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こどもと本ジョイントネット21・山口


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紙本墨書豊浦宮法楽和歌 @ 忌宮神社A [2019年09月10日(Tue)]
【前回より続く】

尊氏の前文には、

西国下向し時参詣長門国
神功皇后之社壇□洛し□
不□幾日一天得静謐し時
四海属無ゐし化仍以二首篇
詠脩一心之法楽歌


西国に下向した時長門国の神功皇后を祀る社「忌宮神社」に参詣して
数日心を込めて祈願したところ、
その後、再入洛を果たし
今や一天静謐の時を得、四海無為の化に属せりとして2首の歌を詠んで神に対するよろこびを述べています。

法楽和歌.jpg

直義の前文には

神功皇后宮者本朝鎮護之
大廟外国降伏之霊祠也先
年忝詣之時中懐祈願之趣
玄応太速冥助掲焉回致
一心懇信詠二首和歌


神功皇后宮は本朝鎮護の大廟、外国降伏の霊祠で、
先年参詣の時の祈願に対する冥助(神の助け)掲焉(著しい)の即効性を讃えています。


忌宮神社の神紋は白鳥です。
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白鳥ではないですが、いつ行っても、境内には鶏がいっぱいいて、とっても元気ですわーい(嬉しい顔)
この鶏さん、写真を撮る間じっとしてボーズをとってくれるんですよるんるん
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境内には、神功皇后が植えた逆松や、
武内宿祢が植えた公孫樹や、
195年には、渡来人が蚕種を献上したという蚕種渡来地の碑が境内の一角にあります(シルクロード日本上陸の地)。

また、神門の前に「鬼石」と呼ばれる石があります。
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第十四代仲哀天皇は、九州の熊襲の叛乱を平定のためご西下、ここ穴門(長門)豊浦(長府)に仮の皇居を興されたが仲哀天皇七年旧暦の七月七日に朝鮮半島の新羅国の塵輪(じんりん)が熊襲を煽動し豊浦宮に攻め寄せた。皇軍は大いに奮戦したが宮内を守護する阿部高麿、助麿の兄弟まで相次いで討ち死にしたので、天皇は大いに憤らせ給い、遂に御自ら弓矢をとって塵輪を見事に射倒された、賊軍は色を失って退散し皇軍は歓喜のあまり矛をかざし旗を振りながら塵輪の屍のまわりを踊りまわったのが数方庭(八月七日より十三日まで毎夜行われる祭)の起源と伝えられ、塵輪の顔が鬼のようであったところからその首を埋めて覆った石を鬼石と呼んでいる。

2017年8月14日訪れた時、境内にたくさんの竹が立てられていました。前日まで行われた数方庭(すほうてい)祭の跡のようでした。
数方庭祭は、忌宮神社で8月7〜13日に行われる祭で、仲哀天皇が、九州の熊襲を扇動して攻めてきた新羅の塵輪を退治し、人々が矛をかざし旗を振って歓喜したのが始まりと伝わり、1800年の歴史があるそうです。
境内の広庭は、広い砂の庭で、運動場のような雰囲気で、お祭りには最適な感じの場所ですかわいい


境内社の八坂神社です。
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境内にあるMで久し振りに食事をしました。
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下関市長府には、他に、尊氏が寺領(小月)を寄進(1334(建武元)年? 1336(延元元・建武3)年?)した長福寺、現在の名前は、功山寺があります。1650(慶安3)年、毛利秀元が死亡し、その法号「智門寺殿功山玄誉大居士」により改称しました。
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紙本墨書豊浦宮法楽和歌 @ 忌宮神社@ [2019年09月09日(Mon)]
9月1日、下関市長府にある忌宮神社に行きましたぴかぴか(新しい)

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忌宮神社は仲哀天皇・神功皇后が西征の際に滞在した行在所である穴門豊浦宮の遺跡に営まれたという伝説があります。

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社頭由緒書。
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長門国二ノ宮 旧国幣社 忌宮神社 由緒
忌宮神社は、第十四代仲哀天皇が九州の熊襲を平定のため御西下この地に皇居豊浦宮を興して七年間政治を行われた旧址で、天皇が筑紫の香椎で崩御せられたのち御神霊を鎮祭す。その後聖武天皇の御代に神功皇后を奉祭して忌宮と称し、さらに応神天皇をお祀りして豊明宮と称す三殿別立の古社(延喜式内社)であったが、中世における火災の際中殿に合祀して一殿となり、忌宮をもって総称するようになった忌とは斎と同義語で、特に清浄にして神霊を奉斎する忌みである。
現在の社殿は明治十年の造営で、昭和五十六年に改修す。
古来、文武の神として歴朝の尊崇武将の崇敬篤く、安産の神として庶民の信仰を受け、長門の国二ノ宮として広く親しまれている。
例大祭 十二月十五日  奉射祭一月十五日
春季大祭 五月十五日(近い日曜日)  蚕種祭 三月二十八日
秋季大祭 十月十五日(近い日曜日)  数方庭祭八月七日より十三日まで毎夜
御斎神事 十二月七日より十五日早朝まで斎行される特殊神事で境内周辺に注連縄を張って一般の進行を禁じ、神職のみ参籠して厳格な潔斎を行い、古式による秘祭を奉仕する。
境内社 荒熊稲荷神社 八坂神社

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古くから武神としてあがめられ、南北朝時代には足利氏及びその僚属の信仰を得て社壇大いに栄えたようです。

九州国立博物館 特別展「室町将軍 ― 戦乱と美の足利十五代 ― 」で観た「紙本墨書豊浦宮法楽和歌」が奉納されており、その信仰を物語っています揺れるハート
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第一紙 尊氏筆、第二紙 直義奉納、第三紙 高経奉納、第四紙 直冬奉納の四通を一巻の巻子装にしたものです。

いずれも、祭神の護りをたたえており、「お礼の言葉(真名本)+ 和歌二首(草書)+ 日付 + 署名 + 花押 」の構成となっています。

尊氏は、1336(延元元)年、忌宮神社で戦勝祈願を行い、

この御代はにしの海よりおさまりてよもにはあらき波風もなし

いにしへの二つのたまの光こそくもらぬ神のこころなりけれ

と詠み、延元2年すなわち1374(北朝建武)年11月15日に奉納しました。
二首目の、「2つの珠」とは神功皇后が豊浦津で、住吉大神の化身である龍神から授けられた二つの如意珠、潮干珠(しおひるたま)・潮満珠(しおみつるたま)のことです。
この珠を海にかえすと二つの島「干珠・満珠」になったといういわれがあり、現在も、忌宮神社の飛び地境内です。(他の伝説もあるようです。)

直義(尊氏の弟)・高経(斯波氏)は、1344(康永3)年12月15日に二首の歌を納めています。

直冬(尊氏の庶長子・直義の養子)の二首の奉納の日付は「貞和七(1351)年六月一日」になっています。(1351年は、南朝は正平6年、北朝は前年貞和を改元し、観応2年です。)

いろいろあった尊氏VS直義・直冬ですが、各々法楽和歌を奉納(時期は違いますが)し、それが仲良く一巻になっているのはいいですよねかわいい

九博では、尊氏の和歌の部分しか展示されていませんでしたが、「建武二二年十一月十五日」となっていました。「二二」で「四」……興味深かったです揺れるハート

法楽和歌巻子.jpg

【次回に続く】
宇部丸山ダムの宇部丸山発電所を見学しましたCダムカード・発電所カード [2019年07月16日(Tue)]
【前回の続き】

7月4日(木)の環境学習推進センター主催の環境学習講座「一緒に学ぼう!再生可能エネルギーの現状」では、午前中は、「再生可能エネルギーの現状」と題した講義を山口県セミナーパークで受講しました。
講師は山口大学工学部大学院技術経営研究科の福代和宏教授です。
再生可能エネルギーについてわかりやすく話してくださいました。
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その後、バスで、美祢方面に向かい、於福の道の駅で昼食を摂り、地中熱利用の(株)ジオパワーシステムズに行きました。
今日は、外気温度31℃、地中温度15℃です。
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こちらの地中熱利用は、深さ5mの地中熱を専用の熱交換パイプにより安価で効率よく利用するシステムです。
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実は先程の温度計は地中に埋める熱交換パイプに付けれられています。
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説明してくださった部屋と工場で、地中熱利用を体感しました。
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冷暖房のように急激に温度を調整するのではなく、換気をしながら建物全体の温度をゆるやかに調整し冷暖房の空調負荷を軽減するシステムです。
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特に、工場の方は、パイプから爽やかな空気が流れてきて、気持ちよくて離れたくないようでした。
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その後、宇部丸山発電所の小水力発電と太陽光発電の見学をしたというわけです。
自分達のライフスタイルを見直し、どう選択するかを考えさせられた一日でした。


なお、7月21日〜31日の「森と湖に親しむ旬間」に宇部丸山発電所の見学会が実施されます。

「森と湖に親しむ旬間」宇部丸山発電所見学会
るんるん日時るんるん 2019年7月27日(土)・28日(日)9:30〜16:00 
るんるん場所るんるん 宇部丸山発電所
       宇部市大字瓜生野
るんるん目的るんるん 森林、ダム、河川等や自然エネルギーの重要性について理解を深めるため
るんるん内容るんるん 発電所内説明見学(随時受付)
るんるん問合るんるん 山口県企業局 電気工水課 発電班 電話 083-933-4038


今回の見学会でダムカードいただきましたexclamation×2
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発電所カードもあるんですね揺れるハート
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宇部丸山ダムの宇部丸山発電所を見学しましたB小水力発電 [2019年07月15日(Mon)]
【前回の続き】

宇部丸山発電所は、

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宇部丸山ダムから取水している上水及び工業用水の未利用落差を有効活用するため、既設の工業用水道施設を改造して水車発電機を取水塔内部に設置した最大出力130kWの小水力発電所ですぴかぴか(新しい)

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2014(平成26)年度に工事着手し、2016(平成28)4月に運転を開始しました。
有効落差19.08m、使用水量0.941㎥/s。
年間発電電力量571MWh、一般家庭約160世帯相当に当たります。

取水塔
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取水塔の桟橋に行く途中に下に下りる梯子があります。
そばにボートが係留されています。
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巡視のため?
質問し忘れました。
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「丸山丸」とあります。
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取水塔の中には、機器類があり、見学者への説明用パネルが掲示されていました。
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まず、発電装置の見学です。
この階段を下りて行きます。
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階段は4層になっていました。
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EL.は標高の略(Elevation)。
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階段を下りきった塔の底部に、発電機・水車があります。
既設の流量調整バルブ2台の内1台を撤去して水車発電機を設置するため設置スペースが限られていたことから、円筒状の水車を採用したとのことです。
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発電機。
水の力でランナ(水車の回転部)を回転させ、軸に直結された発電機が回転することで電気が発生する仕組みです。
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水車。
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こちらから取水します。
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発電機盤
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当日いただいたパンフレットです。
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【次回に続く】
宇部丸山ダムの宇部丸山発電所を見学しましたA水質浄化装置 [2019年07月14日(Sun)]
【前回の続き】

数ヶ所で時折下から水が沸き上がってくるのが見えます。
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これが、水質浄化装置です。
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ダム湖は、夏場水温が上がると生活排水などに含まれる栄養分と太陽の光により、表面にアオコと呼ばれる微細藻類が繁殖し、臭いがするなど水質が悪化することがあります。
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これを防ぐため、湖底の冷たい水と水温の高い表面の水を入れ替え、アオコの発生を抑えるための水質改善目的の循環装置が設置されています。
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この動力源として、太陽電池で発電した電力は陸上のインバータに送られ、そこから再び湖面に浮かぶ水質改善装置に供給されます。
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(▲太陽光モデルプラントイメージ図(山口県HPより)

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(以上3点はパンフレット『宇部丸山ダム太陽光発電モデルプラント』(山口県企業局電気工水課)より)


遠くに塔が見えますが、何でしょうか?
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取水塔の辺り、丸山溜池の碑の近くには、丸山水神社があります。
水神を祭る神社でしょうか。
いわれなど記してないのでよくわからのないのですが、宇部市のHP「丸山ダムの見どころ」に「堤より移設」とありました。
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【次回へ続く】
宇部丸山ダムの宇部丸山発電所を見学しました@宇部丸山ダムと太陽光発電モデルプラント [2019年07月06日(Sat)]
7月4日(木)、環境学習推進センター主催の環境学習講座「一緒に学ぼう!再生可能エネルギーの現状」に参加し、宇部丸山ダム宇部丸山発電所に行きましたぴかぴか(新しい)

国道2号線を走っていて「宇部丸山ダム」という道路標識を見る度、行ってみたくてたまりませんでした。
今日は念願が叶っての訪問ですわーい(嬉しい顔)

宇部丸山ダムは、丸山溜池という江戸時代からの灌漑用の溜池をもとにしています。

「丸山溜池由来」石碑。
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 丸山溜池由来  瓜生野地区
今ヲ去ル六百三十年□□□旱魃ニ続ク飢饉年貢ハ年ト共ニ加重当時ハ八戸農家相寄リ相助ケ原野茂平翁ヲ先頭ニ丸山溜池ヲ構築シ続イテ新堤ヲ作リ瓜生野盆地一帯ヲ流レル川ニ㐧一㐧二㐧三堤防ヲ築キ漸次東側ニ押進メ今日ノ厚東川トシ用水路農道ヲ開発シ而テ四十町歩ノ耕作田ノ楚ヲ


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正平年間(1346〜1370年)(室町時代)、原野茂平は丸山の池を作り、瓜生野一帯を水田にしたそうです。
原野茂平は二俣瀬の三賢人のうちの一人だそうです。


宇部丸山ダムは、上水道用水・工業用水を目的とする重力式コンクリートダムとして、県の事業としてダム整備工事が行われました。着手 1969年、竣工 1978(昭和54)年です。

厚東川ダムとの間には、長さ約2kmの隧道(連絡水路)が設けられていて、両貯水池間の効率的な水の運用を行っています。
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厚東川ダムからの連絡水路の出口です。
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宇部丸山ダムから取水された水は、隧道により山陽小野田市有帆の有帆ポンプ場へと送水され、配水池にポンプで汲み上げられた後、給水先へと送水されます。
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天端から下流を望む。
噴水が見えます。これは二俣瀬への灌漑用水のための施設です。
灌漑用水としてダム湖の深層部の水が取り出されますが、温度の低い水は稲の発育に悪影響を与えるので、噴水によって大気に晒し、太陽光で温め温度を上げるための施設です。
灌漑の必要のない季節は作動していなとのことですが、この季節、勢いよく噴き上がっています。
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放流された水が流れる用水路が見えます。結構狭いですね。
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湖面には太陽光発電モデルプラントが浮かんでいます。
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縦10m×横30mの筏に乗せた出力20kWの太陽電池を設置しています。
右側が単結晶シリコンパネル、左側が多結晶パネルで、それぞれ84枚10kWです。
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山口県企業局長期ビジョン「ソフィア21」や「企業局新エネルギー導入プラン」に基づき、新エネルギー導入のケーススタディーとして、2002(平成14)年度に「新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)」との共同研究でモデルプラントを導入しました。
2003(平成15)年3月末から稼働。湖面上に設置するのは、全国2番目だったそうです。
4年間、データを収集し、NEDOとの共同研究は2006(平成18)年度に終了しました。
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約15年経った現在では、単結晶シリコンパネルは故障し、多結晶パネルは出力5.5kWとなっています。
その原因は湿気だと考えられます。
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また、パネルの設置傾斜が緩いのは、風の影響を考慮したためです。
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これは、網場(あば)でしょうか?
質問し忘れました。
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【次回に続く】
馬庭と岩富のもりさま @ 山口大歳A [2019年07月05日(Fri)]
【前回の続き】

かわいいもりさま
森を神聖視する信仰は、日本の各地に存在します。
巨木や巨岩などの自然物を崇拝するアニミズムの名残として各地に見れるのが「森様」である。長寿の大木を祀ったもので、河内のシイ、馬庭のフジ、和田のカシ、岩富のクロガネモチなど大歳地区には森様が4か所ある。(『発見!おおとし』(大歳自治会 大歳明治150年記念事業実行委員会))

馬庭のもりさま
地撮り山口大歳のチェックポイントの一本足鳥居のところです。
フジの老木があります。

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年 代 文政(西暦1823年)
所在地 大歳馬庭
立 地 森橋の近く
(形状・由来・沿革)祠堂
御神木は藤の老木
高 さ 67m
(紀年名・銘文等)
(燈籠に)
 文政六未三月吉日
  奉寄進 氏子中
(前の鳥居に)
 奉寄進 氏子中
 天保十巳亥三月吉日(1839)

(『山口市の石仏・石塔(1)―平川・大歳・吉敷―』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2002(平成14).3)P174)

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岩富のもりさま
最明寺の近くの岩富公会堂のそばです。
クロガネモチの大木があります。

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(形状・由来・沿革)祠堂
毎年4月13日にお祭りがされる。
後に御神木、周囲3m以上
高 さ 72p

(『山口市の石仏・石塔(1)―平川・大歳・吉敷―』P176)

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もりさまの他、岩富公会堂横には、いろいろな神や仏が集めてあります。

馬頭観音
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年 代 文政(西暦1822年)
(形状・由来・沿革)光背型浮彫立像
          一面二臂
(紀年銘・銘文等)文政五
         午三月日
高さ49p

(『山口市の石仏・石塔(1)―平川・大歳・吉敷―』P146)

祠堂
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(形状・由来・沿革)祠堂
祭神不明
日輪様か。
西角の日輪様と似ている。
高 さ 54p

(『山口市の石仏・石塔(1)―平川・大歳・吉敷―』P177)

庚申
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年 代 正徳(西暦1715年)
(形状・由来・沿革)自然石。
(紀年銘・銘文等) 正徳五乙未下湯田
         庚申供養
          四月
高 さ 57p

(『山口市の石仏・石塔(1)―平川・大歳・吉敷―』P163)

また、最明寺のところにある岩富墓地には、たくさん地蔵があるようですが、その一つ。

地蔵
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年 代 延享(西暦1747年)
(形状・由来・沿革)丸彫坐像
(紀年銘・銘文等)延享四丁卯
          為山下元佑
          四月十一日
高 さ 90p

(『山口市の石仏・石塔(1)―平川・大歳・吉敷―』P129)


一方、馬庭。
馬庭の大岩の近くにある像ですが、地蔵とばかり思っていましたが、馬頭観音でした。

馬頭観音
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立 地 大岩口橋近く
(形状・由来・沿革)光背型浮彫立像
像容は地蔵であるが馬の災害を痛んで此処に建てられ、馬頭観音として信仰されて来た。
高 さ 41p

(『山口市の石仏・石塔(1)―平川・大歳・吉敷―』P145)

馬庭の奥、阿仙原の入口まで行きました。
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大曲り @ 山口市大歳@ [2019年07月04日(Thu)]
7月1、2日、地撮り山口大歳の賞品の袋詰めを手伝いました。
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2日(火)、地撮り山口大歳のフィールドワークに参加させていただきました揺れるハート

ということで、今回の地撮り山口大歳のチェックポイントにはなってはいないけれど、参加者の皆様にここもぜひチェックして欲しい大歳のスポットを紹介しますぴかぴか(新しい)


かわいい大曲り
山口市小郡と島根県津和野を結ぶ古い道を石州街道といいます。
このうち湯田との境の下市橋を渡ると、今井の宛ノ木から上矢原の道関まで、西寄りにカーブを描く部分があり、江戸時代には「大曲り」と呼ばれていました。
これは、椹野川がかっては富田原の北側を流れ、今井町から朝倉市に大きく蛇行していたため、その川に沿って街道がつけられた名残と推測されています。

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1896(明治29)年ごろ、現在のように大曲りを経由しない真直ぐの県道(今は市道)が作られたことから裏道になりました。(『郷土大歳のあゆみ』(大歳地区史編纂委員会(大歳史談会/編 大歳自治振興会 2002(平成14).12)P416参照)
江戸時代は誰もがここを通っていました。幕末でいえば、周布政之助を始めとして、久坂玄瑞、高杉晋作、五卿、桂小五郎、井上馨、伊藤博文、坂本龍馬、中岡慎太郎など、維新で活躍したみんながここを通っていましたひらめき

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この先に吉富簡一邸が見えます。
周布政之助は吉富邸の離れを借りて住んでいました。
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吉富邸前の道。
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ハヤだと思うのですが、魚が泳いでいました。
今は住宅街の間の生活道路ですが、水路の水はあくまでも澄んでいて、石州街道の面影を残すすてきな道です揺れるハート

【次回に続く】
正護寺 @ 山口市陶 [2019年07月03日(Wed)]
7月2日(火)、山口市正護寺(しょうごじ)に行きました。
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臨済宗の古寺で山号を万松山といい延文年間(1356)頃、陶氏2代弘政が開いたお寺です。
陶(すえ)という地名は、古代に製陶が行われた先進地域であったことを示しています。

現地案内板。
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臨済宗東福寺派 萬松山 正護寺
 山号を萬松山といい禅宗で本尊は釈迦牟尼佛、脇佛文殊菩薩、普賢菩薩の三尊佛である。
 防長風土注進案によれば、「北朝後光厳院延文年中陶越前守弘政建立」とあるので、創建は今から六百十余年前になる。陶氏が居城を構えた頃、城内に祈願所としてこの寺を建立し、寺門も栄えたが、大内氏滅亡とともに廃寺同様の悲運に見舞われた。毛利氏により再興されたが、大内輝弘の乱で兵火にかかり、今の地「陶の館」の跡に移転建立された。本尊三尊佛と、開山傑山寂雄大和尚木像は、創建当時のものである。
 寺内にある薬師如来坐像は、山口県指定有形文化財で、平安初期、今から千年前の作品である。 
 本堂正面の門は、小郡代官所の正門を北川清助代官の配慮により移設されたものである。
 陶弘政、晴賢の墓、富永有隣の先祖の墓、代官北川清助の墓などあり、大内氏、陶氏とのかかわりや、村の歴史を実証する数々の史跡がある。



この一帯は陶を拠点とする陶弘賢が建てたとという陶氏館跡でもあります。
陶氏関係のものとして、陶晴賢の分骨塔があります。

正護寺歴代の住職等の墓。
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右端の宝篋印塔が陶晴賢の分骨塔。
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二つ並んだ宝篋印塔のうち、
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左側の「正護寺殿」とあるのは、正護寺を建立した陶氏二代目弘政の墓。
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右側の「開山塔」とあるのは、正護寺の開山である長府功山寺開山でもある傑山寂雄(けっさんじゃくゆう)大和尚の墓。
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大円恵満禅師の墓。
当山中興二世大円恵満禅師」と刻まれています。
大内輝弘の乱で焼失した寺を再建しました。
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「正護寺ゆかりの墓」説明版。
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  正護寺ゆかりの墓
 参道右手のこれより並ぶ墓は、正護寺歴代の住職等の墓である。
 一番手前の宝篋印塔は、陶晴賢の分骨塔であり、中ほどに並ぶ宝篋印塔手前の『開山塔』とあるのは、正護寺の開山である長府功山寺開山と同人である傑山寂雄(けっさんじゃくゆう)大和尚のものである。
 その横に『正護寺殿』とあるのは、正護寺を建立した陶氏二代目弘政の墓である。そしていま一つ『当山中興二世大円恵満禅師』とあるは、大内輝弘の乱で兵火にかかり焼失した寺を嘆き、これを再建したいわば中興の祖である大円恵満禅師の墓である。

 参道左手に『三界万霊』(さんがいばんれい)と刻し塔石の上に安置地蔵を載せた塚は、陶晴賢二百五十年忌に際して陶の住民が奉って供養のため建立した供養塔といわれている。
 その奥の『ぼう(虫片に方の文字)虫墳(ぼうちゅうふん)』と刻された塚は、多くの虫の死を悼みこれを供養したときの供養塚と伝えられている。

 
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山門は小郡代官所の正門を移したものです。
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正護寺には平安時代の薬師如来坐像が残されています。
この仏像はもとこの地にあって廃寺となった光明寺の本尊であったと伝えられています。
本堂向って右手の脇堂に安置されていますが、今、お寺の床下を改修中で本堂の中に入ることができず、また、ビニールシートがかけてあって、写真は残念ながら撮ることができませんでした。

「木造薬師如来坐像」説明板。
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  県指定有形文化財(彫刻) 木造薬師如来坐像
          昭和四十一年六月十指定
          所在地 山口市大字陶三九〇七
 この仏像は、平安時代初期の作品で、現在山口県下の仏像の中では日本で造られたものとしは最も古いのものす。
 榧(かや)材の一木造りで、仏像の高さは八二センチメートルあり、眼は彫眼で白毫は水晶を入れています。肉身に地に金箔押しであったものがほとんど剥落しており、法衣はすべて素地をあらわしています。衣紋のはところどころ虫食いを補修したらしく削り直したところがあります。
 豊満な面相や肉付きのよい肩張り、衣紋の茶杓状の深いしわ、渦巻状の衣の端などによく平安時代前期の特徴がよくあらわれています。
 二重円相の光背や台座の蓮華座は後に補われたものです。



また、維新関係のものもあります。
脱隊騒動の時、多くの脱隊兵が駐留していて、鎮圧軍に打ち込まれたという弾痕が本堂の柱に2箇所残っているとのことですが、改装中のため、見ることができませんでした。

「脱隊兵駐留所・正護寺」説明板。
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 明治二年(一八六九)から始まる脱隊騒動では、脱隊兵は山口に入って藩庁を囲み、不正の多い上官による選抜を批判する藩に出された弾劾書の要求を通そうとしましたが、翌年、木戸孝允の指揮する常備軍がこれを制圧するため山口に向かって進軍し、小郡口、陶峠、鎧ヶ峠、勝坂などで戦闘が起こりました。陶・鋳銭司を経て三田尻に退却しましたが、再び攻め上がって鎮圧しました。
 正護寺は一時多くの脱隊兵が駐留していて、本堂の柱にはその時の銃弾の跡が残っています。


そして、ここ正護寺は、富永有隣の菩提寺だったのですexclamation
国木田独歩が小説「富岡先生」で描いたあの有隣のexclamation×2
感激です揺れるハート
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「富永有隣」説明板。
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 維新の志士 富永有隣
文政四年(一八二一)毛利藩士富永七郎右衛門の嫡男として陶に生まれ、名を徳、字を有隣、号を履斎・陶峯といい、9歳で萩の明倫館に学び、自他ともに許す国学者で、漢学・易学にも長じていた。
嘉永二年罪なくして見島に流され、野山嶽に囚われた。獄中で吉田松陰と巡り会い、後に松下村塾で松陰と共に幾多の俊才を育てた。
安政六年、松下村塾を去り、秋穂二島の戒定院(かいじょういん)に定基塾を開き、四境の役では鋭部隊を率いて幕軍の心胆を寒からしめ、戊辰の役では「長州の富永東海道を上る」と幕府軍に恐れられた。
明治二年の兵制改革にさいしては、脱退騒動の陣頭に立ち、敗れて土佐に渡り、8年間土佐の勤王の同志の間を往来して国事を画策したが、捕えられて東京石川島監獄に投じられたが、のち許されて田布施で塾を開き、名声が高く、文豪国木田独歩も有隣の人物に心を引かれ、小説「富岡先生」は、当時の有隣を主人公として書いたものである。
有隣は、勤王と学問追求の志が固く「我が道を行く」隠遁と牢獄と波乱の生涯を明治三十三年十二月二十日終えた。享年八十歳。
正護寺は、富永家の菩提寺であって、有隣は同寺に般若心経の大幅を奉納している。


富永家の墓は正護寺のほぼ真南に独立して建立されています。
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また、北川清助の墓もあるとのことですが、確認できませんでした。

「北川清助の墓」説明版。
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  北川清助の墓・正護寺
 北川清助は、文政九年(一八二六)、大島郡で生まれ、幼い時(天保9年)に陶の北川家に養われ、その姓を継ました(士族の北川半右衛門の養子)。小郡代官所に勤め、文久三年(一八六三)、半が小郡の福田口に鉄砲製造所を設置するに当たり、その監督者となっています。元治元年(一八六四)から明治二年(一八六九)の間、代官であったこともあります。
 慶応元年(一八六五)の内訌戦においては、金穀諸隊の要請を入れて金穀援助し、また管内の庄屋・郷士と協力して軍夫を集めるなど諸隊を助け、大田絵堂の戦いで諸隊を勝利に導きました。明治三年(1870)脱隊騒動では小郡が戦乱の中心となり、この鎮圧に努力しました。同四年に官職を退きましたが、堂十年の西南戦争の時には志願して軍夫を率い従軍しました。その後は陶の地に住んで官途につかず、ひたすら農業経営の改善に努力し、同三十五年に亡くなりました。



すごいお寺でした。
実は、地撮り山口大歳でお世話になっているSさんのご実家ですかわいい

「北川清助の墓」説明板にある「管内の庄屋」には、林勇蔵も入っています。
林勇蔵は、矢原の山田家(吉富家の分家)から林家に養子に行っています。
まさに、地撮り山口大歳と関係あるのでした!

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今回見ることのできなかった木造薬師如来坐像、弾痕跡、近くの陶釜跡(須恵器を焼いた窯跡)など見せていただくことになっています。

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素敵な地撮り山口陶になりましたわーい(嬉しい顔)
Sさん、どうもありがとうございました。
取れたての野菜、美味しかったです。
赤崎様など @ 山口市大歳三作地区の鎮守 [2019年06月26日(Wed)]
6月25日(火)、山口秋吉台自転車道(山口県道501号山口秋吉台公園自転車道線)と並行した椹野川沿いの道を車で走っていると、お地蔵様などを集めて祀ってあるところに遭遇しました。
後で調べると、大歳の三作(みつくり)公会堂のところだとわかりました。
大歳三作地区の鎮守だそうですぴかぴか(新しい)


赤崎様
赤崎様は牛馬安産の神として崇敬されている。
(『山口市の石仏・石塔(1) 〜平川・大歳・吉敷〜』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2002.3)P176より引用)
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前の灯籠に「赤崎大明神」とあります。
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大海の赤崎神社(山口市秋穂東2566)と関係あるのでしょうか?
赤崎神社は牛馬安全守護の神として崇敬されているそうです。


祠堂
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地蔵(1724年建立)。
(形状)丸彫立像
(紀年銘・銘文等)享保九申辰歳
         三界萬霊
          三作村講中

(『山口市の石仏・石塔(1) 〜平川・大歳・吉敷〜』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2002.3)P127より引用)
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『郷土大歳のあゆみ』(大歳地区史編纂委員会 (大歳史談会) 編 大歳自治振興会 2002.12)P428に

1719〜25年(享保4〜10) 高井墓地の地蔵像が、この年造られた。こののち数年間のうちに、矢原・朝田・三作・周布町などの五体が造られている。(地蔵信仰)

とあります。


回国施行塔(1783年建立)。
(形状)光背型浮彫立像
(紀年銘・銘文等)日本回國千人施行成就
         地蔵像
         天明三卯四月
         (台座に)田中六左衛門

(『山口市の石仏・石塔(1) 〜平川・大歳・吉敷〜』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2002.3)P127より引用)
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青面金剛(しょうめんこんごう)。
(形状)光背型浮彫立像
    一面六臂
(由来・沿革)此の処に集められたものであるが、もとは何処にあったか不明。
(銘文)供羪(?)塚 奉造立 庚申

(『山口市の石仏・石塔(1) 〜平川・大歳・吉敷〜』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2002.3)P162より引用)
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1715年(正徳5) 岩富公会堂横の庚申塔が造られた。1770年代は青面金剛、1800年代は佐田彦が大歳各地に建てられた。(庚申信仰)
(『郷土大歳のあゆみ』(大歳地区史編纂委員会 (大歳史談会) 編 大歳自治振興会 2002.12)より引用)


五輪塔
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五輪塔などを集めたもの?
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灯籠。
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初夏の東鳳翩山に登りましたG [2019年06月24日(Mon)]
【前回の続き】

山頂からの眺望を満喫し、
山頂には太陽を遮るものがないので、黄金馬伝説コース分岐点まで下山し、そこにあるベンチで昼食を採りました。

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そして、林の中の道を楽しみながら地蔵峠までおり、
糸米を回って帰ろうということになりました。

馬頭観音と庚申塔。
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馬頭観音。
年 代 天保(西暦1839年)
所在地 吉敷中尾佐切丁
立 地 方便林道入口
高 さ 64p
(形状・由来・沿革)光背型浮彫坐像
          馬頭三面六臂
地蔵峠を越えて旭村へ往来した者が安全を祈願したものと思われる。
(紀年銘)天保十巳亥年

(『山口市の石仏・石塔(1) 〜平川・大歳・吉敷〜』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2002.3)P228より引用)
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庚申塔。
所在地 吉敷中尾佐切丁
立 地 方便林道入口
高 さ 70p
(形状・由来・沿革)自然石         
左義長というのは道祖神の火祭りのことで、中国から伝わった風習と言われる。
傍の馬頭観音が天保10年(1839)のものであるので、その頃のものと思われる。
(紀年銘)天保十巳亥年

(『山口市の石仏・石塔(1) 〜平川・大歳・吉敷〜』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2002.3)P271より引用)
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中尾公民館の前を通って、大師堂の前を通りました。
この先から油峠の辺りまでは私は初めて通る道ですわーい(嬉しい顔)
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(▲2019年4月6日撮影)

庚申。
所在地 吉敷中尾東の浴
立 地 石が原323 山崎家入口
高 さ 95p
(形状・由来・沿革)自然石         
畑地にあたったものを市道の改修の際山崎家で移転。祭祀を行っておられる。

(『山口市の石仏・石塔(1) 〜平川・大歳・吉敷〜』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2002.3)P269より引用)
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谷山の分岐。
左に行けば一の坂ダム、右に行けば糸米。
右を行きます。
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「林道糸米谷山線起点」の標識。
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いつもの油峠、鋤尖山の分岐、おとどいやま森林公園、鴻ノ峰の分岐を通り、木戸公園の前を通り、無事糸米に出ました。
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次の登山の約束をして別れましたるんるん

私も遥かに鳳翩の頂を望むと、独歩の「山の力」の「二人」のようにくすくす笑みがこぼれます。
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(▲山口市リサイクルプラザ(山口市御堀)から東鳳翩山と西鳳翩山を望む)


そうそう、西の肩の広場は、蕨の宝庫でした。
KさんとFさんのご協力で、たくさん摘むことができ、さっそく、灰汁抜きをし、翌日、蕨ご飯にして、美味しくいただきました。
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校歌 @ 初夏の東鳳翩山に登りましたE [2019年06月22日(Sat)]
【前回の続き】

鳳翩山は、山口市内の学校の校歌に多く取り上げられていますぴかぴか(新しい)

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(▲西鳳翩山から望む東鳳翩山 2018年11月5日撮影)

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(▲吉敷から望む西鳳翩山 2018年11月5日撮影)

2018年11月26日、ジョイネットの活動でおじゃました山口市立佐山小学校で、校歌(田中敏一/作詞 和田健/補作 市川都志春/作曲)

るんるん朝日に映える 鳳翩の 気高き姿 遠く見て ・・・

とともに、校長先生が佐山から写されたという鳳翩山の写真が飾ってありました。
校長先生は、佐山小学校に赴任してきたその日から、校歌の1番の歌詞にある「ほうべん」が気になっていたそうです。ご自身が小学生(大殿小学校)の頃から何度か登ったことがある山だったからで、ぜひとも、佐山から鳳翩山を見てみたいとずっと思っていて、10月にその願いが叶い写真を撮ることができたその写真でした。
私自身も小学生(白石小学校)の頃から何度か登ったことがある山だったので、校歌も写真もとても興味深く見せていただきました。

このように鳳翩山は、山の位置する地区の吉敷・大殿地区だけでなく、山口市内各地の小中高の校歌に取り入れられています。
市内の全ての学校の校歌の確認はできませんでしたが、わかった範囲であげてみます。

山口市立大殿小学校(森山右一/作詞 杉江秀作/作曲) 
るんるん1 山なら鳳翩 我等めぐまる 見よ見よこの山 み空も青い ・・・

山口大学教育学部附属山口小学校(不明/作詞 弘中策/作曲)
るんるん1 み空に高し 鳳べんの嶺 ・・・

山口市立良城小学校(白上貞利/作詞 山本寿/作曲)
るんるん1 白雲湧き立つ 鳳翩山 み空に気高く 聳えて雄々し ・・・

山口市立鴻南中学校(脇太一/作詞 弘中策/作曲)
るんるん1 照る陽明るき 鳳翩の 濃みどり匂う この朝 ・・・

山口市立大内南小学校(田中稔穂/作詞 田中健二/作曲)
るんるん1 朝日に映える ほうべんの 峰を遙かに 望みつつ ・・・

山口市立小郡小学校(小林純一/作詞 松本民之助/作曲)
るんるん2 ・・・ のぞめ高嶺は 鳳翩 ・・・

山口市立小郡中学校(土井晩翠/作詞 下総皖一/作曲)
るんるん1 鳳翩山の美わしき 高き姿を縹渺の 雲井はるかに眺めやり ・・・

山口県立西京高等学校(鬼倉八舟/作詞 山崎凱千/作曲)
るんるん2 周防の山の 青垣に 雄々しく聳ゆ 鳳翩山 ・・・

山口県鴻城高等学校(北原白秋/作詞 小松耕輔/作曲)
るんるん1 ・・・ 仰げよ鳳翩高き巒気 星斗は輝き今も爛たり ・・・

山口県立山口総合支援学校(山本太起子/作詞 田村洋/作曲)
るんるん1 ・・・ 鳳翩見守る 山口のまち ・・・

昔の学校でも、取り入れらています。(『創基200周年 山口大学の来た道3 ―山口高等商業学校から専門学校誕生まで―』(山口大学 2013)参照)

旧旧山口高等学校寄宿舎茶話会歌→鳳陽寮寮歌(佐々政一/作歌)(1899(明治32)年制定)
るんるん4 鳳翩の峰 低くとも ・・・

旧制山口高等学校(1919(大正8)年制定)
るんるん1 ・・・ 雲の響に眼醒めけむ 鳳翩山の末遠く ・・・

山口高等商業学校(土井晩翠/作詞 山田耕作/作曲)(1930(昭和5)年制定)
るんるん1 仰ぐは鳳翩 臨むは椹野 ・・・

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(▲山口市リサイクルプラザ(山口市御堀)から東鳳翩山と西鳳翩山を望む)

【次回に続く】
山頂からの眺め @ 初夏の東鳳翩山に登りましたD [2019年06月21日(Fri)]
【前回の続き】

とてもいい天気で山頂から360度のパノラマを楽しみました。

西には西鳳翩山。
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縦走路の登山路。
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山口市内。
瀬戸内海、きららドーム、秋穂八ヶ岳も見えます。
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山口市内。
遠くに、楞厳寺山。
手前に鴻ノ峰。
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D72B7D91-E68C-4313-9BF5-B456D0422A03.jpeg鴻ノ峰

山口市内。
遠くに防府方面の山。右田ヶ岳、大平山、蕎麦ヶ岳、真田ヶ岳。
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EA202EE1-0EEA-41CD-8333-3BB4EF80214B.jpeg右田ヶ岳
1E46CA60-B920-4085-B086-5464B9C9E910.jpeg大平山
573A3587-7BF5-4904-A123-972EC728815A.jpeg蕎麦ヶ岳
64119CE0-AAFF-488F-83B2-B455286152B8.jpeg真田ヶ岳

一の坂ダム、錦鶏湖。
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左端のアンテナの立った山がショウゲン山。
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雲がなければ、北東には十種ヶ峰や津和野の青野山が見えるところですが……。
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天花からの登山道。
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ダツヤ山。
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北には男岳。
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北西には遠く桂木山が見えます。
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美祢方面。秋吉台が見えます。
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【次回に続く】
ナガバモミジイチゴなど木本 @ 初夏の東鳳翩山に登りましたC [2019年06月20日(Thu)]
【前回の続き】

ヤマツツジかわいい
花冠の上側内面に濃色の斑点があります。
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ガマズミかわいい
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クリかわいい
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雌花。
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コガクウツギかわいい
今回の登山で一番見かけた花です。
登坂路に、花がたくさん落ちていました。
樹形や花の様子からツルアジサイかと思ったのですが、葉の形がどうしてもしっくりいきません。
そこで、いろいろ調べているうちにガクウツギに、さらに、コガクウツギ辿りつきました。
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ガマズミの後ろにも映り込んでいました。
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両性花。
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装飾花。
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スイカズラかわいい
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「スイカズラ」の名は「吸い葛」の意で、古くは花を口にくわえて甘い蜜を吸うことが行なわれたことにちなみます。
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花弁は筒状で、先の方は上下2枚の唇状に分かれ上唇はさらに4裂。
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はじめ白いが徐々に黄色くなります。
そのため、一つの枝に白い花と黄色い花が同居することが珍しくありません。
別名の金銀花はこれによります。
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別の樹木にも。
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イヌツゲかわいい
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サルトリイバラかわいい
4月末の秋吉台では新葉に花が咲いていたのに、もう若い実がなっています。
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ムベかわいい
若い実がなっています。
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ナガバモミジイチゴかわいい
あちこちで、たくさんの橙黄色の実をつけていました。
甘くて美味しいです。
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クサイチゴかわいい
あちこちで、たくさんの赤い実をつけていました。
甘くて美味しいです。
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【次回に続く】
フナバラソウなど草本 @ 初夏の東鳳翩山に登りましたB [2019年06月19日(Wed)]
【前回の続き】

フナバラソウかわいい
環境省レッドリストの絶滅危惧II類(VU)に指定されています。
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袋果(実)の形が下から見た船底(船の腹)に似ているので「フナバラソウ(舟腹草)」と名づけられたそうです。
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黒紫色(チョコレート色)の星型の魅力的な花です。
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ヒメハギかわいい
秋吉台で一番可愛いと思った花にまた会えました揺れるハート
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ノアザミかわいい
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ニガナ
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マムシグサかわいい
花の終わったマムシグサやナンゴクウラシマソウの葉をたくさん見つけたのですが、実がついていたのはこの株だけでした。
他は、雄株なんでしょうね。
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フタリシズカかわいい
花は終わって、実がなっています。
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ホソバノヤマハハコかわいい
「細葉の山母子」。
花期は8〜10月。
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ギボウシかわいい
「擬宝珠」。
咲いていませんが……。
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草本か木本かわからないのですが、気になった植物です。
トゲがあります。
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【次回に続く】
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