「文士の肖像―林忠彦写真展」を観に行きましたA @ 中原中也記念館
[2018年10月28日(Sun)]
【前回の続き】
今日出海
今日出海さんのお宅へ伺ったら、庭のなかに、二畳が三畳かの小屋をつくって、そこで仕事をしておられたようでしたが、その小屋の窓に座っている姿を撮ったことがありました。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.320)
まさにその写真です。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.318)
今は、井上公園で行われた中原中也碑の除幕式に、小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平とともに出ています。
佐藤春夫
暗闇から出てきたキリンのような感じがしました。(略)
邸宅は、クラシックな建物で、これまた変なたとえだけれど、江戸川乱歩の探偵物に出てきそうな西洋館の暗い家で、書斎も非常に変わっていました。六角テーブルがあったし、普通なら座布団は真四角に敷いて座るものですが、先生は菱形の対角線に着物姿で座って、膝がこぼれても平気な顔でした。(略)
大体、この写真を撮った部屋は、座るようなところではないですね。畳がちょっと一枚だけ入れてあって、周りは板の間です。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.71)
不思議なものが置かれた書斎です。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.69)
中也の弟・思郎もその著書で佐藤の客間の様子を書いています。
中也の長男・文也が11月10日に亡くなった翌年の1937(昭和12)年の元旦に中也に連れらて佐藤邸を訪問しました。
佐藤春夫さんの家では(略)広い洋間のような日本間の客室の中央にイロリのようなものがあって、佐藤さんは長い鉄火箸をしきりに動かしながら、数人の若い客人にとりまかれていた。中也のきちょうめんな正月の挨拶に対して、佐藤さんは「このごろは、もっぱら絵を楽しんでいる」といって、辺りに沢山おいてあった油絵を指さした。
(『兄中原中也と祖先たち』(審美社)「兄中原中也」「屋根」P.68)
【次回へ続く】
今日出海
今日出海さんのお宅へ伺ったら、庭のなかに、二畳が三畳かの小屋をつくって、そこで仕事をしておられたようでしたが、その小屋の窓に座っている姿を撮ったことがありました。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.320)
まさにその写真です。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.318)
今は、井上公園で行われた中原中也碑の除幕式に、小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平とともに出ています。
佐藤春夫
暗闇から出てきたキリンのような感じがしました。(略)
邸宅は、クラシックな建物で、これまた変なたとえだけれど、江戸川乱歩の探偵物に出てきそうな西洋館の暗い家で、書斎も非常に変わっていました。六角テーブルがあったし、普通なら座布団は真四角に敷いて座るものですが、先生は菱形の対角線に着物姿で座って、膝がこぼれても平気な顔でした。(略)
大体、この写真を撮った部屋は、座るようなところではないですね。畳がちょっと一枚だけ入れてあって、周りは板の間です。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.71)
不思議なものが置かれた書斎です。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.69)
中也の弟・思郎もその著書で佐藤の客間の様子を書いています。
中也の長男・文也が11月10日に亡くなった翌年の1937(昭和12)年の元旦に中也に連れらて佐藤邸を訪問しました。
佐藤春夫さんの家では(略)広い洋間のような日本間の客室の中央にイロリのようなものがあって、佐藤さんは長い鉄火箸をしきりに動かしながら、数人の若い客人にとりまかれていた。中也のきちょうめんな正月の挨拶に対して、佐藤さんは「このごろは、もっぱら絵を楽しんでいる」といって、辺りに沢山おいてあった油絵を指さした。
(『兄中原中也と祖先たち』(審美社)「兄中原中也」「屋根」P.68)
【次回へ続く】