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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

子どもと本をむすぶ活動をしています


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中井智彦 ピアノ弾き語り「今宵・・・中也を語る。」 @ 周防四宮 赤田神社 秋まつり前夜祭 [2019年09月30日(Mon)]
10月19日(土)、周防四宮 赤田神社秋まつり前夜祭の奉納舞台で、中井智彦 ピアノ弾き語り「今宵・・・中也を語る。」がありますぴかぴか(新しい)

赤田神社秋まつり前夜祭 中井智彦20191019.jpg

るんるん日にちるんるん 2019年10月19日(土)
るんるん場所るんるん 赤田神社
      山口市吉敷赤田5-3-1 電話083-902-9596
るんるん演奏予定曲るんるん
  「荒城の月」
  「サーカス」 詩人 中原中也の世界「在りし日の歌」より
  「幻影」 詩人 中原中也の世界「在りし日の歌」より
  「見果てぬ夢」 ミュージカル「ラ・マンチャの男」より


  幻影

私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、
それは、紗(しや)の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びてゐるのでした。

ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あわれげな 思ひをさせるばつかりでした。

手真似につれては、唇(くち)も動かしてゐるのでしたが、
古い影絵でも見てゐるやう――
音はちつともしないのですし、
何を云つてるのかは 分りませんでした。

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。



赤田神社秋まつり2019.jpg

ミュージック前夜祭では神社の岩山をライトアップし、その前に仮設の舞台を組んで夜神楽をはじめ歌舞の奉納を行います。
舞台に先立ち、ロウソクに灯りを燈して境内を飾る「献灯行事」を行います。

かわいい献灯行事かわいい 17:00
 紙コップに願い事を書いてロウソクに点灯し前夜祭の境内を飾ります。どなたでも参加可。
 あなたも願い事を書いて神様に届けませんか。参加ご希望の方は16:30に会場へ。

かわいい前夜祭(神事)かわいい 18:00
 大祭前夜の神事を行います。併せてお神輿に神様の御分霊をお遷しします。

かわいい奉納舞台かわいい 19:00

8B8BDDBF-4A5C-4B41-9294-8F065092FE7E.jpeg

ー(長音記号1)プログラムー(長音記号1)
るんるん神楽舞「塩祓」 / 土居神楽舞保存会
るんるん混声合唱 / コーラスyui 「切手のないおくりもの」「今日もひとつ」
るんるんキッズダンス
るんるん和太鼓演奏 / 子供鳳翩太鼓
るんるんピアノ演奏 / 神木涼
るんるんフォークソング / ハルモニア
るんるんバイオリンとピアノ演奏 / SOY 「亡き女王のためのパヴァーヌ」「 情熱大陸」
るんるんピアノ弾き語り/ 中井智彦
るんるん神楽舞「鍾馗」/ 土居神楽舞保存会


かわいい中井智彦かわいい
1983年生まれ、神奈川県出身。東京藝術大学卒。卒業時に同声会賞を受賞。2007年ミュージカル「レ・ミゼラブル」でデビュー。2010年から5年間、劇団四季に所属。「美女と野獣」(野獣役)と「オペラ座の怪人」(ラウル役)はそれぞれ約500ステージをつとめる。
四季財団中、図書館で偶然手にした「中原中也全集」に深く感銘を受け、中也の詩にメロディをつけた楽曲の制作を始める。四季退団後に、中也の感じた芸術を表現者として形にしようと、本格的に舞台の制作を開始。2016年7月自ら企画・構成・演出・作曲を手がける独り舞台「詩人・中原中也の世界」を発表。翌年「山口きずな音楽祭VOL.9 中也を歌う」(山口市民会館)に出演。
艶のあるバリトンボイスを持ち味に、圧倒的な表現力と歌唱力で、ミュージカルやライブを中心に活動中。現在はミュージカル・舞台に加え、制作・コンサート活動も精力的に行う。サラブライトマン日本ツアーにバックコーラスとして参加。テレビ東京系「THEカラオケ★バトル」出演。
CDは1stCD「私の歌を聴いてくれ」(サウンドプロデュース:シングライクトーキング西村智彦)、CD&BOOK「詩人・中原中也の世界ー在りし日の歌ー」、ライブ録音CD「愛せぬならば」「ひそかな夢」「見果てぬ夢」「魅惑の宵」がある。

原稿用紙 @ 富永太郎と中原中也展C [2019年09月29日(Sun)]
【前回より続く】

太郎の詩と中也の詩は、それを観察するに、業念などに相似的な世界のものがあります。そもそも、何か「同じ匂いがする」と思ったら、原稿用紙が同じものが多かったのでしたぴかぴか(新しい)

展示されている太郎の原稿の多くが、「東京 文房堂製」と銘の入った原稿用紙揺れるハート
文房堂原稿用紙@.gif

B4くらいで赤茶色の枠線です。それも、20行×25文字の500字詰めかわいい

文房堂は「ぶんぽうどう」と読み、約130年の歴史の中で、原稿用紙や大学ノート、五線紙などの商品は一番最初の文房具店の時からあったそうです。

文房堂は明治20年に創業し、輸入文具や画材を販売していましたが、程なく、オリジナルの文具を製造販売するようになりました。品質にこだわりぬいた文房堂の原稿用紙は、明治、大正、昭和にかけて多くの人々に愛されました。
文房堂では、明治から昭和初期にかけて、さまざまなタイプの原稿用紙を製造、販売しておりました。特に、500字詰め原稿用紙を製造していた会社は日本で2社しかなく、大変めずらしいものです。
文房堂HPより)

池田治朗吉が明治20(1887)年に創業。合名会社として四代目まで代々治朗吉を襲名していく。輸入文具の取扱をメインに行っていたが、文房堂オリジナル商品の開発・販売も開始。また福沢諭吉に西洋美術の輸入販売を勧められ、文房具だけでなく美術用品の品揃えも豊富となった。明治39年に現在の千代田区神田神保町に店舗を新築。大正11年 現在の社屋(外壁)完成。当時では珍しい鉄筋造りであったおかげで震災や戦火をくぐりぬけた社屋は、レンガ造りの外観をそのまま残し、背面の建物を建て替える特殊工法で現在まで保存されている。中也が訪れていた大正から昭和にかけて文房堂には、たくさんの文士や画家を目指す学生が足を運んで文具や画材を買い求めた。(『第15回中野区ゆかりの著作者紹介展示 中也と中野と中央線』(中野区立中央図書館 2019.3))

 中原が使った原稿用紙には右の罫線のゆがみ、こわれなどを計算に入れて分類すると、六十種類ある。一番多いのは25×10×2の五百字詰の文房堂製である。
これは神田駿河台下にいまでもある画材店で、明治四十二、三年頃から、原稿用紙を作り出した。日本橋の丸善、本郷の松屋、新宿の甲州屋と並んで、昭和初期、最も人気のあった原稿用紙である。
 中原が使ったので一番古いのは、大正十三年十一月頃の24×10×2の四百八十字詰という特殊な型である。同じ頃富永太郎も使っており、当時二人は京都にいたから多分文房堂の京都代理店「画箋堂」で買ったのであろうと思う。

(『群衆』四月号(第24巻第4号 1969.4 講談社)「再説・原稿用紙」(大岡昇平))(『大岡昇平全集18』(筑摩書房 1995.1)「再説・原稿用紙」P460引用)

(略)ここの原稿用紙も丸善製のように百枚ひと組みであったが、印刷はアズキ色で明るい上に、色が薄い。最初は「子持ち」罫で囲んでいたが、次第に点線が一本入っているだけになる。区切り線も点線で、全体として枡目の束縛をより感じさせないようにできていた。
 これを小林秀雄、中原中也に紹介したのは、富永太郎であった、と私は指定している。現在私の手許には小林秀雄の初期手稿と富永太郎の遺構がある。富永は最初は丸善聖を使っているが、大正十二年十一月末の「熱情的なフーガ」から文房聖を使いはじめ、それは二年後の死まで変わらない。(略)
 中原中也は大正十三年十一月の散文「耕二のこと:、戯曲「夢」から文房堂に入っている。(略)
 当時は四百字詰は一般的ではなく、むしろ25×24の六百字詰或いは25×20の五百字詰が優勢であった。四百字詰は小説家のもので、論文は六百字詰を使ったと思われる。(略)
 富永、中原のような詩人は五百字を多く使っている。詩は上を二、三字空けて書くから、下に余裕がある方が坐りがいいからであろう。たまに四百字詰の使用例があるのは、気分転換のためだったろう。
 中原は大正十四年には四百字詰小型を使っているが、大正十五年から五百字詰が安定して来る。

(『文芸』新年特大号(第8巻第1号 河出書房新社 1969.1)「原稿用紙」(大岡昇平) )(『大岡昇平全集18』(筑摩書房 1995.1)「原稿用紙」P454〜456引用)

原稿用紙は、字数、寸法、余白の幅、枠線の色など商品によって様々な違いがあります。

そこで、今回展示してある文房堂製の原稿用紙に限ってですが、分類してみました。
※「東京 文房堂製」と入った活字のポイントの違いや位置な微妙な違いもあるのですが、それは、今回は区別していません。

(1)500字詰
@「人工天国」(大正12年5月29日推定)
 「COLLOQUE MOQUEUR」(大正12年4月)
マス目の周りの線が上と右縦のみ。
ノンブル用のかっこが左上にある。
下に「10×25」と入っている。
「東京 文房堂製」の銘。
0413814E-1310-49E8-9EC6-97FCD0775856.jpeg「人工天国」 E2732AA0-FA6E-42AD-BBF4-E580FB658475.jpeg「COLLOQUE MOQUEUR」

A「俯瞰景」
マス目の周りの線が上と右縦と下の3か所。
下に「10ー25」と入っている。
「(東京 文房堂製)」と銘にかっこがついている。

B「河上に呈する詩論」(中原中也)(昭和4年6月27日)
 「小詩論――小林秀雄に」(中原中也)(昭和2年初頭)
 「詩的履歴書」(中原中也)(昭和11年8月推定)
 「朝の歌」(中原中也)
マス目の周りの線が上と右縦と下の3か所。
下に「10ー25」と入っている。
「東京 文房堂製」と銘。
33DEE505-D5A1-451F-BB1C-2B5D7C04BA2B.jpeg「小詩論」 B4F2115B-02D6-47C1-98ED-33A8FB9E30A2.jpeg「詩的履歴書」 5D906337-8754-417E-BBBB-48D3E0E3DB59.jpeg「朝の歌」

こちらは、復刻して販売されています。
以前、中原中也記念館でも販売されていたので、すぐにGETし、文房具オタクで原稿用紙マニアの友人にプレゼントしましたわーい(嬉しい顔)
(お返しは、司馬遼太郎の原稿用紙でしたかわいい
文房堂原稿用紙B.gif

(2)480字詰(24字×20行)
「遺産分配書」(大正14年2月)
「鳥獣剥製所」(大正14年(推定))
「正岡忠三郎宛書簡」(大正14年1月15日付)(宮沢賢治の詩を同封)
「詩三篇 無題(富倉次郎に)」
周りに太罫の四角の囲み(子持ち罫)。
真ん中に魚尾あり。
「(東京 文房堂製)」と銘にかっこがついている。
AF751B08-DABC-412A-94D3-1329FC36139B.jpeg「遺産分配書」 71EF72AA-5F6D-424E-8945-528EE9D96F46.jpeg「鳥獣剥製所」 73346035-0ABA-4C40-9F44-1009D895424B.jpeg「正岡忠三郎宛書簡」

(3)400字詰(20字×20行)
「ランボオへ」(富永太郎/作 中原中也/筆)(大正14年11月下旬筆)
マス目の周りの線が上と右縦と下の3か所。
下に「10ー20」と入っている。
「東京 文房堂製」と銘。
962BE5BD-2AE8-4D90-8B68-C651F4B07C0A.jpeg「ランボオへ」

(4)一回り小さいA4サイズくらいの400字詰(20字×20行)
@「秋の愁嘆」(中原中也)(大正14年10月7日)
周りに太罫の四角の囲み(子持ち罫)。
真ん中に魚尾あり。
「(東京 文房堂製)」と銘にかっこがついている。
2213B5FD-E4A8-4DA5-9DAE-5FC16F1B949D.jpeg

A「或る心の一季節」(中原中也)(大正14年春推定)
周りに太罫の四角の囲み(子持ち罫)。
真ん中に魚尾あり。
「(東京 文房堂製)G」とある。
DA19E9E6-229F-409A-A0D7-8842CC73E030.jpeg


太郎の自筆原稿を観る機会は今後余りないかもしれませんが、中也の原稿については、原稿用紙という観点でも今後も観察を続けたい、と思っています。
夜、うつくしい魂は涕いて @ 劇団ジャンク派幻燈ファンタジー [2019年09月28日(Sat)]
9月29日(日)、劇団ジャンク派の東京公演 幻燈ファンタジー「夜、うつくしい魂は涕いて」が自由学園明日館 講堂で上演されますぴかぴか(新しい)

夜、うつくしい魂はないて.jpg 夜、うつくしい魂はないて 裏.jpg

「やさしかった中也さん。
 ワタシは自分の人生を生きたわ。
 後悔はしてないの……」

魂の詩人 中原中也の儚くも純真な一生を叙情豊かに描く舞台。
音楽は全編生演奏。
2部には心踊る魅惑のショータイムを展開。

るんるん日時るんるん 2019年9月29日(日)14:00〜16:00
るんるんタイムテーブルるんるん
  13:15 開場
  14:00 プロローグ(前芝居)スタート
  14:15 芝居 本編 開幕
  15:00 休憩
  15:15 2部 モダーン・ショー 開幕
  16:00 終演 予定
   ※上演時間 約2時間0分(休憩含む)を予定
   ※プロローグ(前芝居)が定刻にスタート
るんるん場所るんるん 自由学園明日館 講堂
      豊島区西池袋2-31-3 電話03-3971-7535     
      JR池袋駅西口・メトロポリタン口より徒歩5分、JR目白駅より徒歩7分
るんるん演目るんるん 1部 中原中也ラプソディ  2部 モダーン・ショー
るんるん出演るんるん チェン・スウリー、中村ナツ子
 【音楽】田村佳乃子、田中希実
 【ダンス】新谷優采、杣津妃南、宮内心春
るんるん脚本るんるん チェン・スウリー
るんるん演出るんるん チェン・スウリー
るんるんスタッフるんるん
 【ダンス指導】安田有佐(こいね会舞踊学院)
 【宣伝美術】鈴木仁々
 【照明】清恋
 【音響】村上真理(劇団コックピット)
 【木戸】桶山愛子、済陽大介
るんるん料金るんるん 前売 一般 2,500円/学割 1,500円(当日はそれぞれ500円増)※全席自由席
るんるん前売券販売所るんるん
  コクテイル書房(高円寺)電話03-3310-8130
  高品質珈琲と名曲 私の隠れ家(四谷三丁目)電話090-5783-4680
  純手打ちうどん 町田タロー庵(町田)電話050-5891-8158
  バサラ・ブックス(吉祥寺)電話0422-47-3764
  カンフェティ電話予約 フリーダイヤル0120-240-540(平日10:00〜18:00)
   ※電話予約してセブンイレブンで受取
  メールにて gekidan.junk.ha@gmail.com (振込先を案内)
るんるん特別協賛るんるん 湯田温泉旅館協同組合
るんるん協賛るんるん 本多屋 / 福の花
るんるん後援るんるん 中原中也記念館、山頭火ふるさと館、金子みすゞ記念館


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


30歳で夭折し、今なお広く愛され続ける詩人 中原中也。
生涯の恋人 長谷川泰子との間のエピソードを中心に、苦悩に満ちた繊細な一生を描く。

今年3月に中也の郷里 山口で初演し好評を博した舞台の東京公演!
東京公演では、ご当地で活躍中の女優 中村ナツ子を客演として迎え新たな境地を切り拓きます。

エレクトーン、バイオリンの生演奏による迫力ある音楽と、趣向を凝らしたショータイムにも、注目。


公演を記念してプレイベントを開催!(9月より)
 高品質珈琲と名曲 私の隠れ家(四谷三丁目)にて中也をイメージした絵のグループ展
 コクテイル書房(高円寺)にて中原中也や小林秀雄にちなんだ飲食メニューを提供等
 
当日、会場にて
 中也のふるさと山口市 湯田温泉のパネル展示
 中也の愛した郷里 山口の名産品・菓子、その他、中也関連のグッズの販売
本のソムリエ 清水克衛 特別講演 @ 厚狭・宇部・小野田・萩ビブリオバトルチャンプ本大会 5周年記念イベント [2019年09月27日(Fri)]
10月13日(日)に 宇部市立図書館厚狭・宇部・小野田・萩ビブリオバトルチャンプ本大会 5周年記念イベントとして「本のソムリエ 清水克衛 特別講演」が開催されますぴかぴか(新しい)

本のソムリエ清水克衛講演会.png

「本のソムリエ」ともよばれ、「読書嫌い」も「読書マニア」にしてしまう清水克衛さんのお話を伺う講演会です。

るんるん日時るんるん 2019年10月13日(土)15:00〜16:30
るんるん場所るんるん 宇部市立図書館 2F 講座室
      宇部市琴芝町一丁目1番33号
るんるん講師るんるん 清水克衛(書店「読書のすすめ」代表・NPO法人読書普及協会顧問)
るんるん定員るんるん 80名
るんるん会費るんるん 前売1500円 当日3000円 大学生以下無料
  ※ビブリオバトルチャンプ本大会を最後まで参戦&観戦の方は無料
るんるん前売申込締切るんるん 10月6日(日) ※支払は当日
るんるん問合・申込るんるん 宇部市立図書館 
      電話0836-31-4111 mail tolibrary@city.ube.yamaguchi.jp.
るんるん主催るんるん 宇部市立図書館
るんるん共催るんるん NPO法人 読書普及協会 チーム山口

かわいい清水克衛(しみずかつよし)かわいい
書店「読書のすすめ」代表。NPO法人読書普及協会顧問。東京生まれ。
大学卒業後、大手コンビニエンスストアの店長を10年間つとめた後、1995年に書店「読書のすすめ」を東京都江戸川区・篠崎にて開業。立地の悪さを顔晴るバネにし、汗と智恵を出しきって商いを続けた結果、全国からお客さまが押し寄せる繁盛書店となる。
「読書のすすめ」の売れ筋本から、全国でのベストセラー本が生まれる現象が続出、出版流通業界内で熱い注目を浴び続けている。
2003年にはNPO法人「読書普及協会」を設立。
本との出会い、人との出会い、出来事との出会いを提供しながら「良質な御縁から生まれる成幸の法則」についての講演活動を続けている。


かわいい第5回 厚狭・宇部・小野田・萩ビブリオバトルチャンプ本大会かわいい
第5回ビブリオバトルチャンプ大会.png

るんるん日時るんるん 2019年10月13日(日)13:00〜15:00
るんるん場所るんるん 宇部市立図書館 2F 講座室
      宇部市琴芝町一丁目1番33号
るんるん内容るんるん それぞれの地区でのチャンプ本が集合
るんるん定員るんるん 観戦者80名(要申込)
るんるん参加費るんるん 無料
るんるん申込必須事項るんるん 氏名、電話番号
るんるん問合・申込るんるん 宇部市立図書館 
      電話0836-31-4111 mail tolibrary@city.ube.yamaguchi.jp.
るんるん主催るんるん 宇部市立図書館
るんるん共催るんるん NPO法人 読書普及協会 チーム山口
ランボーと泡鳴と『春と修羅』 @ 富永太郎と中原中也展B [2019年09月26日(Thu)]
【前回の続き】

次のケースは、大正13年10月2日付村井康男宛書簡
中也とフランス大家新作画展覧会を観た感想を報告しています。
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 中央美術主催の仏展を見た。
 見るべきものはローランサンとブラックだけ。(略)
 ローランサン“Amies”にはすっかり参ってしまった。(略)
 会場を出てから 一緒に行ったダゞイスト(略)が、ポケットから今月の「青銅時代」を出して、(略)
 Symbol is a symbol (略)
といふアミエルの句を出して見せて
「ローランサンの絵を見て、それからこの句を読むと全く安心しますね。」と言った。
(略)


隣には、忠三郎の「日記帖6」(1924(大正13)年9月15日〜1925(大正14)年7月8日)が展示されています。
忠三郎は、太郎や中也の交友の様子を詳細に日記に綴っています。


次のケースには、前期は、中也の「創作ノート1924」の上田敏訳・ランボー「酔いどれ船」(『上田敏詩集』(玄文社 1923(大正12))を筆写した頁が展示されていました。
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これは 1924(大正13)年の秋に筆写されたと考えられ、11連で終わっています。

太郎の「詩帖1」にはこの原詩「Bateau ivre」全25連のうち12連目まで転記されています。(※「詩帖1」の展示は表紙のみ)
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それに呼応して、中原中也訳・ランボー『ランボー詩集』(野田書房 1937(昭和12).9.15)が展示してありました。
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前期に展示してあった、大正12年6月13日付正岡忠三郎宛書簡には、次のようにありました。

 近頃「表象派の文学運動」の序文からだんだん岩野泡鳴にひきつけられてゐる。(略)
  
それに呼応して、岩野泡鳴訳・シモンズ『表象派の文学運動』(新潮社 1913(大正2).10.28)が展示してありました。
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当時余り知られていなかった宮沢賢治『春と修羅』(関根書店 1924(大正13).4)をダダイストの辻潤が「読売新聞」で評価した記事を、太郎は切り抜いてとっておいたそうです。
春と修羅.jpg

そして、太郎は「詩帖1」に「原体剣舞連」を筆写しました。(※「詩帖1」の展示は表紙のみ)(※この詩について展覧会では言及されていませんでした)

  原体剣舞連
    (mental sketch modified)


   dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こんや異装《いさう》のげん月のした
鶏《とり》の黒尾を頭巾《づきん》にかざり
片刃《かたは》の太刀をひらめかす
原体《はらたい》村の舞手《おどりこ》たちよ
鴇《とき》いろのはるの樹液《じゅえき》を
アルペン農の辛酸《しんさん》に投げ
生《せい》しののめの草いろの火を
高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹《まだ》皮《かわ》と縄とをまとふ
気圏の戦士わが朋《とも》たちよ
青らみわたる気《かうき》をふかみ
楢と掬《ぶな》とのうれひをあつめ
蛇紋山地《じゃもんさんち》に篝《かゞり》をかかげ
ひのきの髪をうちゆすり
まるめろの匂のそらに
あたらしい星雲を燃せ
   dah-dah-sko-dah-dah
肌膚《きふ》を腐植と土にけづらせ
筋骨はつめたい炭酸に粗《あら》び
月月《つきづき》に日光と風とを焦慮し
敬虔に年を累《かさ》ねた師父《しふ》たちよ
こんや銀河と森とのまつり
准《じゅん》平原の天末線《てんまつせん》に
さらにも強く鼓を鳴らし
うす月の雲をどよませ
  Ho! Ho! Ho!
     むかし達谷《たった》の悪路王《あくろわう》
     まっくらくらの二里の洞
     わたるは夢と黒夜神《こくやじん》
     首は刻まれ漬けられ
アンドロメダもかゞりにゆすれ
     青い仮面《めん》このこけおどし
     太刀を浴びてはいっぷかぷ
     夜風の底の蜘蛛《くも》おどり
     胃袋はいてぎったぎた
  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
さらにただしく刃《やいば》を合《あ》わせ
霹靂《へきれき》の青火をくだし
四方《しほう》の夜《よる》の鬼神《きじん》をまねき
樹液《じゅえき》もふるふこの夜《よ》さひとよ
赤ひたたれを地にひるがへし
雹雲《ひゃううん》と風とをまつれ
  dah-dah-dah-dahh
夜風《よかぜ》とどろきひのきはみだれ
月は射《ゐ》そそぐ銀の矢並
打つも果《は》てるも火花のいのち
太刀の軋《きし》りの消えぬひま
  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
太刀は稲妻《いなづま》萱穂《かやほ》のさやぎ
獅子の星座《せいざ》に散る火の雨の
消えてあとない天《あま》のがはら
打つも果てるもひとつのいのち
  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah



展示してある大正14年1月15日付正岡忠三郎宛書簡には、次のようにあります。
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 近頃発見した面白い詩をお目にかける。
 これは 宮沢賢治といふ人の「春と修羅」といふ詩集の中にある。その中のすべてがこれほどの傑作だといふわけではないが、近頃大へん立派な詩集だと思ってゐる。


そして、「蠕虫舞手《アンネリダタンツエーリン》」が転写されています。

(えゝ 水ゾルですよ
  おぼろな寒天《アガア》の液ですよ)
日は黄金《きん》の薔薇
赤いちひさな蠕虫《ぜんちゆう》が
水とひかりをからだにまとひ
ひとりでをどりをやつてゐる
 (えゝ 8《エイト》 γ《ガムマア》 e《イー》 6《スイツクス》 α《アルフア》
  ことにもアラベスクの飾り文字)
羽むしの死骸
いちゐのかれ葉
真珠の泡に
ちぎれたこけの花軸など
 (ナチラナトラのひいさまは
  いまみづ底のみかげのうへに
  黄いろなかげとおふたりで
  せつかくをどつてゐられます
  いゝえ けれども すぐでせう
  まもなく浮いておいででせう)
赤い蠕虫舞手《アンネリダタンツエーリン》は
とがつた二つの耳をもち
燐光珊瑚の環節に
正しく飾る真珠のぼたん
くるりくるりと廻つてゐます
 (えゝ 8《エイト》 γ《ガムマア》 e《イー》 6《スイツクス》 α《アルフア》
  ことにもアラベスクの飾り文字)
背中きらきら燦《かがや》いて
ちからいつぱいまはりはするが
真珠もじつはまがひもの
ガラスどころか空気だま
 (いゝえ それでも
  エイト ガムマア イー スイツクス アルフア
  ことにもアラベスクの飾り文字)
水晶体や鞏膜《きようまく》の
オペラグラスにのぞかれて
をどつてゐるといはれても
真珠の泡を苦にするのなら
おまへもさつぱりらくぢやない
   それに日が雲に入つたし
   わたしは石に座つてしびれが切れたし
   水底の黒い木片は毛虫か海鼠《なまこ》のやうだしさ
   それに第一おまへのかたちは見えないし
   ほんとに溶けてしまつたのやら
それともみんなはじめから
おぼろに青い夢だやら
 (いゝえ あすこにおいでです おいでです
  ひいさま いらつしやいます
  8《エイト》 γ《ガムマア》 e《イー》 6《スイツクス》 α《アルフア》
  ことにもアラベスクの飾り文字)
ふん 水はおぼろで
ひかりは惑ひ
虫は エイト ガムマア イー スイツクス アルフア
   ことにもアラベスクの飾り文字かい
   ハツハツハ
 (はい まつたくそれにちがひません
   エイト ガムマア イー スイツクス アルフア
   ことにもアラベスクの飾り文字)

    (一九二二、五、二〇)
 


後に、中也は『春と修羅』を何冊も買い込んで友人たちに配っていました。

 宮沢賢治全集第一回配本が出た。死んだ宮沢は、自分が死ねば全集が出ると、果して予測してゐたであらうか。
 私にはこれら彼の作品が、大正十三年頃、つまり「春と修羅」が出た頃に認められなかつたといふことは、むしろ不思議である。私がこの本を初めて知つたのは大正十四年の暮であつたかその翌年の初めであつたか、とまれ寒い頃であつた。由(ママ)来この書は私の愛読書となつた。何冊か買つて、友人の所へ持つて行つたのであつた。(略)(一九三四、一一、一九)
(『宮沢賢治研究 第一号』(草野心平/編 宮沢賢治友の会 1935(昭和10).4.20)掲載の「宮沢賢治全集」より引用」)(※この文章は掲示されていませんでした)


次のケースに展示してある太郎の「詩帖1」(1924(大正13))。
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壁面投影には、長谷川泰子の証言。

私達はよく町をほつつきあるきましたが、富永太郎が現れた頃から、家に落着き、富永太郎も私共の家に来ては入りびたつて居りました。詩論にあきると二人は連れ立って、町々をあるき廻つたやうです、二人共、お釜帽子に毛を長くなびかせ、パイプをくはへて、ゆつくり散歩する姿は、京都の古びた町にも似つかふやうに、人々に見送られて居りました。
(中垣(長谷川)泰子「中原の思ひ出」(『中原中也全集月報3』(創元社 1951))


 富永との交友を通して得られた、文学の知識や教養は、中也の詩人としての感性を養い、思想を形作る上で大きな役割を果たしました。
(『特別企画展 富永太郎と中原中也』パンフレット(中原中也記念館 2019.8.1)P8より引用)

【次回に続く】
「秋の日に、湯に浸り」「四行詩」と中原中也日記・書簡を読む @ 第184回中原中也を読む会 [2019年09月25日(Wed)]
9月27日(金)、第184回中原中也を読む会「「秋の日に、湯に浸り」「四行詩」と中原中也日記・書簡を読む」が中原中也記念館でありますぴかぴか(新しい)

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中原中也を読む会は、テーマに沿って中也の詩を読み込んだり、詩に曲をつけたものを聞いたり、記念館の展示を学芸員の解説とともに見学するなど、気軽におしゃべりしながら、中也の詩の世界を楽しく味わう会です。
詩にちょっと興味はあるけど、なんか難しそう…という方にお薦めです。

るんるん日 時るんるん 2019年9月27日(金)13:30〜15:00(予定)
るんるん場 所るんるん 中原中也記念館
るんるん内 容るんるん 「秋の日に、湯に浸り」「四行詩」と中原中也日記・書簡を読む
るんるん参加費るんるん 無料
るんるん連絡先るんるん 中原中也記念館
       電話083-932-6430
       fax to083-932-6431


  秋の夜に、湯に浸り
 
秋の夜に、独りで湯に這入ることは、
淋しいじやないか。

秋の夜に、人と湯に這入ることも亦、
淋しいじやないか。

話の駒が合つたりすれば、
その時は楽しくもあろう

然しそれといふも、何か大事なことを
わきへ置いといてのことのやうには思われないか?

――秋の夜に湯に這入るには……
独りですべきか、人とすべきか?

所詮は何も、
決ることではあるまいぞ。

さればいつそ、潜つて死にやれ!
それとも汝、熱中事を持て!


※   ※
  ※

  四行詩

おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。 
煥発する都会の夜々の燈火を後に     
おまへはもう、郊外の道を辿るがよい。     
そして心の呟きを、ゆつくりと聴くがよい。



中也には、もう一つ四行詩があります。


  四行詩

山に登つて風に吹かれた
心は寒く冷たくあつた
過去は淋しく微笑してゐた
町では人が、うたたねしてゐた?



前者の四行詩は富永太郎の次の詩に似ていると思いませんか?


 無題  京都
     富倉次郎に


おまへの歯は よく切れるさうな

山々の皮膚が あんなに赤く
夕陽(ゆうひ)で爛らされた鐃鉢(ねうばち)を
焦々[いらいら]して 摺り合せてゐる
おまへはもう 暗い部屋へ歸つておくれ

おまへの顎が 薄明(うすあかり)を食べてゐる橋の下で
友禪染を晒すのだとかいふ黝(くろ)い水が
産卵を終へた蜉蝣(かげろう)の羽を滲ませる
おまへはもう 暗い部屋へ歸つておくれ

色褪せた造りものの おまへの四肢(てあし)の花々で
貧血の柳らを飾つてやることはない
コンクリートの護岸堤は 思ひのままに白(しら)けさせやう
おまへはもう 暗い部屋へ歸つておくれ

ああ おまへの歯は よく切れるさうな

村谷由香里「ふしぎ荘」を語る 〜ふるさと下松への思いを添えて〜 @ 下松市立図書館 [2019年09月24日(Tue)]
下松市出身の村谷由香里さんが第25回電撃小説大賞「メディアワークス文庫賞」を受賞したことを記念して、講演会「村谷由香里「ふしぎ荘」を語る 〜ふるさと下松への思いを添えて〜」が開催されますぴかぴか(新しい)

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第25回目を迎える日本最大級の新人賞・電撃小説大賞。2018年度、応募総数4843作品の中から頂点となる「メディアワークス文庫賞」に輝いたのは、美味しくて泣ける幽霊ごはん物語です。ひなびたシェアハウスを舞台に次々と起きる怪異現象、やがてそれらの「不思議」は、切なくも温かい感動へと着地する――。
2019年『ふしぎ荘で夕食を〜幽霊、ときどき、カレーライス〜』として、改題・改稿して出版されました。
夢を実現し更に飛躍を目指して執筆に励む村谷さんに、子どもの頃の思い出や作品について語っていただきます。

るんるん日時るんるん 2019年10月14日(月・祝)10:30〜12:00
るんるん場所るんるん ほしらんどくだまつ サルビアホール
       下松市大手町2-3-1
       ※図書館は閉館しておりますが、イベントは開催されます。
るんるん講師るんるん 村谷由香里
るんるん申込るんるん 不要
るんるん主催るんるん 下松市立図書館
       下松市大手町2-3-1 ほしらんどくだまつ内
       電話0833-41-0093


かわいい村谷由香里(むらたに・ゆかり)かわいい
下松市出身、山口大学人文学部卒、福岡県在住。創作サークル「アリオト」主宰。学生時代より執筆活動を開始して、2018年、『ドミトリーで夕食を』で応募総数4843作品の中から頂点となる第25回電撃小説大賞「メディアワークス文庫賞」を受賞。受賞作を改題・改稿した『ふしぎ荘で夕食を 〜幽霊、ときどき、カレーライス〜』で小説家デビューを飾る。


『ふしぎ荘で夕食を 〜幽霊、ときどき、カレーライス〜』 (メディアワークス文庫)(KADOKAWA 2019.4)
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 第25回メディアワークス文庫賞受賞! 涙と感動の幽霊ご飯物語
 「最後に食べるものが、あなたの作るカレーでうれしい」
 家賃四万五千円、一部屋四畳半でトイレ有り(しかも夕食付き)。
 平凡な大学生の俺、七瀬浩太が暮らす『深山荘』は、オンボロな外観のせいか心霊スポットとして噂されている。
 暗闇に浮かぶ人影や怪しい視線、謎の紙人形……次々起こる不思議現象も、愉快な住人たちは全く気にしない――だって彼らは、悲しい過去を持つ幽霊すら温かく食卓に迎え入れてしまうんだから。
 これは俺たちが一生忘れない、最高に美味しくて切ない“最後の夕食”の物語だ。
KADOKAWA HP
下松市立図書館おはなし会講座「BUNちゃんのみんなで作って演じよう ペープサートで大サーカス」 [2019年09月23日(Mon)]
下松市立図書館で、おはなし会講座「BUNちゃんのみんなで作って演じよう ペープサートで大サーカス」が開催されますぴかぴか(新しい)

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BUNちゃんこと荒木文子さんによるペープサートの作り方・演じ方講座です。
当日作ったペープサートを使ってみんなで演じてみましょうexclamation×2

るんるん日 時るんるん 2019年10月10日(木)13:00〜15:00
るんるん場 所るんるん ほしらんど くだまつ 交流室 5A・5B
        下松市大手町2-3-1
るんるん講 師るんるん 荒木文子さん(BUNちゃん)(にんぎょうげきコロン団代表)
るんるん対 象るんるん おはなし会活動に興味のある方
るんるん定 員るんるん 80名(先着順・要申込)
るんるん駐車場るんるん 駐車場が満車のときは、市民体育館第2駐車場
るんるん参加費るんるん 無料
るんるん申込・問合るんるん 下松市立図書館
       図書館窓口または電話にて受付
        下松市大手町2-3-1 ほしらんど くだまつ内
        電話0833-41-0093
るんるん主 催るんるん 下松市立図書館

かわいい講師プロフィールかわいい
茨城県古河市在住。獨協大学外国語学部卒業。学生の頃から人形劇を始める。現在、にんぎょうげきコロン団代表。NPO法人語りネットワーク理事。和洋女子大学非常勤講師。蒲田保育専門学校講師。一人で演じる「BUNちゃんでSHOW」も行い全国をとびまわっている。軍手で作る「トコトコ人形」の考案者。作品に『まんまるまんまたんたかたん』(童心社)などがある。
司馬遼太郎『ひとびとの跫音』 @ 富永太郎と中原中也A [2019年09月22日(Sun)]
【前回より続く】

今回の展覧会では、「(無題 京都)」「詩3篇 無題 冨倉徳次郎に)」「秋の愁歎」「AU RINBAUD」「深夜の道士」「鳥獣剥製所」「PANTOMIME」「COLLOQUE MOQUEUR」「俯瞰景」「橋の上の自画像」など太郎の自筆原稿が展示してあります。
これらは全て、県立神奈川近代文学館が所蔵しています。
太郎の弟 次郎の長男 富永一矢さんからの寄贈です。

2Fに展示してある鉛筆書きの「遺産分配書」は、中原中也記念館の所蔵です。
正岡忠三郎が旧蔵していましたぴかぴか(新しい)
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 わが女王へ。決して穢れなかつた私の魂よりも、
更に清淨な私の兩眼の眞珠を。おんみの不思議な
夜宴の觴〈さかづき・しょう〉に投げ入れられようために。 

 善意ある港の朝の微風へ。昨夜の酒に濡れた柔
かい私の髮を。――蝋燭を消せば、海の旗、陸の
旗。人間は惱まないやうに造られてある。

 わが友M*** へ。君がしばしば快く客となつ
てくれた私のSabbatの洞穴の記念に、一本の蜥蜴
の脚を、すなはち蠢めく私の小指を。――君の安
らかならんことを。今日もまた、陽《ひ》は倦怠の頂點
を燃やす。

 シエヘラザートへ。鳥肌よりもみじめな一夜分
の私の歴史を。

 S港の足蹇《あしなへ》へ。私の兩脚を。君の兩腕を斷つて、
肩からこれを生やしたまへ。私の血は想像し得ら
れる限り不純だから、もしそれが新月の夜ならば、
君は壁を攀ぢて天に昇ることが出來る。

 ***孃へ。私の悲しみを。

 賣笑婦T***へ。おまへがどれほど笑ひを愛
する被造物であるかを確かめるために、兩乳房《ちち》の
間に蠍のやうな接吻を。

 巖頭に立つて黄銅のホルンを吹く者へ。私の夢
を。――紫の雨、螢光する泥の大陸。――ヸオロ
ンは夜鳥の夢に花を咲かす。

 母上へ。私の骸は、やつぱりあなたの豚小屋へ
返す。幼年時を被ふかずかずの抱擁の、沁み入る
やうな記憶と共に。

 泡立つ春へ。pang ! pang !



「遺産分配書」は1925(大正14)年4月ごろの制作と推定されています。
ここで、「わが友M***」というのは、正岡忠三郎ではないかと思うのです。

1Fに展示されている「正岡忠三郎日記7」は涙を誘います。
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 十一月十二日(木)
(略)
 午後一時頃、「きたない」といって、鼻にはめた(酸素吸入器の)ゴム管を自分の手で取る。
 其の儘にしておく

 「ちうさん、ちうさん」と二言

 死、午後一時二分


と太郎の最期の言葉は「忠さん、忠さん」でした。

以前から、中也の京都時代の動向を知るため、忠三郎の日記はよく展示してありました。細かい丁寧な字で細々と日記をつける人だなあ、というくらいの認識でした。(スミマセンちっ(怒った顔)
しかし、今回の特別展で、俄然、忠三郎に興味がわき、司馬遼太郎『ひとびとの跫音』(中央公論新社 1981.7)に忠三郎のことを書いているというので、読んでみました(引用のページ数は中央公論新社の新装改版(2009.8)によります)ぴかぴか(新しい)
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 富永太郎についておどろくことは、この若い最晩年の四年あまりのあいだに(太郎が二高を止めて以後)、仙台もしくは京都、松山にいる忠三郎さんあてに集中的に手紙をかいていることである。忠三郎が保存しているだけで一五六通という容易ならぬ数で、ならせば太郎は十日に一通は書いていたのではないか。(P156引用)

 生きる時間のみじかすぎた富永太郎はその文学的評価のわりには、生前、発表された詩があまりにすくなかった。(略)
 しかしそれにつけても、ごく素朴な次元のことながら、富永太郎の手紙を保《も》ちよく蔵《し》まっていた忠三郎というひとの性格が、太郎研究にとっての縁の下に横たわっている。
(P157引用)

 ともかくも最晩年の富永太郎は、忠三郎さんに対し、青春の煩悶や芸術思想の上での彷徨、模索、ときに主張を書きつづけ、しかもつづけ了《お》えた。(略)その書簡のなかで忠三郎さんあてのものが太郎の文学と思想を知る上での脊梁《せきりょう》をなしている。(P157引用)

じかに忠三郎さんに会ったところで、忠三郎さんからどれほどのものを得られるかとなると疑問で、本来、京都にいるこの友人がそういう存在ではないことを太郎は知っていたはずであった。太郎の場合、忠三郎さんというのは一個の巨大なふんいきで、それにくるまれてさえいれば自己を解放でき、手紙を書きつづけることによって自己が剥き身になり、意外なものを自分の中に見出すことができるという存在であったろう。このため書簡の形式によってでもよく、また絵を描いてそれを送りつけてもよかった。ついでながら太郎はこの前年から川端画塾などに通っていて、自分の中にある詩情のもとの赤脹れしたようなきわどいものをあらわに造形化するという表現の場ももっていた。(P185引用)

 あや子(註:忠三郎の妻)さんが嫁いできてほどないころ、古箪笥の中を整理していたとき、手に絡んだものがあり、ひきあげてみると、一房の黒髪だった。(略)
 ―おれのたからものだ。
 とは、忠三郎さんはいわなかったが、そういう表情のまましばらく細い呼吸をくりかえしてから、
「富永の髪だ」
 と、いった。(略)同年十月二十五日、大喀血。十一月五日、危篤。(略)忠三郎さんは京都から駆けつけ、死までの六日間、つきっきりで看病した。そのとき、髪をそっと切ってポケットに入れたのではないか。
(P441〜442引用)

 忠三郎さんは生涯で何をしたひとでもなかったが、ただ存在しているだけでまわりのひとびとになにごとかを感じさせるような人柄を持っていた。(P427引用)


中原中也記念館は152通正岡忠三郎宛富永太郎書簡を所蔵していますかわいい
今回の特別展では、そのうち13通が展示してあります。

いつか、中原中也記念館が所蔵している太郎の忠三郎宛書簡の全てが展示される特別展を期待しています揺れるハート

【次回へ続く】
彼より仏語の初歩及仏国詩人等の存在を学ぶ。 @ 富永太郎と中原中也@ [2019年09月21日(Sat)]
9月23日(火・祝)まで、中原中也記念館で特別展「富永太郎と中原中也展」が開催されていますぴかぴか(新しい)
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まず、チラシにも使われている、富永太郎の自画像が展示されています。
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1921(大正10)年10月、20歳の時に描いた油彩画です。
旧制第二高等学校に在学していた1921(大正10)年5月12日、仙台洋画研究所(1917(大正6)年2月、菱沼美仙(本名 猛)が開設)に入所し、油彩画を初めて学びました。
1921(大正10)年10月10日付正岡忠三郎(かわいい)宛書簡に

デッサンが案外手間どって今夜やっと色にかかるところだ

と記されており、この作品だと推測されています。
詩人として、画家として身を立てようか、悩んだだけあってなかなかの技量です。

最初のケースには、
1924(大正13)年7月7日付村井康男かわいい宛書簡が展示してあります。その中に、
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ダダイストかわいいを訪ねてやり込められたり

とあります。

太郎は、冨倉徳次郎(かわいい)の紹介で立命館中学4年生の中原中也を識りました。中也は太郎より六歳年少で、この頃 洛西椿寺付近の下宿で女優 長谷川泰子と同棲していました。


その隣に中也の「詩的履歴書」が展示してあります。
「我が詩観」(1936(昭和11)年8月)に続いて記されたものです。 
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大正十三年夏富永太郎京都に来て、彼より仏国詩人等の存在を学ぶ。大正十四年の十一月に死んだ。懐かしく思ふ。

原稿をよく見ると、「彼より」と「仏国詩人等」の間に、「仏語の初歩及」の記述が二重線で消されています。
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「詩的履歴書」の中に出ている名前(家族、「教生」など実名が記していないものや著者名などを除く)は、富永の他、
大正十四年四月、小林に紹介さる。」「昭和二年春、河上に紹介さる。」「仝年十一月、諸井三郎を訪ぬ。」の3名だけで、いかに、太郎が大きな存在だったかがわかります。


かわいいかわいいかわいい

かわいい正岡忠三郎は、子規の従兄弟で、子規の妹 律の養子に入り、正岡家を継ぎました。東京府立第一中学校(一級下)、第二高等学校(現東北大学教養部)理科(学制改革の関係で同級生)で一緒でした。

かわいい村井康男は、東京府立第一中学校からの太郎の友人です。
太郎の死後の1927年8月、村井康男の編で家蔵版『富永太郎詩集』が刊行されます。
東京帝国大学卒業後、成城高校の教師となり、同人誌『白痴群』(昭和4年4月)の創刊に、河上徹太郎、中原中也とともに参加します。
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かわいいダダイストとは、中也のことです。中也の「詩的履歴書」にもあるように、

大正十二年春、文学に耽りて落第す。京都立命館中学に転校す。生れて始めて両親を離れ、飛び立つ思ひなり、その秋の暮、寒い夜に丸太町橋際の古本屋で「ダダイスト新吉の詩」を読む。中の数篇に感激。

ことから、ダダイズムに傾倒、詩作を始めていたので、周りから、「ダダさん」「ダダイスト」などと呼ばれていました。

かわいい冨倉徳次郎は、太郎と東京府立第一中学校(一級下)、第二高等学校(現東北大学教養部)理科(学制改革の関係で同級生)で一緒でした。
東京帝国大学理学部を経て、京都帝国大学文学部国文科時代、講師として立命館中学に赴任し、生徒の一人に中原中也がいました。中也が答案の代わりに詩を書いて提出したことがきっかけで交友が始まりました。友人 富永太郎を中也に引き合わせたことでも知られています。


【次回に続く】
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