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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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「やまぐち朗読Cafe」に参加しました [2018年08月31日(Fri)]
8月30日、ジャズスポット ポルシェでの
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第7回「やまぐち朗読Cafe」〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜 に参加しましたぴかぴか(新しい)
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いつものように中原中也記念館の中原豊館長の司会で進行しました。
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第1部 オープニング朗読

街の朗読屋さんの林伸一先生が、ブルーノ・ムナーリ/作、谷川俊太郎/訳の絵本『ジジは ぼうし なくした』(フレーベル館 2012.4)を読まれました。
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軽妙な語り口は、
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おしゃれな作品にぴったりで、
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和やかな雰囲気になりました。
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第2部 蓄音器ジャズ

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今日は、キャピトル・レコードの特集です。
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@映画「グレン・ミラー物語」より「In the Mood(イン・ザ・ムード)」
A映画「真昼の決闘」より「Do not forsake me, My Darling」
Bフランク・シナトラ「South of the Border(国境の南)」
C「C'est si bon(セ・シ・ボン)」
D映画「オズの魔法使い」より「Over the Rainbow(虹の彼方に)」
の5曲でした。

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第3部 自由参加の朗読

N・Tさんが高校の国語の教科書より葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』を朗読されました。
Nさんはいつも高校の国語の教科書を読まれますが、今回は、衝撃的な内容で思わず聞き入りました。
葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』は角川文庫(KADOKAWA 2008.9)で読むことができます。
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次は、私家版詩集『ちょうどいい猫』から「ちょうどいい猫」を作者の麻生有里さんが朗読されました。しっとりとした朗読で心地よくなりました。
詩人の方の自作詩の朗読は格別です。
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その後、9人の方が、
友人の4人のお子さんに宛てた手紙「懺悔の記録」、
やなせたかし「しっぽのちぎれためだか」、
谷川俊太郎「夕焼け」「生きる」、
井上陽水「少年時代」、
北川暢子『そこに光があるから』(ゆるり書房 2017.6)より「愛のかたち」「少年のような君」「新しいわたし」「せつない涙」、
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柴田トヨ『くじけないで』(飛鳥新社 2010.3)より「あさがくる」「思い出」など、
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『きけ わだつみのこえ』より鈴木実の遺書状を朗読されました。

谷川俊太郎『生きる』は岡本よしろうさんの絵で絵本(福音館書店 2017.3)になっています揺れるハート
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最後に中原豊館長が小川洋子『人質の朗読会』(中央公論新社 2011.2)より「第6夜」を朗読されました。
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もちろん、中也の詩を朗読した人もいました揺れるハート


夏過けて、友よ、秋とはなりました
 
友達よ、僕が何処にゐたか知つてゐるか?
僕は島にゐた、島の小さな漁村にゐた。
其処で僕は散歩をしたり、舟で酒を呑んだりしてゐた。
又沢山の詩も読んだ、何にも煩はされないで。


時に僕はひどく退屈した、君達に会ひたかつた。
しかし君達との長々しい会合、その終りにはだれる会合、
飲みたくない酒を飲み、話したくないことを話す辛さを思ひ出して
僕は僕の惰弱な心を、ともかくもなんとか制へてゐた。


それにしてもそんな時には勉強は出来なかつた、散歩も出来なかつた。
僕は酒場に出掛けた、青と赤との濁つた酒場で、
僕はジンを呑んで、しまひにはテーブルに俯伏
うつぷしてゐた。

或る夜は浜辺で舟に凭すがつて、波に閃めく月を見てゐた。
遠くの方の物凄い空。舟の傍では虫が鳴いてゐた。
思ひきりのんびり夢をみてゐた。浪の音がまだ耳に残つてゐる。


  

暗い庭で虫が鳴いてゐる、雨気を含んだ風が吹いてゐる。
茲は僕の書斎だ、僕はまた帰つて来てゐる。
島の夜が思ひ出される、いつたいどうしたものか夏の旅は、
死者の思ひ出のやうに心に沁みる、毎年々々、


秋が来て、今夜のやうに虫の鳴く夜は、
靄に乗つて、死人は、地平の方から僕の窓の下まで来て、
不憫にも、顔を合はすことを羞かしがつてゐるやうに思へてならぬ。
それにしても、死んだ者達は、あれはいつたいどうしたのだらうか?


過ぎし夏よ、島の夜々よ、おまへは一種の血みどろな思ひ出、
それなのにそれはまた、すがすがしい懐かしい思ひ出、
印象は深く、それなのに実際なのかと、疑つてみたくなるやうな思ひ出、
わかつてゐるのに今更のやうに、ほんとだつたと驚く思ひ出!……
          (一九三三・八・二一)



次回第8回「やまぐち朗読Cafe」2018年10月31日(水)20:00〜です。
第7回「やまぐち朗読Cafe」〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜 @ ジャズスポット ポルシェ [2018年08月30日(Thu)]
詩などの朗読と、蓄音器から流れるジャズを楽しむイベント「やまぐち朗読Cafe」が、今日30日20時から、山口市の老舗ジャズ喫茶「ポルシェ」でありますぴかぴか(新しい)
今回で7回目になります。

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元々は中原中也記念館で開かれていた中原中也の時代の音楽をSP盤(78回転のレコード)で楽しむ「蓄音器と朗読の夕べ」をリニューアルしたイベントでするんるん

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るんるん日 時るんるん 2018年8月30日(水)20:00〜
るんるん場 所るんるん ジャズスポット ポルシェ
          山口市葵1-1-28
          電話 083-924-4616
るんるん内 容るんるん 詩でも小説でもエッセイでもジャンルは問いません
       お気に入りの作品を持ち込んで朗読してください
       もちろん、聞くだけでも構いません
るんるん参加費るんるん ノーチャージ/1ドリンク 
       お好きなドリンクをご注文ください
るんるん主 催るんるん 中原豊さん(中原中也記念館長)



かわいい前回第6回(2018年6月20日)の様子かわいい

中原豊館長による『はじまりはひとつのことば』(筧和歌子 港の人 2016.7)より一篇の朗読揺れるハート
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アイリッシュ・ハープ演奏家のChifumi(上利千富美)さんによる朗読への即興ピアノ伴奏揺れるハート
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Sさんによる自作絵に添えた自作詩の朗読揺れるハート
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声楽家の白岩洵さんによる『UNTITLED』(岡崎京子 角川書店 1998.5)の朗読揺れるハート
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紙芝居の上演揺れるハート
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井上公園 @ 中原中也ゆかりの地 [2018年08月29日(Wed)]
中原中也(1907(明治40)〜1937(昭和12))の「帰郷」の詩碑がある
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井上公園をご紹介しますぴかぴか(新しい)
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中原中也誕生の地に建つ
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中原中也記念館のすぐ近くにあり、
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公園通りに面しています。
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マンホールの蓋は白狐が見つけた湯田温泉らしく白狐がデザインされています。
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井上公園は、「高田御殿」とも呼ばれた井上馨(1836(天保6)年〜1915(大正4)年)の生まれ育った屋敷跡に、大正時代初め頃に整備され、通称ですが、井上公園として市民に定着していました。
昭和初期の再整備時に地名から高田公園と名称がつけられました。
歴史公園として整備するにあたり、2012(平成24)年3月に元の井上公園という名称へ戻されました。
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公園案内図に沿って、園内を歩きましょう。
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@七卿の碑るんるん
幕末の1863年の政変で三条実美ら7人の公家が京都から追放された七卿落ちで7人が滞在したことから1926(大正15)年11月に顕彰碑が建立されました。
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この七卿碑の建立には、中原中也の父 中原謙助が発起人の一人として深く関わっています。

謙助は郷土史の好きな友人に触発されて友人とともに「湯田七卿遺跡保存会」を発足し、毛利男爵を会長に据えて寄附を募り建設しました。
大正15年11月11日に盛大に除幕式が行われました。

(中原中也記念館公式ガイドブック『中原中也の世界』(中原中也記念館 2014.2)より引用)

1926(大正15)年は、中也19歳の時でした。
中也はその当時、東京に暮らし、日本大学予科に入学し、アテネ・フランセに通っていました。

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書は長州三筆の一人、野村素介です。
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B所郁太郎顕彰碑るんるん
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D井上馨の銅像るんるん
1912(大正元)年12月25日に、井上馨像の除幕がありました。このときの銅像は、もとは東京麻布の井上馨邸にあったものを移したもので、のち、戦争中に供出されました。
現在の銅像は1956(昭和31)年に建立されたもので、山口県平生町出身の彫刻家河内山賢祐によるものです。
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E井上馨の碑るんるん
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F中原中也 詩碑るんるん
詩集『山羊の歌』に収録されている「帰郷」の一節が刻まれています。詩句は中也と最も関係の深かった小林秀雄の手で書かれ、碑文は大岡昇平によるものです。
除幕式には、かつての友人である、小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平、今日出海らも出席し、母フク、弟思郎の手で除幕されました。

(中原中也記念館公式ガイドブック『中原中也の世界』(中原中也記念館 2014.2)より引用)

小林秀雄書による詩句
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大岡昇平による碑文
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G龍尾の手水鉢るんるん
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龍尾の手水鉢碑るんるん
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H複合遊具るんるん
白狐
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SL
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I三条実美 歌碑るんるん
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J種田山頭火 句碑るんるん
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K瓢箪池と夜泣き石るんるん
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L何遠亭るんるん
1864(元治元)年5月1日〜11月15日、八・一八政変で京都から下向してきた七卿のリーダーの三条実美が滞在しました。井上家は手狭であったため急遽敷地内に二間の離れを建て、そちらに滞在しました。その離れを加藤有隣が何遠亭(かえんてい)と名付けました。それをを再現して建てられた建物です。
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N何遠亭跡の碑るんるん
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O井上馨生誕跡地の碑るんるん
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無料です。とっても、気持ちいいです揺れるハート
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昔、ちょっと小高いところに湯田温泉神社の社(祠)があったはずなので、探してみましたが、見当たりませんでした。
そこで、何遠亭の管理人の方にお聞きしたところ、昔は確かにあった由、ずっと以前に朝倉の湯田温泉神社にお返したそうです。


今回この井上公園の記事を書くにあたって、疑問に思ったことが2つあります。
1つは、公園の名称の変遷です。私の子どもの頃、確かに井上公園と呼んでいました。いつ頃か高田公園という名前に変わって、なかなか馴染めず、ついつい井上公園と言っていました。なので、銘板の井上公園についての記述が???な感じです。
2つめは、温泉神社の社(祠)のことです。最近アップされたブログの記述にも「井上(高田)公園に社がある」とあります。いつまであったのか調べてみたい、と思います。


(2018年8月24日・28日撮影)
「大岡昇平と中原中也」を観に行きましたE @ 中原中也記念館 [2018年08月28日(Tue)]
【前回の続き】

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 『白痴群』は昭和四年四月創刊の同人雑誌である。同人は中原中也のほかに、河上徹太郎、阿部六郎、村井康男、内海誓一郎。富永次郎、安原善弘、それに私を入れた九人。
 はっきりした主義主張があるわけでなく、中原の交友範囲の文学青年が十円の同人費を持ち寄って、いたづら書きを活字にしたものである。従っていつも原稿の集まりが悪く、翌五年四月までに六号を出して廃刊になった。

(大岡昇平「白痴群」(「文学界」1956年9月号初出)(『朝の歌―中原中也伝』(角川書店 1958.12)収録))より引用)

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『白痴群』は、1929(昭和4)年4月、河上徹太郎中原中也を中心に、成城高校の教師の阿部六郎村井康男、新進作曲家の小団体である「スルヤ」の内海誓一郎、成城高校卒業生であった大岡昇平富永次郎安原喜弘古谷綱武が加わって創刊されました。(古谷綱武は成城高校中退)
しかしながら、わずか一年で廃刊となりました。
全六冊でした。

この同人誌に中也は、詩29篇、翻訳詩2篇、翻訳散文1篇、評論1篇を発表しました。
発表された29篇の詩は以下の通りです。

創刊号(昭和四年四月)
 「詩友に」
(「無題」の第3節(V)を独立させたもの。『山羊の歌』では「無題」Vとして発表)
 「寒い夜の自画像」ハートたち(複数ハート)(1929(昭和4)年1月20日に制作された全3節の作品の第1節だけを発表)

第二号(昭和四年七月)
 「或る秋の日」
(『山羊の歌』では「秋の一日」に改題)
 「深夜思ひ」ハートたち(複数ハート)
 「ためいき」
 「凄じき黄昏」
ハートたち(複数ハート)
 「夕照」

第三号(昭和四年九月) 
 「夏」
 「木陰」
ハートたち(複数ハート)

第四号(昭和四年十一月) 
 「秋」
 「心象」


第五号(昭和五年一月) 
 「修羅街輓歌」
 「暗い天候三つ」

   3節構成の詩でしたが
   「山羊の歌」に第1節が「冬の雨の夜」ハートたち(複数ハート)のタイトルで収録されて以後
   収録されなかった詩は「暗い天候(二・三)」と表記され、
   独立した詩として扱われるようになりました。
 「みちこ」
 「嘘つきに」ハートたち(複数ハート)
 「我が祈り」ハートたち(複数ハート)

第六号(昭和五年四月) 
 「盲目の秋」
 「更くる夜」
 「わが喫煙」
 「汚れつちまつた悲しみに」
 「妹よ」
 「つみびとの歌」
 「無題」
ハートたち(複数ハート)
 「失せし希望」ハートたち(複数ハート)
   (以上8篇「落穂集」という標題)
 「生い立ちの歌」
 「雪の宵」
 「夜更け」
かわいい
 「或る女の子」かわいい
 「時こそ今は……」
   (以上5篇「生ひ立ちの歌」という標題)

そのほとんどが、『山羊の歌』に収録されました。(かわいい印のないものはすべて)
かわいい印は『山羊の歌』に収められなかったものです。
ハートたち(複数ハート)印は第二次形態です。

詩の他に、第五号には翻訳「ポーヴル・レリアン」(ヴェルレーヌ)、「盗まれた心」(ランボオ)、「フォーヌの頭」(ランボオ)、第六号には評論「誌に関する話」が収録されました。

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中原中也にとって『白痴群』がいかに大切な発表場所であったことがうかがえます。

 結局「白痴群」六号を通じて、見るべきものは「寒い夜の字自画像」「修羅街挽歌」等中原の中期の重要な作品と、河上の「ヴェルレーヌの愛国詩」、阿部六郎の小説「放たれたバラバ」それから河上が訳載したヴァレリイ「レオナルド序説」ぐらゐなものであったとしても、当時の同人から不服はないだろう。
(大岡昇平「白痴群」)

と大岡は言いますが、そんなことはありません。
「盲目の秋」「汚れつちまつた悲しみに」「生い立ちの歌」が、最終号である第六号にまとめて載せられていいます揺れるハート

最終号である第六号は、1953(昭和26)年刊の創元社版『中原中也全集』(全3巻)編集時には確認されていたようですが、その後長く所在不明になっていました。
大岡は「白痴群」に、

 「白痴群」の会はこれでおしまひになった。四月に第六号が出てゐるが、それは全部中原の原稿で埋まり、同人費を出したのは、たしか安原だけだったのではないかと思ふ。

と書いていますが、そんなことはありませんでした。

1981(昭和56)年、東京神田の古書展で第六号が偶然発見され、新聞紙面を騒がす大ニュースになりました。
今回展示されている大岡の「忘却と錯覚と―『白痴群』第六号騒動記ー」の原稿、手入切抜(『海』新年特別号(中央公論社 1982(昭和57))に、詳しく書かれています。
これは、後に、「記憶と忘却との間ー「白痴群」第六号騒動記ー」と改題され、『大岡昇平全集』第18巻(筑摩書房 1995)に収録されました。

『白痴群』第六号は全64ページのうちの38ページを中也の作品が占めていたことから、かなりの部分が中也の作品で埋められていることは否定できません。
しかしながら、今回展示してある『白痴群』第六号を見ると、

中原中也 「落穂集」 
中原中也 「生ひ立ちの歌」
高田博厚 「故里」
古谷綱武 「手記」
富永次郎 「孤独の人々」
中原中也 「詩に関する話」


と富永次郎の名前も見えます。
これを見た大岡は「ショック」を受けたそうです。(「忘却と錯覚と―『白痴群』第六号騒動記ー」)

 中原も酔ふと安原を除いて、我々を罵ることが多くなった。問題の喧嘩の時は、私は二重廻しを着てゐたから、五年の一月「白痴群」第五号が出た時の同人会の時だったと思卯ふ。
 目黒不動の裏の安原の家だった。中原が富永次郎を罵り出した。
 「帰れ」「帰るとも」といふやうな問答で、なぐり合ひになりさうだったので、私が間に入ると、そんなら貴様が相手だといふことになった。富永は先に帰った。

(略)
 いきなり後から、首筋をなぐった。
(略)
 跳躍しながら、拳骨で突きを入れて来た。これは少し痛かったが、私は最初の方針通り手を出さなかった。
 私の中原への政策は、反抗してもいひ負かされてしまふから、何もいはずに、ただ背を向けるといふことであった。外で会ったら、出来るだけ早く「さよなら」し、家へ来さうな日は外へ出てしまふのである。
 理由をいはないのは卑怯だが、いふ理由など実はなかったかもしれない。しかしとにかく何もいはずに反いてゐる以上、鉄拳ぐらい我慢してやるというのが、スタヴローギン的感傷だったが、私も人になぐられたのは物心ついてからこれが初めてである。怪我にはならなかったが、なぐられた跡が、精神的に変にうずいた。
それから中原が酒席で罵る時、こっちから手を出すことにした。

(大岡昇平「白痴群」より抜粋)

と、富永をかばって自分はなぐられた訳ですから。

また、『白痴群』が廃刊になった理由は、中原が大岡を殴ったからだと広く言われていますが、大岡はこう捉えています。

 「白痴群」がつぶれたのは、決して中原と私が喧嘩したためではない。第五号も半分以上中原の原稿である。最初から書きたいものを持ってゐたのは、中原と河上だけで、あとはたゞ何となく書いたものが活字になるのがうれしいといふ程度で、熱心というものが全然なかった。
(大岡昇平「白痴群」より抜粋)

そんなこんな、「展示2 大岡と中也のけんか交友録」では、中也と大岡とも同人であった「白痴群」にまつわる資料が展示してあります。

ちなみに
『白痴群』創刊号(もちろん展示してあります!)には、

中原中也  「詩友に」「寒い夜の自画像」
富永次郎  「詩二篇」
大岡昇平  「クロオデル」(ランボオ)
村井康男  「消費者」
内海誓一郎 「鬼怒溪谷紀行」
古谷綱武  「生の芸術」(副題「大岡昇平に」)
河上徹太郎 「ベルレーヌの愛国詩」


が収録されています。

本展には「寒い夜の自画像」がパネル展示してあります。

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱
[たづな]をはなさず
この陰暗の地域をすぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かず
人々の憔懆
せいさうのみの愁かなしみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を、
わが瑣細
ささいなる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。


蹌踉よろめくままに静もりを保ち、
いささか儀文めいた心地をもって
われはわが怠惰を諌
いさめる、
寒月の下を往きながら、


陽気で、坦々として、而しかも己を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!



【続きはまた…】

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夕照 @ 中原中也を読む会 [2018年08月27日(Mon)]
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8月24日、中原中也記念館の中原中也を読む会に初めて参加しましたぴかぴか(新しい)
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参加者は8名。
まず、特別企画展「大岡昇平と中原中也」を担当された学芸員の池田さんの解説で見学しました。

その後、分館で、中也の「夕照」について、読み合いました。
詩についての感想を言い合う、極々気楽な会でした。


丘々は、胸に手を当て
退けり。
落陽は、慈愛の色の
金のいろ。

原に草、
鄙唄うたい
山に樹々、
老いてつましき心ばせ。

かかる折しも我ありぬ
少児に踏まれし
貝の肉。

かかるおりしも剛直の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱みながら歩み去る。



大岡昇平の「在りし日の歌」の最後の方にこのような文章があります。

 昭和十八年、戦争が拡大し、いよいよ前線に駆り出されるのが確実となった頃、その頃は私は神戸の工業会社の月給取だったが、「山羊の歌」「在りし日の歌」を出して見る気になった。そして彼の詩句が不思議に心に沁みるのを認めた。
 十九年正月東京へ転勤になった。急に家が見附からないので、単身赴任だったが、スタンダールと中原中也だけ持って行った。召集された時、それを神戸の家へ送り返す手段がなく、東京の友人の家で焼いてしまった。
(略)
 前線で立硝中、熱帯の夕焼を眺めながら、「夕照」を勝手な節をつけて歌った。

  丘々は、胸に手を当て
  退けり。
  落陽は、慈愛の色の
  金のいろ。

 「破調」の著しい第二連は思い出せなかった。私は軍隊生活を大体次の終連のような心意気で忍耐していた。

  かかるをりしも剛直の、
  さあれゆかしきあきらめよ
  腕拱みながら歩み去る。

 同時に昭和四年頃私がこの詩を褒めた時の、中原の意地悪そうな眼附を思い出した。「センチメンタルな奴」とその眼附はいっていた。


(『在りし日の歌』P.94〜95(角川書店 1967.9))


この記述のインパクトが大きすぎ、私には、「夕照」が歌っている丘や原がフィリッピンのミンドロ島やレイテ島あたりの山野のイメージと重なります。
特に、塚本晋也監督の「野火」を観てからは、いけません。
中也はフィリッピンなど考え及ぶ筈もなく、特定の土地というものではないと思いつつも、
フィリッピンのスケールの大きな丘、海、夕焼けが浮かんできます。
そして、私の中では、貝の肉を踏む「少児」は、ゲリラ兵なのです。

いや、いや、こんなことではいけません。

谷川俊太郎も中也の詩の中で一番好きな詩はこの「夕照」だというのを聞いたことがあります。

深く鑑賞するために、まず、言葉の意味を調べておきましょう。

つましき 生活ぶりなどがぜいたくでない。地味で質素である。
心ばせ  心配り。心づかい。
剛直   気性が強く、信念を曲げないこと。
さあれ  「さはれ」 接続詞 それはそうだが。しかし。そうではあるが。されど。
     「さはあれ」 そうではあるが。されど。
ゆかしき 心引かれる
拱む   両手を胸の前で組み合わせる。腕組みをする。

句読点も気になるので、初出の『白痴群』第2号(1929(昭和4)年7月)に掲載されたものを見てみましょう。


丘々は、胸に手を当て
退けり。
落陽は、慈愛の色の
金のいろ。


草、
鄙唄うたい

山に樹々、
老いてつましき心ばせ。


る折しも我ありぬ
小兒に踏まれし
貝の肉。


るをりしも剛直の、
れゆかしきあきらめよ
腕拱みながら歩み去る。


『山羊の歌』に掲載するにあたって、結構、中也は推敲しているのですね。

特徴として、七五調定型であることとソネットであることがあげられます。
第1連 5―7 5 5―7 5
第2連 5 7 5 5 7―5
第3連 7―5 8(4―4) 5
第4連 7―5 7―5 7―5

さて、「貝の肉」とは何でしょう。
「僕と吹雪」(1935年1月9日)の「僕という貝」、「僕が知る」(1935年1月11日)の「乾蚫」へと通じていくのでしょうか。


「僕が知る」

それは不死身の弾力に充ち
それはひょっとしたなら乾蚫であるかもれない



「僕と吹雪」

自然は、僕という貝に、
花吹雪きを、激しく吹きつけた。



何度も読んでいると、同じフロアに掲示してあった「黄昏」「帰郷」の最終行と「夕照」の第4連は、通じ合うように思えてきました。


「黄昏」

ぢいつと茫然ぼんやり黄昏の中に立つて、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩みだすばかりです



「帰郷」

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ



こうして、実際に資料を見ながら、鑑賞できるのはすごいことです揺れるハート


最後に、中也の友人で『白痴群』の同人でもあった阿部六郎が「夕照」について書いたものをあげておきます。


(略)さういふ点から言つても、極めて寡黙な言葉の中に彼の魂の清純さと苦痛の結晶として近頃私の心に洗ひ出されて来たのは、「夕照」といふ詩である。
(略)
 この宗教画風の敬虔な恍惚の中に、自己の生き身の存在の鋭い苦痛が無言で刺し貫くのである。そしてその苦痛に堪へるのである。小児に踏まれた貝の苦痛は、剥き身で生きた彼の全生涯を刺し貫くものであつた。


(阿部六郎「詩の道程」(雑誌「文芸」1949(昭和24)年9月掲載))(ブログほのぼの日和より引用)


大分、フィリッピンの丘は、退きました。
どろぼうのどろぼん [2018年08月26日(Sun)]
今日ご紹介するのは、斉藤倫さんの『どろぼうのどろぼん』(牡丹靖佳/画 福音館書店 2014.9)ぴかぴか(新しい)

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チョコレートやクッキーの缶に入れといわれても困りますけれど。でもそれが家だったらどこへだって入れますよ。
どろぼんはどろぼうの天才。どろぼんは「もの」の声を聞くことができる。どろぼんは絶対に捕まらない。これは、ぼくがどろぼんから聞いた話。
今まで盗んできたもののこと。その「もの」たちの声のこと。
そして、絶対に捕まらないどろぼんが、あの雨の日の午後、あじさいの咲き誇る庭で、どうしてぼくに捕まったのか。

福音館HPより)

詩人として活躍されている斉藤倫さんによるはじめての長篇物語です。
本作により第48回日本児童文学者協会新人賞を受賞、第64回小学館児童出版文化賞を受賞されました。

元福音館の編集長の松本徹さんにお会いした時、
「前回教えていただいた伊藤遊さん、とってもよかったです。」
というお話をしたら、
「今、一番お薦めの児童文学作家は、斉藤倫さん」
と言われ、読んでみました。

まず詩人だけあって文章がすごくいい。そして、ストーリー展開もおもしろく、引き込まれていきます揺れるハート
絵も単なる挿絵ではなく物語の一部となっていて、おしゃれでとてもよかったでするんるん

雨の降る日に読む本としてもお薦めです雨

作家の梨木香歩さんインタビューを添えておきます。

詩人の斉藤倫さんの書いた詩のような物語、『どろぼうのどろぼん』(福音館書店)。「もの」の発する声が聞こえるどろぼうの話なのですが、最初に出てくる「自殺する花瓶」の話に思わず引き込まれ、そのまま一気に読み切ってしまいました。花瓶が、「ねえ、ころして」と声をかけるのです。この花瓶は結局自死するのですが。その後、どろぼんが自分の全存在かけて守ろうと思う、弱い小さないのちを、なんと、どろぼんをつかまえた警察官たちもそろって守ろうという気になる、そういう空気に(喜んで)巻き込まれていく……まったく無関係のような二冊の本(注:もう一冊は『小林秀雄とその戦争の時』(山城むつみ 新潮社)を指します)ですが、実はどこかでーーsubtleな「何か」に一瞬一瞬の「相」を刻印され決定されていく世界のどこかでーーつながっている気がしてなりません(私にとっての「subtle」とは、微妙で捉え難く、世間の表舞台には出てこない繊細さのようなものです)。(2014.10.23)


かわいい斉藤倫かわいい 
1969年、秋田県生まれ。詩人。
2004年『手をふる 手をふる』(あざみ書房)でデビュー。14年『どろぼうのどろぼん』(福音館書店)で長篇デビュー。同作で、第48回児童文学者協会新人賞、第64回小学館児童出版文化賞を受賞。
詩集に『オルペウス、オルペウス 新しい詩人6』『さよなら、柩』(以上思潮社)、『本当は記号になってしまいたい』(私家版)、児童書に『せなか町から、ずっと (福音館創作童話シリーズ) 』(junaida/絵 2016.6)、『波うちぎわのシアン』(まめふく/絵 偕成社 2018.3)、『えのないえほん』(植田真/絵 講談社 2018.6)、絵本に『いぬはなく』(名久井直子/絵 ヒヨコ舎)、『とうだい』(小池アミイゴ/絵 福音館書店)がある。また、『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』(PARCO出版)に編集委員として関わる。

かわいい牡丹靖佳かわいい
1971年、大阪府生まれ。現代美術作家。
東京をはじめ、オランダ、スウェーデンなど世界各地で作品を制作、発表している。主な展覧会に「イメージの庭」(伊丹市立美術館、兵庫、2017年)、「gone before flower」(アートコートギャラリー、大阪、2016年)、「Unknown Library」(MA2 Gallery、東京、2013年)などがある。
2012年に出版された創作絵本『おうさまのおひっこし』(福音館書店)は第24回ブラティスラヴァ世界絵本原画展の日本代表に選ばれる。
「大岡昇平と中原中也」を観に行きましたD @ 中原中也記念館 [2018年08月25日(Sat)]
【前回の続き】

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1965(昭和40)年6月、生家近くの山口市湯田温泉の高田公園(現・井上公園)に中原中也の詩「帰郷」の詩碑が建立されました。

この経緯について、大岡は「詩碑が建つ」(昭和40年1月「小説新潮」初出)(『在りし日の歌 〈中原中也の死〉』(1967(昭和42).9 角川書店)に詳しく書いています。

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帰 郷

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
    椽
[えん]の下では蜘蛛の巣が
    心細そうに揺れてゐる


山では枯木も息を吐[つ]
あゝ今日は好い天気だ
    路
[みち]ばたの草影が
    あどけない愁
[かなし]みをする

これが私の故里ふるさと
さやかに風も吹いてゐる
    心置なく泣かれよと
    年増婦
としまの低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ


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中也の弟思郎から話を持ち込まれた大岡は、詩碑の建立に尽力し、物心両面の援助をおしみませんでした。
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揮毫は小林秀雄に頼みます。
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大岡は碑文を担当しました。
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 中原中也は明治四十年四月二十九日この地に近い湯田横丁に生まれた。この卓れた詩才は県立山口中学に在学中から現れてゐたが昭和九年詩集「山羊の歌」が東京で出版されるに及び広く詩を愛する人々に認められるに到った。不幸病を得て、同十二年十月二十三日(実際は、二十二日)、第二詩集「在りし日の歌」の上梓に先立って、鎌倉の寓居に没した。その名声は死後ますます高く日本近代詩史に揺ぎない地位を占めてゐる。
 この度山口市長兼行恵雄の斡旋により、同郷の有志、東京の友人相寄り、こゝに詩碑を立てゝ、その詩集を記念することにした。碑表の文字は詩篇「帰郷」より取られ、友人小林秀雄が書いた。
 昭和四十年五月
  友人 大岡昇平之を誌す

除幕式には、大岡をはじめ、小林、河上徹太郎、今日出海の4人が友人代表として出席しました。
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詩碑が

これが私の古里だ
さやかに風も吹いてゐる
あゝ おまへはなにをして来たのだと
吹き来る風が私にいふ


となっていることなどについて、大岡は「五十年祭騒動記」にユーモアあふれる文章を書いています。
そこで、大岡は没後50年以上経った中也を「おまえ」と呼んでいます。

大岡は、1988(昭和63)年12月25日に亡くなりますが、その8日前の17日に入院先で口述された文「中原中也のこと」もパネル展示されています。

【続きはまた…】
「大岡昇平と中原中也」を観に行きましたC @ 中原中也記念館 [2018年08月24日(Fri)]
【前回の続き】

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大岡は、「ケンカ大岡」と呼ばれるほど文壇有数の論争家であったことで有名で、井上靖、海音寺潮五郎、松本清張、江藤淳、森鴎外等々相手がどんな大家であっても、言葉に対して妥協しませんでした。

中原中也の評価について、篠田一士と論争したことが1Fにパネル展示してあります。

中原中也についての間違った認識を正そうとして「「なかはらなかや」は止めて貰いたい」(「群像」1958年9月号初出)、「篠田一士氏に抗議する――「傍役の詩人中原中也」をよんで――」(「文学界」1959年5月号初出)などの文章を書きました。


2Fに興味深い書簡が展示してありました。
大岡が所蔵していた中也記念館館長の中原豊氏が大学院生のときに送った論文に添えられた手紙と中原館長の所蔵の大岡からの返信です。
館長の手紙の日付が1984〈昭和59〉年7月13日、大岡の返信の消印が15日です。
大岡は、届くとすぐに、100数枚の論文に目を通して、その返事を書き、投函したことになります。
この時、既に余り大岡は目がよくなかったといいます。
相手が若い大学院生であっても、真摯に向き合う大岡の姿が見えてきます。


【続きはまた…】


今回の展示とは関係ないですが、中原中也記念館のアプローチにある詩碑です。
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こだまでしょうか、いいえ、誰でも。 @ 長門湯本温泉 音信川 [2018年08月23日(Thu)]
山間の静かな長門湯本温泉街の中心を流れる音信川(おとずれがわ)ぴかぴか(新しい)
穏やかで、透き通っていて、川底を泳ぐ魚まで見える川です。
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両岸には歩きやすい遊歩道が整備されいて、橋がいくつもありまするんるん
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生い茂る木々や、橋が作る日陰もあり、
川に入ったり川辺で涼んだり、
大人も子どもも一緒になって、のんびりと川遊びを楽しむことができまするんるん
14日も何組もの親子連れが川遊びを楽しんでいました。
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無料の足湯が2か所ありましたるんるん
川原の足湯。
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音信川河川公園の足湯。
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飛び石は、石と石の間隔が結構広く、スリルがあります。
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昔の公衆洗濯場跡もありましたるんるん
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この清流には、ちょっとせつなくて、心にしみわたる美しい物語「音信川恋伝説」が残されています揺れるハート
藩主おかかえのお茶屋「清音亭」で働く湯女(ゆな)が口には出せぬ秘めた思いを文(=音信(おとずれ))にしたため橋の上からそっと流したそうです。
この伝説が川の名の由来です。
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すてきな喫茶店も見つけました揺れるハート
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遅いランチを食べました。
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川を臨むテラス席もあります。
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長門市は金子みすゞの故郷なので、こんなものも見つけました揺れるハート
かまぼこ板のモザイク画です。
みすゞ燦参SUN事業「プロジェクトM湯本温泉」として制作されたものだそうです。
縦3m、横9mの壁画で、かまぼこ板を8,000枚を使っているとか。
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こだまでしょうか
     金子みすゞ


「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。


「ばか」っていうと
「ばか」っていう。


「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。


そうして、あとで
さみしくなって、


「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。


こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。



(2018年8月14日撮影)
「大岡昇平と中原中也」を観に行きましたB @ 中原中也記念館 [2018年08月22日(Wed)]
【前回の続き】

今回の展示物70点のうち3分2は、大岡家より県立神奈川文学館へ寄贈された資料ですぴかぴか(新しい)

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また、今回の展示は、県立神奈川近代文学館で寄贈時のお披露目として展示(特別展「大岡昇平展」1996(平成8)年10月19日〜11月24日)されて以来2度目の展示で、大岡ファンには見逃せません揺れるハート

レプリカや展示替もほとんどないのも特長ですグッド(上向き矢印)

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草稿「昭和三年の中原中也」は初公開で、中原中也記念館の学芸員の方が総力で翻刻されていて、本展の目玉となっていますわーい(嬉しい顔)
大岡の字は小さく薄く、クセ字で、とても大変な作業であったことが推測できます。
見慣れているからかもしれんが、中也の字のなんと読みやすいことでしょう。

「展示2 大岡と中也のけんか交遊録」は、あくまでも、大岡の視点に絞られており、過去の展示から感じていた中也と大岡はけんかばかりしていたというのとは少し違った印象を受けました。

中也の大岡に対する不満が端的に表現されているのが、「昇平に」という副題が添えられた「玩具の賦」という詩です。


玩具の賦
  昇平に

どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない
どうせスキだらけぢやないか
スキの方を減
[へら]さうなんてチヤンチヤラ可笑[をか]しい
俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ
スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる
それで何がわるからう

俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利得と幸福とは大体は混
まざ
だが究極では混
まざりはしない
俺は混
まざらないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ
月給が増
えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ
俺にはおもちやがよく分つてるんだ
おもちやのつまらないとこも
おもちやがつまらなくもそれを弄
[もてあそ]べることはつまらなくはないことも
俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ
おもちやで俺が遊んでゐる時
あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが
それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは
滑稽
[こつけい]だぞ
俺はおもちやで遊ぶぞ
一生懸命おもちやで遊ぶぞ
贅沢
[ぜいたく]なぞとは云ひめさるなよ
おれ程おまへもおもちやが見えたら
おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから
文句なぞを云ふなよ
それどころか
おまへはおもちやを知つてないから
おもちやでないことも分りはしない
おもちやでないことをただそらんじて
それで月給の種なんぞにしてやがるんだ
それゆゑもしも此の俺がおもちやも買へなくなつた時には
写字器械奴

云はずと知れたこと乍
[なが]
らおまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ
行つたり来たりしか出来ないくせに
行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに
何とか云へるがものはないぞ
おもちやが面白くもないくせに
おもちやを商ふことしか出来ないくせに
おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに
おもちやで遊んでゐらあとは何事だ
おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ
おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまへに遊べる筈はないのだ

おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだらう
俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ
おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ
おれはおもちやが面白かつたんだ
しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか
ありさうな顔はしとらんぞ
あると思ふのはそれや間違ひだ
北叟笑
にやあツとするのと面白いのとは違ふんぞ

ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな
では、ああ、それでは
やつぱり面白くはならない写字器械奴

――こんどは此のおもちやの此処ンところをかう改良
なほして来い!
トツトといつて云つたやうにして来い!
(一九三四・二)



【続きはまた…】
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