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こどもと本ジョイントネット21・山口


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泰雲寺 @ 中原中也と鳴滝A [2018年09月26日(Wed)]
【昨日の続き】

鳴滝まで来たので、中也が訪れたという泰雲寺へ行ってみましたぴかぴか(新しい)

1928(昭和3)年の春、中原中也は病気の父親・謙助の見舞いで帰省した折に、中原家の子弟が師事していた泰雲寺の老師品川雷応を訪ねました。
雷応は中也を鳴滝に連れて行き、何も言わずに、一緒に厳から流れる滝を眺めたそうです。

鳴滝を詠んだといわれている「悲しき朝」は『生活者』昭和4年9月号に発表されました。

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鳴滝公園の駐車場から旧道を鳴滝川沿いに進み、河川プール(鳴滝砂防親水プール)の横を過ぎ、月光橋を渡ったところに、泰雲寺はあります。
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または、国道262号「鳴滝園」という看板がある角を曲がり、道なりに進むと正面に山門があります。
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泰雲寺は始め闢雲(びゃくうん)寺と称し、1405(応永11)年に周防に来訪した薩州の曹洞宗の石屋真梁(せきおくしんりょう)禅師に26代大内盛見が帰依し、棯畑、葦谷に創建しました。
1429(永享元)年28代大内教弘の時代、三世覚隠永本禅師により現在地に移転しました。
防長五刹の一つに数えられ、江戸時代に防長二州僧録司が置かれました。
江戸時代までは門派600カ寺の総本寺として、代々輪住(末寺、門派の僧侶が一年交代で住職を務める制度)が行われてきました。

山門を進むと、
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参道脇に寄進された灯籠が並んでいます。
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回廊。
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心字池より本堂を臨む。
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本堂。
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扁額。
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毛利の家紋のある瓦。
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坐堂。
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三宝大荒神の説明板。
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開山供養塔。
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開山坐禅石。
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大内教弘墓。
大内教弘の菩提所でした。
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小早川隆景の供養墓。
毛利元就の三男隆景で、小早川繁平の養子となり、その妹(後の問田大方)を妻としました。
隆景の法名により「泰雲寺」と改められました。
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小早川隆景正室(慈光院)・問田大方の墓(宝篋印塔)。
夫・隆景の死後は毛利氏の長州転封に従って、周防国吉敷郡問田(現在の山口市大内問田)に移り住み、問田大方と呼ばれました。
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益田七内五輪塔。
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経塚。
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十三重石塔。
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鐘楼。
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境内の外に塔がありました。
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石槌大権現の鳥居。
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「文政七甲申歳九月十三日」とあるので、1824年の建立です。
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泰雲寺入り口に王子神社跡の石碑があります。
紀州熊野の那智権現を勧請して鳴滝の鎮守として建てられた神社でした。
大内弘世の棟札も残っているといわれています。
1910(明治43)年小鯖八幡宮に合祀されたそうです。
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狛犬の阿。
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狛犬の吽。
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手水鉢。
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