日吉神社の狛猿に会いに行きました @ 宇部市川上
[2018年12月11日(Tue)]
狛犬ならぬ狛猿が鎮座しているというので、2018年12月9日、宇部市川上の日吉神社を訪れました
鳥居。
鳥居のそばの灯籠には
文政元戌寅九月九日
とありますので、1818年に奉献されたものです。
手水舎。
社殿と参道。
由緒書。
狛猿、いました
社殿に向かって右手は「聞かざる」。
左手は「言わざる」。
いつ奉献されたのかを調べると
文化十四丁丑正月吉日
とありますので、1817年、約200年前です。
拝殿。
神額には、
山王権現宮
とあります。
こちらには、ちゃんと三猿が揃っていて「見ざる」もいました
本殿。
境内にある石碑。
神輿庫。
神社の裏手に、国道490号線からの急な階段と鳥居がありました。
何て書いてあるのでしようか?
「日吉神社」ではない気がします…。
宇部市の校区文化財マップ『ふるさと川上史跡マップ』に
弘仁2年(811年)近江国坂本から勧請され、川上地域の産土神として祀られた。最初は、山王権現と号していたが、明治4年(1871年)比叡神社に変わり、更に明治7年日吉神社に改められた。
とあるので、比叡神社ではないでしょうか?
境内には末社が三社あります。
若宮神社。
八王子社。
貴船社。
左側にあるのは何でしょうか?手水でしょうか?鉢でしょうか?
同じく川上地区の下請川南遺跡や上請川遺跡は、
平安時代末から中世にかけて西日本を中心に使用された石鍋の製作地。請川一帯には滑石の鉱床があり、ブロック状の塊を削り取り、ノミで削って成形した。現地では石鍋の未完成品や破損品が多く出土しており、完成直前までの加工をしたと思われる。
(『ふるさと川上史跡マップ』より)
ですので、もしかしたら、滑石製石鍋(かっせきせいいしなべ)かもしれない、などと妄想を巡らせました。
石室の扉に文字があるのですがよく読めませんでした。
由緒書に
日吉大社では、猿は神の使いとされているが、猿の石像が「狛犬の代わり」にされているのは、全国でもこの日吉神社だけと言われ、大変めずらしがられている。
とありますが、そうでもないと思います。
社殿まえに神社としては珍しい猿の石像(言わざる。聞かざる)の一対がある。
(『ふるさと川上史跡マップ』より)
ぐらいの表現の方が誤解を与えないのでは?
というのも、京都の哲学の道にある大豊神社の末社の日吉社は狛猿です
この日吉社は、大豊神社の本殿の北側に愛宕社と並んで建っていて、愛宕社の狛鳶に向かいあって狛猿がいました
(2016年4月6日18:00頃撮影)
写真が見えにくいので申し訳ないのですが、下の方、少しですが灯籠の後ろに写っています。
大豊神社には、他にも、狛子(鼠)(大国社)、狛巳がいます
鳥居。
鳥居のそばの灯籠には
文政元戌寅九月九日
とありますので、1818年に奉献されたものです。
手水舎。
社殿と参道。
由緒書。
狛猿、いました
社殿に向かって右手は「聞かざる」。
左手は「言わざる」。
いつ奉献されたのかを調べると
文化十四丁丑正月吉日
とありますので、1817年、約200年前です。
拝殿。
神額には、
山王権現宮
とあります。
こちらには、ちゃんと三猿が揃っていて「見ざる」もいました
本殿。
境内にある石碑。
神輿庫。
神社の裏手に、国道490号線からの急な階段と鳥居がありました。
何て書いてあるのでしようか?
「日吉神社」ではない気がします…。
宇部市の校区文化財マップ『ふるさと川上史跡マップ』に
弘仁2年(811年)近江国坂本から勧請され、川上地域の産土神として祀られた。最初は、山王権現と号していたが、明治4年(1871年)比叡神社に変わり、更に明治7年日吉神社に改められた。
とあるので、比叡神社ではないでしょうか?
境内には末社が三社あります。
若宮神社。
八王子社。
貴船社。
左側にあるのは何でしょうか?手水でしょうか?鉢でしょうか?
同じく川上地区の下請川南遺跡や上請川遺跡は、
平安時代末から中世にかけて西日本を中心に使用された石鍋の製作地。請川一帯には滑石の鉱床があり、ブロック状の塊を削り取り、ノミで削って成形した。現地では石鍋の未完成品や破損品が多く出土しており、完成直前までの加工をしたと思われる。
(『ふるさと川上史跡マップ』より)
ですので、もしかしたら、滑石製石鍋(かっせきせいいしなべ)かもしれない、などと妄想を巡らせました。
石室の扉に文字があるのですがよく読めませんでした。
由緒書に
日吉大社では、猿は神の使いとされているが、猿の石像が「狛犬の代わり」にされているのは、全国でもこの日吉神社だけと言われ、大変めずらしがられている。
とありますが、そうでもないと思います。
社殿まえに神社としては珍しい猿の石像(言わざる。聞かざる)の一対がある。
(『ふるさと川上史跡マップ』より)
ぐらいの表現の方が誤解を与えないのでは?
というのも、京都の哲学の道にある大豊神社の末社の日吉社は狛猿です
この日吉社は、大豊神社の本殿の北側に愛宕社と並んで建っていて、愛宕社の狛鳶に向かいあって狛猿がいました
(2016年4月6日18:00頃撮影)
写真が見えにくいので申し訳ないのですが、下の方、少しですが灯籠の後ろに写っています。
大豊神社には、他にも、狛子(鼠)(大国社)、狛巳がいます