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こどもと本ジョイントネット21・山口


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日吉神社の狛猿に会いに行きました @ 宇部市川上 [2018年12月11日(Tue)]
狛犬ならぬ狛猿さるが鎮座しているというので、2018年12月9日、宇部市川上の日吉神社を訪れましたぴかぴか(新しい)


鳥居。
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鳥居のそばの灯籠には
文政元戌寅九月九日
とありますので、1818年に奉献されたものです。
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手水舎。
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社殿と参道。
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由緒書。
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狛猿、いましたさる
社殿に向かって右手は「聞かざる」。
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左手は「言わざる」。
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いつ奉献されたのかを調べると
文化十四丁丑正月吉日
とありますので、1817年、約200年前です。
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拝殿。
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神額には、
山王権現宮
とあります。
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こちらには、ちゃんと三猿が揃っていて「見ざる」もいましたさる
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本殿。
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境内にある石碑。
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神輿庫。
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神社の裏手に、国道490号線からの急な階段と鳥居がありました。
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何て書いてあるのでしようか?
「日吉神社」ではない気がします…。
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宇部市の校区文化財マップ『ふるさと川上史跡マップ』
弘仁2年(811年)近江国坂本から勧請され、川上地域の産土神として祀られた。最初は、山王権現と号していたが、明治4年(1871年)比叡神社に変わり、更に明治7年日吉神社に改められた。
とあるので、比叡神社ではないでしょうか?
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境内には末社が三社あります。

若宮神社。
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八王子社。
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貴船社。
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左側にあるのは何でしょうか?手水でしょうか?鉢でしょうか?
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同じく川上地区の下請川南遺跡や上請川遺跡は、
平安時代末から中世にかけて西日本を中心に使用された石鍋の製作地。請川一帯には滑石の鉱床があり、ブロック状の塊を削り取り、ノミで削って成形した。現地では石鍋の未完成品や破損品が多く出土しており、完成直前までの加工をしたと思われる。
『ふるさと川上史跡マップ』より)
ですので、もしかしたら、滑石製石鍋(かっせきせいいしなべ)かもしれない、などと妄想を巡らせました。
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石室の扉に文字があるのですがよく読めませんでした。
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由緒書に
日吉大社では、猿は神の使いとされているが、猿の石像が「狛犬の代わり」にされているのは、全国でもこの日吉神社だけと言われ、大変めずらしがられている。
とありますが、そうでもないと思います。
社殿まえに神社としては珍しい猿の石像(言わざる。聞かざる)の一対がある。
『ふるさと川上史跡マップ』より)
ぐらいの表現の方が誤解を与えないのでは?

というのも、京都の哲学の道にある大豊神社の末社の日吉社狛猿さるですかわいい
この日吉社は、大豊神社の本殿の北側に愛宕社と並んで建っていて、愛宕社の狛鳶に向かいあって狛猿がいましたさる
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(2016年4月6日18:00頃撮影)

写真が見えにくいので申し訳ないのですが、下の方、少しですが灯籠の後ろに写っています。

大豊神社には、他にも、狛子(鼠)(大国社)、狛巳ヘビがいますexclamation
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兄弟山で見つけたものB × 兄弟山ウォーキング*秋C [2018年11月23日(Fri)]
【兄弟山で見つけたものAの続き】

6月16日、兄弟山で緑色の実のついた木を見つけました。

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あれではないか、これではないか、とネットや図鑑でいろいろ調べたのですが、
なかなかそれらしいものが見つかりませんでした。

『レッドデータブックやまぐち(普及版) ― 山口県の絶滅のおそれのある野生生物』(山口県環境生活部自然保護課 2003.3)を見ていたら、葉っぱの感じ、実の付き方が似た植物を見つけました。
それは、ルリミノキぴかぴか(新しい)
山口県では

常緑低木で高さ1〜1.5m。花は5〜6月、葉腋に出る花序に数個着きます。液果は球形で径6mm、11〜12月にるり色に熟します。暖帯中下部域で、湿度が高く、比較的自然のよく残った谷間に生育しています。日本では本州(東海地方、紀伊半島、中国地方)、四国、九州、沖縄に分布し、県内では下関市、豊田町、美祢市、川上村、山口市、徳地町、大和町、美川町、大畠町、岩国市などに記録されています。国外では台湾、中国(南部)に分布しています。ルリミノキ属は一般的に熱帯・亜熱帯に多く、本種が一番北に分布する種です。県内の分布域は広いのですが個体数は少数です。
(『レッドデータブックやまぐち(普及版) ― 山口県の絶滅のおそれのある野生生物』P.153「ルリミノキ」)

すごい!もしかして、大発見!
それでも、もう一度確認が必要、と更にいろいろ検索してみました。
瑠璃色に熟する前は緑色だということが書いてありました!
よし、よし…

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でも、でも、もっと決定的なことが書いてありましたふらふら
ルリミノキの葉の付き方は、「互生」ではなく「対生」とのことがく〜(落胆した顔)
じゃあ、絶対、違う、ルリミノキじゃないexclamation

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じゃあ、なんだ?

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さらに調べていて、たまたま見つけたのが「イズセンリョウ」。
でも、決定的に違うのは、白い実だということ。
これは、緑だし…。

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でも、検索した中に、花から実になった時点では、緑色…
そういう写真がいくつかありましたexclamation×2

秋になって、実がどんな色になるのか、春にどんな花が咲くのか、観察して、それから判断するしかないようです。
植物観察を初めて、3カ月の私には奥が深すぎます…。
(以上写真は2018年6月16日撮影)

*****************************************

と、7月の時点で、ここで記述を休止していましたが、
3カ月後の9月24日に再度行ってみましたが、まだ、緑のままでした。

*****************************************

【兄弟山ウォーキング*秋Bの続き 】

そして、それから2ヶ月後の11月19日、ななんとexclamation×2
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そう、乳白色になっているのです揺れるハート
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イズセンリョウでしたぴかぴか(新しい)
コナアカミゴケとツチグリ @ 兄弟山ウォーキング*秋B造形の神秘 [2018年11月22日(Thu)]
【前回より続く】

コナアカミゴケ
地衣類です。
神秘的な美しさです揺れるハート
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ツチグリ
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ヒトデのような形状に、あんまり感動したので、たくさんアップしました。
全部違う個体の写真でするんるん
つまり11個見つけました。
天気が良く乾燥した日には外皮を閉じて丸くなって風で移動し、
雨で湿度が高い日には新しい場所で外皮を広げて胞子を散布するそうで、
前日雨だったので、たくさん見つけることができた、とFさんに教えていただきました。

夏から秋、林内の道端や土の崖などで普通に見られる中型のキノコで、ツチガキ(土柿)とも言われる。

とWikipediaにあり、日本全土の雑木林の地上に群生しているキノコだと知り、さらにびっくりしました。



今日は、本格的(?)登山と思っていたので、荷物を軽くするため、弁当を軽めにしていたのですが、糸米川砂防公園の東屋で、Fさんよりデザートをたくさんいただき、身も心も満腹になりましたグッド(上向き矢印)

帰りは、サンフレッシュの足湯で冷えた身体を温めましたいい気分(温泉)
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【次回に続く】
クサギやサネカズラなど @ 兄弟山ウォーキング*秋A秋の実り [2018年11月21日(Wed)]
【前回より続く】

クサギ
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クサギの実が落ちていました。
美しい実で、まるで瑠璃色の宝石のようでするんるん
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サネカズラ
昔つるから粘液をとって髪油として用いられたことから、ビナンカズラ(美男葛)とも呼ばれています。
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この赤く目立つ集合果は、古くからしばしば「さねかづら」「さなかづら」として歌に詠まれています。
「さねかづら」の「さね」は「さ寝」(「さ」は接頭語。「ね」は下二段動詞「ぬ」の連用形の名詞化。男女が一緒に寝ること。)の掛詞、また、蔦を「繰る」ことから「逢う」「来る」の枕詞となっています。
ご存知のように、百人一首に、サネカズラを詠んだ、藤原定方(ふじわらのさだかた)(三条右大臣)の歌(『後撰集』恋・701)があります。

名にし負(お)はば 逢坂山(あふさかやま)の さねかづら
   人に知られで くるよしもがな

           三条右大臣(25番)
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緑色の実も、
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変色中の実もありました。
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熟した液果は次第にぽろぽろと落ちて、花床だけが残るそうです。
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フユイチゴ
山裾にたくさん見つけました。
動物は食べないのでしょうか?
アケビは美味しいらしく、食べカスがたくさん落ちていました。
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サルトリイバラ
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近くで撮影したかったのですが、そばにハゼノキが生えていたので、近寄れませんでした。
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こちらは、 ヌルデでしょうか?
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マルバノホロシ
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 山柿?豆柿?
4pくらいの小さな柿です。
上を見たけど、どの木かよくわかりませんでした。
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カラスウリ
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ユズリハ
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ドングリ
何の木でしょうか?
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駐車場に植樹されていました。
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維新百年記念公園には、ドングリの成る木がたくさん植えられていますので、調べましょう。
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ヤツデの花
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サザンカの花
サザンカが咲き誇っていました。
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ダイコンソウ ?
花期がずれている気がしますが…。
5弁の花ですが、花びら1枚落ちたようです。
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【次回へ続く】
秋を満喫しました @ 兄弟山ウォーキング*秋@ [2018年11月20日(Tue)]
11月19日(月)、糸米川砂防公園の駐車場に車を停め、FさんとKさんと兄弟山鋤尖山の登り口を過ぎたところのまで歩きましたぴかぴか(新しい)

駐車場のドウダンツツジ。
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昨晩雨が結構降ったので、落ち葉は濡れています。
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兄弟山の案内板が見えてきました。
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兄弟山の案内板。
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いこいの広場。
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兄山への登り道の一つ。
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鋤尖山への登り道。
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鋤尖山の道標。
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峠まで来ましたるんるん
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ここを下って、左に行くと吉敷、右に行くと天花の一の坂ダムの辺りに行くそうです。
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峠まで来て、昔は、建物があったという広場まで登ってみました。
途中は、余り人も通らないようで、荒れた道でした。
広場で、Kさんが持参された美味しいコーヒーをいただきましたわーい(嬉しい顔)
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今日は、行きも帰りも楽々コースなので、秋の山の景色や植物を存分に楽しみました揺れるハート

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今日はたらちねの滝の水がほとんど落ちていませんでした。
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【次回に続く】
西鳳翩山初登頂B東鳳翩山のいざない [2018年11月14日(Wed)]
【前回より続き】

頂上を少し降りると、美祢市方面が見える場所もありますかわいい
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その辺りで昼食を食べました。
FさんとKさんから手づくりの美味しいおにぎりをいただきました。
コーヒーも食後のデザートもあり、私は何も持参してなかったのに、元気モリモリですわーい(嬉しい顔)

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時折紅葉していて綺麗です。
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こちらは、萩市方面だと思いますかわいい
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東鳳翩山が見えますかわいい
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東鳳翩山縦走路の標識
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東鳳翩山がいざなっています揺れるハート
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そうして、また、地蔵峠まで戻り、帰路に着きました。
途中、山水の飲める場所に寄りました。
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優しい水でした。
ここまで汲みに来る人もいるそうです。
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帰りに、3人でマロンソフトクリームを食べ、打ち上げをしました。
その店から、西鳳翩山がとってもきれいに見えます。
ああ、あそこにあがったんだ、と感慨深いです。

次回は、東鳳翩山に登ろうと約束して別れました。

そして、湯田温泉で疲れた身体をほぐしましたいい気分(温泉)

【次回に続く】
西鳳翩山初登頂Aツルリンドウの赤い実 [2018年11月13日(Tue)]
【前回の続き】
下山は、余裕がでてき、周りが見えるようになりましたぴかぴか(新しい)

フユイチゴの実かわいい
さっぱりした酸味が心地よいです。
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サルトリイバラの実かわいい
葉は柏餅に使われます。
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ツルリンドウの実かわいい
先に花柱の残る紅の長丸の実が目を引きます。
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まさに実りの秋です揺れるハート


バームクーヘンのバウムです。
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【次回へ続く】
西鳳翩山初登頂@もうだめかもしれない [2018年11月12日(Mon)]
2018年11月5日、西鳳翩山に初挑戦しましたぴかぴか(新しい)

FさんとKさんの2人で行く予定だったところに、入れていただきました。
Fさんは2回目、Kさんはやはり初めてです。

地蔵峠までFさんの車で行きました。
途中からは山道です。
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地蔵峠の標識
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地蔵峠には、お地蔵様がありました揺れるハート
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そばにはリンドウが咲いていました。
誰かが植えたのでしょうか。
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東・西鳳翩山縦走路の案内板
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東鳳翩山への道はこんな感じで、
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整備されています。
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それに対して、西鳳翩山へのとっかかりです。
道なき道、という感じです。
知らなければ、見過ごすような道です。
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その後も、急勾配の道が続き、
日頃運動などしていない私は、太ももの奥の方の筋肉が悲鳴をあげ、
それでも頑張って歩いてみました。
でも、これ以上進むと二人に迷惑をかける、
今なら、登り口はすぐそこだし、
一人で降りて、車で待たせてもらおう……
そこで、思い切って言いました。
「もうだめかもしれない!」

私の様子を見て、
「後、少しで緩やかな道になるから」
とFさんが言ってくださいました。
それで、もう少し頑張ってみることにしました。

すると本当に少しで、こんな、木の葉が敷き詰められた気持ちのいい道になりました。
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まあ、そんな道ばかりではなく、石だらけの歩きにくい道もありましたが、さっきの急斜度を制覇(?)した私はもう大丈夫手(チョキ)
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西鳳翩山頂上への標識
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それからは舗装路です。
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本当の西鳳翩山頂には鉄塔が建ち並び、通行止めになっていて、登れません。
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山口市吉敷からは、鉄塔がよく見えますが、
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そばで見ると、こんなのですね。
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西鳳翩山の頂上からの山口市の眺望をお楽しみくださいかわいい
天気がよくて最高でしたexclamation×2
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防長尚武館・仁壁神社 @ 宮野の宰相、寺内正毅ゆかりの地をめぐる徒歩ツアーB [2018年10月29日(Mon)]
【前回の続き】

防長尚武館

防長尚武館は第17普通科連隊などが駐屯している陸上自衛隊山口駐屯地にあります。
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防長尚武館由来
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歩兵42聯隊が駐屯していた当時、武徳殿(武道場)として使われました。
戦後、進駐軍の司令官宿舎として使われました。
1965(昭和40)年11月に防長尚武館は資料館として開館しました。
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歩兵第42聯隊の足跡や数々の遺品、寺内正毅・壽一親子の元帥刀や勲章、多くの書や現在の自衛隊の活動を紹介たコーナーなど約1600点を展示しています。
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館内
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(防長尚武館パンフレットより)

歩兵第四十二聯隊之碑
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聯隊の由来
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百万一心の碑
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百万一心の碑の由来
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毛利の家紋のある瓦
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ヘリコプターや戦車が展示されています。
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60式自走106mm無反動砲
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6D式装甲車
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61式戦車
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74式戦車
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こんなものまでありました。
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途中、日本最初のキリスト教会の大道寺址を通りました。
中原中也と関わりの深いビリヨン神父の名前が見えます。
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 私の家にはビリオン神父がよくやってきた。蝙蝠のような黒い衣服を大きくひろげて、「おばけがきた!」とか「あーりがたい」とかいって玄関から入ってきた。私たち子供を見つけると、後ろ向きにさせて、首筋から何物かを入れる。それは背中をすべり落ち帯のあたりでとまる。飴玉であったり、ビスケットであったり、時には五厘銭であったこともある。
(略)
 東京時代、二十三歳のとき、友人安原喜弘さんと一緒に奈良に遊び、同地のカトリック教会にビリオン神父を訪ねたとき、祭壇の前で礼拝する身ぶり手ぶりは型にはまっていたといわれる安原さんの証言はうなずける。
(『兄中原中也と祖先たち』(審美社 1970.7)「兄中原中也」「聖体」P.80〜81)

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仁壁神社
周防国三宮であり、周辺の地名も「三の宮」です。

鳥居
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石碑「式内仁壁社
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天保丙申□五月(1836年)
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天保六年未五月吉日(1835年)
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本殿が向こうにありますが、時間がなくて寄れませんでした。
石州街道から眺めただけですもうやだ〜(悲しい顔)
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みんなで歩くと、自分の行きたいところに行けないし、立ち止まりたいところで止まれなし、マイペースで歩けないし、写真も思うように撮れなくて残念と言えば残念です。
でも、学生の皆さんと、いろいろ話すことができ、他の参加者の方にも親切にしていただき、
やっぱりみんなで歩くというのはとっても楽しいし、得るものの方が大きいです。

学生の皆さんが積極的に話しかけてきてくださり、ハートウォーミングなイベントでした揺れるハート
機会があったら、また、参加したいですかわいい

本当にありがとうございましたわーい(嬉しい顔)

この催しは、今年度もう一回、11月23日(金・祝)にも開催されます。

るんるん集合・解散場所るんるん 山口線宮野駅
るんるん参加費用るんるん 無料
るんるん事前申込るんるん 不要
るんるんコースるんるん  約5q
    宮野駅→旧寺内文庫→山口県立大学図書簡→寺内墓所→旧陸軍墓地
    →山口県護国神社→防長尚武館→仁壁神社→宮野駅
るんるん所用時間るんるん 約2時間45分
るんるん集合時間るんるん 13:00
るんるん出発時間るんるん 13:15
るんるん解散時間るんるん 16:00頃
るんるん主  催るんるん 宮野地域学生プロジェクト
るんるん共  催るんるん みやの地域づくり協議会
寺内正毅の墓・旧陸軍墓地・護国神社 @ 宮野の宰相、寺内正毅ゆかりの地をめぐる徒歩ツアーA [2018年10月20日(Sat)]
【前回の続き】

寺内正毅の墓
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説明版
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寺内親子、それぞれの前妻・後妻、6基の墓があります。
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寺内正毅の墓
元帥陸軍大将伯爵寺内正毅之墓
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寺内壽一の墓
元帥陸軍大将伯爵寺内正壽一墓
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寺内正毅の墓より一段高いところにある寺内家の墓の辺りから山口市内を臨みました。
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寺内親子の写真
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寺内の生涯
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息子 壽一の生涯と寺内の子ども
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旧陸軍墓地
右の石柱には、 陸軍埋葬地と書かれています。
左の石柱には、 墓参之外不可入 、側面には、 陸軍省 、背面には、 明治三十四年 とあります。
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右の門柱には、山ア陸軍埋葬地とあります。
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灯籠です。
火袋の部分が盗まれています。
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裏に
寺内家
とありました。
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山口県護国神社
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境内にいろいろなモニュメントが建っています。

母子像
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残されし
形見の子等と
ともどもに
天空の父に 
とどけと
白鳩の
舞う

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殉国烈士之碑
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少飛碑
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歩兵第四十二連隊史刊行記念碑
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国旗掲揚塔
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特攻勇士之像
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拓魂碑
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【次回へ続く】
桜圃寺内文庫 @ 宮野の宰相、寺内正毅ゆかりの地をめぐる徒歩ツアー@ [2018年10月16日(Tue)]
10月13日(土)、朝鮮総督や内閣総理大臣などを歴任した寺内正毅の足跡たどる徒歩ツアーに参加しましたぴかぴか(新しい)

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宮野駅に集合。
今日の参加者は5名。
案内してくださる山口県立大学のスタッフさんは7名です揺れるハート
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JR西日本 山口線宮野駅

宮野駅は1917(大正6)年に開業し、昨年が100年目でした。
駅舎は2001年に「地域交流ステーション宮野」となり、地域住民などの交流の場として活用されています。
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今日は、着物喫茶もやっていました。
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寺内正毅は、1852(嘉永5)年、吉敷郡平井村の宇多田家で生まれ、8歳の時、宮野村にある母親の生家である寺内家の養子となりました。

寺内の頭の形がビリケン人形にそっくりだったのと、非立憲をひっかけて「ビリケン宰相」と言われていました。
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次は桜圃寺内文庫
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桜圃寺内文庫は、寺内正毅によってその基礎が作られ、その子 寿一によって完成された寺内の私設文庫です。
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「桜圃」は、寺内の雅号です。
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収蔵資料は約2万点で、近世以来の寺内家の蔵書、寺内個人の蔵書および収集図書・資料(朝鮮関係を含む)・受贈図書などの和漢書、洋書、文書から成っています。
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寺内はその膨大な資料を教育目的で一般公開を願っていました。
周南市出身の児玉源太郎(寺内の長女が児玉の継嗣秀雄に嫁ぐ)の児玉文庫(1903(明治36)年山口県内2番目の図書館として開館)の存在も影響していました。
「桜圃文庫ノ記」を記し、文庫設立を遺言して1919(大正8)年11月3日68歳で没しました。
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その後正毅の遺志は継承され、1922(大正11)年2月5日、桜圃寺内文庫はオープンしました。
1923(大正12)年頃の写真です。
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建物は、2種の矩形の組み合わせでできています。
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1954(昭和29)年の閲覧室の写真です。
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今は窓にはトタンが打ちつけられ、屋根には草が生え、廃墟と化し、周りにロープが張られ、立ち入ることはできません。
このような文化財が朽ち果てるに任されていることは寂しい限りですちっ(怒った顔)
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山口県立大学図書館

桜圃寺内文庫は、1957(昭和32)年から県立大学の前身である山口女子短期大学の所管するところとなり、現在に至っています。
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日韓併合時の朝鮮総督(統監)時代に主として収集した蔵書なので、その権力を用いて収奪されたものもあるのでなはいかと思っていました。
その一部が韓国の慶南大学へ移管された、と言うニュースを聞いた時、「返還」されたとばかり思っていました。
しかしながらそうではありませんでした。
あくまでも、学術交流のため李朝時代の資料を韓国の大学に「寄贈」したということがスタッフの学生さんの説明でよくわかりました。
寺内文庫には貴重なコレクションであっても稀覯本の類はないとのことです。
「朝鮮固有の文化は朝鮮に残す」というのが寺内の文化政策だったとのこと、寺内のことを見直しました。
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その後、寺内正毅墓所、旧陸軍省墓地、山口県護国神社、防長尚武館、仁壁神社を巡りました。


【次回へ続く】
洞春寺B大内盛見の墓 @ 香山公園H [2018年10月15日(Mon)]
【前回の続き】

洞春寺墓地
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国清寺開基の大内盛見の墓
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二基並ぶ左側の無縫塔の方です。
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無縫塔は、主に僧侶の墓塔として使われる石塔で、塔身が卵形になっています。
この卵形塔身に縫い目がない(一つの石だけで構成されている)ことから無縫塔の名があるそうです。
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国清寺開山の透関慶頴(とうかんけいひん)の墓
こちらは宝篋印塔なので、一瞬、こちらが盛見の墓かと思いました。
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井上馨の墓
井上は、東京都港区西麻布の長谷寺に埋葬されました。
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従一位大勲位侯爵井上馨分霊塔
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馨の他に妻武子、養嫡子の井上勝之助・末子の墓もあります。
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沢瀉(おもだか)紋のある祠型の墓?
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毛利氏の家紋は「三つ星一文字」が知られていますが、沢瀉紋も使用しました。
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毛利元就が、沢瀉に蜻蛉が止まったのを目にし、「勝ち草に勝ち虫、勝利は疑いなし」と全軍に号令し合戦に大勝利したことにちなみ沢瀉紋を使い始めたと伝えられます。
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本堂の釘隠しにも使用されていました。
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境内には菊の御紋もありました。
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杉家の墓
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裔孫 (えいそん)子爵杉孫七郎
と刻まれています。
杉孫七郎の墓は青山霊園にあります。
杉と井上馨とは、香山墓所でも一緒に灯籠を献灯していますし、墓も隣同士って、どんだけ仲好しなんでしょうexclamation&question
杉は、1864(元治元)年の四国連合艦隊による下関襲撃に際して、井上馨らと共に戦争回避に尽力したということでするんるん
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一切経蔵(いっさいきょうぞう)の礎石
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ここには、大内氏が輸入したと推測される大蔵経(だいぞうきょう)の全巻を安置した一切経蔵が建っていました。
1601(慶長6)年3月輝元はこの国清寺一切経蔵を解体し、翌(慶長7)年春、三井寺に寄進しました。
現在の名は「園城寺一切経蔵」といい、国の重要文化財になっています。
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この礎石は、国清寺の経蔵の内部にあった八角輪蔵の中心柱の礎石です。
輪蔵とは、回転式の書架で、回すことで経を読んだのと同じご利益があるとされます。
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安山岩の自然石で、中央が深く盃状に削られ、穴の端から中央部に向けてY字型に溝が刻まれています。
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洞春寺A観音堂 @ 香山公園G [2018年10月14日(Sun)]
【前回の続き】

観音堂

山口市水の上町の洞春寺の境内にあります。

説明版
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桁行三間(7.97m)、梁間三間(7.51m)の一重裳階(もこし)付の建物で、入母屋造りです。
もとは杮(こけら)葺《木材の薄板を用いて施工する板葺のこと》でしたが、昭和25年の解体修理の際、銅板葺に変更されました。
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建物の手法は禅宗様です。
柱の上下に粽(ちまき)《柱の上下端が細まり丸められたもの》
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窓が特殊な曲線をもつ華頭窓(かとうまど)《上部が尖頭アーチ状の窓》
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扉が桟唐戸(さんからど)《框(かまち)の中に桟を組み、その間に薄板や連子をはめた扉》
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内部の床は土間で、床は「四半敷瓦」、
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木鼻には渦巻きの彫刻など、従来の和様の寺とは違う手法が見られます。
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また下層の軒が板軒であること、上層の垂木が大まばら垂木であることなども特異です。
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内部の須弥壇(しゅみだん)および岩屋造りの厨子(ずし)も建物と同時代のものとされ貴重です。
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内部に塑造竜岡玄珠禅師坐像があります。
竜岡玄珠は、1430(永享2)年に大内持盛が観音寺を創立したとき、開山として迎えられました。
像は観音寺に祀られていましたが、1915(大正4)年に観音堂を洞春寺に移築した時、移されました。
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写真ではよく見えませんが、木造石屏子介禅師坐像がその左側にあります。
ヒノキ材の寄木造です。
石屏子介は、香積寺の開山となりました。

木造大内義弘坐像木造大内盛見坐像木造大内持盛坐像も置かれている筈ですが、今はいらっしゃいませんでしたもうやだ〜(悲しい顔)
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七如来(南無宝勝如来、南無妙色身如来、南無廣博身如来、南無離怖畏如来、南無甘露王如来、南無阿弥陀如来)が刻まれた碑
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手水
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ボダイジュ
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かわいい観音堂の歴史かわいい

観音堂は、

坊州路吉敷郡大梅山観音禅院永享二年開闢開山竜岡玄珠大和尚
同開起大内持盛公法名芳林道継大禅門


と、厨子裏板墨書銘にあるように、1430(永享2)年に大内持盛が開基となり、開山を竜岡玄珠とする観音寺の仏殿として建てられました。観音寺は後に勝音寺と改まりました。
その境内は山口市瀧(滝)(山口県警本部裏手)にありました。
1433(永享5)年、持盛が豊前国篠崎で戦死した後、菩提寺となりました。

江戸時代に毛利熙元(ひろもと)(元就の曽祖父)の菩提寺となり、大通院と改称されましたが、幕末には衰退して当堂一宇だけが辛うじて残っていました。

その後荒廃が甚だしくなったので、1915(大正4)年に現在地に移築され、現在に至っています。



【次回に続く】
洞春寺@山門 @ 香山公園F [2018年10月13日(Sat)]
【前回の続き】

洞春寺
毛利元就の菩提寺です。

この地の寺は、
国清寺 → 常栄寺 → 洞春寺
と変遷し、
洞春寺の場所も、
吉田郡山城 → 広島 → 山口 → 萩城 →  山口(現地)
と変遷しました。

中国第十六番 当国(周防国)第三十番観音霊場 洞春禅寺
とあります。
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山門

山門は国清寺創建当時のものと思われます。
境内入口に東面に建ち、
門柱の前後に控柱を2本ずつ、左右合わせて4本立てた四脚門で、
左右に袖壁(後補)があります。
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説明版
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材料の一部に江戸時代の後補のものが見られますが、構造手法は雄健で、特に彫刻のない大きな板蟇又は当時の禅風山門の特色をよくあらわしています。
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屋根は切妻造、檜皮葺です。
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森永杉洞句碑
この門を入れば涼風おのづから 
          杉洞

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中門横にも森永杉洞句碑がありました。
京に似し 美き山川 風薫る
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兼重慎一碑も中門横にありました。
花崗岩自然石の一面を平らにして彫ってあります。1909(明治42)年建立。
兼重慎一(1817〜1897)は、藩藩の重臣でした。
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伊藤博文譔、野邨素介書です。
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(『山口市史 史料編 金石文』(山口市 2015.3)第二章 第二節 「石文」P.836 「174 兼重慎一碑」より)

中門
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「通玄」の扁額
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説明版
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鐘楼門
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銘に、
大通院禅院鐘
とあることから、大通院の鐘です。
1727(享保12)年に、萩藩主第五代毛利吉元が大檀那となって鋳造したものです。
大通院は毛利熙元の菩提寺で、明治になって廃寺となり、本堂は大正年間に境内に移されました。鐘もこの頃移ってきたと思われます。
(『山口市史 史料編 金石文』(山口市 2015.3)第二章 第一節 「金文」P.633〜6 「34 洞春寺梵鐘」参照)
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本堂
屋根は錣(しころ)屋根。
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玄関
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庫裡
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かわいい洞春寺の歴史かわいい

この地に、1404(応永11)年に大内氏第26代盛見(もりはる)が開基となって天下泰平、家内繁栄の祈願所として国清寺(こくしょうじ)を創建しました。
1431(永享3)年、盛見が筑前で戦死をし、国清寺を菩提寺として葬られました。
国指定重要文化財の山門が当初の姿を今に残しています。

洞春寺は常栄寺とともに、毛利氏本拠の吉田郡山城下(現在の広島県安芸高田市)にありました。

洞春寺は元就の没後の翌年、1572(元亀3)年、元就の菩提寺として元就の孫・輝元、小早川隆景によって安芸国吉田郡山の城内に建立されました。開山は嘯岳鼎虎(しょうがくていこ)禅師です。
その後、輝元が広島に築城するに及び、広島城下の十日市に移りました。
さらに、関ヶ原の戦い後、防長移封に二州への移封にともない、1603(慶長8)年に山口の香積寺(現在、瑠璃光寺)に一時移り、次いで1606(慶長11)年に香積寺の解体資材を使って萩城二の丸内に建立されたといいます。

一方、防長移封にともない、1603(慶長8)年にこの地に常栄寺が移り国清寺を合寺しました。
寺は常栄寺として幕末を迎え、1863(文久3)年の山口への藩庁移転時には武器などの貯蔵庫として藩に借り上げられました。
1863(文久3)年に常栄寺は宮野の現在地へ移りました。
第一次長州征伐(1864(元治元)年)後には、幕府恭順という藩の決定に異を唱える藩士たちが寺に集まり撤回を求めましたが、主張が受け入れられることはなく、悲嘆、憤慨のあまり抜刀し柱を切りつけ、その傷は今も本堂の柱に数多くを確認できます。
また、1866(慶応2)年の四境戦争(第二次長州征伐)の際には、長州藩諸隊の一つ、井上馨を総督とする鴻城軍が一時駐屯しました。

さらに、洞春寺は、明治維新後の1869(明治2)年、大雨による山崩れのため再び萩から山口に移って現在に及んでいます。


【次回へ続く】
香山墓所A 二の丸様の墓 @ 香山公園E [2018年10月12日(Fri)]
【前回の続き】

山口市には「姫山伝説」という民間伝承があります。

むかしむかし山口の城下に美女がいた。山口を治める殿様が見染めて、館へ召し、意に従うよう命じたが、美女には他に意中の人がいたので、従わなかった。
殿様は、美女に縄をうたせて姫山に送り、頂上にある古井戸に投げ混み、その中へあまたの蛇を投げ入れて、蛇責めにした。
美女は苦しみの中で、
「この身がかりそめの美しさに生まれたばかりにうけるこの苦しみを、二度と後の世の女性にはさせないためにも、この山から見えるかぎりの土地には、これから後は美しい人を生まれさせはせぬ」
と叫びながら死んだという。
それからは、この美女の呪詛がほんとうになったのか、山口には美女が生れぬことになったという。

(『山口市史 各説編』(山口市 1971))

姫山は山口市白石地区からみるきれいな女性の顔に見えます。
それだけに、白石地区で生まれ育った私としては姫山は近寄りがたい山です。
ずっと、大内時代のお話だ思っていたところ、今回、毛利輝元にまつわる話だというのを目にしました。
先頃亡くなった古川薫『毛利一族』(文藝春秋 1997)の「二の丸様誘拐 ― 毛利輝元の犯罪」(初出「別冊文藝春秋」平成7年212号)です。
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香山墓所のそば西側の階段を上がると高山墓所の裏手に登ることができます。

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そこに、初代長州藩主毛利秀就の母周慶寺殿の墓とそのほかの墓5基がひっそりとあります。

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初代長州藩主毛利秀就の母周慶寺殿の墓の説明板
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宝篋印塔です。
宝篋印塔は、方形の石を、下から基壇・基礎・塔身・笠・相輪と積み上げ、笠の四隅に飾りの突起があるものです。

前面
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側面
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裏面
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基礎のところに、

 慶長九甲辰年
栄誉周慶大姉
 八月初一日


と刻まれています。
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(『山口市史 史料編 民俗・金石文』(山口市 2015.3)第一章 第二節 「石文 」P.599 「58 香山墓地宝篋印塔」より)


毛利輝元の側室の二の丸殿(1572〜1604. 32歳没)は、児玉三郎右衛門藤原元良(安芸の毛利氏の家臣で、戦国武将、毛利五奉行の一人)の娘です。
本名は不詳、広島城二の丸に住んだために「二の丸殿」(周姫<かねひめ>・周慶寺殿)と呼ばれます。
『古老物語・防長古今見聞集』(三坂圭治 マツノ書店 1976)によると、幼少の頃に自宅門前で遊んでいたところ、美少女故に通りがかった輝元の目に留まり、その後、輝元はしばしば児玉元良の広島時代の自宅を訪問するようになます。
輝元のそうした行動を快く思わない元良は、娘が十二才(1584年)の時に、防州野上(現在の周南市徳山)の杉小次郎(輝元家臣、現在の周南市徳山領主、杉元宣の幼名、1589(天正17)年没、菩提寺興元寺)と結婚させました。
しかし、輝元の家来に拉致され、輝元の側室となり、父親も夫も殺されてしまいます。
広島城二の丸に住み「二の丸殿」として輝元の寵愛を受けます。
その後、1595(文禄4)年に秀就を、1599(慶長4)年に竹姫(吉川広正の正室)、1602(慶長7)年に就隆(初代徳山藩主)を出産します。

通説では秀就を広島城で生んだとされますが、正室・南の方を恐れていたことから、懐妊後に密かに長門国小野村(現宇部市)の財満就久(ざいま。小野村領主)の屋敷に匿われ、密かに出産したとの説もあります。(宇部市の郷土史家・平山智昭氏)

毛利家の転封により山口に移り、萩城に入ることなく1604(慶長9)年に32歳で死去。
大内家家老内藤興盛の菩提寺・西方寺に葬り、その法名より寺号を周慶寺と改称しました。
その後、善生寺が古熊の周慶寺に移転し、善生寺へ改号されました。
1918(大正7)年、その墓は香山公園の毛利家墓所の後方に改葬されました。

「姫山伝説」の殿様は大内氏ではなく、毛利氏それも毛利輝元であり、悲劇の美女はその側室二の丸だという説があることを今回初めて知りました。

【次回へ続く】
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