中原中也の春の詩
[2019年02月27日(Wed)]
以前、湯田温泉観光回遊拠点施設 狐の足あとの2F通路で「タペストリー展」があり、中原中也の春の詩とイメージシルエットのタペストリーが飾ってありました
「(吹く風を心の友と)」
吹く風を心の友と
口笛に心まぎらはし
私がげんげ田を歩いてゐた十五の春は
煙のやうに、野羊のやうに、パルプのやうに、
とんで行つて、もう今頃は、
どこか遠い別の世界で花咲いてゐるであらうか
耳を澄ますと
げんげの色のやうにはぢらひながら遠くに聞こえる
あれは、十五の春の遠い音信なのだらうか
滲むやうに、日が暮れても空のどこかに
あの日の昼のまゝに
あの時が、あの時の物音が経過しつつあるやうに思はれる
それが何処か?――とにかく僕に其処へゆけたらなあ……
心一杯に懺悔して
恕[ゆる]されたといふ気持の中に、再び生きて、
僕は努力家にならうと思ふんだ――
「春の夜」
燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
一枝の花、桃色の花。
月光うけて失神し
庭(には)の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。
あゝこともなしこともなし
樹々よはにかみ立ちまはれ。
このすゞろなる物の音(ね)に
希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず。
山虔(つつま)しき木工のみ、
夢の裡(うち)なる隊商のその足竝もほのみゆれ。
窓の中(うち)にはさはやかの、おぼろかの
砂の色せる絹衣(ごろも)。
かびろき胸のピアノ鳴り
祖先はあらず、親も消(け)ぬ。
埋みし犬の何処(いづく)にか、
蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいづる
春の夜や。
「春と恋人」
美しい扉の親しさに
私が室(へや)で遊んでゐる時、
私にかまわず実つてた
新しい桃があつたのだ……
街の中から見える丘、
丘に建つてたオベリスク、
春には私に桂水くれた
丘に建つてたオベリスク……
蜆(しじみ)や鰯(いわし)を商(あきな)ふ路次の
びしょ濡れの土が歌つている時、
かの女は何処(どこ)かで笑つてゐたのだ
港の春の朝の空で
私がかの女の肩を揺つたら、
真鍮(しんちゅう)の、盥(たらい)のようであつたのだ……
以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……
「早春の風」
けふ一日(ひとひ)また金の風
大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風
女王の冠さながらに
卓(たく)の前には腰を掛け
かびろき窓にむかひます
外吹く風は金の風
大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風
枯草の音のかなしくて
煙は空に身をすさび
日影たのしく身を嫋(なよ)ぶ
鳶色(とびいろ)の土かをるれば
物干竿は空に往き
登る坂道なごめども
青き女(をみな)の顎(あぎと)かと
岡に梢のとげとげし
今日一日また金の風……
「春」
春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲(あが)る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舎から合唱は空にあがる。
あゝ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸摶(う)つた希望は今日を、
厳(いか)めしい紺青(こあを)となつて空から私に降りかゝる。
そして私は呆気(ほうけ)てしまふ、バカになつてしまふ
――薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?
薮かげの小川か銀か小波か?
大きい猫が頸ふりむけてぶきつちよに
一つの鈴をころばしてゐる、
一つの鈴を、ころばして見てゐる。
「春と赤ン坊」
菜の花畑で眠つてゐるのは……
菜の花畑で吹かれてゐるのは……
赤ン坊ではないでせうか?
いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど
走つてゆくのは、自転車々々々
向ふの道を、走つてゆくのは
薄桃色の、風を切つて……
薄桃色の、風を切つて
走つてゆくのは菜の花畑や空の白雲(しろくも)
――赤ン坊を畑に置いて
「春宵感懐」
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(よひ)。
なまあつたかい、風が吹く。
なんだか、深い、溜息が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴(つか)めない。
誰にも、それは、語れない。
誰にも、それは、語れない
ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
けれども、それは、示(あ)かせない……
かくて、人間、ひとりびとり、
こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
ことして、一生、過ぎるんですねえ
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあつたかい、風が吹く。
その他中也が春をうたった詩は以下のようなものがあります。
タイトルに「春」がある、詩の中に「春」の字がある、詩の中に春を表わす語句がある、そんな詩を拾ってみました。
「春の日の夕暮」
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
「はるかぜ」
あゝ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。
空は曇つてはなぐもり、
風のすこしく荒い日に。
「春の思ひ出」
摘み溜めしれんげの華を
夕餉(ゆふげ)に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄(ぼあい)の
土の上(へ)に叩きつけ
「早春散歩」
空は晴れてても、建物には蔭があるよ、
春、早春は心なびかせ、
「(とにもかくにも春である)」
とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポンである。
「春の雨」
昨日は喜び、今日は死に、
明日は戦い?……
「春の消息」
生きてゐるのは喜びなのか
生きてゐるのは悲みなのか
「悲しき朝」
河瀬の音が山に来る、
春の光は、石のやうだ。
「幼なかりし日」
在りし日よ、幼なかりし日よ!
春の日は、苜蓿(うまごやし)踏み
空を、追ひてゆきしにあらざるか?
「春の日の歌」
流(ながれ)よ、淡(あは)き 嬌羞(けうしう)よ、
ながれて ゆくか 空の国?
「雲 雀」
ひねもす空で啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴(ひばりめ)だ
「閑寂」
土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)
空はきれいな四月です。
「思ひ出」
ポカポカポカポカ暖かだつたよ
岬の工場は春の陽をうけ、
煉瓦工場は音とてもなく
裏の木立で鳥が啼(な)いてた
「わが半生」
外(そと)では今宵(こよい)、木の葉がそよぐ。
はるかな気持の、春の宵だ。
そして私は、静かに死ぬる、
坐つたまんまで、死んでゆくのだ。
「また来ん春……」
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない
「正午
丸ビル風景」
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
「春日狂想」
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
中原中也記念館のテーマ展示「四季詩集――中也とめぐる春夏秋冬」(2019.2.20〜2020.2.11)では、「第1章 春」として、「春の日の夕暮」「春宵感懐」「(とにもかくにも春である)」「(吹く風を心の友として)」の4篇が取り上げられています
「(吹く風を心の友と)」
吹く風を心の友と
口笛に心まぎらはし
私がげんげ田を歩いてゐた十五の春は
煙のやうに、野羊のやうに、パルプのやうに、
とんで行つて、もう今頃は、
どこか遠い別の世界で花咲いてゐるであらうか
耳を澄ますと
げんげの色のやうにはぢらひながら遠くに聞こえる
あれは、十五の春の遠い音信なのだらうか
滲むやうに、日が暮れても空のどこかに
あの日の昼のまゝに
あの時が、あの時の物音が経過しつつあるやうに思はれる
それが何処か?――とにかく僕に其処へゆけたらなあ……
心一杯に懺悔して
恕[ゆる]されたといふ気持の中に、再び生きて、
僕は努力家にならうと思ふんだ――
「春の夜」
燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
一枝の花、桃色の花。
月光うけて失神し
庭(には)の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。
あゝこともなしこともなし
樹々よはにかみ立ちまはれ。
このすゞろなる物の音(ね)に
希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず。
山虔(つつま)しき木工のみ、
夢の裡(うち)なる隊商のその足竝もほのみゆれ。
窓の中(うち)にはさはやかの、おぼろかの
砂の色せる絹衣(ごろも)。
かびろき胸のピアノ鳴り
祖先はあらず、親も消(け)ぬ。
埋みし犬の何処(いづく)にか、
蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいづる
春の夜や。
「春と恋人」
美しい扉の親しさに
私が室(へや)で遊んでゐる時、
私にかまわず実つてた
新しい桃があつたのだ……
街の中から見える丘、
丘に建つてたオベリスク、
春には私に桂水くれた
丘に建つてたオベリスク……
蜆(しじみ)や鰯(いわし)を商(あきな)ふ路次の
びしょ濡れの土が歌つている時、
かの女は何処(どこ)かで笑つてゐたのだ
港の春の朝の空で
私がかの女の肩を揺つたら、
真鍮(しんちゅう)の、盥(たらい)のようであつたのだ……
以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……
「早春の風」
けふ一日(ひとひ)また金の風
大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風
女王の冠さながらに
卓(たく)の前には腰を掛け
かびろき窓にむかひます
外吹く風は金の風
大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風
枯草の音のかなしくて
煙は空に身をすさび
日影たのしく身を嫋(なよ)ぶ
鳶色(とびいろ)の土かをるれば
物干竿は空に往き
登る坂道なごめども
青き女(をみな)の顎(あぎと)かと
岡に梢のとげとげし
今日一日また金の風……
「春」
春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲(あが)る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舎から合唱は空にあがる。
あゝ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸摶(う)つた希望は今日を、
厳(いか)めしい紺青(こあを)となつて空から私に降りかゝる。
そして私は呆気(ほうけ)てしまふ、バカになつてしまふ
――薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?
薮かげの小川か銀か小波か?
大きい猫が頸ふりむけてぶきつちよに
一つの鈴をころばしてゐる、
一つの鈴を、ころばして見てゐる。
「春と赤ン坊」
菜の花畑で眠つてゐるのは……
菜の花畑で吹かれてゐるのは……
赤ン坊ではないでせうか?
いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど
走つてゆくのは、自転車々々々
向ふの道を、走つてゆくのは
薄桃色の、風を切つて……
薄桃色の、風を切つて
走つてゆくのは菜の花畑や空の白雲(しろくも)
――赤ン坊を畑に置いて
「春宵感懐」
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(よひ)。
なまあつたかい、風が吹く。
なんだか、深い、溜息が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴(つか)めない。
誰にも、それは、語れない。
誰にも、それは、語れない
ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
けれども、それは、示(あ)かせない……
かくて、人間、ひとりびとり、
こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
ことして、一生、過ぎるんですねえ
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあつたかい、風が吹く。
その他中也が春をうたった詩は以下のようなものがあります。
タイトルに「春」がある、詩の中に「春」の字がある、詩の中に春を表わす語句がある、そんな詩を拾ってみました。
「春の日の夕暮」
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
「はるかぜ」
あゝ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。
空は曇つてはなぐもり、
風のすこしく荒い日に。
「春の思ひ出」
摘み溜めしれんげの華を
夕餉(ゆふげ)に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄(ぼあい)の
土の上(へ)に叩きつけ
「早春散歩」
空は晴れてても、建物には蔭があるよ、
春、早春は心なびかせ、
「(とにもかくにも春である)」
とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポンである。
「春の雨」
昨日は喜び、今日は死に、
明日は戦い?……
「春の消息」
生きてゐるのは喜びなのか
生きてゐるのは悲みなのか
「悲しき朝」
河瀬の音が山に来る、
春の光は、石のやうだ。
「幼なかりし日」
在りし日よ、幼なかりし日よ!
春の日は、苜蓿(うまごやし)踏み
空を、追ひてゆきしにあらざるか?
「春の日の歌」
流(ながれ)よ、淡(あは)き 嬌羞(けうしう)よ、
ながれて ゆくか 空の国?
「雲 雀」
ひねもす空で啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴(ひばりめ)だ
「閑寂」
土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)
空はきれいな四月です。
「思ひ出」
ポカポカポカポカ暖かだつたよ
岬の工場は春の陽をうけ、
煉瓦工場は音とてもなく
裏の木立で鳥が啼(な)いてた
「わが半生」
外(そと)では今宵(こよい)、木の葉がそよぐ。
はるかな気持の、春の宵だ。
そして私は、静かに死ぬる、
坐つたまんまで、死んでゆくのだ。
「また来ん春……」
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない
「正午
丸ビル風景」
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
「春日狂想」
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
中原中也記念館のテーマ展示「四季詩集――中也とめぐる春夏秋冬」(2019.2.20〜2020.2.11)では、「第1章 春」として、「春の日の夕暮」「春宵感懐」「(とにもかくにも春である)」「(吹く風を心の友として)」の4篇が取り上げられています
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