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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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ムットーニからくり文学館Dジュール・シュペルヴィエル「海の上の少女」より 「ワルツ・オン・ザ・シー」 [2019年10月05日(Sat)]
【前回の続き】

次は、ジュール・シュペルヴィエルの短編(コント)「海の上の少女」(『海の上の少女 シュペルヴィエル短編選』「海の上の少女」網島寿秀/訳 みすず書房 2004)


 そして木靴をはいた、この一人ぼっちの十二歳の少女の彼女は、まるで堅い地面の上を歩くように、しっかりとした足どりで水の道の上を歩いている。これらのことはどのようにして起こったのだろうか。
(中略)
 船が近づくと、それが水平線に見えぬかのうちに、少女ははげしい眠気におそわれ、村全体が波の下に消えてしまうのだ。だから、船乗り誰一人としてこの村を、望遠鏡の隅にすら捉えたことがなかったし、こんな村があるとは想像だにしなかったのである。
 少女は自分が世界でただ一人の少女だと思っていた。しかし、はたして自分が少女だということからして、本当にわかっていたかどうか……



をモチーフにした「ワルツ・オン・ザ・シー」(「Waltz on the Sea」)(2006年 個人蔵)ぴかぴか(新しい)

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100年程前にフランスの詩人ジュール・シュペルヴィエルが書いた「海の上の少女」を題材にした、少女の亡霊の物語。
波模様の小箱が開く時、一人の少女の思い出がよみがえる。

(入館者配布パンフレットより)

シュペルヴィエルは、少女を

 それほど美しい娘だとは言えなかった。(略)小さな体つきのなかで、おとなしそうな、だが、きらきら光る灰色の目がひときわ目立つその姿は、見る人の体から魂までを、時の流れの奥底からくる大きな驚きでゆさぶるほどのものがあった。(「海原の娘」(『シュペルヴィエル詩集』より 安藤元雄/訳 ほるぷ出版 1983)より引用)

と描いています。

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四角錐の高い台の上に、ぽつんと波模様の青い小さな箱が置かれています。
台の前に置かれた灯りがポッとともって(周りが明るいのでこれが結構わかりにくいです。なので、箱が開くcueがわかりにくいです)、ジジジっという歯車の音が小さく聴こえ始めると、突然、小箱の蓋が開きます。
そして、「魅惑のワルツ」のメロディにのって、中から水色のワンピースを着、水色の靴(木靴ではありません!)を履いた可憐な少女が現れ、波の光景の舞台とともに、高く高くせり上がっていきます。
ミラーボールが壁に投げかける光の変化がまるで波のようで、波の音が合間に効果的に使われていることもあって、少女が波間に漂うようにも見えてきて、ロマンチックなファンタジーの世界に誘ってくれます。
遠くでボーッと船の汽笛が鳴ると、物語のままに海の中に消えるように、少女は箱の中に戻って行き、やがて、静かに再び箱は閉じられ、灯りは消えます。

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オルゴール型の劇場に、不思議な光をたたえるシュペルヴィエルの世界が収められていて、「え?こんな小箱の中から見上げるような仕掛けが?!」とそんな驚きを体感できる作品です。
実際オルゴールのようで、他の作品と違って武藤政彦さんの朗読はなく音楽と効果音だけで構成されています。冒頭部分の武藤さん自身のピアノ演奏→波の効果音→ダイナ・ショアがうたう「Fascination(魅惑のワルツ) 」+間奏部分に波の音→最後に波の音→船の汽笛音→ピアノ演奏と流れていきまするんるん

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シュペルヴィエルの “L’Enfant de la haute mer” は、いろいろな方が翻訳しています。

「海原の娘」(『シュペルヴィエル詩集』より 安藤元雄/訳 ほるぷ出版 1983)
 どうやってできたのだろう、波に浮かんだこの家並みは? いったいどんな水夫たちが、どのような建築家の助けを借りて、大西洋の真っ只中の海面に、六千メートルもの深淵の上に、これを築いたのだろう? この細長い道筋に並ぶ家々の、赤煉瓦がもう色あせて、フランス風の灰色にくすんでしまっているのと言い、スレートや瓦の屋根と言い、十年一日のようなみすぼらしい店並みと言い? それにあの教会堂の、透かし窓をいっぱいにあけた鐘塔は? またここの、中にはただ海の水があるだけだが、どうやら庭園のつもりらしく、壜のかけらを植え込んだ塀をめぐらし、それをときどき魚がとびこえたりしているこの一部は?
 どうやってこれが、波に揺られもせずに、きちんと立っているのだろう? そして、たった一人あそこにいる、十二歳ぐらいのあの娘は? 木靴をはいて、まるで固い地面を歩くように、たしかな足どりで水の街路を通って行く、いったいどうしたわけなのだろう?……
 見るまま聞くままに、話を進めていくとしよう。はっきりしないところが残ったにしても、それをあれこれ考えてみても始まるまい。
 船が近づいて来ると、それがまだ水平線に影も見せないうちから、娘は深い眠りにおちいり、村は完全に波の下に没してしまう。それだから、たとえ望遠鏡の奥にだろうと、この村を一目で見たという水夫は一人もいなかったし、そんな村が存在することを考えてみた者さえなかったのだ。
 娘は自分がこの世界にたった一人の少女だと思っていた。それでも、自分が少女であるということだけはわかっていたのだろうか?


「沖の娘」(『なぞめいた不思議な話』所収 石川清子/訳 くもん出版 1989)
 どのようにしてつくられたのだろう、この波にただよう通りは? どんな船乗りたちが、どんな技師の力をかりて、大西洋のはるか沖合いの、六千メートルの深海の上にこの通りをつくったのだろう?
 赤い色がすっかり色あせ、今ではねずみ色にくすんでしまったレンガづくりの家がたちならぶこの長い通りは? スレートやかわぶきのこれらの屋根、かわることのないこれらのみすぼらしい店は? そして、すかし彫りをたくさんほどこしたこの鐘つき塔は? それから、おそらく庭のつもりなのだろう、どろぼうよけのびんの破片をつけた壁で守られ、海水がたまっているだけのこの囲いは? その上ではときどき魚がとびはねている。


「沖の小娘」(『シュペルヴィエル抄』より 堀口大学/訳 小沢書店 1992)
 この、水に浮かんだ道路が、どうして出来たものか? どんな水夫たちが、どんな建築師の手を借りて、大西洋遥か沖合いの海面、六千メートルもある深海の上に、これを造ったものか? 今ではすっかり褪せてしまって、仏蘭西鼠(グリ・ド・フランス)に近い色に見えている赤煉瓦のこれらの家々も、瓦葺きの、スレート葺きのこれらの屋根も、いつ見ても変わりのない貧しげなこれらの店々も? また透し彫りのどっさりしてあるお寺のあの鐘楼も? それから、見たところではただ海の水が満たしてあるだけだが、どうやらそれでも、壁をめぐらしたり、壜の底を置き並べて飾りにしたりした庭のつもりらしく、そこでときどき魚がはねているこの庭も?
 波にも揺れずに、いったいどうしてこれが立っているのだろう?
 それから、固い地べたを歩くと同じように、確かな歩調で、木靴の歩みを運んで通る、ひとりぼっちの十二になるあの小娘にしても? いったいこれは、どうしたことなのであろうか?
 それらのことがおいおい目の前に見えて来るにしたがって、また、それらが分かってくるにしたって説明するとしよう。それでもまだ分からないことがあるかも知れないけれど、それは仕方のないことだ。


「海の上の少女」(網島寿秀/訳 みすず書房 2004)
 水に浮かんでいるこの道はどのようにしてできたのだろう? いったいどんな水夫たちが、どのような建築技師の助力を得て、大西洋の沖合、六千メートルもの深さの海面に、こんなものを作ったのだろう? 赤煉瓦がすでに色褪せて灰色がかった家が並ぶこの長い道、スレートや瓦の屋根屋根、一様に地味なこれらの店はどのようにして築かれたのか? そしてたくさんの小窓がほどこされたこの鐘楼は? それに、中にあるものといったら海の水だけなのに、壁にはしっかりと瓶の破片が埋め込まれ、時々その上を魚がとび跳ねている、庭園とも言いたげなこの一角は?
(略) 
 そして木靴をはいた、この一人ぼっちの十二歳の少女の彼女は、まるで堅い地面の上を歩くように、しっかりとした足どりで水の道の上を歩いている。これらのことはどのようにして起こったのだろうか。
(略)
 船が近づくと、それが水平線に見えぬかのうちに、少女ははげしい眠気におそわれ、村全体が波の下に消えてしまうのだ。だから、船乗り誰一人としてこの村を、望遠鏡の隅にすら捉えたことがなかったし、こんな村があるとは想像だにしなかったのである。
 少女は自分が世界でただ一人の少女だと思っていた。しかし、はたして自分が少女だということからして、本当にわかっていたかどうか……


「海に住む少女」(永田千奈/訳 光文社 2006.10)
 この海に浮かぶ道路は、いったいどうやって造ったのでしょう。どんな建築家の助けを得て、どんな水夫が、水深六千メートルもある沖合い、大西洋のまっただなかに、道路を建築したというのでしょう。道に沿って並ぶ赤レンガの家、いえ、もうすでに色あせてフランス風のグレーになっていたけれど、この家や、スレートやかわらで出来た屋根や、地味でかわりばえのしないお店はいったい、どうやって? あの小窓がたくさんついた鐘楼はどうやって? たぶんガラス片のついた塀に囲まれた庭だったのだろうけれど、今や海水でいっぱいになっていて、時たま塀の上を魚が跳ねたりするこの場所は、誰がどうやって?
 波に揺さぶられることなく、建物がみんなちゃんと建っているのはどうして?
 そこに住むまったくひとりぼっちで暮らす、十二歳くらいの少女。海水のなかの道を、ふつうの地面みたいに、すたすたと木靴で歩いてゆくこの少女は、いったい?
(略)
 船が近づくと、まだ水平線にその姿が見えないうちから、少女はとても眠たくなって、町はまるごと波の下に消えてしまいます。だから船乗りたちは、望遠鏡の先にすらこの町をみたことがなく、町があるなんて考えたことさえないのです。
 少女はこの世に、自分以外にも女の子がいるなんて知りませんでした。いえ、そもそも自分が少女であることすら、知っていたのでしょうか。
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