ムットーニからくり文学館B中原中也「失せし希望」より「ロスト」
[2019年10月03日(Thu)]
【前回の続き】
隣は、中原中也の「失せし希望」
失せし希望
暗き空へと消え行きぬ
わが若き日を燃えし希望は。
夏の夜の星の如くは今もなほ
遐(とほ)きみ空に見え隠る、今もなほ。
暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日の夢は希望は。
今はた此處(ここ)に打伏して
獸の如くは、暗き思ひす。
そが暗き思ひいつの日
晴れんとの知るよしなくて、
溺れたる夜(よる)の海より
空の月、望むが如し。
その浪はあまりに深く
その月はあまりに清く、
あはれわが若き日を燃えし希望の
今ははや暗き空へと消え行きぬ。
をモチーフにした「ロスト」(2011年 個人像)
ムットーニにかかると中也の「失せし希望」がかつて空を舞った記憶を追い求める墮天使の物語となります。
男は教会の鐘の音を聞いたとき、かって自分が大空を舞っていたことを思い出す。
眼下に遠のく教会の尖塔が、やがて小さな一点の輝きとなって消えた、あの光景を。
そして今、遥か上方より降り注ぐ鐘の音を聞きながら男は悟る。
自分は今、翼を、希望を、そしてすべてを失ってしまったことを。
(入館者配布パンㇾットより)
他と違ってバックの布の色が黒色です。天幕は白。
リングライトが光り、堕天使は……。
こちらもチラシには「中原中也記念館バージョンになって登場!」とあります。
音楽は「大天使ミカエル ハレルヤ」。
「失せし希望」は、『ノート小年時』に「消えし希望」のタイトルで清書されました。1929(昭和4)年7月14日の日付が入っています。(第一次形態)
消えし希望
暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日を燃えし希望は。
夏の夜の星の如(ごと)くは今もなお
遠きみ空に見え隠る、今もなお。
暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日の夢は希望は。
今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して
獣の如くも、暗き思いす。
そが暗き思い何時(いつ)の日
晴れんとの知るよしなくて、
溺れたる夜(よる)の海より
空の月、望むが如し。
その浪はあまりに深く
その月は、あまりにきよく。
あわれわが、若き日を燃えし希望の
今ははや暗き空へと消え行きぬ。
(一九二九・七・一四)
それが推敲改題されて「失せし希望」となり、『白痴群』第6号(昭和5年4月発行)に発表されました。(第二次形態)
それがまた推敲されて『山羊の歌』に収録されました。(第三次形態)
音楽集団「スルヤ」のメンバーで『白痴群』の同人でもある内海誓一郎によって曲がつけられ、1930(昭和5)年5月7日に行われた「スルヤ」の第5回発表演奏会で「失せし希望」のタイトルで初演されました。
一度聞いてみたいものです。
【次回に続く】
隣は、中原中也の「失せし希望」
失せし希望
暗き空へと消え行きぬ
わが若き日を燃えし希望は。
夏の夜の星の如くは今もなほ
遐(とほ)きみ空に見え隠る、今もなほ。
暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日の夢は希望は。
今はた此處(ここ)に打伏して
獸の如くは、暗き思ひす。
そが暗き思ひいつの日
晴れんとの知るよしなくて、
溺れたる夜(よる)の海より
空の月、望むが如し。
その浪はあまりに深く
その月はあまりに清く、
あはれわが若き日を燃えし希望の
今ははや暗き空へと消え行きぬ。
をモチーフにした「ロスト」(2011年 個人像)
ムットーニにかかると中也の「失せし希望」がかつて空を舞った記憶を追い求める墮天使の物語となります。
男は教会の鐘の音を聞いたとき、かって自分が大空を舞っていたことを思い出す。
眼下に遠のく教会の尖塔が、やがて小さな一点の輝きとなって消えた、あの光景を。
そして今、遥か上方より降り注ぐ鐘の音を聞きながら男は悟る。
自分は今、翼を、希望を、そしてすべてを失ってしまったことを。
(入館者配布パンㇾットより)
他と違ってバックの布の色が黒色です。天幕は白。
リングライトが光り、堕天使は……。
こちらもチラシには「中原中也記念館バージョンになって登場!」とあります。
音楽は「大天使ミカエル ハレルヤ」。
「失せし希望」は、『ノート小年時』に「消えし希望」のタイトルで清書されました。1929(昭和4)年7月14日の日付が入っています。(第一次形態)
消えし希望
暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日を燃えし希望は。
夏の夜の星の如(ごと)くは今もなお
遠きみ空に見え隠る、今もなお。
暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日の夢は希望は。
今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して
獣の如くも、暗き思いす。
そが暗き思い何時(いつ)の日
晴れんとの知るよしなくて、
溺れたる夜(よる)の海より
空の月、望むが如し。
その浪はあまりに深く
その月は、あまりにきよく。
あわれわが、若き日を燃えし希望の
今ははや暗き空へと消え行きぬ。
(一九二九・七・一四)
それが推敲改題されて「失せし希望」となり、『白痴群』第6号(昭和5年4月発行)に発表されました。(第二次形態)
それがまた推敲されて『山羊の歌』に収録されました。(第三次形態)
音楽集団「スルヤ」のメンバーで『白痴群』の同人でもある内海誓一郎によって曲がつけられ、1930(昭和5)年5月7日に行われた「スルヤ」の第5回発表演奏会で「失せし希望」のタイトルで初演されました。
一度聞いてみたいものです。
【次回に続く】