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こどもと本ジョイントネット21・山口


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「大岡昇平と中原中也」を観に行きましたD @ 中原中也記念館 [2018年08月25日(Sat)]
【前回の続き】

大岡昇平と中原中也.jpg

1965(昭和40)年6月、生家近くの山口市湯田温泉の高田公園(現・井上公園)に中原中也の詩「帰郷」の詩碑が建立されました。

この経緯について、大岡は「詩碑が建つ」(昭和40年1月「小説新潮」初出)(『在りし日の歌 〈中原中也の死〉』(1967(昭和42).9 角川書店)に詳しく書いています。

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帰 郷

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
    椽
[えん]の下では蜘蛛の巣が
    心細そうに揺れてゐる


山では枯木も息を吐[つ]
あゝ今日は好い天気だ
    路
[みち]ばたの草影が
    あどけない愁
[かなし]みをする

これが私の故里ふるさと
さやかに風も吹いてゐる
    心置なく泣かれよと
    年増婦
としまの低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ


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中也の弟思郎から話を持ち込まれた大岡は、詩碑の建立に尽力し、物心両面の援助をおしみませんでした。
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揮毫は小林秀雄に頼みます。
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大岡は碑文を担当しました。
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 中原中也は明治四十年四月二十九日この地に近い湯田横丁に生まれた。この卓れた詩才は県立山口中学に在学中から現れてゐたが昭和九年詩集「山羊の歌」が東京で出版されるに及び広く詩を愛する人々に認められるに到った。不幸病を得て、同十二年十月二十三日(実際は、二十二日)、第二詩集「在りし日の歌」の上梓に先立って、鎌倉の寓居に没した。その名声は死後ますます高く日本近代詩史に揺ぎない地位を占めてゐる。
 この度山口市長兼行恵雄の斡旋により、同郷の有志、東京の友人相寄り、こゝに詩碑を立てゝ、その詩集を記念することにした。碑表の文字は詩篇「帰郷」より取られ、友人小林秀雄が書いた。
 昭和四十年五月
  友人 大岡昇平之を誌す

除幕式には、大岡をはじめ、小林、河上徹太郎、今日出海の4人が友人代表として出席しました。
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詩碑が

これが私の古里だ
さやかに風も吹いてゐる
あゝ おまへはなにをして来たのだと
吹き来る風が私にいふ


となっていることなどについて、大岡は「五十年祭騒動記」にユーモアあふれる文章を書いています。
そこで、大岡は没後50年以上経った中也を「おまえ」と呼んでいます。

大岡は、1988(昭和63)年12月25日に亡くなりますが、その8日前の17日に入院先で口述された文「中原中也のこと」もパネル展示されています。

【続きはまた…】
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