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こどもと本ジョイントネット21・山口


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『さがしています』 @ アーサー・ビナードとともに平和を考える朗読会@ [2019年08月16日(Fri)]
11日13:30〜より山口市小郡ふれあいセンターで開催された山口の朗読屋さん主催の「アーサー・ビナードとともに平和を考える朗読会」に参加しましたぴかぴか(新しい)

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アーサー・ビナードさんは、おそらくそんじょそころの日本人よりよっぽど美しい日本語を使い、日本のことを知っていて、パワフルで、エネルギッシュで、ユーモアにあふれ、フレンドリーで、すごい人でした揺れるハート

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『さがしています』(アーサー・ビナード/作 岡倉禎志/写真 童心社 2012.7)
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(「鍵束」中村明夫/寄贈 広島平和記念資料館/所蔵)

絵本の主人公は広島平和記念資料館に収蔵されている「もの」。

資料館を訪れると、展示してある「もの」が語りかけててくれることがあった。
そこで、「通訳」として絵本を作ろうと思った、

約2万1千点から選んだ、持ち主のわかる「もの」14点。
M井理髪店の「時計」、建物疎開をしていた中学生の浅野綜智くんの「軍手」、同じく建物疎開をしていた女学校の生徒の渡辺玲子ちゃんの「弁当箱」、会社員の藤澤節子さんの手縫いの「ワンピース」等々。
持ち主の暮らしも見えてくる……。

写真を撮ったのは写真家の岡倉禎志さん。主に人物写真を撮っている。
夫婦の写真を撮ってもらった縁でお願いした。その時、いつ撮られたか分からないくらい自然だったので。

「鍵束」をどう置くか?「カタリベ」の豊かな表情を出すため、何枚も写真を撮った。

「カタリベ」に相応しいバック=「証言台」は何にするか……。
写真を撮る時に使う、いわゆる、背景布は使いたくなかった……。
「カタリベ」を資料館の外に持って行くわけにはいかない。
そこで思いついたのが、石。広島の石を使うしかないと、と思った。広島の石はどこから?…倉橋島から来ている。
じゃあ、誰に切り出してもらう?石を切り出してくれる人を探す……。熊野町の石工 京面龍さんが切り出してくれることになった。
国会議事堂に使われているから「議院石」といい、ほんのり桜色していることから「桜御影」ともいわれている石を切り出し、「証言台」として加工してくれた。
「証言台」の大きさは、1枚が長机2枚合わせた半分位の大きさ。1枚で済むかと思ったら、ワンピースは無理だった。本をよく観ると繋ぎ目が判る。

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山口の朗読屋さんのNさん、Kさん、Aさん、Tさん、中原中也記念館の福田百合子名誉館長、中原豊館長、山口児童館の石丸善臣館長など9名で行われた『さがしています』のリレー朗読。それぞれが「カタリベ」の想いを伝えます。

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そして、ピカドンが「ピカアアアアアッ」と光る場面では、石本館長のギター音が効果的に入ります。

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8時15分で止まった「時計」は、「おはよう」のあとの「こんにちは」をさがしています。
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(「時計」M井徳三/寄贈 広島平和記念資料館/所蔵)

両方揃ったちょっと小さめの「軍手」は、がんばっていたソウチくんの右手と左手をさがしています。
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(「軍手」浅野純以/寄贈 広島平和記念資料館/所蔵)

御飯と豆が入ったまま炭化した「弁当箱」は、レイコちゃんの言えなかった「いただきます」をさがしています。
色鮮やかな紫色の「ワンピース」は、「すー…… はー……」というセツコさんの元気な息遣いを忘れません。

そう決して忘れてはいけないのです。

YYくんは、小学生、中学生、高校生の頃、誰に強制された訳でもなく、8月6日の8時15分には黙祷していました。母親が、出掛けよう、といくら誘っても、やることがある、と言って、8月6日は決して出掛けませんでした。
30歳になった会社員のYYくんは、2019年の8月6日の朝も、東京で通勤電車に揺られながら黙祷をしたのでしょうか?

アーサー・ビナードさんのあとがきにはこう記されています。

 「ピカドン」からどれほど多くのことを教わったか。
 ぼくはアメリカに生まれ育って、アメリカの学校で教育を受け、英語で原爆投下について、くりかえしその必要性と正当性を教えられた。けれど、ぼくはそのころ「ピカドン」という言葉を知らなかった。 「原子爆弾」を意味するAtomic Bombか、「核兵器」をあらわすNuclear Weaponをつかっていた。大学を卒業してから来日し、日本語の中へわけいって学び、数年たってから初めて広島を訪れた。平和記念資料館で被爆者の話を聞き、そこで「ピカドン」に出会った。
 「原子爆弾」も「核兵器」も、核開発をすすめた人たちが作った呼び名。
 それに対して「ピカドン」は、生活者が生み出した言葉だ。具体的に、生きた言語感覚で、核分裂をとらえていて、その言葉のレンズがぼくに新しい視点を与えてくれた。同時に「ピカドン」に相当する英語が存在しないことにも気づいて、課題を背負った思いがした。

(中略)
 カタリベたちからも、どれほど多くのことを教わったか。お礼を言いたい。

【次回に続く】
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