CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

子どもと本をむすぶ活動をしています


検索
検索語句
<< 2018年12月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
最新記事
カテゴリアーカイブ
プロフィール

こどもと本ジョイントネット21・山口さんの画像
月別アーカイブ
最新コメント
クルミのみ
宮沢賢治とクルミの実 (10/06) そらいろ太陽
木漏れ日 @ 鴻ノ峰ハイキング (06/14)
タグクラウド
日別アーカイブ
http://blog.canpan.info/jointnet21/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/jointnet21/index2_0.xml
筆とりて手習させし我母は今は我より拙しと云ふ @ 中也と習字 [2018年09月16日(Sun)]
9月9日の記事で「中原家累代之墓」の墓碑銘は中也の文字によると書きました。
A566D52D-C47F-4205-888E-EE475D96CBE0.jpeg

その後ろに建つ「中原政熊夫婦墓」の墓碑銘は、中也の字に似ていますが、果たして誰が書いたのでしょうか?
801159C6-260B-4785-9C67-11D0FEBF7836.jpeg


中也の弟・中原思郎『兄中原中也と祖先たち』(審美社 1970.5)に以下の記述がありました。

 山口市吉敷にある「中原家累代之墓」の文字は中也の筆になるものである。同市三和町のカトリック墓地にある「中原政熊夫婦之墓」もそうである。


 大きい紙を座敷いっぱいに広げて筆をふるった長兄・中也の思い出を、思郎は懐かしく語ります。

 父は始め専門書家に書かせるつもりであった。数人の字書きを相ついで自宅に招き下書きを書かせた。下書きは数日わが家で父の手許にあった。父は朝に晩にそれを眺めていたが、どうも満足できないようであった。そのうち、父は思い出したように、中也に書いてみないかと言った。暑い頃である。大正十年(一九二一)五月十八日、養祖父政熊が亡くなり、四十九日もすんでからのことであったから、中也は中学二年の夏休みであったろう。
 障子も襖も取りのけられた三間つづき中の間に大きな紙が数枚並べられた。
 夕食後、父・母・実祖母・四人の弟たちに囲まれて、中也は一枚の紙の前に立ち、大きく足を開いて深呼吸した。このあたりの私の記憶は鮮明である。私は小学二年生であった。いたずら盛りの弟たちも息を殺して中也を見ていた。
 中也は、一枚、一枚、書きあげていく。一枚、一枚、不満らしい。最後の一枚を残してしばらく休んだ。
 最後の一枚は、半ば敷居にかかっていて全体に波ができていた。母がその紙を平らな場所に移そうとしたら、中也は「そのまま」といって、何かを決意したような顔になり、早い勢いで一気に筆を走らせた。書き了え、立ち上り、ほどんど見直しもせず、「風呂に行ってくる」といって外に出た。口笛の音をのこして姿は見えなくなった。このあたりの私の記憶が母より鮮明なのは不思議である。家の中は大戦争が終わったような感じであった。
 父は中也の書いたものを採用した。字の巧みよりは、山口中学校の成績がしだいに悪くなっていた頃の、中也の久しぶりの緊張をとった。さらには中原家の長男をとったと思いたい。

(同 「兄 中原中也」「長兄」P.28〜29)


養祖父・政熊の墓は、山口市三和町の山口カトリック墓地に建てられました。

遺体は、カトリック墓地に土葬し、翌一周忌に中也の筆になる「中原政熊夫婦墓、ペトロ・六十八歳、大正十年五月十八日」と刻んだ墓標が建った。
(同「祖先たち」「近い祖先 政熊」P.187)
F2CB1004-37D1-449B-948F-ACB766756856.jpeg


父・謙助は、1928(昭和3)年5月16日に亡くなり、山口市吉敷の経塚墓地に葬られました。

父はその後、(略)中也の字を刻んだ墓の下に葬られた。その字は習字を通じての長兄教育の成果をしめしており、墓標は正しく中原家累代之墓である。
(同「兄 中原中也」「長兄」)
28E9A4CA-C3EB-4DE5-BB45-2A24AFD3D8A5.jpeg


 一周忌に、フクは謙助の遺言によって、かねて用意していた中也の筆になる「中原家累代之墓」を建て、裏に「昭和三年五月十六日 従五位勲四等 中原謙助建立」と刻んだ。
(同「祖先たち」「近い祖先 謙助」P.220)
3230F8AF-09C1-4B5A-85A4-8D7AE0AC8642.jpeg


 大正九年(一九二〇)二月号「婦人画報」に入選した短歌“筆とりて”は中也が小学校五年生の時の作である。

筆とりて手習させし我母は今は我より拙
つたなしと云ふ

 私たち弟は、小学校五年生のころ、短歌をつくったこともなければ、手習いが母よりうまいと思ったこともない。中也は「長兄」であった。
(同「兄 中原中也」「長兄」)
トラックバック
ご利用前に必ずご利用規約(別ウィンドウで開きます)をお読みください。
CanpanBlogにトラックバックした時点で本規約を承諾したものとみなします。

この記事へのトラックバックURL:
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
http://blog.canpan.info/tb/1390060
コメント