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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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本当は孝行者だったんですよ @ 中原中也の生涯 [2018年09月17日(Mon)]
中原中也記念館。
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中原中也の生家跡に建っています。
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中原中也記念館に入ると、まず、初期短歌、翻訳詩、著作などが展示してあります。

さらに進むと、「中原中也の生涯」として、中也の年表が展示してあります。

いつも中原中也記念館に行く度、この年表に見入ってしまいます。
簡潔で分かりやすい年表です。

最後の方、阿部六郎宛書簡(1937(昭和12)年7月7日付)で、もう、かなりおかしくなりますふらふら


《前略 聞けば子供さん亡くされた由哀悼の意を表します。》

小生事秋になったら郷里に引上げようと思ひます。なんだか郷里住みたいといふことになってゴローンと寝ころんでみたいのです。もうくにを出てから十五年ですからね。ほとほともう肉感に乏しい関東の空の下にはくたびれました。それに去年子供に死なれてからというふものは、もうどんな詩情も湧きません。瀬戸内海の空の下でもゐたならば、また息を吹返すかも知れないと思ひます。
《それで一度是非会って帰りたいのですが、子供さんが亡くなられたさうだし、今迄の家をもう越してゐはしないかと思ったりしますので、一応おたづねします。なんだか線路の上の家にはもうゐられないのではないかと思ふ。
僕としてはもうすぐにも帰りたいのですが、子供を連れて夏の汽車は大変だといふので、やつぱりどうしてもお彼岸過ぎにしなければならないのです。何しろ学生ならば「ながァい夏のお休み」を、退屈しながら鎌倉みたいなところ(鉋屑みたいなところ)に暮らすのかと思ふと、いやになッちやふ。――此の春以来可なり読書しました。此の十日くらゐ何にも読みません。読まないでゐると幾分旅情を感じたりします。郷里に帰つてもフランス語以外は当分何もしないつもりです。
では御返事願いひます。住所と、だいたい夜がいいとか日曜がいいとか、それとも夏休みになってからなら何日頃から後がいいとお知らせください。
       中也
 七月七日
阿部六郎様》


 
※《》で括った部分は展示してなかったような気がしますが、あえて、ここでは書きました。
  中也は、阿部六郎の勤務先の成城高等学校宛に送っています。
  阿部六郎は、返事を多忙のため出しそびれていたところ、

  先日どこかで会つたといふ友人から中原が
  「子供を亡くするとよく閑籠ってしまふ男があるものだが、
  阿部もさうらしいから慰めてやってくれ」と言ってゐたといふ話を聞いて、
  私は中也の優しさに慚愧した

  (「中也のこと」)

中也は、長男 文也を1936(昭和11)年11月10日に亡くしています。
だから、阿部六郎の悲しみが心に突き刺さったのでしょう。

そして、中也は帰郷の意志をこのころには固めていたのです。
ああ、中也を山口に帰してやりたかった……。

さらに、中也の弟・中原思郎のこの記述を読む頃になると、感極まってしまいちっ(怒った顔)


母の指を、タバコを吸うときのようにして自分の二本の指ではさんだ。眼も見えたのであろう。「おかあさん」という声がでた。一層奇蹟を思う。もう一度、「おかあさん」と呼んだ。中也は、自分の指にはさんだ母の指を、二度ばかりはじいた。タバコを吸っている気である。そして「僕は本当は孝行者だったんですよ」といい、「今に分るときが来ますよ」とつけ加え、数秒おいて「本当は孝行者だったんですよ」といった。最後の声は正気の声であった。中也の指は母の手から離れ落ちた。《医者の時計で〇時二十分、昭和十二年十月二十二日である。
 中原家から「聖なる無頼」が消えた感じであった。》

(『兄中原中也と祖先たち』(審美社)「兄中原中也」「死」P.75)


 ※《》で括った部分は展示してありません。
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年表の最後にある草野心平の詩(『歴程』昭和14年4月、中原中也追悼特集号)で、気持ちの方もMAXとなります。


空間

中也よ。
地球は冬で寒くて暗い。


ぢや。
さやうなら。



たった四行の詩ですが、この詩に込められた気持ちに、自分の気持ちがシンクロします。
また、今日も、泣いてしまいましたもうやだ〜(悲しい顔)

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