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こどもと本ジョイントネット21・山口


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宇部丸山ダムの宇部丸山発電所を見学しましたBダムカード・発電所カード [2019年07月16日(Tue)]
【前回の続き】

7月4日(木)の環境学習推進センター主催の環境学習講座「一緒に学ぼう!再生可能エネルギーの現状」では、午前中は、「再生可能エネルギーの現状」と題した講義を山口県セミナーパークで受講しました。
講師は山口大学工学部大学院技術経営研究科の福代和宏教授です。
再生可能エネルギーについてわかりやすく話してくださいました。
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その後、バスで、美祢方面に向かい、於福の道の駅で昼食を摂り、地中熱利用の(株)ジオパワーシステムズに行きました。
今日は、外気温度31℃、地中温度15℃です。
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こちらの地中熱利用は、深さ5mの地中熱を専用の熱交換パイプにより安価で効率よく利用するシステムです。
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実は先程の温度計は地中に埋める熱交換パイプに付けれられています。
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説明してくださった部屋と工場で、地中熱利用を体感しました。
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冷暖房のように急激に温度を調整するのではなく、換気をしながら建物全体の温度をゆるやかに調整し冷暖房の空調負荷を軽減するシステムです。
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特に、工場の方は、パイプから爽やかな空気が流れてきて、気持ちよくて離れたくないようでした。
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その後、宇部丸山発電所の小水力発電と太陽光発電の見学をしたというわけです。
自分達のライフスタイルを見直し、どう選択するかを考えさせられた一日でした。


なお、7月21日〜31日の「森と湖に親しむ旬間」に宇部丸山発電所の見学会が実施されます。

「森と湖に親しむ旬間」宇部丸山発電所見学会
るんるん日時るんるん 2019年7月27日(土)・28日(日)9:30〜16:00 
るんるん場所るんるん 宇部丸山発電所
       宇部市大字瓜生野
るんるん目的るんるん 森林、ダム、河川等や自然エネルギーの重要性について理解を深めるため
るんるん内容るんるん 発電所内説明見学(随時受付)
るんるん問合るんるん 山口県企業局 電気工水課 発電班 電話 083-933-4038


今回の見学会でダムカードいただきましたexclamation×2
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発電所カードもあるんですね揺れるハート
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宇部丸山ダムの宇部丸山発電所を見学しましたB小水力発電 [2019年07月15日(Mon)]
【前回の続き】

宇部丸山発電所は、

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宇部丸山ダムから取水している上水及び工業用水の未利用落差を有効活用するため、既設の工業用水道施設を改造して水車発電機を取水塔内部に設置した最大出力130kWの小水力発電所ですぴかぴか(新しい)

宇部丸山発電所エネルギー回収.png

2014(平成26)年度に工事着手し、2016(平成28)4月に運転を開始しました。
有効落差19.08m、使用水量0.941㎥/s。
年間発電電力量571MWh、一般家庭約160世帯相当に当たります。

取水塔
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取水塔の桟橋に行く途中に下に下りる梯子があります。
そばにボートが係留されています。
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巡視のため?
質問し忘れました。
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「丸山丸」とあります。
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取水塔の中には、機器類があり、見学者への説明用パネルが掲示されていました。
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まず、発電装置の見学です。
この階段を下りて行きます。
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階段は4層になっていました。
宇部丸山発電所取水塔.png

EL.は標高の略(Elevation)。
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階段を下りきった塔の底部に、発電機・水車があります。
既設の流量調整バルブ2台の内1台を撤去して水車発電機を設置するため設置スペースが限られていたことから、円筒状の水車を採用したとのことです。
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発電機。
水の力でランナ(水車の回転部)を回転させ、軸に直結された発電機が回転することで電気が発生する仕組みです。
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水車。
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こちらから取水します。
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発電機盤
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当日いただいたパンフレットです。
宇部丸山発電所@.png 宇部丸山発電所A.png 宇部丸山発電所B.png 宇部丸山発電所C.png

【次回に続く】
宇部丸山ダムの宇部丸山発電所を見学しましたA水質浄化装置 [2019年07月14日(Sun)]
【前回の続き】

数ヶ所で時折下から水が沸き上がってくるのが見えます。
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これが、水質浄化装置です。
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ダム湖は、夏場水温が上がると生活排水などに含まれる栄養分と太陽の光により、表面にアオコと呼ばれる微細藻類が繁殖し、臭いがするなど水質が悪化することがあります。
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これを防ぐため、湖底の冷たい水と水温の高い表面の水を入れ替え、アオコの発生を抑えるための水質改善目的の循環装置が設置されています。
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この動力源として、太陽電池で発電した電力は陸上のインバータに送られ、そこから再び湖面に浮かぶ水質改善装置に供給されます。
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(▲太陽光モデルプラントイメージ図(山口県HPより)

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(以上3点はパンフレット『宇部丸山ダム太陽光発電モデルプラント』(山口県企業局電気工水課)より)


遠くに塔が見えますが、何でしょうか?
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取水塔の辺り、丸山溜池の碑の近くには、丸山水神社があります。
水神を祭る神社でしょうか。
いわれなど記してないのでよくわからのないのですが、宇部市のHP「丸山ダムの見どころ」に「堤より移設」とありました。
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【次回へ続く】
地撮り山口大歳に参加しましたE [2019年07月13日(Sat)]
【前回の続き】

試写会ですぴかぴか(新しい)
みんなが投稿したものをみんなで見ます。 一人3票で、いいと思ったツィートに投票します。

葛飾北斎の波 #30jidori
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ダブル農家娘 #30jidori
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私が投稿したものかわいい

阿仙原は秘境です #30jidori
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大歳様だニャン猫 #30jidori
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玉ねぎのダンス #30jidori
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大判、小判がザックザク #30jidori
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岩富のもりさまは、田中さんちの庭 #30jidori
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大歳に宇宙人が来たあ〜exclamation #30jidori
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観音ブラザーズ #30jidori
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ハイ、ポーズ! #30jidori
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そして、なんと、20票を獲得し、「ハイ、ポーズ!」が大賞ひらめきひらめきひらめき
「観音ブラザーズ」が歴史ミステリー賞ひらめきひらめき
「大歳様だニャン猫」が1票賞ひらめき
を受賞しましたわーい(嬉しい顔)

ステキな賞品もいただきましたかわいい
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みなさんの投稿は、地撮り山口大歳2019 #30jidori #ootoshi 写真投稿まとめ でみることができます揺れるハート

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地撮り山口大歳に参加しましたD秘境珍百景コースと大河ドラマコース [2019年07月12日(Fri)]
【前回の続き】

大歳地域交流センターの会場に入ると、まだ、他のコースのメンバーは帰って来ていませんでした。

どのコースも雨にたたられて大変でした雨
私達の歴史ミステリーコースは、蚊がすごかったですがく〜(落胆した顔)
秘境珍百景コースは、秘境なので、雨宿りする場所もなく、大変だったようですもうやだ〜(悲しい顔)
大河ドラマコースは、吉富簡一邸で足止めをくらっていたようですふらふら

でも、それ以上に発見したこと、楽しいことがたくさんありましたわーい(嬉しい顔)
他のコースをざくっと紹介します。

かわいいかわいい秘境珍百景コースかわいいかわいい
阿仙原入口→馬庭の大岩→一本足鳥居→夜泣き岩→周防五の宮(元朝田神社)→和田古道→子安観音(大乗妙典宝塔)・光澤即明墓

阿仙原入口
1964(昭和39)年以降無住となり、「地図から消えた阿仙原」といわれています。
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下矢印1
馬庭の大岩(馬庭)
その昔山姥が大きな手荷物を置き忘れて岩になったといわれています。
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下矢印1
一本足鳥居(馬庭)
馬庭の森様のところにある2009(平成21)年の大洪水で片脚を失った鳥居です。
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下矢印1
夜泣き岩(河内)
夜泣きする子を連れてお参りするとご利益があったといいます。
下矢印1
周防五の宮(元・朝田神社)(朝田)
周防国五社の内の一社で、五ノ宮大明神と称され、大内氏の崇敬篤く、1497(明応6)年大内義輿の五社御参詣の記録あります。
創建の年代は不詳ですが、再建立の棟札に1499(明応8)年とあります。
下矢印1
和田古道(和田)
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下矢印1
子安観音(大乗妙典宝塔)・光澤即明墓(和田)
江戸時代の中期、光澤即明和尚は、「陵が峠」の上の慈眼山巨福庵(小鯖の禅昌寺の末寺)を再興し、1757(宝歴7)年11月に大乗妙経を一字一石に書写し埋納し、上に石造五重塔を建立しました。
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かわいいかわいい大河ドラマコースかわいいかわいい
周布政之助の碑・麻田公輔の墓→吉富簡一邸→調べの森→瑞龍山養元寺

周布政之助の碑・麻田公輔(周布政之助)の墓(上湯田)
周布政之助は、萩藩改革派の重臣として幕末の動乱期に藩政を指導しましたが、幕長戦争に際しては、保守派が勢力をもりかえし改革派は藩府内での指導力を失いました。1864(元治元)年9月25日、盟友井上馨が反対派により中讃井で襲われたこともあり、失意の中で翌26日に吉富邸で自刃。「我死なば屍を公道の傍に南面して埋めよ。敵兵来たり侵せば吾が霊が叱晦せん」との遺書によって、舟田の墓地に「麻田公輔」の名で墓がつくられました。
1931(昭和6)年11月、「鳴呼長藩柱石周布政之助君碑」と題する顕彰碑が、墓のある場所を永久に伝えようと建立されました。
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下矢印1
吉富簡一邸(上湯田)
周布政之助が仮寓していた家です。1864(元治元)年9月26日早朝この家の裏庭で短刀で喉を突き自刃しました。享年42歳でした。
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下矢印1
調べの森(中矢原)
1569(永禄12)年、大内輝弘が豊後の国から押し寄せ秋穂白浜に着岸した際、毛利側は関所を設けて通行人を調べたことによるといいます。
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瑞龍山養元寺
寛永年間、教春が教正寺という浄土真宗の寺院を建立しました。
1739(元文4)年、西本願寺門主のすすめで、親鷲上人の直接の弟子で10人衆の1人といわれる西願坊の子孫 恵明右京が、西願坊の建立した養元寺の寺号とともに養子に入り、現在に至ります。


あなたは、どのコースを巡りたいですか?

試写会が始まるまでは、投稿タイム。
投稿漏れがないか、自分の撮った写真をチェックし、コメントをつけて投稿します。
そして、お待ちかねのおやつタイムです。
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もちろんチキンチキンごぼうパンもあります。
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チキンチキンごぼうは、大歳小の保護者の発案の給食メニューより発祥しました。(『大歳交流センターだより』 平成29年7月 No.100参照)
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【次回に続く】
地撮り山口大歳に参加しましたC田中頼三旧宅 [2019年07月11日(Thu)]
【前回の続き】

最明寺で雨宿りをしているうちに、雨足は少しはましになりましたが、止みそうにないので、最後の目的地 田中頼三旧宅に向かうことにしました。

出発前、最明寺入口 岩富公会堂のそばに岩富のもりさまがあることの紹介をしました。
クロガネモチの大木です。
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雨のため、田中頼三旧宅は車窓からの見学です。
今は別の方が借りて住まわれているので、邸内の見学ができないこともあります。

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田中頼三は、1892年、嘉川の本間家の3男として誕生し、旧制山口中学校(16期)を経て海軍兵学校(41期)卒業後に岩富の大地主 田中家に婿養子として入籍します。
1942年、ガダルカナル島のルンガ沖夜戦で勝利をおさめましたが、日本海軍上層部からはあまり評価されず左遷されました。
一方、アメリカからは高い評価を受け、『アメリカ海軍作戦史』を著したアメリカの海軍戦史家サミュエル・エリオット・モリソンは「田中こそ不屈の闘将である」と田中のことを"redoubtable Tanaka"(恐るべき田中)と呼び、軍事史研究家のハンソン・ボールドウィンはその著書の中で「太平洋戦争で日本の名将を2人挙げるとするなら、陸の牛島・海の田中」として田中の名を挙げています。

こちらは、田中邸のそばの土蔵です。石垣の上に建てられています。
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岩富は椹野川とその支流である吉敷川が合流し、氾濫地帯であったことから、石垣を築いた民家が見られます。
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岩富を後にして、石州街道を大歳地域交流センターに向かいます。
この一角を黒川市といいます。

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恵比須社
黒川市にある。矢原村庄屋、吉富藤兵衛の覚書に、「建立の由来も、市恵比須の作者も不明。古老の言い伝えでは、大内時代からあった古い恵比須で、社敷地は往還べりの空地にあり」とある。明治末年ごろは、大歳村役場の門前にあったが、のちに石村宅の屋敷東隅に移された。昭和32年(1957)夏の大風で転倒大破後、石造の詞として黒川市福田氏屋敷東隅に移された。
(『大歳小百年史』(山口市立大歳小学校 1995)P33)


大歳地域交流センターに帰ってみると、前の水路は溢れんばかりの水嵩でした。

【次回に続く】
地撮り山口大歳に参加しましたB最明寺 [2019年07月10日(Wed)]
【前回の続き】

車に戻って、次の目的地 最明寺のある岩富の方へ向かう途中、なんだか雲行きが怪しくなり、ポツポツとしてきました。
そうして、最明寺に着く頃には雨足は激しくなり、あわてて最明寺に避難しました。

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『防長寺社由来』(1741年記述)には寺号は「西明寺」とあり、『風土注人進案』(1840年代)では、「最明寺」となっています。
『風土注人進案』に「平時頼入道道崇の草創にして、寺号はその法諱(ほうき)により」とあることから、1741〜1840年の間に「最明寺」と寺号を変えたことがわかります。(『郷土大歳のあゆみ』P367〜8参照)

本尊の阿禰陀如来坐像。
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慈覚大師作と伝えられています。
慈覚大師とは第3代天台座主の円仁(えんにん)(794(延暦13)年〜864(貞観6)年)のことです。
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大歳史談会で調査してもらったところ、平安時代(794〜1185)後期の作だというのがわかったそうです。
どうやら、慈覚大師とは少し年代が合わないようです。
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両脇に僧像。
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隣の床の間には、
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左に持国天(増長天説あり)と右に多聞天、
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左の像は寶髻(ほうけい)を結い、右手に三叉戟( さんさげき)を持ち、左手を腰に当て、足下に邪鬼を踏みつけ、
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右の像は兜を被り、左手に宝塔を持ち、足下に邪鬼を踏みつけ、
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多聞天の後ろには法輪のようなものが見え、
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前には観音像(と白上さんが言っていました)がたくさん飾ってあります。
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その隣には、
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観音像、
厨子の中に入っていて、
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厨子の絵がとてもキレイです。
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半跏思惟像、
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台座に腰をおろし、左足を垂らし、右足を曲げて左ひざの上に置き、右手でほおづえをついています。
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僧像。
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木魚。
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鉦鼓(しょうこ)(鉦(かね・しょう))。
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最明寺入口には、回国塔があります。
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天明七丁未歳
奉納大乗妙典日本回国


その他、最明寺の周囲には、いろいろチェックしたいものがあったのですが、雨のためそれもできませんでした。
また、来てみたいと思っています。


最明寺
浄土宗、最明寺。山号を銭処山という。本寺は山口の法界寺。本尊は阿禰陀如来(慈覚大師作) 。
寺伝によると、最明寺殿(北条時頼)によって創立された天台宗の寺院という。創建年代は明らかでない。その後久しく荒廃していたが、江戸時代初期に山口法界寺の人世寿諌法師が再興し、浄土宗に改めたといわれる。 『風土注人進案』(1840年代)によると、地蔵十王・木魚・牛王模板(ごおうもば)・馬の鞍など甚だ古いものが、この寺に伝わっていると記されている。牛王模板には西明寺とあり、いつごろから最明寺といわれるようになったかさだかでない。明治3年(1870)吉敷村長楽寺へ合併して長明寺となったが、同13年(1880)再び分離した。現在は無住寺。境内には山下玄良(江戸後期の名医。天民と号し、文雅の道でも高名。その2男は画家高島北海、 3男は藩医高島良台)の墓所もある。
(『大歳小百年史』(山口市立大歳小学校 1995)P33)

【次回に続く】
地撮り山口大歳に参加しましたA王子の森 [2019年07月09日(Tue)]
【前回の続き】

次は、王子の森ぴかぴか(新しい)

椹野川に向かって突き出た丘陵に4個の古墳があり、福生寺という大寺があったとされる。これにちなんで、林聖太子の次男福性太子が住んだとの伝承が生まれ、享保期の「地下上申絵図」に早くも「王子ノ森」と記述されている。(『発見!おおとし』(大歳自治会 大歳明治150年記念事業実行委員会))

山伏様から眺めた王子の森。
大内氏の祖 林聖太子(りんしょうたいし)の王子が住んでいたから「王子の森」とは、ネーミングのセンスがありますね。
1728(享保13)年の『地下上申絵図』にも記されています。
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山口と小郡の境にある陵ヶ峠、その丘陵の先端部です。
今では国道9号とJR山口線とに分断されています。
分断された場からは、1919(大正8)年および昭和53年の発掘調査で箱式石棺7基が発見されているそうです揺れるハート
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石州街道を歩き、王子の森を目指します。
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田んぼにはジャンボタニシのショッキングピンクの卵が大発生していて、気持ちが悪いといいながら、子どもたちは大騒ぎexclamation
水路の壁や山伏様の祠にも張り付いていました。
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通称ジャンボタニシは、スクミリンゴガイといい、1981年に台湾から食用として持ち込まれました。有害動物に指定された1984年以降、廃棄されたり養殖場から逸出したものが野生化し、分布を広げています。要注意外来生物(外来生物法)、日本の侵略的外来種ワースト100、世界の侵略的外来種ワースト100リスト選定種の1種ともなっています。
わかりにくいですが、これだと思いますがく〜(落胆した顔)
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王子の森は、森へ入る畔道の辺りから見るとこんな形の山をしています。
いかにも古墳っぽいです。
茶臼山とも呼ばれるそうです。
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畦道に茂った草を踏み倒しながら山に分け入ります。
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隣の家の石垣だと思うのですが、
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子ども達は、古墳時代のものではないか、と言いながら、一人がお茶碗の破片を発見したので、大興奮exclamation×2
どう見ても、最近のものとしか思えないのですが、言わぬが花ですふらふら
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森の中に入ると、祠が見えます。
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その先に石室。
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墳丘は失われ天井石もなく、玄室が露出していますが、
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一枚岩の大きさに圧倒されます。
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王子の森墳墓群(朝田)(山口市朝田字西角(王子の森)) 
小郡町との境界付近へ南に張り出した丘稜先端部(現在はJ R山口線と国道九号線で分断されている)に位置する。大正八年(一九一九)、昭和五十三(一九七八)年に発掘調査され、箱式石棺墓七基、土墳墓一基が発見された。弥生時代中期から後期にかけての土器片などが出土していることから、同時代の墳墓と見られるが、以前に土取り作業で破壊されていて、鉄鏃一点のほか、副葬品はない。同地区に伝わる林聖太子の王子の伝説から、「王子の森」と名付けられた。
門前遺跡(朝田郷多羅)(山口市朝田門前)
王子の森墳より北奥同一段丘で、中世初頭の出城だったと考えられる門前山(国道開通のとき削りとられている)に立地する。弥生時代から古墳時代末期にかけての複合遺跡。昭和四十八年(一九七三)に発掘調査され、箱式石棺墓・集石遺構とともに横穴式石室境二基が発見された。このうち王子の森墳墓の西端に隣接する横穴式石室墳(門前一号墳)は、墳丘は失われ天井石も取り去られて石室が露出しているが、玄室規模は幅一・二〜一・四メートル、長さ四メートル、高さ二メートルもあり、縦一〜一・八メートル、横一〜二メートルの大型一枚岩数個によって築かれたものである。古墳時代後期のものと推定される
(略)。(『郷土大歳のあゆみ』P38〜39)

王子の森(朝田)
和田、朝田の境にあり、陵ヶ峠(城ヶ峠)の丘陵部の先端を「王子の森」という。享保十三(一七二八)年の『地下上申絵図』(地下図)にもすでに王子ノ森と記されているが、当地に伝わる大内氏の始祖林聖太子の王子伝説によるものであろうか。現在はJR山口線と旧九号線によって背後を分断され、独立の丘陵をなし、茶臼山と呼ばれている。ここは弥生時代中・後期の墳墓とみられる王子の森墳墓群と、古墳時代の石室墳である門前遺跡が発掘されている。
(『郷土大歳のあゆみ』P420)

【次回に続く】
地撮り山口大歳に参加しました@山伏様 [2019年07月08日(Mon)]
7月6日(土)、地撮り大歳山口に参加しましたぴかぴか(新しい)

YANの原明子さんがコースなどを紹介。
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ファブラボ山口さんがtwitterのあげ方などを説明。
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私は歴史ミステリーコースを選びました揺れるハート
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山伏様→王子の森→銭処山最明寺→田中頼三旧宅
を巡ります。

メンバーは、小学生の男子ばかり6名、引率の支援員の先生3名、中学生1名、高校生1名、子ども会の役員2名、大歳史談会の白上さん、YANの井上さん、そして私の総勢15名です。
4台の車に分乗し、いざ大歳地域交流センターを出発exclamation

大歳橋を渡り、自転車道路沿いに車を走らせ、和田橋のところの空き地に停めました。

1908(明治41)年〜1913(大正2)年、小郡・山口間12.9kmを結ぶ軽便鉄道が通っていました。
10あった停留所の一つが、ここ「和田橋」です。
ちなみに、停留所は、小郡 、津市、 新町、仁保津、和田橋大歳、湯田、讃井、亀山、山口でした。

大歳地区内には、和田の茶屋に和田橋停留所、下湯田の藤村踏切のところに大歳停留所があった。(『郷土大歳のあゆみ』P190)

そこから、石州街道を歩き、山伏さまに行きました。
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和田公会堂のところから旧街道を少し下ったところに、 「山伏」という地名があり、その道端に「山伏さま」と、地元の人から親しまれている小さな詞がある。昔、ある大名の家老と家臣(若夫婦)とのいさかいがあった。敗れた若侍が山伏姿に変装して、九州久留米の旧知を頼って落ち延びる途中、家老の差し向けた刺客のため、この地で打ち果たされた。間もなく後を追って来た若妻は、夫の最後を見て悲嘆に暮れ、自分も自害した。里人は、この夫婦の死をあわれみ、比翼塚としてねんごろに弔ったものである。(『郷土大歳のあゆみ』P419〜420)

このあたりの石州街道は農道です。
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明治22年(1889)6月11日、道路兼用堤防工事は竣工し、(略)開通した。こうして、石州街道以来の県道は堤防上に移るのである。(略)朝田から三作までの石州街道は、堤防拡張の関係もあって、半分近く削りとられて農道化し、昔の面影はみられない。(『郷土大歳のあゆみ』P173〜4)

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(山伏さまの写真は7月2日と6日に撮影)

【次回に続く】
ねんりんピック山口2019(山口県健康福祉祭)「美術展」が開催されています [2019年07月07日(Sun)]
60歳以上を主な対象としたねんりんピック山口2019(山口県健康福祉祭)「美術展」が開催されていますぴかぴか(新しい)

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るんるん日時るんるん 2019年7月6日(土)〜8日(月)10:00〜18:00(最終日15:00)
るんるん場所るんるん 防府市地域交流センター「アスピラート」2階 展示ホール
       防府市戒町1-1-28
るんるん主催るんるん 山口県、社会福祉法人 山口県社会福祉協議会、
      一般財団法人 山口県老人クラブ連合会(きららシニア山口)

金賞受賞作品、右から
書   奥迫節堂「賀のうた」
洋 画 井上博富「清光えびの高原」
日本画 村前純子「輝」
洋 画 田中昭子「花のある卓上」
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工 芸 藤井滋人「夕映え」
    藤井由佳子「春の宵」
彫 刻 田中繁滿「面の舞」
写 真 三吉 稔「若い力」
    今田信夫「羽繕い」
日本画 福田眞理子「御衣黄の咲く庭」
彫 刻 半田幸男「ぶらんこ」
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金賞を受賞した11作品は、「第32回全国健康福祉祭和歌山大会」の美術展に、山口県の代表として出品されます。

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▲村前純子「輝」
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