冬の長門峡を歩きました@中原中也「冬の長門峡」詩碑
[2019年03月03日(Sun)]
2018年3月2日、冬の長門峡を歩きました
冬というより早春でしょうか、オオイヌノフグリが咲いていました。
ヒイラギナンテンも咲き始めていました。
アオキの蕾です。
中原中也に「冬の長門峡」という詩があります。
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。
われのほか別に、
客とてもなかりけり。
水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。
ああ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。
長門峡の入口にある洗心館のそば、洗心橋を臨む場所に、「冬の長門峡」の詩碑が建っています。
長男文也が1936(昭和11)年11月10日亡くなり、12月12日に「文也の一生」と題した文也の短い生涯を綴った日記、12月24日に文也と孝子夫人と三人で行った博覧会の思い出「夏の夜の博覧会はかなしからずや」を書き、続けて、「冬の長門峡」を同じ毛筆で墨書します。
中也の友人 安原喜弘は、1932(昭和7)年3月24日中也が帰省していた湯田温泉を訪れ、中也と共に長門峡に行きます。
手紙三十三 三月七日(はがき) (山口より)
(略)この葉書をかきながら、窓外をみると、山のてつぺんの、樹と樹とのすき間をとほして雲の流れてゆくのがみえます(煙は空に身を慌び、日陰怡しく身を嫋ぶ)昔の歌。おいで待ちます。
(略)二十三日着かれること好都合ですが、尤も君の都合次第では、何時だつて結構です 何卒、お待ちしています、田舎だつてヒト味です。
一緒に山登りをしませう
手紙三十四 三月二十二日(はがき) (山口より)
先日来、雨や雪がよく降りましたが、今日あたりから晴がつづくだらうと思はれます。
中也
私への温かいいざないのはがきです。
私はこの月の二十四日に「おみこし」を挙げ詩人の郷里訪問の途についた。そして5日の間彼及彼の家族の方々の誠に心からの手厚い歓待に身を委せた。この間彼はくさぐさの心遣いを以て私を労わり、細心の準備を以て私に郷土を紹介した。彼はそこの気候、風土、地勢、歴史、人情、物産、酒、女のことごとくを私に語るのだつた。或時は長門峡の流れに盃を挙げ、或る時は秋吉の鍾乳洞の神秘を探つた。長門峡では俄雨に襲われた。岩を噛む清流は忽ち滔々たる濁流となつた。私達は岩陰にあるたつた一軒の休み茶屋の縁に腰を下ろし、耳を聾する流の音を聞きながら静かに酒を汲んだ。彼は少しずつではあるが絶えず物語つた。やがて真赤な夕陽が雨上りの雲の割れ目からこの谷間の景色を血の様に染めた。詩人は己を育てたこの土地の中に身を置いて今しきりに何事かを反芻するものの如くであつた。そしてそれを私に語ろうとした。然しながら彼の顔には何事か語り尽し得ぬ焦燥と失望の色が漂うのであつた。私は今もそれを思うのである。何事であるか。
帰途彼は汽車で途中まで私を送つて来た。彼は未だ何か私を離したくない様子であつた。何事か重大な事柄が彼の心の中に残されている風であつた。途中天神様のある古風な町で下車してそこのうらさびれた街々をあてもなく逍遥つた。彼は遂に語らなかつた。私は夜遅い汽車で東に去つた。
(『中原中也の手紙』(書肆ユリイカ 1950) より)
上掲2枚の写真は、2014年10月25日〜11月24日(月・祝)、洗心館2階で「中也と長門峡」展(主催:長門峡観光協会)が開催された時のパネルです。中也と長門峡に遊んだ思い出を書いた安原喜弘『中原中也の手紙』、長門峡に行きたいと書かれている中也の竹田鎌二郎宛書簡(昭和9(1934)年9月1日付)、「冬の長門峡」原稿などが展示されたそうです。
洗心橋。
「密柑の如き夕陽、欄干にこぼれたり。」とよんだ橋です。
長門峡は紅葉の名所なので、モミジがデザインされています。
橋から篠目川を臨みます。
大野岳の山容がきれいです。
左端には、洗心館が見えます。
11:30
古い橋の欄干が、長門峡の道の駅に飾られています。
対と思われるものが洗心館の前にもありました。昭和28年9月建立。
こちらは大正期のもの。
この橋を中也は渡ったのでしょう。
洗心館。
「われは料亭にありぬ。」の料亭の跡です。
残念なことに2012年に営業をやめています。
来て見れば日本無比の長門峡
聴秋
洗心橋と洗心館は花乃本聴秋が名付けたそうです。
花乃本十一世聴秋は本名上田肇(一八五〇―一九三二)岐阜県大垣の人にて友人の技師三村順助氏の招きで大正六年から同十一年頃迄度たび来遊、かごに乗って探勝し俳句及び画の揮毫会を開いてその都度一切の収入を保勝会に寄付した。洗心館、洗心橋の命名者でもある。
長門峡観光協会
洗心館の前にこんなふうに並んでいます。
ところで、最初の詩碑の写真ですが、何を表していると思いますか?
「盃に蜜柑がのっている。」
と分かった方はすごいです。
初めて見たとき、ミカンは分かりましたが、みかんがのっている台座が盃だとは気付きませんでした。
「密柑の如き夕陽」からミカン、「酒酌みてありぬ」から盃なのでしょうか……
シュールな詩碑です。
2019年2月24日(日)県立山口図書館での講演会「福田百合子が中原中也を語る」で、中原中也記念館名誉館長の福田百合子先生も1988(昭和63)年3月20日の除幕式に列席し、初めてこの詩碑を見て驚かれたお話をされていました。
【次回に続く】
冬というより早春でしょうか、オオイヌノフグリが咲いていました。
ヒイラギナンテンも咲き始めていました。
アオキの蕾です。
中原中也に「冬の長門峡」という詩があります。
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。
われのほか別に、
客とてもなかりけり。
水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。
ああ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。
長門峡の入口にある洗心館のそば、洗心橋を臨む場所に、「冬の長門峡」の詩碑が建っています。
長男文也が1936(昭和11)年11月10日亡くなり、12月12日に「文也の一生」と題した文也の短い生涯を綴った日記、12月24日に文也と孝子夫人と三人で行った博覧会の思い出「夏の夜の博覧会はかなしからずや」を書き、続けて、「冬の長門峡」を同じ毛筆で墨書します。
中也の友人 安原喜弘は、1932(昭和7)年3月24日中也が帰省していた湯田温泉を訪れ、中也と共に長門峡に行きます。
手紙三十三 三月七日(はがき) (山口より)
(略)この葉書をかきながら、窓外をみると、山のてつぺんの、樹と樹とのすき間をとほして雲の流れてゆくのがみえます(煙は空に身を慌び、日陰怡しく身を嫋ぶ)昔の歌。おいで待ちます。
(略)二十三日着かれること好都合ですが、尤も君の都合次第では、何時だつて結構です 何卒、お待ちしています、田舎だつてヒト味です。
一緒に山登りをしませう
手紙三十四 三月二十二日(はがき) (山口より)
先日来、雨や雪がよく降りましたが、今日あたりから晴がつづくだらうと思はれます。
中也
私への温かいいざないのはがきです。
私はこの月の二十四日に「おみこし」を挙げ詩人の郷里訪問の途についた。そして5日の間彼及彼の家族の方々の誠に心からの手厚い歓待に身を委せた。この間彼はくさぐさの心遣いを以て私を労わり、細心の準備を以て私に郷土を紹介した。彼はそこの気候、風土、地勢、歴史、人情、物産、酒、女のことごとくを私に語るのだつた。或時は長門峡の流れに盃を挙げ、或る時は秋吉の鍾乳洞の神秘を探つた。長門峡では俄雨に襲われた。岩を噛む清流は忽ち滔々たる濁流となつた。私達は岩陰にあるたつた一軒の休み茶屋の縁に腰を下ろし、耳を聾する流の音を聞きながら静かに酒を汲んだ。彼は少しずつではあるが絶えず物語つた。やがて真赤な夕陽が雨上りの雲の割れ目からこの谷間の景色を血の様に染めた。詩人は己を育てたこの土地の中に身を置いて今しきりに何事かを反芻するものの如くであつた。そしてそれを私に語ろうとした。然しながら彼の顔には何事か語り尽し得ぬ焦燥と失望の色が漂うのであつた。私は今もそれを思うのである。何事であるか。
帰途彼は汽車で途中まで私を送つて来た。彼は未だ何か私を離したくない様子であつた。何事か重大な事柄が彼の心の中に残されている風であつた。途中天神様のある古風な町で下車してそこのうらさびれた街々をあてもなく逍遥つた。彼は遂に語らなかつた。私は夜遅い汽車で東に去つた。
(『中原中也の手紙』(書肆ユリイカ 1950) より)
上掲2枚の写真は、2014年10月25日〜11月24日(月・祝)、洗心館2階で「中也と長門峡」展(主催:長門峡観光協会)が開催された時のパネルです。中也と長門峡に遊んだ思い出を書いた安原喜弘『中原中也の手紙』、長門峡に行きたいと書かれている中也の竹田鎌二郎宛書簡(昭和9(1934)年9月1日付)、「冬の長門峡」原稿などが展示されたそうです。
洗心橋。
「密柑の如き夕陽、欄干にこぼれたり。」とよんだ橋です。
長門峡は紅葉の名所なので、モミジがデザインされています。
橋から篠目川を臨みます。
大野岳の山容がきれいです。
左端には、洗心館が見えます。
11:30
古い橋の欄干が、長門峡の道の駅に飾られています。
対と思われるものが洗心館の前にもありました。昭和28年9月建立。
こちらは大正期のもの。
この橋を中也は渡ったのでしょう。
洗心館。
「われは料亭にありぬ。」の料亭の跡です。
残念なことに2012年に営業をやめています。
来て見れば日本無比の長門峡
聴秋
洗心橋と洗心館は花乃本聴秋が名付けたそうです。
花乃本十一世聴秋は本名上田肇(一八五〇―一九三二)岐阜県大垣の人にて友人の技師三村順助氏の招きで大正六年から同十一年頃迄度たび来遊、かごに乗って探勝し俳句及び画の揮毫会を開いてその都度一切の収入を保勝会に寄付した。洗心館、洗心橋の命名者でもある。
長門峡観光協会
洗心館の前にこんなふうに並んでいます。
ところで、最初の詩碑の写真ですが、何を表していると思いますか?
「盃に蜜柑がのっている。」
と分かった方はすごいです。
初めて見たとき、ミカンは分かりましたが、みかんがのっている台座が盃だとは気付きませんでした。
「密柑の如き夕陽」からミカン、「酒酌みてありぬ」から盃なのでしょうか……
シュールな詩碑です。
2019年2月24日(日)県立山口図書館での講演会「福田百合子が中原中也を語る」で、中原中也記念館名誉館長の福田百合子先生も1988(昭和63)年3月20日の除幕式に列席し、初めてこの詩碑を見て驚かれたお話をされていました。
【次回に続く】
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