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こどもと本ジョイントネット21・山口


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「文士の肖像―林忠彦写真展」を観に行きました@ @ 中原中也記念館 [2018年10月27日(Sat)]
中原中也記念館へ「文士の肖像―林忠彦写真展」を観に行きましたぴかぴか(新しい)

周南市出身の写真家・林忠彦(1918〜1990)の生誕100年を記念し写真展です。
林の撮った中也と同時代の文学者の肖像写真とその業績を紹介した資料で構成された展示です。

林忠彦写真展 文士の肖像.jpg


そこに僕の写真の味を加えなければならないなんにもならないわけです。
 それは何か? 僕はレンズとかカメラといったメカニックなものでなく、相手の心のなかに溶けこむことではないかと思うのです。

(『林忠彦写真集 日本の作家』(林忠彦/撮影 小学館 2014.9)「あとがき」より)


かわいい小林秀雄かわいい(1902〜1983)
 
1本の大きな樹と灯籠を背に鎌倉の自宅の広い庭に立つ小林を家の中から撮った写真です。
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(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.324)

鎌倉の小林邸の前の上り坂の小道にさしかかると、本当にふるえがきて、なかなかとまらなかったことを覚えています。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.322)

とあるようのに、二人の間には距離があるのでしょうか。


かわいい河上徹太郎かわいい (1902〜1980)

浴衣姿の河上が、岩国のお酒 五橋と名橋正宗の一升瓶を前に置き、火鉢にかけたやかんでお燗をつけようと、提子(ひさげ)から徳利にお酒を注いでいる写真です。

 飲む酒はきまっていて、たしか名橋正宗だったと思います。それを二升ほどドーンとわきに置いて、二人で夜明けまで飲み続けて全部あけちゃいましたが、朝にも強くて、「朝飯においでよ」と誘っていただき、朝からまた一升飲んだあと、お城のなかの吉川公園を散歩しました。このぐらいのんべいで二日酔いをしない人っていうのは珍しいと驚きましたね。
(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.318)

学芸員さんによると、自宅で写された写真だそうです。

 河上先生は僕と同じ山口県の大先輩に当たるわけですが、実は個人的にも少なからぬ因縁があるんです。
 僕は子供のころから祖父の特殊教育を受けさせられまして、毎日のように放課後、絵と英語とソロバンをやれと、いまの学習塾みたいなところへ通わされたんですが、その絵の先生が河上徹太郎の伯父さんに当たる人でした。水彩画で有名な徳山の人でした。その先生にお世話になったことを河上さんに最初に会ったときに話しまして、特別に親しさを感じました。

(中央文庫『文士の時代』(林忠彦/著 中央公論社 2014.9)P.316)

この「伯父」(これは、林の勘違いで、親戚です!)とは、マルクス経済学者の河上肇の弟の水彩画家の河上左京(1889〜1971)ではなく、その従兄弟の水彩画家の河上大二(1893〜1949)です。

河上は、左京と大二の作風をそれぞれ「左京さんの重厚な翳(かげ)り」、「大二さんの澄んだ明断(めいせき)さ」と言っています。

大二は、東京美術学校の藤島武二教室に学びました。
卒業後、病となり帰郷し、徳山市(現周南市)に住みました。
林は、絵を習った訳です。




どんどん本筋から離れる気がしますが、大二のことを紹介します。

河上大二  明治26年(1893)〜昭和24年(1949)
昭和初期から戦後にかけて、主に帝展・文展(戦後は日展)など官展を舞台に活躍した水彩画家である。
本籍岩国市錦見。神戸の須磨浦小学校から伊丹中学校、その後東京美術学校西洋画科で学んだ。
大正10年病気療養のため徳山の勢屯に移住し、55歳で没するまでの約30年間、この地で画業に専念した。
昭和2年、第8回帝展に水彩画「暮レ行ク漁村」を出品し初入選。それ以来、同6年まで連続入選を果たした。
この間、同3年に大阪・高島屋で個展を開催し、水彩画をはじめデサンなど120点を出品した。同13年第2回文展に入選。同22年日展委員となった。
町政時代に結成された洋画家のグループ“徳山洋画協会”の中心的役割を果たすなど、徳山における洋画界の草分けとして活躍した。

周南市立図書館HPより)


2006年12月27日〜2007年2月25日、山口県立美術館「日本水彩画会の二人―河上左京と河上大二―」という展覧会がありましたが、また、やって欲しいものです。
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