層に棲む細菌は、内腔の病原体が粘液層に定着しようとすると、化学的メッセージによって大腸細胞に警報を鳴らす。
共生生物の中には有益なあまり、それなしでは人間が病気になるものがある。病原体が免疫反応の引き金を引くことは昔から知られているが、共生生物が免疫系と相互に作用する――ときどきてはなく、常に――ことも今では明らかになっている。それどころが共生生物は免疫細胞に準備をさせ、訓練する上で、病原体と同じくらい大きな役割を果たしているようだ。ある意味で、その役割はいっそう重要である。と言うのは、共生生物は体内の炎症の全体的なレベルを調節する上で中心的な役割を果たしており、一方で炎症は人体のすべてか順調に動き続けるために必要であることを、マイクロバイオームの研究者は発見しつつあるからだ。(P187-188) 著者は、私たち人間は「微生物のまったくいない無菌の身体を持ったことは」なく、「微生物が免疫系のはたらきを助けていると考え」、微生物という「小さな仲間たちに十分な栄養と、すみかと、安全を与えつづけること」によってこそ、健康を維持することができると述べています。私たちの健康維持を考える上で、微生物レベルから見直すことが重要なようです。
人間が 微生物のまったくいない無菌の身体を持ったことはない。もしそんな状態が実現したとすれば不健康この上ないことになるだろう。人体内部に棲む微生物群集は、敵の撃退を助けることから、人間の健康維持に役立つ代謝副産物の供給まで、数知れぬ役割を果たしている。たとえば私たちは、神経系が正しく機能するために必要なビタミンB12、血液凝固と骨の健康に関係するビタミンKといった、健康に欠かせないビタミンを作る腸内細菌相に支配されている。だがそれらは、人間が生きるために必要な数ある分子や化合物の中の2つにすぎない。微生物は、私たちの血液中にある代謝産物[生物の代謝の副産物としてできる分子や化合物。動植物と共生する多くの微生物が作る代謝産物は、宿主の正常な成育と長期的な健康に不可欠である]の、3分の1までもを作りだしているのだ。
免疫系は微生物を殺すために進化したと、かつて私たちは考えていた。それが今では、微生物が免疫系のはたらきを助けていると考えられるようになっている。有益微生物が人間の健康にどのように影響するのか、細部とメカニズムはわかり始めたばかりだが、マイクロバイオームが混乱すれば、ちょっとした体調不良から深刻な病気まで、さまざまな影響が出ることははっきりしている。
つまり、私たち自身をみずからのマイクロバイオームの世話係として捉えなおし、小さな仲間たちに十分な栄養と、すみかと、安全を与えつづけることが必要なのだ。なぜなら彼らが元気なら、私たちも元気だからだ。それはただの自然の隠れた半分ではない。私たちの免疫系のもう一本の腕であり、腰かけの脚のように、どの一本が欠けても安定しないのだ。それでもなお医学界は、19世紀の微生物学の宣言書――細菌論―-に支配され、すべての微生物に今もおおむね敵対的な立場を取っている。(P196-197) 次に書かれていることは、既に「あなたの体は9割が細菌」でも指摘されていました。多くの人が知らないところで、とんでもないことが行われているのです。抗生物質の有効性だけでなく、その問題性をも考えた上での対応が求められています。しかも多くの場合がそのような問題を知らずに使っていることに、事態の深刻さがあります。
過去半世紀、抗生物質は常に過剰処方され、耐性菌の増加につながった。しかし、より深刻な抗生物質の乱用が現在進行中なのを、知る者は少ない――成長促進のために、健康な家畜に大量投与されているのだ。抗生物資を与えた動物は、与えないものより早く太る。全世界で使われる抗生物質のおよそ90%が、明らかな感染のない動物に与えられている。これは耐性菌を発生させるさらに効果的な方法であり、実際そのように働いている。
人間と動物に共通して感染する微生物のあいだに、抗生物質耐性が急速に広まれば、将来の世代は、一度は克服したと思われていた感染症に日常的にかかって死ぬ恐れが生じる。そのような未来が闇の中からはい戻ってくるなら、それは21世紀のわれわれが抱いている、現代医学は伝染病を今にも征服しようとしているという確信が、大きく後退したことを意味する。(P237) 「抗生物質の効果に関する最近の知見」として、「抗生物質が殺しているのは細菌だけではない」、「それは大腸内壁の細胞も壊しているのだ」と記述しています。「細胞一つひとつにある小さな発電所、ミトコンドリアにダメージを与える」というのです。私たちは抗生物質の濫用を厳に慎まなければならないようです。
抗生物質の効果に関する最近の知見は衝撃的だ。オレゴン州立大学の研究者は、マウスの実験で、抗生物質が殺しているのは細菌だけではないと報告した。それは大腸内壁の細胞も壊しているのだ。どのようにして抗生物質が哺乳類の細胞を殺すことができるのか? 細胞一つひとつにある小さな発電所、ミトコンドリアにダメージを与えるのだ。大昔、ミトコンドリアは独立した細菌だったことを思い出してほしい。ミトコンドリアのルーツか細菌であることが原因で、ある種の抗生物質に弱点があるらしいのだ。
過去50年で、病原体のない慢性疾患や自己免疫疾患が大幅に増えたことを、細菌諭では説明できない。ヒトの遺伝的特徴の変化も同様だ――遺伝子がわずか2世代でこれほど大きく、これほど多くの人間のあいだで変わるはずがない。だが、急激に変化しているのは、私たちのマイクロバイオームなのだ。微生物にとって、ヒトの1世代30年は75万世代以上に当たる。このよう世代会計に関して、人類がはるかにおよぶところではない。私たち一人ひとりの生命が、私たちの味方もいればそうでないものもいる微生物の、進化の競技場にあたるものなのだ。(P238) 上図は「大きな変化」と題する円グラフで、「20世紀のあいたに、アメリカでは死亡原因で慢性疾患は感染症を抜いた(Jones et al.2012のデータより)」(P239)と説明されています。微生物の世界を覗くことができるようになった今日、微生物の視点から病気や健康について考えるべき時期に来ていると言えるのではないでしょうか。
著者は、過去50年の病気の変化を「遺伝子のせいも多少あるかもしれないが、腸マイクロバイオームの変化の関与も大きくなっている」と見ています。腸機能障害や自己免疫疾患は、「少なくとも部分的には、免疫系がひどく故障した結果起きることがわかってきて」おり、その要因は現代人の生活スタイルにあると言及しています。
1960年代から70年代にかけて子ども時代を送った著者2人のどちらも、クラスメートや友達に、臨死体験を避けるために親や教師が過剰なまでに見張っていなればならないほど重症のアレルギーや喘息を持つ子がいた記憶はない。また。今日流行しているクローン病や過敏性賜症候群のような、よくある腸の機能障害も思い出せない。
過去50年に研究者が見てきたのは、腸機能障害のただの上昇傾向ではない。40倍の増加だ。患者が1万人に1人から250人に1人にまでなったのだ。私たちがこのような病気にかかりやすくなったのには、遺伝子のせいも多少あるかもしれないが、腸マイクロバイオームの変化の関与も大きくなっている。
腸機能障害と、喘息やアレルギーのような自己免疫疾患は、少なくとも部分的には、免疫系がひどく故障した結果起きることがわかってきている。こうした病気にはすべて、度を越した免疫反応が自分自身の細胞や組織を傷つけるという特徴的な症状がある。
どうして自分の免役系が自分に牙をむくのだろう。大きな要因は、進化によって研ぎ澄まされた私たちの優秀な免疫系が、極度に衰えたことにあると考えられるようになってきた。厳しいトレーニングと有益微生物の助けかなければ、特殊化された私たちの免疫細胞と組織は怠けるようになる、あるいはぼんやりしてしまうとも言えるだろう。来る日も来る日も、体内外が微生物で飽和することによって、さまざまなフィードバックループが活性化されたり鋭敏になったりし、免疫系は微生物が敵か見方かを見分けることを覚えるのだ。きれいすぎる環境条件、極度に殺菌された食物や水、抗生物質のくり返しの服用、土や自然との接触の少なさ、こういったことはすべて私たちにとって不利益となる。これらの要素は微生物と免疫系の伝達を妨害する。そうなると、炎症のバランスのよい割り当て(免疫系はそうするように進化している)は放棄されてしまう。(P240-241) 上図は「食物の経路」と題する挿絵で、「胃で分解された単純糖質、大部分の脂肪とタンパク質は小腸で吸収される。大腸内の細菌は複合糖質を発酵させる」(P258)と説明されています。
著者は、「大腸での発酵細菌の活躍」ぶりを「ゴミを黄金に」という言葉で示しています。大腸のはたらきを次のように書いています。最近、腸内フローラという言葉をよく耳にするようになり、腸内の微生物が注目されています。大腸内で作られる物質が脳にも作用し、大腸の役割の大きさが言われています。NHKテレビでも特集が組まれ、大腸への見直しが一般化しつつあるように思えます。
大腸は、消化できないものを溜めておくしか能のない、つまらないゴミ箱などではまったくない。それどころか。このあまり愛されることのない場所には、ヒト腸内の微生物相で優位を占める2つの門の発酵細菌――バクテロイデス門とフィルミクテス門――のおかけで、すばらしい化学物質が集まっているのだ。その代謝産物は短鎖脂肪酸(SCFA)と呼ばれる。薬効成分の宝庫だ。短鎖脂肪酸は究極のリサイクルだと考えられる――細菌は人間が消化できないものを食べて繁栄し、その廃棄物で今度は人間が成長するのだ。(P259) 「あなたの体は9割が細菌」で紹介されていた糞便微生物移植(FMT)の有効性が、この本でも紹介されています。このように農学も同様ですが、医学も微生物の世界から見直してみる必要があると言えるようです。
C・ディフィシル感染症を除去し、腸内細菌相を変える能力がFMTにあると証明されたことで、この技術を他の病気、たとえば自己免疫疾患、肥満、糖尿病、多発性硬化症などの治療に応用する可能性を探る新しい取り組みへの道が開かれた。手法はすでに進歩している。フリーズドライした便を経口カプセルに詰めるような新しい送達手段は、間違いなく普及率を高めるだろう。(P272) 微生物の視点から見る、摂り過ぎのタンパク質や脂肪の弊害について、著者は次のように記述しています。私たちは、タンパク質や脂肪の摂り過ぎに注意する必要があるようです。
要するに、「すべての食事に肉を」という西洋型の食事の哲学は、多すぎる半消化のタンパク質を、あってはならない場所へもたらしかねないのだ。そして、完全にはわかっていない理由により、消化されていない赤肉のタンパク質は、特に有害な副産物を生むらしい。たまに、あるいは低濃度なら、窒素や硫黄を含む化合物にさらされても大して問題はない。だが、タンパク質腐敗の細菌性副産物を慢性的に浴びた大腸細胞は、長年かけてひどく傷つけられる。これは、大腸がんが人生の後半に発生し、タンパク質の腐敗が起きる大腸の下部で主にできる理由の説明になるかもしれない。
ほかにも問題のある副産物が、大腸で作られている。脂肪をたくさん食べると、肝臓が刺激されて胆汁を生産し、小腸に届ける。人間には胆汁が欠かせない。それは洗剤のように作用して。脂肪を吸収できるように小さな分子に分解する。小腸で利用された胆汁はほとんどすべて、脂肪が十分分解されたあとで肝臓に送り返される。この「ほとんど」というのがくせ者だ。約5%の胆汁が腸管を下り続け、大腸に到達する。だから、脂肪をたくさん摂る人は脂肪を分解するために胆汁をたくさん分泌し、したがって大腸に届く胆汁も多くなる。だが、何がこの胆汁を捕らえて変質させるのか?
大腸細菌相だ。それが胆汁を二次胆汁酸というきわめて有害な化合物に変える。そして腐敗の副産物のように、二次胆汁酸は大腸内壁の細胞に毒性を持つ。それはDNAに損傷を与え、細胞の異常な成長を引き起こす。そして異常な細胞が現れると、腫瘍に変わる可能性が生まれる。(P277-279) 上図は「食事の重要性」と題する挿絵で、「食事が違えは、腸内細菌相への効果も違う。矢印の大きさは、消化管内に届く食品の栄養素や微生物が作る物質の、相対的な量を表わす。複合糖質に富む食事は、最高レベルの有益な微生物代謝物を生み出す」(P278)と説明されています。私たちは食事について微生物レベルで考えてみる必要がありそうです。
著者は、ほとんどの人にとっての健康な食事について、次のように述べています。
私たちの多くが飽き飽きしているのも無理もない。私たちの内なる雑食動物に何を食べさせるべきかは、たぶん重要なことだ。それはハイジが考えた皿のようになるだろう。仕組みはかなり単純だ。中ぐらいの大きさの皿を選び、野菜、豆、葉物野菜、果物、未精米の全粒穀物を使って食事を作る。好みで肉を加え、健康にいい油を少し野菜に垂らすか上に振りかける。デザートと甘いものは特別のものだ。だから特別の機会のために取っておこう。
もちろん、腸の機能異常、糖尿病、特定の食品へのアレルギーなどを持つ人には、食事への特別な配慮がなされる。しかしほとんどの人にとっては、健康な食事の鍵はバランスに多様性――そして精製炭水化物をはずすこと――といたってシンプルだ。(P281) 著者は、食事や運動の生活スタイルを変えることによって、健康が改善され体験を次のように記述しています。
初めての菜園を作ったことがきっかけで、私たちは食生活の改善を改める方向へと歩み出した。はじめ、私たちががんだのコレステロールだの何だのについて考えていなかった。しかし自家製の作物が山のようにできると、私たちは野菜を主菜として以前よりたくさん食べるようになった。そして庭で穫れるものを食べることが多くなったので、肉、チーズ、パンを食べる量が減り、戸棚のスナック類はほとんど食べなくなった。
しばらくして、食べものを変え、毎日往復4キロを歩いて通勤することにしたところ、私の健康状態は目に見えて改善された。以前、私には高血圧、高コレステロール、胃酸の逆流、慢性的な腸の問題があり、コレステロールの薬と、胃酸逆流の紫色の小さな丸薬を飲んでいた。主治医は、血圧の薬も飲んだほうがいいかもしれないとも言っていた。新しい食事法にしてから1年後、私の血圧とコレステロールは正常値の範囲内に低下した。胃酸の逆流も繰り返す突発的な下痢もなくなった。体重も大幅に、約11キロ減った。もうどんな薬もいらなくなり、食生活を変えて腸内の微生物の庭園を耕すことで、健康がこんなに改善されるのかと、私は今でも驚いている。(P282-283) 著者は、「土壌の健康とヒトの健康は根本でつながって」おり、このことは第二次世界大戦前に洞察されていたが、戦争のため関心は薄れ、戦後、進められた工業的農法の問題点を、次のように書いています。私たちは、土壌の健康の衰えに伴う、見た目ではわからない「カロリーは高いが栄養に乏しい食品」の実態について、もっと関心を持つ必要があるように思います。
土壌の健康とヒトの健康は根本でつながっているとするバルフォアとハワードの洞察は、第二次世界大戦の余波で二の次にされた。産業界は工場生産を戦車からトラクターへ、弾薬から肥料へ、毒ガスから殺虫剤や除草剤へと転換するのに忙しかった。手頃な値段で農薬と農業機械が普及し、主役の座につくにつれて、土壌の健康が土壌肥沃度に果たす役割への関心は薄れていった。
だが、軍需産業の一部が農化学産業となって急成長する一方、工業的農法によって栽培される食物の栄養価が低下していることに、科学者は懸念する声を上げていた。中でも遠慮なく発言していた一人、ミズーリ大学の農学者ウィリアム・アルブレヒトは、カロリーは高いが栄養に乏しい食品に依存する危険性を警告した。工業化された農業の下で土壌の健康は衰え、ヒトの健康もそのあとを追うとアルブレヒトは予見した。(P288) 13年間の研究により、「日常の耕作が土壌肥沃度を大幅に低下させるだろう」という「アルブレヒトの懸念」について、著者は次のように記述しています。微生物に対する考察によって、私たちは化学肥料の限界性を認識しなければならないように思います。
そして、有価物を畑に戻すことが肥沃度を保つ鍵であることの有力な証拠を、アルブレヒトは示した。ミズーリ州中部で行われた研究では、末開墾の草原と、60年間有機物を加えることなく収穫を続けてきた近隣のトウモロコシ畑とコムギ畑で、土壌有機物を比較した。浸食はわずかだったが、耕地からは未開墾地と比べて3分の1を超える土壌有機物が失われていた。同様に、連作によって植物が利用できる窒素は13年の研究期間に約3分の1減少した。この研究や他の研究から、アルブレヒトは不穏な結論を導き出した。何らかの方法で有機物を土壌に維持するか補充するかしなければ、日常の耕作が土壌肥沃度を大幅に低下させるだろう。
アルブレヒトの懸念を共にする者はほとんどいなかった。土壌有機物の減少はゆっくりと起き、アメリカの農地はまだ収益の上がる作物を生産していた。ならばどうして心配する必要があるだろう? さらに農家は、化学肥料が劣化した土地でたちまち収穫を上げてくれると思っていた。アルブレヒトはこれがゆがんだ動機づけに向かっていると考えた――肥沃度を支える土壌有機物の喪失を、農家はまんまと逃れ、それでもなお収穫高を増やすことが、ふんだんに施した安い化学肥料のおかげでできるのだ。少なくともしばらくは。(P289-290) 著者は、農業界にしろ医療界にしろ、従来の化学主導の考え方を改め、微生物レベルで見直すことの必要性を次のように主張しています。目に見えない世界についても、微生物を通じて捉え直すこと、つまり自然と共に暮らすことが、私たち人類がより幸せに生きていくために大切なことのように感じます。
土壌から植物への微量栄養素の移動を引き起こし、あるいはそれに影響する微生物群集を、慣行農業は直接的であれ間接的であれ変える。ほとんどの土壌ではミネラル豊富な作物が育つのに十分な濃度があるにもかかわらず、鉄と亜鉛の不足は、人間にきわめてよく見られる栄養欠乏の一つだ。多くの場合、鉄、亜鉛、その他の微量栄養素は別の元素、たとえば酸素と結合しやすく、比較的水に溶けにくい化合物を作っている。まわりの土の中にあっても、固定されていて植物には利用できない。ある種の微生物にはこうした元素を分離してやることができる。これが、見過ごされてきた疑問を近代農業に投げかける。私たちの農業慣行が、微生物界の港湾作業員をお払い箱にして、根圏のすぐ沖合にいる微量栄養素を積んだ貨物船を立ち往生させているとしたらどうだろう?
農業の主流にいる人々は誰も、この問題について心配していなかった。それどころか、1950年代初めには、農業用化学製品の普及により収穫量が大幅に向上し、作物に害を与えるさまざまな病原体が制圧されていた。こうした奇跡のような成果があったので。化学製品の使用量は増加した。ちょうど同じ時期、医療分野で抗生物質の使用量が増えたのと同じように。望みの結果をたちどころにもたらしでくれる化学物質の使用に、誰が異論を唱えられるだろう。(P296-297) 上図は「植物には食べ物が大切」と題する挿絵で、「有機物に富む土壌は、より多様で豊富な土壌生物の群集を支える。こうした群集は、微量栄養素を利用しやすくし、植物に有益な化合物を豊かにする」(P298)と説明されています。この挿絵は私たちに様々な示唆を与えてくれています。
化学農薬の害の有無は微生物レベルで考える必要があると、著者は除草剤グリホサートの場合を例に次のように述べている。私たちにはどちらの主張が正しいかの判別はできませんが、どちらがより自然と共に暮らすということに相応しいかで考えればいいのではないかと思っています。
殺生物剤(除草剤、殺菌剤、抗真菌剤、殺虫剤)の悪影響を指摘する研究に対して、農業化学製品のメーカーが猛烈に異議を唱えるのは驚くまでもない。生命の樹の大枝それぞれに1つの薬剤があるので、メーカーにとってはこの問題に多くがかっているのだ。たとえば、除草剤グリホサートの場合を考えてみたい。初期の段階の研究で、グリホサートは人体に対するめ直接毒性が低く、すぐに分解されるとされた。しかし最近の複数の研究で、グリホサートはやはりそれほど無害とは言えないかもしれないと、科学者は報告している。悪影響は急性毒性よりも微生物群集の攪乱によるものだと、研究者は結論している。こうした研究の中には、グリホサートが根圏微生物相に影響して、植物が取り込む栄養(リン、亜鉛、マグネシウムなど)を減らすことを証明した実験もある。また、グリホサートが家禽やウシの腸内生物相を変化させ、病原体が有益細菌を抑えて増殖しやすくすることもわかっている。こうした観点から、『フード・ケミストリー』誌に2014年に掲載された、市場に出回っているダイズにかなりの濃度のグリホサー卜が残留していることを報告する論文は、世界でもっとも売れている除草剤に対する疑問を間違いなく深めるだろう。(P302) 「微生物肥料の商品化」に将来性があり、「土壌有機物――長い時を経て証明された、土壌をいつまでも肥沃に保つ天然の基礎――の再生に重点を置くことが、私たちの子孫のためになるだろう」と、著者は主張しています。安全安心な食を得るために、「微生物肥料の商品化」に期待したいところです。
微生物の生態を利用して土壌と作物の健康を増進し収穫を高めることには、現実の見込みがありそうだが、土壌肥沃度の生物学的基礎が認められるには依然手ごわい障壁が存在する。なにしろ、現代の農業慣行は1世紀半におよぶ化学を中心とした理論と実践にこり固まっているのだ。また現場レベルでも、微生物生態への私たちの理解がまだ未熟であるという限界がある。だが、それは変わりつつある――それも急速に、微生物肥料の商品化か増えているのは、すでに従来の化学肥料とコスト競争力があり、より多くとまでは行かなくても、同等の収穫を生む手法があることの反映だ。化学肥料は間違いなく、将来にわたって商業的農業には欠かすことかできないだろう。しかし、その使いすぎを減らしていき、土壌有機物――長い時を経て証明された、土壌をいつまでも肥沃に保つ天然の基礎――の再生に重点を置くことが、私たちの子孫のためになるだろう。(P308-309) 著者は、本書のまとめを次のように記述しています。著者は、「はじめに」で「現代の科学業界用語は、大部分があきれるほど退屈きわまりない」と指摘しており、一般の者でも分かりやすいように書いてくれています。
微生物が土壌の健康と人間の健康の両方に果たす、きわめて重要な役割の類似が明らかになった今、私たちの世界を見る目は変わらずにはいられない。足元にある隠された自然の半分を見ることは依然できないが、それが日々の庭で目にする生命と美の根本であることを、私たちは知った。そして私たち一人ひとりは数十兆の仲間たちの一員であることを知り、自分自身への見方も変わっている。
まわりの動物、植物、景観は、自然という氷山の目に見える一角にすぎないことを実感して、私たちは畏敬の念を抱き、微生物の不思議な世界が土壌を肥沃にし、食べ物を栄養豊かにしていることに感謝するようになった。ほとんどの微生物は有害であり、免疫系や抗生物質によって制圧すべき敵だと私たちは思ってきた。しかし微生物群集は、私たち自身の代謝の主要な部分と一体となっている。私たちは土壌(体内のものにせよ体外のものにせよ、よくも悪くも)に与えたものの産物を収穫していることを知れば視野が広がり、土壌中あるいは人体内にも有益な微生物を増やすことの、農業や医療における計り知れない価値がはっきりする。
優に1世紀以上、人類は見えない隣人を脅威と見てきた。土壌生物をまず農業害虫と考え、そして細菌論のレンズを通して、微生物を死と病気を運ぶものという型にはめた。この視点から生まれた解決策――害虫を一掃するための農薬と病原体を殺すための抗生物質――は、われわれの慣習に定着した。悪い微生物を殺すことに熱中するあまり、居あわせた害のない微生物への付随被害を、私たちはあまり気にしてこなかった。もっとも、自分たち自身への影響は見え始めている。
さまざまな殺生物剤を農地にまき散らせば、一時的に農業害虫を抑えられるかもしれないが、長期的には害虫が逆襲してくる。ここ数十年の抗生物質の多用と完全に傾向が同じだ。それは抗生物質耐性菌を生み、今や防衛手段にない菌の数が増えている。問題を解決する代わりに、持久力に乏しい解決手段への依存症に私たちはなってしまったのだ。庭や農地や人間に広範囲に効く殺生物剤を浴びせることは、園芸家、農家、医師にとってもはや習慣的な解決策であってはならない。
こうしたことが意味するものは何か。土壌肥沃度と人間の免疫系――すべての人にとって決定的に重要な2つ――のはたらきは、私たちが思っていたのとは違うということだ。根圏の有益な微生物群集が乏しい植物は、自分を守り私たちの栄養となるフィトケミカル[植物が作りだす物質で微生物との情報伝達を含め、防御と健康にかかわる幅広い機能を持つ]の製造を手控える。特に私たち自身の健康に関係するのは、懸命に殺そうとしてきた微生物のほとんどが、実は人間にとって必要なものだったことだ。そしてマイクロバイオームを、特に子どものうちに混乱させることが、現代病の根本的原因として考えられるようになってきた。これは害虫や病原体と戦ってはいけないということではない。私たちが頼るようになった手段には、隠れたコストがあるということなのだ。(P313-314)「闘う微生物」や「土と内臓」を読んで、どのようなことを考えた 最後に、これらの本を読んで感じたことを書いて終わりたいと思います。
「身土不二」という言葉があります。昔の人はすごいなと、今さらのように感じています。微生物レベルで考えると、人間の体と土壌は一体だったのです。「身土不二」の「土」には単に土壌といった意味だけではなく、地域・風土といった意味合いもあります。よく言われる地域でできる食物を摂ることで、その地域で健康に生活できるということなのだと考えます。
それはつまり自然と共に暮らすことではないかと思っています。人間は自然の一部であることを強く意識することが、様々な問題を考える上での大前提となるのではないでしょうか。それは同時に、微生物レベルで考え直すことでもあるように思います。
これらの本を読んで強く思った具体的なことは、抗生物質の濫用と糞便微生物移植(FMT)の普及です。感染症から人間を救うための抗生物質の使用はやむを得ないにしても、お金儲けのための抗生物質の濫用は直ちにやめてほしいと思います。その一方で、糞便微生物移植は、難病の治療にも有効性があると言われています。その研究と普及を多くの患者さんが待っていらっしゃるのではと思います。
私たちが気のつかないうちに、どんどん進行をしていることも多く、いろんな事柄に関心を持つことが必要なようです。その意味からも「土と内臓」はぜひ読んでほしいなと思っています。
微生物の世界を理解すると色んなことが見えてくると思っています。例えば、現代病と言われている慢性疾患や自己免疫疾患への対処法に、見通しを見出すことができるのではと考えています。また慣行農法の問題点を明らかにすることができ、食として有機農業・自然農法による農産物でなければならない理由が見えてくると思っています。微生物の世界を見ないものにする旧来の考え方にどっぷり浸かった今日の時代にあって、微生物の世界を知ってしまった私たちに何ができるのでしょう。感染症にかった時、必要最低限の範囲内で抗生物質を処方してもらうようにすることがあります。また現実には難しいことですが、不必要な抗生物質で飼育された肉や魚をできる限り食べないようにすることがあります。さらに有機農業・自然農法による農産物をできる限り食卓に並べるようにすることもあります。これらのことは現実にはとても難しいことですが、自分や自分の家族のためにも努力することが大切だと考えています。
微生物レベルで考えることが一般的な時代になるためには、コペルニクス的転回が必要です。天動説が地動説に変わるために、多くの犠牲と長い時間が伴ったように、様々な犠牲と長い時間が必要なのだと思います。天動説や地動説を持ち出すのは大げさだと思われた方もいらっしゃるとは思いますが、微生物レベルで考えるということは、それほど大きな転換なのです。そして、必ずやそのような時代がやって来ると信じています。それほど微生物の魅力に取りつかれているのです。
長い間お付き合いくださり、ありがとうございました。