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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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赤田神社 @ 中尾の文化財さんぽ@ [2019年05月07日(Tue)]
4月6日(土)、山口市教育委員会文化財保護課主催の「中尾文化財さんぽ」に参加しましたぴかぴか(新しい)
吉敷中尾にある大内氏ゆかりの赤田神社から凌雲寺跡まで往復5.5kmを道中の文化財や自然を楽しみながら歩いて巡るウォーキングイベントでするんるん
中尾の文化財さんぽ2019.png

昨年3月21日に予定されていたイベントは雨で流れたのですが、今年は好天に恵まれ、最高の一日となりました晴れ

集合は山口市吉敷赤田の赤田神社。
先生は、地質学・歴史学・発掘調査など各専門家。
参加者は42名。定員は30名でしたが、応募期限内に申し込んだ全員、参加することができましたわーい(嬉しい顔)
受付で1,000円を払い、『吉敷さんぽ』(吉敷地域文化振興協議会/編 吉敷地区地域づくり協議会 2017.3)などの資料をたくさんいただきました。


まず、赤田の岩屋の説明をしていただきました。
地質学的には露頭といいます。
地層・岩石が露出している場所です。
マグマ等が冷却固結する際や地殻変動の際に生じる石英斑岩が直方体状になった方状節理を見ることができます。
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赤田神社は吉敷川のそばに建っています。
吉敷川は、吉敷地区を取り囲む山々が源流となり、いくつもの川が集まりその流れを作っています。 鋤尖山(すきさきやま)や北東に連なる山々を源とした東ノ浴川(ひがしのえきがわ)と東鳳翩山(ひがしほうべんざん)〜地蔵峠(じぞうだお)〜油ノ峠(ゆのとう)〜西鳳翩山にかけて各谷から集まった西ノ浴川が中尾地区で合流しています。 さらに、丸岳(まるだけ)や鼓が岳を源流とした寺領川(じりょうがわ)と桂が岳(かつらがだけ)を源流とした沓掛川(くつがけがわ)はそれぞれ赤田神社付近で合流し、吉敷川の流れとなっています。(『吉敷さんぽ』「第1章 01 吉敷の自然」P.12「2 吉敷の川・田園」参照)

赤田神社のところで岩屋の淵となっています。

水量が少ないため古人は苦労して、太田義溝や中村用水路を造り水田を耕しました。溜池も昔は60近くあり、最大の溜池が野口堤でした。(パンフレット『ふるさと吉敷』「吉敷川」(吉敷地区ふるさとづくり推進協議会)参照)

岩屋のところ、ここが、吉敷川の水を今のマックスバリューの方へ用水を送っている場所です。
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石を使っているのは、大雨のときなどに洪水にならないようにするため。
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今日はなんと赤田神社の社殿の中に入れていただいて、宮司さんが神社について、狛犬研究家が狛犬について説明くださいました揺れるハート揺れるハート揺れるハート
赤田神社は、古老の口伝として、今から約1,800年前の成務天皇9(139)年9月9日に、当時の吉敷の人々が島根県の出雲大社から大社のご祭神である大己貴命(大国主命)の御分霊をお迎えして、現在の吉敷中村町内にお祀りしたのがその始まりで、その後、養老元(717)年に神様のお告げにより現在の吉敷赤田にお遷したと伝えられています。
周防五社の一つです。 九州の戦陣から帰った領主 大内義興が周防国内の五社に戦勝報告し、ここは4番目であったことから「周防国四の宮」と称されるようになりました。

本殿。
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幣殿の様子。
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本殿前に安置されている木造の獅子狛犬です。
緑青や朱の彩色が認められます。
山口市の平清水八幡宮の木造獅子狛犬(1373年)に続く古いものだそうです。
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本殿に向かって右側が上座で獅子を表しています。
角がなく耳が垂れて口を開いて前肢を立てて蹲踞(そんきょ)しています。
口が開いている形を「阿(あ)」といいます。
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本殿に向かって左側が下座で狛犬を表しています。
一本の角があり耳が立ち口を結んでいます。
口を閉じている形を「吽(うん)」といいます。
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神像?
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拝殿の龍の天井絵は、山口市吉敷出身の内藤鳳岳作。
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幣殿の奉納絵。
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幣殿の奉納絵。
内藤鳳岳作。
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幣殿の奉納絵。
内藤鳳岳作。
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神輿。
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拝殿の釘隠しは、
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神紋の「花菱」です。
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社紋は「桜」です。

現在の社殿は安政年間の建物で三間社流造(さんげんしゃながれづくり)です。
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(▲2018.9.24撮影)

その後、参道にある石造獅子狛犬の説明を受けました。
1808(文化5)年の制作です。
獅子。
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狛犬。
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(▲2018.9.24撮影)

山口市秋穂二島の御用石工の一宝家(市宝家)の建造です。
一宝家が建造した石造物は数多く残っており、山口大神宮や秋穂の正八幡宮の狛犬がそうです。

一宝家(市宝家)は、江戸時代、萩藩の御用石工を勤めた家。もとは和泉国の住人で、近世初頭に毛利家と関係を持ち、萩藩の御用石工を勤めるようになったと伝える。当初は大坂と萩藩を行き来していたが、18世紀後半に小郡宰判岩屋に定住した。(『山口県史』史料編近世4「解説」(山口県 2008)より)


(明記しているもの以外、写真は2019.4.6撮影)


【次回に続く】
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