国木田独歩「山の力」 @ 初夏の東鳳翩山に登りましたF
[2019年06月23日(Sun)]
【前回の続き】
6月23日は、独歩忌です
明治の文豪 国木田独歩(1871(明治4)年〜1908(明治41)年6月23日)が亡くなった日です。
独歩は、少年時代の多感な時期を山口市で過ごしました
その独歩に、東鳳翩山を描いた「山の力」という短編小説があります。
「山の力」では、東鳳翩山は「東方便山」となっています。
その頃は、「方便」と書くの一般的だったのでしょうか?
「山の力」が収められた『定本国木田独歩全集』第三巻(学習研究社 1964.10)の「解題」(福田清人)に
この作は明治三十六(1903)年八月十一日発行の『少年界』第二巻第九号に発表された。(略)従来この作は初出が明白にされず、死後まもなく出た博文館本の最初の『独歩全集』後編(明治四十三年八月刊)に収められ、改造社版『国木田独歩全集』第三巻(昭和五年十一月刊)によって一般に流布してゐた。
(略)
友人の兄によって示された磁石石を採りに近くの山に登り、一度は失敗したが二度目に成功する少年の好奇心、探究心を明るく描いてゐるが、前にも述べた幼時追懐的な少年小説として興味がある。
独歩は明治十八年七月山口中学校に入学、二十年上京するまで山口市に在住した。作中の方便山(鳳翩山)には、この期間に登つたことがあつたのであらう。
とあります。(※旧字体を新字体に変更)
1876(明治9)年2月、4歳の時に吉敷郡山口町(今の山口市)に移住し、翌年1877(明治10)年まで住んでいました。
そして、1883(明治16)年11月、12歳の時に再び山口へ移住し、山口の今道小学校(現在の山口市立白石小学校)に学んでいます。
1885(明治18)年9月、14歳の時に山口中学校に入学します。
学制改革のため、1887(明治18)年3月、15歳の時山口中学校を退学し、上京します。
(※年齢は満年齢にしています。)
前置きはこれくらいにして、「山の力」を読んでいきましょう。
私が未だ十四位の時でした、
友達の
其頃尋常中学校の生徒で年は十六七
の兄から
『(略)この石は東方便山の絶頂にあるのだ。然し容易なことでは採れはしない。(略)運が可ければ磁石力のある石を得るし、運が悪いと、二十も三十も拾った石がまるでただの石のことがある。(略)』
と天然に磁力をもった不思議な石の存在を知らされ、友達と二人だけの秘密で、若葉の時候の日曜日、東方便山の絶頂を目指すことにします。
私共の町から方便山の麓までは一里半位あります。山の道程が一里、それで絶頂まで往復五里です。県下で一二を争ふ高山でありますから、町から見ますと其頂は近いよ―に見えても、登る日になると容易なことではないのです。殊に麓には樹木の繁った孫山が相重なって居るので直線で見たのよりも、其道は非常に迂回して居るのあります。
小学生の当時、独歩が住んでいたのは山口市道場門前で、裁判所の近くだそうです。(中学生の時は、寮に入っていました。)
今と違って麓まで車で行く訳でもなく、登山道が整備されている訳でもなく、小学生にとって大冒険でした。
さてさうなると人に逢ふことが漸々少なくなり、途は益々分かれて来る、二人は次第に心細くなって来て、話の数は減と共に足も初ほど活発に動かないよーになりました。
幸と途には迷ひませんでしたといふものは、最後に逢た十二三の樵夫の言葉に、猶三四丁ゆくと木立の間をぬけて草山になる、さうすれば此幅の広い道のみを辿ると自然に方便の絶頂に達するといふことで、(略)
教えの通り間もなく草山に出ました。今更のよーに眼界が開け、見渡す限りの草茫々として、まるで青絨毯を敷き連ねたよーで、草間には菫や蒲公英が咲き出て奇麗でありました。そして遥かに方便の頂は見えます。
というところなど今回の鳳翩山登山を彷彿とさせ、その後の金山の跡の場面など、鳳翩山には実際に鉱山跡があることから、独歩も鳳翩山に本当に登ったと思われます。
結局のところ、天候の不順のため目的を達成することができませんでしたが、3週間経って、7月の中旬に再チャレンジします。
二人は夢中になって、或いは拾い、或いは金槌を以て、土地の底にかくれて居る岩角を闕き取りました。
そして、
二人は運動場から遥かに方便山の頂を望んで顔を見合してくすくす笑ひました。
独歩の通った今道小学校は、山口駅のすぐ近くの山口県林業会館(山口市駅通り2-4-17)のところに当時ありました。そこの運動場から鳳翩山は見えたのでしょうか?
それとも、今の山口県立美術館の辺りにあった山口中学校から見ていたのでしょうか?
方便山の恐ろしい磁石力は、私共をすら引き着けて居るのでした。
で「山の力」は終わります。
国木田独歩の「山の力」、ぜひ、読んでみてください。
鳳翩山の磁力を味わってください。
(▲西鳳翩山から望む東鳳翩山 2018年11月5日撮影)
追記
『―温かいふるさとー 中尾の今昔』(難波要二 1997(平成9).4)P9に、
この山には滑石(なめらいし)が一部に露出し、中尾の者は砥石として掘りに行っていた。
とあります。もちろん、磁石ではありませんが、そういう話を独歩が聞いて、この物語を書くきっかけの一つになったのではないのかなど、思いを馳せます。
【次回に続く】
6月23日は、独歩忌です
明治の文豪 国木田独歩(1871(明治4)年〜1908(明治41)年6月23日)が亡くなった日です。
独歩は、少年時代の多感な時期を山口市で過ごしました
その独歩に、東鳳翩山を描いた「山の力」という短編小説があります。
「山の力」では、東鳳翩山は「東方便山」となっています。
その頃は、「方便」と書くの一般的だったのでしょうか?
「山の力」が収められた『定本国木田独歩全集』第三巻(学習研究社 1964.10)の「解題」(福田清人)に
この作は明治三十六(1903)年八月十一日発行の『少年界』第二巻第九号に発表された。(略)従来この作は初出が明白にされず、死後まもなく出た博文館本の最初の『独歩全集』後編(明治四十三年八月刊)に収められ、改造社版『国木田独歩全集』第三巻(昭和五年十一月刊)によって一般に流布してゐた。
(略)
友人の兄によって示された磁石石を採りに近くの山に登り、一度は失敗したが二度目に成功する少年の好奇心、探究心を明るく描いてゐるが、前にも述べた幼時追懐的な少年小説として興味がある。
独歩は明治十八年七月山口中学校に入学、二十年上京するまで山口市に在住した。作中の方便山(鳳翩山)には、この期間に登つたことがあつたのであらう。
とあります。(※旧字体を新字体に変更)
1876(明治9)年2月、4歳の時に吉敷郡山口町(今の山口市)に移住し、翌年1877(明治10)年まで住んでいました。
そして、1883(明治16)年11月、12歳の時に再び山口へ移住し、山口の今道小学校(現在の山口市立白石小学校)に学んでいます。
1885(明治18)年9月、14歳の時に山口中学校に入学します。
学制改革のため、1887(明治18)年3月、15歳の時山口中学校を退学し、上京します。
(※年齢は満年齢にしています。)
前置きはこれくらいにして、「山の力」を読んでいきましょう。
私が未だ十四位の時でした、
友達の
其頃尋常中学校の生徒で年は十六七
の兄から
『(略)この石は東方便山の絶頂にあるのだ。然し容易なことでは採れはしない。(略)運が可ければ磁石力のある石を得るし、運が悪いと、二十も三十も拾った石がまるでただの石のことがある。(略)』
と天然に磁力をもった不思議な石の存在を知らされ、友達と二人だけの秘密で、若葉の時候の日曜日、東方便山の絶頂を目指すことにします。
私共の町から方便山の麓までは一里半位あります。山の道程が一里、それで絶頂まで往復五里です。県下で一二を争ふ高山でありますから、町から見ますと其頂は近いよ―に見えても、登る日になると容易なことではないのです。殊に麓には樹木の繁った孫山が相重なって居るので直線で見たのよりも、其道は非常に迂回して居るのあります。
小学生の当時、独歩が住んでいたのは山口市道場門前で、裁判所の近くだそうです。(中学生の時は、寮に入っていました。)
今と違って麓まで車で行く訳でもなく、登山道が整備されている訳でもなく、小学生にとって大冒険でした。
さてさうなると人に逢ふことが漸々少なくなり、途は益々分かれて来る、二人は次第に心細くなって来て、話の数は減と共に足も初ほど活発に動かないよーになりました。
幸と途には迷ひませんでしたといふものは、最後に逢た十二三の樵夫の言葉に、猶三四丁ゆくと木立の間をぬけて草山になる、さうすれば此幅の広い道のみを辿ると自然に方便の絶頂に達するといふことで、(略)
教えの通り間もなく草山に出ました。今更のよーに眼界が開け、見渡す限りの草茫々として、まるで青絨毯を敷き連ねたよーで、草間には菫や蒲公英が咲き出て奇麗でありました。そして遥かに方便の頂は見えます。
というところなど今回の鳳翩山登山を彷彿とさせ、その後の金山の跡の場面など、鳳翩山には実際に鉱山跡があることから、独歩も鳳翩山に本当に登ったと思われます。
結局のところ、天候の不順のため目的を達成することができませんでしたが、3週間経って、7月の中旬に再チャレンジします。
二人は夢中になって、或いは拾い、或いは金槌を以て、土地の底にかくれて居る岩角を闕き取りました。
そして、
二人は運動場から遥かに方便山の頂を望んで顔を見合してくすくす笑ひました。
独歩の通った今道小学校は、山口駅のすぐ近くの山口県林業会館(山口市駅通り2-4-17)のところに当時ありました。そこの運動場から鳳翩山は見えたのでしょうか?
それとも、今の山口県立美術館の辺りにあった山口中学校から見ていたのでしょうか?
方便山の恐ろしい磁石力は、私共をすら引き着けて居るのでした。
で「山の力」は終わります。
国木田独歩の「山の力」、ぜひ、読んでみてください。
鳳翩山の磁力を味わってください。
(▲西鳳翩山から望む東鳳翩山 2018年11月5日撮影)
追記
『―温かいふるさとー 中尾の今昔』(難波要二 1997(平成9).4)P9に、
この山には滑石(なめらいし)が一部に露出し、中尾の者は砥石として掘りに行っていた。
とあります。もちろん、磁石ではありませんが、そういう話を独歩が聞いて、この物語を書くきっかけの一つになったのではないのかなど、思いを馳せます。
【次回に続く】