「中原中也の散歩生活」を観に行きました
[2018年04月13日(Fri)]
「散歩」というキーワードに魅かれて、開催中のテーマ展「中原中也の散歩生活」を観に行きました。
1Fの展示室が、パネルで路地のように仕切られ、5のテーマに分けて展示してありました。
展 示 1 散歩生活
展 示 2 中也、「歩行」の詩
展 示 3 歩行する詩人・ランボーと中也
展 示 4 散歩者の孤独と慰め
固定ケース 手紙でたどる散歩コース
展示1では、中也が日常生活において、「歩く」といことをどのように思っていたのかが展示してあります。
……(略)大正十二年より昭和八年十月迄、毎日々々歩き通す。読書は夜中、朝寝て正午頃起きて、それより夜の十二時頃迄歩くなり。
(「詩的履歴書」より)
「女房でも貰つて、はやくシヤツキリしろよ、シヤツキリ」と、従兄みたいな奴が従弟みたいな奴に、浅草のと或るカフエーで言つてゐた。そいつらは私の卓子(テーブル)のぢき傍で、生ビール一杯を三十分もかけて飲んでゐた。私は御酒を飲んでゐた。好い気持であつた。話相手が欲しくもある一方、ゐないこそよいのでもあつた。其処を出ると、月がよかった。電車や人や店屋の上を、雲に這入ったり出たりして、涼しそうに、お月様は流れていた。そよ風が吹いて来ると、私は胸一杯呼吸するのであった。「なるほどなア、シヤツキリしろよ、シヤツキリ――かア」
私も女房に別れてより茲(ここ)に五年、また欲しくなることもあるが、しかし女房がいれば、こんなに呑気に暮すことは六ヶ敷(むづかし)かろうと思うと、優柔不断になってしまう。
(略)
(「散歩生活」より)
と、中也の「詩的履歴書」「散歩生活」の原稿の展示から始まっていました。
……(略)近頃の夜歩きは好い。月が出ていたりすると僕は何時まででも歩いていたい。実にゆっくり、何時までも歩いていたいよう!(略)
(昭和5年5月21日の安原喜弘宛の書簡より)
展示2では、中原中也の詩から「歩く」をキーワードに、
「寒い夜の自我像」「お会式の夜」「わが喫煙」「自滅」「早春散歩」「春の消息」
が展示されています。
十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、
太鼓の音の、絶えないその夜を。
(以下略)
(「お会式の夜」より)
(前半略)
そうしてこの淋しい心を抱いて、
今年もまた春を迎えるものであることを
ゆるやかにも、茲(ここ)に春は立返ったのであることを
土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら
僕は思う、思うことにも慣れきって僕は思う……
(「早春散歩」より)
展示3では、ランボーの翻訳詩を通して、中也の歩行を探っています。
長谷川泰子の『ゆきてかへらぬ』に、富永太郎と中也のダンディぶりは際立って、京都の往来をあるく時、「ヴェルレーヌとランボーのようだと思ったものです」とあるのは、面白かったです。
(『ゆきてかへらぬ』は読んだことがあるのですが、覚えていませんでした…)
展示4では、「歩く」ときに求めていたものを「我が生活(明治座に)」「夜店」を通して探っています。
僕は呆然(ぼうぜん)と、つまらなく歩いてゆく。
部屋(うち)にいるよりましだと思いながら。
僕にはなんだって、つまらなくって仕方がない。
それなのに今晩も、こうして歩いている。
電車にも、人通りにも、僕は関係がない。
(「夜店」より)
固定ケースでは、中也の手紙から中也の散歩コースを推定し、再現しています。
……(略)好いお天気だもんだから朝から歩いている。(略)
(昭和5年5月8日の安原喜弘宛への書簡より)
……(略)月があんまりよかったし、夜気と埃は青猫のように感じられる江戸河沿いの道を、随分歩いた。(略)
(昭和5年5月9日の安原喜弘宛への書簡より)
中也は学生時代や山口に帰省している時にも散歩をしていた筈です 。
例えば、熊野神社のある権現山は、学生時代に学校をサボって登って市街地を眺めていたことや、後に、息子の文也を連れて散歩にでかけたというのを聞いたことがあります。
そういう「中也を歩く」というようなイベントがあったら、ぜひ、参加したいです。
詳しい展示については、「展示資料一覧」『中原中也記念館 館報2018』をご参照ください。
1Fの展示室が、パネルで路地のように仕切られ、5のテーマに分けて展示してありました。
展 示 1 散歩生活
展 示 2 中也、「歩行」の詩
展 示 3 歩行する詩人・ランボーと中也
展 示 4 散歩者の孤独と慰め
固定ケース 手紙でたどる散歩コース
展示1では、中也が日常生活において、「歩く」といことをどのように思っていたのかが展示してあります。
……(略)大正十二年より昭和八年十月迄、毎日々々歩き通す。読書は夜中、朝寝て正午頃起きて、それより夜の十二時頃迄歩くなり。
(「詩的履歴書」より)
「女房でも貰つて、はやくシヤツキリしろよ、シヤツキリ」と、従兄みたいな奴が従弟みたいな奴に、浅草のと或るカフエーで言つてゐた。そいつらは私の卓子(テーブル)のぢき傍で、生ビール一杯を三十分もかけて飲んでゐた。私は御酒を飲んでゐた。好い気持であつた。話相手が欲しくもある一方、ゐないこそよいのでもあつた。其処を出ると、月がよかった。電車や人や店屋の上を、雲に這入ったり出たりして、涼しそうに、お月様は流れていた。そよ風が吹いて来ると、私は胸一杯呼吸するのであった。「なるほどなア、シヤツキリしろよ、シヤツキリ――かア」
私も女房に別れてより茲(ここ)に五年、また欲しくなることもあるが、しかし女房がいれば、こんなに呑気に暮すことは六ヶ敷(むづかし)かろうと思うと、優柔不断になってしまう。
(略)
(「散歩生活」より)
と、中也の「詩的履歴書」「散歩生活」の原稿の展示から始まっていました。
……(略)近頃の夜歩きは好い。月が出ていたりすると僕は何時まででも歩いていたい。実にゆっくり、何時までも歩いていたいよう!(略)
(昭和5年5月21日の安原喜弘宛の書簡より)
展示2では、中原中也の詩から「歩く」をキーワードに、
「寒い夜の自我像」「お会式の夜」「わが喫煙」「自滅」「早春散歩」「春の消息」
が展示されています。
十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、
太鼓の音の、絶えないその夜を。
(以下略)
(「お会式の夜」より)
(前半略)
そうしてこの淋しい心を抱いて、
今年もまた春を迎えるものであることを
ゆるやかにも、茲(ここ)に春は立返ったのであることを
土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら
僕は思う、思うことにも慣れきって僕は思う……
(「早春散歩」より)
展示3では、ランボーの翻訳詩を通して、中也の歩行を探っています。
長谷川泰子の『ゆきてかへらぬ』に、富永太郎と中也のダンディぶりは際立って、京都の往来をあるく時、「ヴェルレーヌとランボーのようだと思ったものです」とあるのは、面白かったです。
(『ゆきてかへらぬ』は読んだことがあるのですが、覚えていませんでした…)
展示4では、「歩く」ときに求めていたものを「我が生活(明治座に)」「夜店」を通して探っています。
僕は呆然(ぼうぜん)と、つまらなく歩いてゆく。
部屋(うち)にいるよりましだと思いながら。
僕にはなんだって、つまらなくって仕方がない。
それなのに今晩も、こうして歩いている。
電車にも、人通りにも、僕は関係がない。
(「夜店」より)
固定ケースでは、中也の手紙から中也の散歩コースを推定し、再現しています。
……(略)好いお天気だもんだから朝から歩いている。(略)
(昭和5年5月8日の安原喜弘宛への書簡より)
……(略)月があんまりよかったし、夜気と埃は青猫のように感じられる江戸河沿いの道を、随分歩いた。(略)
(昭和5年5月9日の安原喜弘宛への書簡より)
中也は学生時代や山口に帰省している時にも散歩をしていた筈です 。
例えば、熊野神社のある権現山は、学生時代に学校をサボって登って市街地を眺めていたことや、後に、息子の文也を連れて散歩にでかけたというのを聞いたことがあります。
そういう「中也を歩く」というようなイベントがあったら、ぜひ、参加したいです。
詳しい展示については、「展示資料一覧」『中原中也記念館 館報2018』をご参照ください。
【中原中也の最新記事】
- 第29回中原中也賞贈呈式 & 記念講演 ..
- 深川和美 & 谷川賢作 @ 中原中也生誕..
- 和合亮一 @ 中原中也生誕祭「空の下の朗..
- 穂村弘「中原中也をはじめとする詩人たちの..
- 中原中也『夜汽車の食堂』をめぐる検討会 ..
- 中原中也「夜汽車の食堂」が紙芝居になりま..
- 穂村弘「中原中也をはじめとする詩人たちの..
- 佐藤春夫と中原中也
- 佐藤春夫「少年の日」
- 「第50回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と..
- 中也忌2023
- やまぐち朗読Cafeスペシャル 詩の朗読..
- やまぐち朗読Cafeスペシャル 詩の朗読..
- 中原中也の会 第28回大会・第22回セミ..
- 中原中也記念館開館30周年記念 Tシャツ..
- 朗読 & トーク 心中、詩スルモノアリ―..
- 第28回中原中也賞贈呈式 & 記念講演 ..
- 「朗読会」&「ミニライブ GOMESS」..
- 第28回中原中也賞贈呈式・記念講演 萩原..
- 正午