トーク「紙資料を未来へー文学館のシゴト」を聴講しましたA中原中也記念館特別企画展「富永太郎と中原中也」“紙資料修復のシゴト”見学
[2019年09月02日(Mon)]
【前回の続き】
トークの後は、希望者で中原中也記念館へ移動し、
秦博志さんと担当の学芸員 原明子さんの解説で、修復された資料を中心に特別企画展「富永太郎と中原中也」の見学をしました。
正岡忠三郎日記帖「日記帖6」(大正13年9月15日ー同14年7月8日)《展示@展示ケース3》は、手帖のような形をしていますが、開けなくなっていたのを、一度全部ばらし、劣化を止める処置をし、再び製本したそうです。
中原中也創作ノート「ノート1924」《展示@展示ケース4》は、製本に痛みが出ていて、時代はわからいけれど修復の跡があったそうです。それも全て剥がし、ばらばらにし、綴じ直したそうです。このような大学ノートは隠すところがないので修復が難しいそうです。開いて展示してあるのですが、雁皮紙による補強の様子を見ることができます
正岡忠三郎宛富永太郎書簡 1925(大正14)1月15日《展示@展示ケース4》について、「端の欠損は、何故、修復しないのですか?」と質問したところ、「破損が進むようなものは修復するが、なるべくそのまま残す」というお答えでした。
富永太郎創作ノート「詩帖1」(大正13年)《展示@展示ケース5》は手帖のような形をしていますが、開けることができなし、村井康男宛富永太郎書簡 1924(大正13)10月2日(推定)(展示@展示ケース4)は原稿用紙に書かれていて、クリップで留めた跡の錆びが目立ちますが、所蔵されている神奈川県立神奈川近代文学館は「資料はそのままの形で残す」という考えから修復されていないとのことです。
中原中也日記帖「新文芸日記」(昭和2年1月ー12月(推定))《展示A展示ケース8》。
富永太郎油彩画「Mme M.et sa fille」(M夫人とその娘)(大正12年6ー8月制作)・「Coin de Jardin」(庭の隅)(大正12年8月制作)《展示A展示ケース10》は、丸めた状態で正岡忠三郎の家で発見されました。まず皺を伸ばし絵具の落ちたところに色を入れて修復されています。
富永太郎水彩画「Souvenir de Shang-hai」(上海の思ひ出)(大正13年10月16日制作(推定))《展示A展示ケース10》は、茶色のインクで描かれていてます。恐らくセピア(イカ墨)インクで描かれており、これは、耐光性をもった顔料インクです。
マット装をしたそうです。
正岡忠三郎宛富永太郎書簡 1921(大正10)8月12日《2F 展示B》には、インク色の濃淡があることについて質問したところ、つけペンのインクとのことでした。インクの薄いところと濃いところでは酸化の度合いが異なるそうです。
中原中也創作ノート「ノート小年時」《2F 展示C》は、「ノート1924」同様大学ノートなので、上製本のように修復跡を隠すことができず、修復が難しかったそうです。「過去の修理の際に付けられたと思われる製本クロスに硬化が見られ本紙への負担が目立ち始めていました。またインク焼けの兆候が見られました。ばらばら解体し、赤インクで書かれたところがあり、赤インクは耐水性がないので、まず滲み止めをしました。フィチン酸カリウム溶液による安定化処理をし、繕い、脱酸化を行い、背のクロスを新調し、再製本しました。」
また、掛け軸と同じく、50年後の修理を見越して、次に修理する時に、それが可能なように、なるべく弱い糊を使うのだそうです。
また、今回展示されていませんでしたが、正岡忠三郎日記貼(大正12年使用)は、同じく大学ノートです。「製本の壊れが見られました。背をくるむ布クロスははがれ、最終頁と裏表紙は粘着テープで補修咲入れていました。また、インク焼けの兆候が見られました。そこで、解体し、テープを除去し、滲み止めをし、フィチン酸カリウム溶液による安定化処理をし、繕い、脱酸化を行い、再製本しました。」
トークの後は、希望者で中原中也記念館へ移動し、
秦博志さんと担当の学芸員 原明子さんの解説で、修復された資料を中心に特別企画展「富永太郎と中原中也」の見学をしました。
正岡忠三郎日記帖「日記帖6」(大正13年9月15日ー同14年7月8日)《展示@展示ケース3》は、手帖のような形をしていますが、開けなくなっていたのを、一度全部ばらし、劣化を止める処置をし、再び製本したそうです。
中原中也創作ノート「ノート1924」《展示@展示ケース4》は、製本に痛みが出ていて、時代はわからいけれど修復の跡があったそうです。それも全て剥がし、ばらばらにし、綴じ直したそうです。このような大学ノートは隠すところがないので修復が難しいそうです。開いて展示してあるのですが、雁皮紙による補強の様子を見ることができます
正岡忠三郎宛富永太郎書簡 1925(大正14)1月15日《展示@展示ケース4》について、「端の欠損は、何故、修復しないのですか?」と質問したところ、「破損が進むようなものは修復するが、なるべくそのまま残す」というお答えでした。
富永太郎創作ノート「詩帖1」(大正13年)《展示@展示ケース5》は手帖のような形をしていますが、開けることができなし、村井康男宛富永太郎書簡 1924(大正13)10月2日(推定)(展示@展示ケース4)は原稿用紙に書かれていて、クリップで留めた跡の錆びが目立ちますが、所蔵されている神奈川県立神奈川近代文学館は「資料はそのままの形で残す」という考えから修復されていないとのことです。
中原中也日記帖「新文芸日記」(昭和2年1月ー12月(推定))《展示A展示ケース8》。
富永太郎油彩画「Mme M.et sa fille」(M夫人とその娘)(大正12年6ー8月制作)・「Coin de Jardin」(庭の隅)(大正12年8月制作)《展示A展示ケース10》は、丸めた状態で正岡忠三郎の家で発見されました。まず皺を伸ばし絵具の落ちたところに色を入れて修復されています。
富永太郎水彩画「Souvenir de Shang-hai」(上海の思ひ出)(大正13年10月16日制作(推定))《展示A展示ケース10》は、茶色のインクで描かれていてます。恐らくセピア(イカ墨)インクで描かれており、これは、耐光性をもった顔料インクです。
マット装をしたそうです。
正岡忠三郎宛富永太郎書簡 1921(大正10)8月12日《2F 展示B》には、インク色の濃淡があることについて質問したところ、つけペンのインクとのことでした。インクの薄いところと濃いところでは酸化の度合いが異なるそうです。
中原中也創作ノート「ノート小年時」《2F 展示C》は、「ノート1924」同様大学ノートなので、上製本のように修復跡を隠すことができず、修復が難しかったそうです。「過去の修理の際に付けられたと思われる製本クロスに硬化が見られ本紙への負担が目立ち始めていました。またインク焼けの兆候が見られました。ばらばら解体し、赤インクで書かれたところがあり、赤インクは耐水性がないので、まず滲み止めをしました。フィチン酸カリウム溶液による安定化処理をし、繕い、脱酸化を行い、背のクロスを新調し、再製本しました。」
また、掛け軸と同じく、50年後の修理を見越して、次に修理する時に、それが可能なように、なるべく弱い糊を使うのだそうです。
また、今回展示されていませんでしたが、正岡忠三郎日記貼(大正12年使用)は、同じく大学ノートです。「製本の壊れが見られました。背をくるむ布クロスははがれ、最終頁と裏表紙は粘着テープで補修咲入れていました。また、インク焼けの兆候が見られました。そこで、解体し、テープを除去し、滲み止めをし、フィチン酸カリウム溶液による安定化処理をし、繕い、脱酸化を行い、再製本しました。」
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