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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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瑠璃光寺 @ 香山公園A [2018年09月30日(Sun)]
【昨日の続き】

瑠璃光寺

結界石(禁牌石(きんぱいせき))
不許葷酒入山門
「葷酒山門に入るを許さず」
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寺号碑
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山門(石柱門)と参道
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説明版
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案内図
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中門
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扁額
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鐘楼
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梵鐘の説明版
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袖廻廊
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斜め廻廊(西側)
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斜め廻廊(東側)
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境内
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経塚(五重塔)
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観音菩薩とわらべ地蔵
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保存樹の赤松
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手水鉢
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身代わり地蔵
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後生車
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水掛け地蔵
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吾唯足知の蹲
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仏足石
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梆(ほう)
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大香炉
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本堂向拝柱にすりこぎ
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大しゃもじ
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本堂
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本堂の中
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古地図
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金堂
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金毘羅社
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かわいい瑠璃光寺の歴史かわいい
1467(応仁元)年29代大内政弘が応仁の乱で京都に出陣した時、大内氏一族の6代陶弘房も従軍したましたが、翌年の相国寺合戦で討死し、妻の妙栄(仁保氏13代盛郷の娘)が夫の菩提を弔うために、1471(文明3)年仁保の小高野に大庵須益和尚の開山により「安養寺」を創建しました。
弘房の25回忌の1492(明応元)年弘房の次男弘詮が安養寺を廃して、隣に一寺を建立して、弘房の法号もそれまでの泉福院殿文月道周大居士から瑠璃光寺殿文月道周大禅定門に改称して、その戒名から「瑠璃光寺」と呼びました。
1499(明応8)年伽藍が焼失したため、 仁保村門前寺山に再建されました。
1586(天正14)年毛利元就の次男・吉川元春は豊前小倉の陣中で病死し、安芸国山県郡原村新条(大朝町新条)に葬られ、瑠璃光寺十一代華翁和尚が、その導師となり瑠璃光寺を牌所としました。
1609(慶長14)年瑠璃光寺を吉川元春の法号「髄浪院殿海翁正恵大居士」に因んで「海翁寺」と改められました。
お寺の紋章もそれまでの大内菱を吉川家の定紋 九曜紋に改めました。
1613(慶長18年)吉川元春の曾孫であり、吉川2代目当主(正室は輝元と二の丸様の嫡子長女・高玄院竹姫)吉川広正により、寺号を「瑠璃光寺」に戻されました。

1604(慶長9)年に毛利輝元がこの地にあった香積寺を建築資材として萩に移しました。
1690(元禄3)年その跡地に、仁保から瑠璃光寺が移されました。
香山公園@ [2018年09月29日(Sat)]
【9月21日「文学碑「長州はいい塔をもっている」」の続き】

国宝瑠璃光寺五重塔のある高山公園には、司馬遼太郎の文学碑の他にも歌碑や銅像があります。
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案内図
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若山牧水の歌碑
はつ夏の 山のなかなる ふる寺の
 古塔のもとに 立てる旅人

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友廣保一の句碑
在り慣れて散歩のところ池の辺の
 五重塔に心はよりて

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雪舟の胸像
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大内弘世騎馬像
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瑠璃光寺鎮守石殿
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こんなものもありました。
明治時代の郵便ポストを再現したもので、投函OKとのことです。
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駐車場には、紙本榮一銅像があります。
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【次回に続く】
選書会に参加しました @ Y小学校 [2018年09月28日(Fri)]
27日、小学校の選書会に参加しましたぴかぴか(新しい)

今日の本の案内人は、おばけのアッチ
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下関市のこどもの広場横山眞佐子さんです揺れるハート
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体育館に1・2年生、
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3・4年生、
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5年生、
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6年生に分かれて体育館に集まりましたるんるん
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まず、眞佐子さんのブックトークを聞きました。
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6年生に紹介された本です揺れるハート
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机の上には約600冊の新書の並べられています。
600冊の新刊本が表表紙を向けて広げられているのは圧巻です。
その中から、読んでみたい、と思った本に票を入れ(紙をはさみ)ましたるんるん
一人の持ち票は3票ですexclamation
すぐに入れる子、しっかり吟味して最後の最後まで粘る子、様々です。
ブックトークで紹介された本に票を入れる子が多いのはもちろんですが、
「これ」って、決めている子も結構います。
PTAの方や先生ももちろん票を入れました。
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票を入れた後は、自由な読書タイムです。
これは、と思った本を持って、好きな場所で、一人で、または、友達と読んでいます。

こうして、全ての回が終わった後、得票数を集計し、
得票数の多い本から順に選んでいって5票までの本を買うことになりましたかわいい
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今回、残念ながら、4票以下の本は、購入できませんでしたもうやだ〜(悲しい顔)
4票の本ちっ(怒った顔)
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3票の本ふらふら
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案内役のおばけのアッチの本
『おばけのアッチとくものパンやさん』
(角野栄子/作 佐々木洋子/絵 2018.1 ポプラ社)
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『おばけのアッチ ドララちゃんとドララちゃん』
(角野栄子/作 佐々木洋子/絵 2017.8 ポプラ社)
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を除いて、
栄えあるGOLDに輝いたのはひらめきひらめきひらめき
『千びきおおかみ 日本のこわい話 』
(筒井悦子/再話 太田大輔/絵 こぐま社 2018.2)
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SILVERはひらめきひらめき
『絵物語 古事記』
(富安陽子/文 山村浩二/絵 三浦佑之/監修 偕成社 2017.11)
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と、これはあくまでの私の目分量なので、もし、間違っていたら、ごめんなさいm(_ _)m

3月に武田美穂さんが話されていた『マネキンさんがきた』(村中李衣/作 武田美穂/絵 BL出版 2018.4)もたくさんの票を取っていましたハートたち(複数ハート)

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赤田神社 @ 吉敷川 [2018年09月27日(Thu)]
山口市吉敷赤田の赤田神社に行ってみましたぴかぴか(新しい)

周防五社の一つです。
九州の戦陣から帰った領主 大内義興が周防国内の五社に戦勝報告し、ここは4番目であったことから「周防国四の宮」と称されるようになりました。
▼周防国一の宮 玉祖神社(防府市)(2018.6.7のブログ)
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赤田神社案内図。
見どころが詳しく説明してあって、楽しいです。
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説明板。
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社伝によると、139(成務天皇)年9月9日に、出雲国杵築大社(出雲大社)から 大己貴命(大国主命)を勧請し、現在の吉敷中村にお祀りしたのがその始まりといわれています。
今でも、ちょうど、吉敷川をはさんで、中原中也のお墓のある経塚墓地の反対側(西側)、吉敷大橋の袂に、古四宮(ふるしのみや)として遥拝所があります。
▼吉敷大橋。左端に小さく古四宮が写っています。
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社殿の東側を吉敷川が流れています。
川へ降りる階段があり、手や口を浄めてから参拝します。
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岩屋の絶壁
717(養老元)年に神様のお告げにより現在の吉敷赤田にお遷したと伝えられています。
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狛犬の阿。
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狛犬の吽。
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1497(明応6)年、義興が神馬・神楽を奉納した記録が『五社参詣の記』にあります。
1543(天文12)年、大内義隆が頽廃の甚しきを見て、社殿を造替したそうです。
現在の社殿は幕末期の建立とのことです。


拝殿。
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拝殿向拝の彫刻。
吉田岩亀の作。
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拝殿額。
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拝殿天井絵。
吉敷出身の日本画家 内藤鳳岳の龍の絵です。
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幣殿。
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御神輿が見えます。
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本殿。
本殿そばのカヤの木は、樹高約30m、目通り約3.5mで、「残したい山口市の巨樹・名樹50選/2003」に選ばれました。
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本殿の両側の虹梁には波兎の彫り物があります。
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波は水の象徴として火伏の御利益があるといわれています。
大国主命を祀っていることから出雲神話の「因幡の白兎」を思い起こします。
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隣には恵比須神社があります。
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庚申塔。
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古い灯籠などもあります。
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手水鉢。
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何かの碑。
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泰雲寺 @ 中原中也と鳴滝A [2018年09月26日(Wed)]
【昨日の続き】

鳴滝まで来たので、中也が訪れたという泰雲寺へ行ってみましたぴかぴか(新しい)

1928(昭和3)年の春、中原中也は病気の父親・謙助の見舞いで帰省した折に、中原家の子弟が師事していた泰雲寺の老師品川雷応を訪ねました。
雷応は中也を鳴滝に連れて行き、何も言わずに、一緒に厳から流れる滝を眺めたそうです。

鳴滝を詠んだといわれている「悲しき朝」は『生活者』昭和4年9月号に発表されました。

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鳴滝公園の駐車場から旧道を鳴滝川沿いに進み、河川プール(鳴滝砂防親水プール)の横を過ぎ、月光橋を渡ったところに、泰雲寺はあります。
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または、国道262号「鳴滝園」という看板がある角を曲がり、道なりに進むと正面に山門があります。
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泰雲寺は始め闢雲(びゃくうん)寺と称し、1405(応永11)年に周防に来訪した薩州の曹洞宗の石屋真梁(せきおくしんりょう)禅師に26代大内盛見が帰依し、棯畑、葦谷に創建しました。
1429(永享元)年28代大内教弘の時代、三世覚隠永本禅師により現在地に移転しました。
防長五刹の一つに数えられ、江戸時代に防長二州僧録司が置かれました。
江戸時代までは門派600カ寺の総本寺として、代々輪住(末寺、門派の僧侶が一年交代で住職を務める制度)が行われてきました。

山門を進むと、
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参道脇に寄進された灯籠が並んでいます。
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回廊。
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心字池より本堂を臨む。
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本堂。
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扁額。
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毛利の家紋のある瓦。
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坐堂。
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三宝大荒神の説明板。
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開山供養塔。
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開山坐禅石。
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大内教弘墓。
大内教弘の菩提所でした。
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小早川隆景の供養墓。
毛利元就の三男隆景で、小早川繁平の養子となり、その妹(後の問田大方)を妻としました。
隆景の法名により「泰雲寺」と改められました。
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小早川隆景正室(慈光院)・問田大方の墓(宝篋印塔)。
夫・隆景の死後は毛利氏の長州転封に従って、周防国吉敷郡問田(現在の山口市大内問田)に移り住み、問田大方と呼ばれました。
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益田七内五輪塔。
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経塚。
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十三重石塔。
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鐘楼。
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境内の外に塔がありました。
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石槌大権現の鳥居。
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「文政七甲申歳九月十三日」とあるので、1824年の建立です。
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泰雲寺入り口に王子神社跡の石碑があります。
紀州熊野の那智権現を勧請して鳴滝の鎮守として建てられた神社でした。
大内弘世の棟札も残っているといわれています。
1910(明治43)年小鯖八幡宮に合祀されたそうです。
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狛犬の阿。
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狛犬の吽。
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手水鉢。
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河瀬の音が山に来る @ 中原中也と鳴滝@ [2018年09月25日(Tue)]
山口市下小鯖の鳴滝に中原中也の詩碑を見に行きましたぴかぴか(新しい)
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600年前、大内弘世が京都を模して街づくりを行ったとき、
京都にある鳴滝に見立て、「鳴滝」と名付けられた、といわれています。
鼓の滝(吉敷)、錦鶏の滝(天花畑)と並び、山口三名滝の一つです。
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国道262号下小鯖交差点を「山口地ビール」の看板を目印に県道27号に入って行き、
▼地ビールから鳴滝を眺める
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山口地ビールそばの道を左に曲がります。
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鳴滝のそばに詩碑は建っています。
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鳴滝は上流から一の滝、二の滝、三の滝とあります。
三の滝周辺は、2000(平成12)年、鳴滝公園として整備されました。
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中也の詩集『山羊の歌』に収められた「悲しき朝」の第一連が刻まれています。
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中也没後50周年を記念して1986(昭和61)年11月に小鯖青年団が建てました。
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悲しき朝

河瀬の音が山に来る、
春の光は、石のやうだ。
かけひの水は、物語る
白髪
しらがの嫗をうなにさも肖てる。

雲母の口して歌つたよ、
うしろに倒れ、歌つたよ、
心は涸
れて皺枯しわがれて、
いはほの上の、綱渡り。

知れざる炎、空にゆき!

響の雨は、濡れ冠る!

……………………………

われかにかくに手を拍く……


鳴滝を見て詠んだ、ともいわれています。
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石を渡って三の滝に近付いてみました。
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鳴滝展望台から滝を眺めてみました。
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不動明王のようなものが彫られ、街を見渡しています。
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「大岡昇平と中原中也」を観に行きましたI @ 中原中也記念館 [2018年09月24日(Mon)]
【前回の続き】

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中原中也記念館の「大岡昇平と中原中也」もいよいよ今日24日までとなりました。
今回、大岡昇平の代表作『レイテ戦記』の直筆原稿や激しい推敲の跡をとどめる訂正本、執筆資料などが展示してあります。

直筆資料には「手入れ本」「手入れ雑誌」「手入切抜」が多く見られます。
大岡は発表した原稿にも推敲を重ね、発表誌に書き込んだり、発表誌のコピーを原稿用紙に裏面に貼り付けてそこに書き込んだりしています。
大岡の執念を感じます。

また、大岡は収集した資料をきちんと整理する人です。
『レイテ戦記』の資料だけでも膨大で、一つの展示会が開ける程があるそうです。
大学院生だった中原中也記念館の中原豊館長からの書簡をきちんと保存していたことからも、それが窺えます。

まだまだ書き忘れたことがあるような気もしますが、この項、終わりとします。

▼(KRY山口放送「ニュースライブ」(2018.9.11)より 1944(昭和19)年3月の頃の大岡昇平)
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▼(同 1953(昭和28)年大磯の自宅での大岡昇平)
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▼(同 草稿「昭和三年の中原中也」)
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青い空は金色に澄み、そこから茸の薫りは生れ @ 秋の日曜 [2018年09月23日(Sun)]
雨が続いた後、今日(22日)は久し振りの秋晴れです。
維新百年公園で、たくさんキノコを見つけました。

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ヒメカタショウロ?
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中原中也の詩に「秋の日曜」というのがあります。
「早大ノート」(1930〜1937)の終わりの方にある未完詩篇です。
その中に「茸」という言葉が出てきます。


秋の日曜
 
私の部屋の、窓越しに
みえるのは、エヤ・サイン
軽くあがった 二つの気球


青い空は金色に澄み、
そこから茸の桙閧ヘ生れ、
娘は生れ夢も生れる。


でも、風は冷え、
街はいつたいに雨の翌日のやうで
はじめて紹介される人同志はなじまない。


誰もかも再會に懷しむ、
あの貞順な奧さんも
昔の喜びに笑ひいでる。



中也の碑のある鳴滝には、可愛い、コボルトが似合いそうなキノコが生えていました。
コボルトとは、ドイツ民間伝承に出てくる妖精です。
タマゴダケという名前で、食用だそうです。
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この小児

コボルト空に往交ゆきかへば、
野に
蒼白の
この小児。


黒雲空にすぢ引けば、
この小児
しぼる涙は
銀の液……

    
        地球が二つに割れゝばいい、
     そして片方は洋行すればいい、
     すれば私はもう片方に腰掛けて
     青空をばかり――

     
花崗の巌いはほ
浜の空
み寺の屋根や
海の果て……
曼珠沙華と夕陽とがゆきすぎる @ 盲目の秋 [2018年09月22日(Sat)]
庭の曼珠沙華が咲きましたぴかぴか(新しい)
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白い(というより黄色の)曼珠沙華です。
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曼珠沙華は法華経のなどの仏典に由来する天上に咲く花で、白くて柔らかく、見る者に悪を離れさせるはたらきがあるそうです。
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(以上3枚、9月17日、20日自宅で撮影)

なので、赤い花より白い花の方がより「曼珠沙華」という名前にふさわしいのかもしれません。
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(以上2枚、9月22日吉敷川沿いで撮影)


曼珠沙華といえば、中原中也「盲目の秋」を思い出します。
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こちらは、の曼珠沙華です。
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曼珠沙華と書いて「ひがんばな」とルビがふってあります。
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   I

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。


その間かん)、小さな紅くれなゐの花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまふ。


風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。


もう永遠に帰らないことを思つて
  酷白
こくはくな嘆息するのも幾たびであらう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華
ひがんばなと夕陽とがゆきすぎる。

それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛たたへ、
  去りゆく女が最後にくれる笑ゑまひのやうに、

おごそかで、ゆたかで、それでゐて佗わびしく  
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……


      あゝ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

 

  II


これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。


これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。


人には自恃じじがあればよい!
その余はすべてなるまゝだ……


自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。


平気で、陽気で、藁束わらたばのやうにしむみりと、
朝霧を煮釜に填
めて、跳起きられればよい!


  III


私の聖母サンタ・マリヤ
  とにかく私は血を吐いた!……

おまへが情けをうけてくれないので、
  とにかく私はまゐつてしまつた……


それといふのも私が素直でなかつたからでもあるが、
  それといふのも私に意気地がなかつたからでもあるが、
私がおまへを愛することがごく自然だつたので、
  おまへもわたしを愛してゐたのだが……


おゝ! 私の聖母サンタ・マリヤ
  いまさらどうしやうもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい──


ごく自然に、だが自然に愛せるといふことは、
  そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、さう誰にでも許されてはゐないのだ。



  IV


せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披
ひらいてくれるでせうか。
  その時は白粧
おしろいをつけてゐてはいや、
  その時は白粧
おしろいをつけてみてはいや。

ただ静かにその胸を破いて、
私の眼に輻射してゐて下さい。
  何にも考へてくれてはいや、
  たとへ私のために考へてくれるのでもいや。


ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいてゐて下さい。
──もしも涙がながれてきたら、


いきなり私の上にうつ俯して、
それで私を殺してしまつてもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土
よみぢの径を昇りゆく。

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文学碑「長州はいい塔をもっている」 @ 司馬遼太郎『街道をゆく1 甲州街道、長州路ほか』より「瑠璃光寺など」 [2018年09月21日(Fri)]
【昨日の続きです】

司馬遼太郎の文学碑を見るために、19日、お昼間に瑠璃光寺五重塔を訪ねましたぴかぴか(新しい)
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(長州はいい塔をもっている)
と、惚れぼれするおもいであった。
長州人の優しさというものは、
山口に八街九陌をつくった大内弘世や、
ザビエルを保護した義隆などの
大内文化を知らねば
わからないような気もする。
 司馬遼太郎
  「街道をゆく」(一)長州路より



自筆を写した署名があります。
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ザビエル来山(1550(天文19)年11月)450年、大内義隆没(1551(天文20)年8月)後449年を記念して2000年8月7日に建立されました。
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五重塔の説明板。
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1915(大正4)年の解体修理の際、5層目北側の軒下の斗組の部材から

嘉吉二年二月六日 此のふでぬし廿七 年みつのえいぬ

と墨で記された落書が見つかり、
1442(嘉吉(かきつ)2)年(壬戌(みずのえいぬ)が竣工の年とされています。
『山口県史だより』第31号/平成26年11月「一〇〇年前の古建築修理 瑠璃光寺五重塔の解体修理」参照)

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東京スカイツリーのデザイン監修をした彫刻家で元東京藝術大学学長の澄川喜一さん(島根県六日市出身、岩国工業高校卒業)が、
「江戸時代以前に建立された全国に22ある五重塔の中で山口の五重塔が 一 番美しい」
「東京スカイツリーの出発点は、岩国の錦帯橋や山口の五重塔でもある」

と言われていました。
(山口県立美術館で2012年6月30日に開催された講演会とギャラリーツアーにて)

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建築年代を記した巻斗や町民が町奉行に出した五重塔移設反対の嘆願書の写しは、瑠璃光寺資料館で見られるようです。

御願上候

此度天花香積寺萩表ヘ引移相成儀ニ付 五重塔ノ儀ハ大内義弘公之御墓所之印ト
申伝承候間 右塔之儀ハ其侭御残可被下山口触次中ヨリ御願申出候
宜敷御聞召被御沙汰可被下候以上

   山口 町管中      元和元年辰六月



これに対し、御取次役・榎本中太郎は

願之通リ可差置候

と回答。
この史料の真贋を疑問視する向きもあるようですが……。
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