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こどもと本ジョイントネット21・山口


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「大岡昇平と中原中也」を観に行きました@ @ 中原中也記念館 [2018年08月10日(Fri)]
2010年4月29日、第15回中原中也賞の授賞式の後、ノンフィクション作家 澤地久枝さんの「中原中也 ・心に棲む詩句」という講演がありました。

その時の講演のことは、8年経った今でも、鮮明に覚えています。
澤地さんの大岡愛がヒシヒシと伝わってきたからです。

澤地さんは、中也と長谷川泰子、大岡昇平との関係などを大岡昇平の人生(戦地での体験)と重ね合わせて興味深く話されました。
その前の年の2009年は大岡の生誕100年の年であったにもかかわらず、記念事業などどこでも行われなかったことをとても残念がっていらしゃいました。

さて、中原中也記念館では、大岡昇平没後30周年の今年、満を持して特別企画展「大岡昇平と中原中也」が開催されています。

大岡昇平と中原中也.jpg

私の中で、中也存命中は、大岡と中也は喧嘩ばかりしていたというイメージです。
だから、どうして、戦後、中也についての文章を数多く発表し、四度にわたり刊行された『中原中也全集』では、全ての編集に名を連ね、中也の詩業の紹介に努めたのか、今一つ理解できなかったのですが、今回、その疑問が払拭できるか………。

じっくりと観ていきたい、と思います。

まず、展示会場入口に航空服が展示してあります。
このいでたちで、戦後初めて、山口を初めて訪れたそうです。

(略)駅前から人家疎らな畑中の道の二丁ばかり西へ行くと早くも温泉旅館の並ぶ一席に突当る。通行人に訊くとすぐわかった。その一廓の右へ迂回して少し行ったところに、私は容易に中原病院の看板を見出すことができた。中原家は中也の祖父の代からこの地に外科医を開業していた。昭和三年父君謙助氏の没後、長男中也に家業を継ぐ意志がなかったため、以来病院は他に貸していたが、私の行った時は次々弟呉郎君が成長して末弟拾郎君と共に経営に当っておられた。病院は低い生垣の向うの前庭に疎らに庭木を配した、むしろ殺風景な木造平家の洋館である。これに中原病院ではなく「農事試験場」の看板が懸っていても私はさして驚かなかったであろう。それほどこの建物の正面は、普通の医院の入口の持つ威厳も愛嬌も具えていなかった。惟うにもと軍医であった父君謙助氏は、その病院を市民的虚飾で飾る必要を認められなかったのであろう。こうした投げやりな無雑作な外観も私には何となく中原にふさわしいように思われた。(略)
(大岡昇平「中原中也伝―揺籃」より)


【続きはまた…】
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