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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

子どもと本をむすぶ活動をしています


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第8回「やまぐち朗読Cafe」〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜 @ ジャズスポット ポルシェ [2018年10月31日(Wed)]
詩などの朗読と、蓄音器から流れるジャズを楽しむイベント「やまぐち朗読Cafe」が、今日31日20:00から、山口市の老舗ジャズ喫茶「ポルシェ」でありますぴかぴか(新しい)
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今回で8回目になります。
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元々は中原中也記念館で開かれていた中原中也の時代の音楽をSP盤(78回転のレコード)で楽しむ「蓄音器と朗読の夕べ」をリニューアルしたイベントです揺れるハート
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るんるん日 時るんるん 2018年10月31日(水)20:00〜
るんるん場 所るんるん ジャズスポット ポルシェ
        山口市葵1-1-28           
        電話083-924-4616
るんるん内 容るんるん @オープニング朗読
       ASPレコードで聴くジャズ
       B自由参加の朗読
        ※詩でも小説でもエッセイでもジャンル不問
         お気に入りの作品を朗読
         もちろん、聞くだけでもOK
るんるん参加費るんるん ノーチャージ/1ドリンク
       お好きなドリンクをご注文ください
るんるん主 催るんるん 中原豊さん(中原中也記念館長)


かわいい前回第7回(2018年8月30日)の様子かわいい
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「文士の肖像―林忠彦写真展」を観に行きましたB @ 中原中也記念館 [2018年10月30日(Tue)]
【前回の続き】

かわいい檀一雄かわいい 

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(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.164)

檀一雄といえば、『小説太宰治』(審美社 1992.9)で、中也について書いていることを思い出します。


かわいい坂口安吾かわいい

文士の時代.jpg 
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9))

有名な写真です。
計算されつくした写真だそうです。
安吾によると2年間掃除をしていない書斎とのこと。
アングルを変えたものが三種類あります。

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(同P.31)


かわいい川端康成かわいい 

秀子夫人、娘の政子さん、犬との写真です。壁に古賀春江の「煙火」(1927)がかかっています。

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(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.12)


かわいい高見順かわいい 

この写真(眉を寄せてタバコの灰を落としている)も、(略)僕は高見さんさんの神経質な気性が一番よく出ている写真じゃないかと思うんです。(略)人となり心が写っている写真ではないかと思って、僕の写真のなかでは太宰治の写真よりも、むしろ、この方が自分では好きな写真なんです。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.334)

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(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.337)
防長尚武館・仁壁神社 @ 宮野の宰相、寺内正毅ゆかりの地をめぐる徒歩ツアーB [2018年10月29日(Mon)]
【前回の続き】

防長尚武館

防長尚武館は第17普通科連隊などが駐屯している陸上自衛隊山口駐屯地にあります。
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防長尚武館由来
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歩兵42聯隊が駐屯していた当時、武徳殿(武道場)として使われました。
戦後、進駐軍の司令官宿舎として使われました。
1965(昭和40)年11月に防長尚武館は資料館として開館しました。
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歩兵第42聯隊の足跡や数々の遺品、寺内正毅・壽一親子の元帥刀や勲章、多くの書や現在の自衛隊の活動を紹介たコーナーなど約1600点を展示しています。
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館内
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(防長尚武館パンフレットより)

歩兵第四十二聯隊之碑
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聯隊の由来
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百万一心の碑
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百万一心の碑の由来
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毛利の家紋のある瓦
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ヘリコプターや戦車が展示されています。
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60式自走106mm無反動砲
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6D式装甲車
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61式戦車
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74式戦車
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こんなものまでありました。
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途中、日本最初のキリスト教会の大道寺址を通りました。
中原中也と関わりの深いビリヨン神父の名前が見えます。
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 私の家にはビリオン神父がよくやってきた。蝙蝠のような黒い衣服を大きくひろげて、「おばけがきた!」とか「あーりがたい」とかいって玄関から入ってきた。私たち子供を見つけると、後ろ向きにさせて、首筋から何物かを入れる。それは背中をすべり落ち帯のあたりでとまる。飴玉であったり、ビスケットであったり、時には五厘銭であったこともある。
(略)
 東京時代、二十三歳のとき、友人安原喜弘さんと一緒に奈良に遊び、同地のカトリック教会にビリオン神父を訪ねたとき、祭壇の前で礼拝する身ぶり手ぶりは型にはまっていたといわれる安原さんの証言はうなずける。
(『兄中原中也と祖先たち』(審美社 1970.7)「兄中原中也」「聖体」P.80〜81)

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仁壁神社
周防国三宮であり、周辺の地名も「三の宮」です。

鳥居
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石碑「式内仁壁社
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天保丙申□五月(1836年)
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天保六年未五月吉日(1835年)
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本殿が向こうにありますが、時間がなくて寄れませんでした。
石州街道から眺めただけですもうやだ〜(悲しい顔)
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みんなで歩くと、自分の行きたいところに行けないし、立ち止まりたいところで止まれなし、マイペースで歩けないし、写真も思うように撮れなくて残念と言えば残念です。
でも、学生の皆さんと、いろいろ話すことができ、他の参加者の方にも親切にしていただき、
やっぱりみんなで歩くというのはとっても楽しいし、得るものの方が大きいです。

学生の皆さんが積極的に話しかけてきてくださり、ハートウォーミングなイベントでした揺れるハート
機会があったら、また、参加したいですかわいい

本当にありがとうございましたわーい(嬉しい顔)

この催しは、今年度もう一回、11月23日(金・祝)にも開催されます。

るんるん集合・解散場所るんるん 山口線宮野駅
るんるん参加費用るんるん 無料
るんるん事前申込るんるん 不要
るんるんコースるんるん  約5q
    宮野駅→旧寺内文庫→山口県立大学図書簡→寺内墓所→旧陸軍墓地
    →山口県護国神社→防長尚武館→仁壁神社→宮野駅
るんるん所用時間るんるん 約2時間45分
るんるん集合時間るんるん 13:00
るんるん出発時間るんるん 13:15
るんるん解散時間るんるん 16:00頃
るんるん主  催るんるん 宮野地域学生プロジェクト
るんるん共  催るんるん みやの地域づくり協議会
「文士の肖像―林忠彦写真展」を観に行きましたA @ 中原中也記念館 [2018年10月28日(Sun)]
【前回の続き】

かわいい今日出海かわいい 

今日出海さんのお宅へ伺ったら、庭のなかに、二畳が三畳かの小屋をつくって、そこで仕事をしておられたようでしたが、その小屋の窓に座っている姿を撮ったことがありました。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.320)

まさにその写真です。
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(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.318)

今は、井上公園で行われた中原中也碑の除幕式に、小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平とともに出ています。
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かわいい佐藤春夫かわいい 

暗闇から出てきたキリンのような感じがしました。(略)
 邸宅は、クラシックな建物で、これまた変なたとえだけれど、江戸川乱歩の探偵物に出てきそうな西洋館の暗い家で、書斎も非常に変わっていました。六角テーブルがあったし、普通なら座布団は真四角に敷いて座るものですが、先生は菱形の対角線に着物姿で座って、膝がこぼれても平気な顔でした。(略)
 大体、この写真を撮った部屋は、座るようなところではないですね。畳がちょっと一枚だけ入れてあって、周りは板の間です。    
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.71)

不思議なものが置かれた書斎です。

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(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.69)

中也の弟・思郎もその著書で佐藤の客間の様子を書いています。
中也の長男・文也が11月10日に亡くなった翌年の1937(昭和12)年の元旦に中也に連れらて佐藤邸を訪問しました。

佐藤春夫さんの家では(略)広い洋間のような日本間の客室の中央にイロリのようなものがあって、佐藤さんは長い鉄火箸をしきりに動かしながら、数人の若い客人にとりまかれていた。中也のきちょうめんな正月の挨拶に対して、佐藤さんは「このごろは、もっぱら絵を楽しんでいる」といって、辺りに沢山おいてあった油絵を指さした。
(『兄中原中也と祖先たち』(審美社)「兄中原中也」「屋根」P.68)

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【次回へ続く】
「文士の肖像―林忠彦写真展」を観に行きました@ @ 中原中也記念館 [2018年10月27日(Sat)]
中原中也記念館へ「文士の肖像―林忠彦写真展」を観に行きましたぴかぴか(新しい)

周南市出身の写真家・林忠彦(1918〜1990)の生誕100年を記念し写真展です。
林の撮った中也と同時代の文学者の肖像写真とその業績を紹介した資料で構成された展示です。

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そこに僕の写真の味を加えなければならないなんにもならないわけです。
 それは何か? 僕はレンズとかカメラといったメカニックなものでなく、相手の心のなかに溶けこむことではないかと思うのです。

(『林忠彦写真集 日本の作家』(林忠彦/撮影 小学館 2014.9)「あとがき」より)


かわいい小林秀雄かわいい(1902〜1983)
 
1本の大きな樹と灯籠を背に鎌倉の自宅の広い庭に立つ小林を家の中から撮った写真です。
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(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.324)

鎌倉の小林邸の前の上り坂の小道にさしかかると、本当にふるえがきて、なかなかとまらなかったことを覚えています。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.322)

とあるようのに、二人の間には距離があるのでしょうか。


かわいい河上徹太郎かわいい (1902〜1980)

浴衣姿の河上が、岩国のお酒 五橋と名橋正宗の一升瓶を前に置き、火鉢にかけたやかんでお燗をつけようと、提子(ひさげ)から徳利にお酒を注いでいる写真です。

 飲む酒はきまっていて、たしか名橋正宗だったと思います。それを二升ほどドーンとわきに置いて、二人で夜明けまで飲み続けて全部あけちゃいましたが、朝にも強くて、「朝飯においでよ」と誘っていただき、朝からまた一升飲んだあと、お城のなかの吉川公園を散歩しました。このぐらいのんべいで二日酔いをしない人っていうのは珍しいと驚きましたね。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.318)

学芸員さんによると、自宅で写された写真だそうです。

 河上先生は僕と同じ山口県の大先輩に当たるわけですが、実は個人的にも少なからぬ因縁があるんです。
 僕は子供のころから祖父の特殊教育を受けさせられまして、毎日のように放課後、絵と英語とソロバンをやれと、いまの学習塾みたいなところへ通わされたんですが、その絵の先生が河上徹太郎の伯父さんに当たる人でした。水彩画で有名な徳山の人でした。その先生にお世話になったことを河上さんに最初に会ったときに話しまして、特別に親しさを感じました。

(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.316)

この「伯父」(これは、林の勘違いで、親戚です!)とは、マルクス経済学者の河上肇の弟の水彩画家の河上左京(1889〜1971)ではなく、その従兄弟の水彩画家の河上大二(1893〜1949)です。

河上は、左京と大二の作風をそれぞれ「左京さんの重厚な翳(かげ)り」、「大二さんの澄んだ明断(めいせき)さ」と言っています。

大二は、東京美術学校の藤島武二教室に学びました。
卒業後、病となり帰郷し、徳山市(現周南市)に住みました。
林は、絵を習った訳です。

続きを読む...
メイシ交換会 @ 没後81年 中也忌C [2018年10月26日(Fri)]
【前回の続き】

21日、中原中也記念館で行われたメイシ交換会に参加しましたぴかぴか(新しい)
山口県立大学の学生によるプロデュースの名詩を名刺みたいに交換する会です。

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まず、ミサンガづくりにチャレンジしました。
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中也の「一つのメルヘン」と「月夜の浜辺」をイメージして、紫と金色の糸を選びました。
いかがでしょうか?
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名刺(詩)も交換しました。
こちらのカードに好きな詩を書きます。
「一つのメルヘン」にしました。
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I・Mさんからもらった名刺(詩)です。
山口県立大学の1年生だそうです。
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月夜の浜辺

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。


それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂
たもとに入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。


それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛
はふれず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。


月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁
み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?



わたしの名刺(詩)は帽子のオブジェに貼ってくださいました。
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没後81年 中也忌、今年もいろいろなイベントがありました。
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来年の 没後82年 中也忌も楽しみにしています。
ぼうしの詩人賞表彰式・入選作品朗読会 @ 没後81年 中也忌B [2018年10月25日(Thu)]
【前回の続き】

10月21日、山口市内の小中学生を対象とした創作詩のコンクール「ぼうしの詩人賞」表彰式・入選作品朗読会が中原中也記念館でありましたぴかぴか(新しい)

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(▲2018年10月22日付読売新聞)

「ぼうしの詩人賞」は、市内の小中学生が「中原中也」や「詩」に触れる機会を作るために2016 年に創設され、今回が3回目となります。
帽子をかぶった中也の写真のイメージから「ぼうしの詩人賞」と名付けられました。
表彰にあたって、入選者による自作朗読の場を設けているのも、中也が朗読を好み、声を通じて詩作を人々に伝えていたことにちなんでいます。
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今年は小学校1校、中学校6校から52点の応募がありました。

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(▲ぼうしの詩人賞表彰式リーフレット)

最優秀賞の「ぼうしの詩人賞」には大殿中学校2年の牛島惇さんの「元素記号」が輝きましたひらめきひらめきひらめき
楽しかった幼少期の思い出に浸っていたところ、ウグイスの鳴き声が耳に入ったことで、勉強の最中だった現実に引き戻された様子を描いています。

僕は忘れてしまった
三十番目の元素記号


という最後の行が印象的でした。

表彰式では牛島さんには、中也がかぶっていた帽子そっくりの「詩人のぼうし」が贈られました。
入賞者は、審査員から表彰状を受け取り、自作の詩を朗読しました。

入選作品の最優秀賞、優秀賞4点、館長賞2点は、来年1月27日まで中原中也記念館で展示されています。


最優秀賞の「ぼうしの詩人賞」の他の受賞者は次の通りです。

優秀賞ひらめきひらめき
かわいい「風」
  山口市立湯田小学校 四年 上田大翔
かわいい「わたしが、かいじゅうになったら」 
  山口市立湯田小学校2年 又野衣織
かわいい「ボタン」
  山口大学教育学部附属山口中学校3年 中村彩乃
かわいい「ちょうちん祭り」
  山口市立大殿中学校2年 藤田康太郎

館長賞ひらめき
かわいい「月の光」
  山口市立大内中学校2年 井上柊亜
かわいい「二つの麦わらぼうし」
  山口大学教育学部附属山口中学校1年 松井琉惺

【次回へ続く】
中垣竹之助宛 中原中也葉書 @ 山口お宝展 [2018年10月24日(Wed)]
中原中也記念館へ、中也が長男・文也を2歳で亡くした後送った喪中葉書(昭和11年12月 早稲田発信)が展示されているのを観に行きましたぴかぴか(新しい)

日記(雑記貼)(1934(9)年5月〜1936(昭和11)年12月使用)とともに展示されていました。
日記は、11月3、4、10日のことろが開いてありました。

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新発見・初公開で、山口お宝展の特別展示として、10月31日まで展示されます。

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(▲山口お宝展 2018 ガイドペーパー 「Treasure of Yamaguchi Times 七」より)

文也が小児結核で1936年11月10日に亡くなった約1カ月後に送られた喪中葉書とみられます。

文也が死亡した日に

午前九時二十分文也逝去
ひのえ申一白おさん大安翼
 文空童子


と記した日記(今回レプリカですが見ることができます)や12月12日の「文也の一生」と題した文也の短い生涯を綴った日記、同時期の原稿用紙に書かれた詩稿「夏の夜の博覧会はかなしからずや」「冬の長門峡」(12月24日)などと同じ毛筆で墨書されています。

実際、そのいずれも実物を観た(中原中也記念館 平成29(2017)年度特別企画展「詩が生まれた場所へ ― 中也のみた風景」)ことがあるのですが、
その字の乱れが、中也の心の乱れがそのまま表れているようで、中也の深い悲しみを推し量ることができ、心に響きました。

展示されている葉書の宛先は、中也のかつての恋人、長谷川泰子の夫で、石炭商の中垣竹之助です。
宛名面には、

大森区田園調布
 三の五九二
中垣竹之助様


と書かれ、
文面は、

喪中に付年末年始の
礼を欠きます
 昭和十一年十二月
 

と簡素で、当時の中也の無念の思いが偲ばれます。
それに続く住所と署名は、

東京市牛込区市ヶ谷谷町六二
     中原中也


とあります。
中也一家は、四谷区花園町九五 花園アパートが手狭になったため、1935年6月7日に親戚である中原岩三郎氏所有の借家に転居します。
葉書の住所は、妻・孝子と文也と3人で住んでいたまさに、その住所です。

家庭的な幸せに浸っていた中也に、文也の2歳の誕生日を過ぎた頃から不幸が忍び寄って来ます。
1936(昭和11)年10月の日記に

文也の誕生日。雨天なので、動物園行きをやめる

11月4日、

坊やの胃は相変わらずわるく、終日むづかる。明日頃はなほるであらう

とここまでは、ペン書きです。
以後、数日記載がありません。
11月10日、ここからは、墨書きで、

午前九時二十分文也逝去
ひのえ申一白おさん大安翼
 文空童子


文也逝去の記述です。
そして、12月12日の「文也の一生」です。
そこには、2年前の文也誕生からその後の成長の過程が思い出されるままに書き綴られているのですが、

七月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。

ここでプツンと打ち切られ、原稿用紙に書かれた「夏の夜の博覧会はかなしからずや」に続きます。


夏の夜の博覧会はかなしからずや



夏の夜の博覧会は、哀しからずや
雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや


女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に僕と坊やとはゐぬ、
二人蹲
しやがんでゐぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ

三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ


そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりき、かなしからずや、
髪毛風に吹かれつ
見てありぬ、見てありぬ、かなしからずや
それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや


広小路にて玩具を買ひぬ、兎の玩具かなしからずや



その日博覧会に入りしばかりの刻とき
なほ明るく、昼の明
あかりありぬ、

われら三人みたり飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ


飛行機の夕空にめぐれば、
四囲の燈光また夕空にめぐりぬ


夕空は、紺青こんじやうの色なりき
燈光は、貝釦かひボタンの色なりき

その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を
その時よ、坊やみてありぬ
その時よ、紺青の空!

(一九三六・一二・二四)


NHK「100分 de 名著」「名著61 中原中也詩集」の第4回目のタイトルが「「死」を「詩」にする」(1917放送)で「夏の夜の博覧会はかなしからずや」を取り上げていました。

まさに、その頃に書かれた喪中葉書が見つかったこと、それも、中也の愛した泰子の夫宛だったこと、一見の価値がありますexclamation×2
墓前祭 @ 没後81年 中也忌A [2018年10月23日(Tue)]
【前回の続き】

10月22日、中原中也の命日、山口市吉敷の経塚墓地にある中原家累代之墓で墓前祭が行われましたぴかぴか(新しい)

中原中也は1937(昭和12)年10月22日、30歳の若さで亡くなりました。第二詩集『在りし日の歌』のための清書原稿を友人・小林秀雄に託し、故郷・山口へ引き揚げる目前のことでした。
現在はここ経塚墓地で静かな眠りについています。

(パンフレット「中原中也没後81年 中也忌―墓前祭ー」より)

墓前にファンが集まりました。
横浜から来られた方もいました。
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中原家累代之墓は、
墓石の文字は中也が中学2年生の時かいたもの。中也の父・謙助の一周忌に建てられました。「中原政熊夫婦之墓」の文字も中也の筆になるものです。中也の詩「蝉」にはこの墓地や吉敷川の風景がうたわれています。
(パンフレット「中原中也没後81年 中也忌―墓前祭ー」より)
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中原豊館長の進行で行われました。
福田百合子名誉館長から中也のお話がありました。
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中原中也記念館に寄せられた中也へのメッセージを渡辺副館長か供えられました。
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10月12日(金)〜22日(月)10:00に中也へのメッセージを館内で受け付けたところ19通寄せられたそうです。
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一人ひとりがお花をお供えして、手を合わせました。
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最後に、「一つのメルヘン」をみんなで、朗読しました。


秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。


陽といっても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。


さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。


やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……



経塚墓地近くを流れる吉敷川は、通称・水無川とも呼ばれています。伏流となっているため、地表に水が流れない時には、川床の小石が姿をあらわします。この川を舞台に詩「一つのメルヘン」「骨」「蝉」が書かれました。
(パンフレット「中原中也没後81年 中也忌―墓前祭ー」より)
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【次回へ続く】
中也に捧げる夕べ @ 没後81年 中也忌@ [2018年10月22日(Mon)]
10月21日、中原中也記念館で行われた「中也に捧げる夕べ」に参加しましたぴかぴか(新しい)

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今年は、香山公園の「山口ゆらめき回廊2018」のキャンドル点灯とブッキングしたので、例年ほど準備できなかったそうです。
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透明なプラスチックのコップを使っていて、いつもと違った雰囲気で、
これはこれで上品な灯りです。
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2Fの窓に高田博厚の作った「中原中也像」が見えます。
中也も、このキャンドルの灯りを見ているのでしょうか。
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今年の「中也に捧げる夕べ」のコンサートは、ハーモニカ奏者であった、中也の末弟・伊藤拾郎さんにゆかりのある山口県ハーモニカクラブから、品川勝邦さんと吉本小百合さんによるハーモニカ演奏でしたるんるん
拾郎さんは、今年生誕100年だそうです揺れるハート
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ハーモニカというのは身近な楽器ですが、
とても奥深い楽器だということを今日の演奏で初めて知りました。
びっくりするくらい繊細で、軽やかで、しかし重厚で、曲に合わせた変幻自在な演奏に圧倒されました。

50本近いハーモニカの中から、曲に合わせて、2本ないし3本選び、吹かれていました。
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また、拾郎さんに師事された品川さんの拾郎さんとの思い出を交えながらの演奏は、今日の「中也に捧げる夕べ」にふさわしいものでした。
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特に、品川さんが最初に演奏された「荒城の月幻想的変奏曲」にまつわる思い出は印象的でした。
「荒城の月幻想的変奏曲」はハーモニカの全ての技法が入っていてとても難しい曲だそうです。

先生のお宅に行くと決まって「荒城の月幻想的変奏曲」を聞かせてくださるので、「少しは他の曲も聞かせてくださればいいのに」と思っていたこと。
拾郎さんが、昭和9年29歳の時、ドイツで開催された世界ハーモニカコンクールでこの曲で、世界一になられたことを知ったこと。
品川さんご自身も師範試験の際、演奏したのがこの曲だったこと。
拾郎さんは電話で話すのが大好きで、品川さんの手がしびれるくらい話されたこと、そして、電話で「荒城の月幻想的変奏曲」を吹いて欲しい、と言われ、言われるままに吹いたところ、その数日後亡くなられたこと。

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月がとてもきれいでした。
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今日22日10:30~11:00、墓前祭が中也の墓がある山口市吉敷の経塚墓地にてあります。
送迎バスを希望される方は、中原中也記念館に10:00まで申し込んでください。
バスは10:15に中原中也記念館を出発します。

また、中原中也記念館は無料開放されます。

【次回へ続く】
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