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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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紙本墨書豊浦宮法楽和歌 @ 忌宮神社A [2019年09月10日(Tue)]
【前回より続く】

尊氏の前文には、

西国下向し時参詣長門国
神功皇后之社壇□洛し□
不□幾日一天得静謐し時
四海属無ゐし化仍以二首篇
詠脩一心之法楽歌


西国に下向した時長門国の神功皇后を祀る社「忌宮神社」に参詣して
数日心を込めて祈願したところ、
その後、再入洛を果たし
今や一天静謐の時を得、四海無為の化に属せりとして2首の歌を詠んで神に対するよろこびを述べています。

法楽和歌.jpg

直義の前文には

神功皇后宮者本朝鎮護之
大廟外国降伏之霊祠也先
年忝詣之時中懐祈願之趣
玄応太速冥助掲焉回致
一心懇信詠二首和歌


神功皇后宮は本朝鎮護の大廟、外国降伏の霊祠で、
先年参詣の時の祈願に対する冥助(神の助け)掲焉(著しい)の即効性を讃えています。


忌宮神社の神紋は白鳥です。
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白鳥ではないですが、いつ行っても、境内には鶏がいっぱいいて、とっても元気ですわーい(嬉しい顔)
この鶏さん、写真を撮る間じっとしてボーズをとってくれるんですよるんるん
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境内には、神功皇后が植えた逆松や、
武内宿祢が植えた公孫樹や、
195年には、渡来人が蚕種を献上したという蚕種渡来地の碑が境内の一角にあります(シルクロード日本上陸の地)。

また、神門の前に「鬼石」と呼ばれる石があります。
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第十四代仲哀天皇は、九州の熊襲の叛乱を平定のためご西下、ここ穴門(長門)豊浦(長府)に仮の皇居を興されたが仲哀天皇七年旧暦の七月七日に朝鮮半島の新羅国の塵輪(じんりん)が熊襲を煽動し豊浦宮に攻め寄せた。皇軍は大いに奮戦したが宮内を守護する阿部高麿、助麿の兄弟まで相次いで討ち死にしたので、天皇は大いに憤らせ給い、遂に御自ら弓矢をとって塵輪を見事に射倒された、賊軍は色を失って退散し皇軍は歓喜のあまり矛をかざし旗を振りながら塵輪の屍のまわりを踊りまわったのが数方庭(八月七日より十三日まで毎夜行われる祭)の起源と伝えられ、塵輪の顔が鬼のようであったところからその首を埋めて覆った石を鬼石と呼んでいる。

2017年8月14日訪れた時、境内にたくさんの竹が立てられていました。前日まで行われた数方庭(すほうてい)祭の跡のようでした。
数方庭祭は、忌宮神社で8月7〜13日に行われる祭で、仲哀天皇が、九州の熊襲を扇動して攻めてきた新羅の塵輪を退治し、人々が矛をかざし旗を振って歓喜したのが始まりと伝わり、1800年の歴史があるそうです。
境内の広庭は、広い砂の庭で、運動場のような雰囲気で、お祭りには最適な感じの場所ですかわいい


境内社の八坂神社です。
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境内にあるMで久し振りに食事をしました。
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下関市長府には、他に、尊氏が寺領(小月)を寄進(1334(建武元)年? 1336(延元元・建武3)年?)した長福寺、現在の名前は、功山寺があります。1650(慶安3)年、毛利秀元が死亡し、その法号「智門寺殿功山玄誉大居士」により改称しました。
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