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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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地撮り山口大歳に参加しましたC田中頼三旧宅 [2019年07月11日(Thu)]
【前回の続き】

最明寺で雨宿りをしているうちに、雨足は少しはましになりましたが、止みそうにないので、最後の目的地 田中頼三旧宅に向かうことにしました。

出発前、最明寺入口 岩富公会堂のそばに岩富のもりさまがあることの紹介をしました。
クロガネモチの大木です。
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雨のため、田中頼三旧宅は車窓からの見学です。
今は別の方が借りて住まわれているので、邸内の見学ができないこともあります。

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田中頼三は、1892年、嘉川の本間家の3男として誕生し、旧制山口中学校(16期)を経て海軍兵学校(41期)卒業後に岩富の大地主 田中家に婿養子として入籍します。
1942年、ガダルカナル島のルンガ沖夜戦で勝利をおさめましたが、日本海軍上層部からはあまり評価されず左遷されました。
一方、アメリカからは高い評価を受け、『アメリカ海軍作戦史』を著したアメリカの海軍戦史家サミュエル・エリオット・モリソンは「田中こそ不屈の闘将である」と田中のことを"redoubtable Tanaka"(恐るべき田中)と呼び、軍事史研究家のハンソン・ボールドウィンはその著書の中で「太平洋戦争で日本の名将を2人挙げるとするなら、陸の牛島・海の田中」として田中の名を挙げています。

こちらは、田中邸のそばの土蔵です。石垣の上に建てられています。
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岩富は椹野川とその支流である吉敷川が合流し、氾濫地帯であったことから、石垣を築いた民家が見られます。
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岩富を後にして、石州街道を大歳地域交流センターに向かいます。
この一角を黒川市といいます。

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恵比須社
黒川市にある。矢原村庄屋、吉富藤兵衛の覚書に、「建立の由来も、市恵比須の作者も不明。古老の言い伝えでは、大内時代からあった古い恵比須で、社敷地は往還べりの空地にあり」とある。明治末年ごろは、大歳村役場の門前にあったが、のちに石村宅の屋敷東隅に移された。昭和32年(1957)夏の大風で転倒大破後、石造の詞として黒川市福田氏屋敷東隅に移された。
(『大歳小百年史』(山口市立大歳小学校 1995)P33)


大歳地域交流センターに帰ってみると、前の水路は溢れんばかりの水嵩でした。

【次回に続く】
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