麻生総理の解散は「朝青龍的昔取った杵柄解散」と呼びましょう
[2009年07月22日(Wed)]
衆議院が解散しました。
いざ、選挙なのでしょうが、近頃は「●●さんに入れて下さい」のももめっきり少なくなりました。
事実、衆議院の場合、鳩居堂は二区に有り、一区との境あたりになります。
当然ながら、熊本県市の中心は一区です。
しかし、一区から外れた鳩居堂には、地域的にも人的にもつながりがない二区の方たちからのアプローチはありません。
随分近い関係と思われる国会議員や県会議員の方たちが候補者を連れてこられることも有りませんでしたし、今回の解散(選挙)前までに一度も二区の候補者の方たちが来られることも有りませんでした。
小選挙区になり、有権者が地域に限定されるために知り合いでも選挙区内住人でない場合は、無視されるからでしょうか
そのため、既存の選挙母体で選挙をされる方たちは、小選挙区より大きな選挙区、例えば熊本市とか熊本県という範囲が選挙の時には限られた情報のなかで戦われているのでしょうねぇ。
そうやって漏れていった人たちまでもが、「無関心層」「無党派層」と扱われてしまうのでしょうねぇ。。。
思わぬ納得です
「解散」は、実にあっさりしていました。
ラジオで聞いていました。
もうちょっといろいろあるのかと思っていましたが、今回は単なる手続きだけだったようで、河野議長の「衆議院を解散します」で終わりでした。
そのかわり「バンザ〜イ」は大きく聞こえました。
93年、日本新党中心の内閣をつくる選挙の解散のときもラジオで聞いていましたが、「バンザ〜イ」をした人が少なく、不揃いで、よく聞こえませんでした。
解説の人も「バンザ〜イ」がない解散ははじめてではないかと驚いていたのが印象的でした。
小沢軍団や後の’先駆け’一派の内閣府信任投票などで当事者の方たちは揺さぶられ、動揺をし不安があった解散だったので、「バンザ〜イ」のしようがなかったのでしょう。
それと比べると、今回は、「バンザ〜イ」を言うだけですから、国会議員の方たちも覚悟の「バンザ〜イ」だったと感じました。
やっと「解散」をした麻生総理についてです。
麻生総理誕生 [2008年09月25日(木)]以来となります。
安倍さんの時は、安倍お坊ちゃまへの決まり手は「一人肩透かし」(但し、“一人相撲”による) [2007年09月12日(水)]でした。
福田さんのときは、 ヒニク人福田ご隠居様の詰め将棋 “積みきれず「参った」”(今回の決まり手) [2008年09月02日(火)]でした。
その二人がいなくなった後、対抗馬がいないところで麻生総理が誕生しました。
そこではご自身がやりたい「予算編成」「サミット」「解散」「選挙」をすべてやられることが出来ました。
これは、対抗馬がいないところでの圧倒的力(勢い)の誇示があったからだと思います。
(ここからは超個人的な感覚です)
麻生総理の特徴として「あなたたちにはお解りにならないでしょうが、私は会社経営をしてきた側ですから経営者感覚で言いますと・・・」という国会答弁が多かったと思います。
時々「病院を経営していましたので・・・」というのもありました。
その発言内容を聞いていると、どーもとなるのです。
30年前ならそうだったのでしょうが、現在の感覚ではそうではないのではないでしょうか
大企業ならそうやって、もし失敗してもどこかで取り返すことができるのでしょうが、零細企業では、その判断が「生死」を分けることになるのです
もし判断ミスでもしようものなら、銀行から取引先からコテンパンな目にあいます。
そういう意味でも、そんな判断はしないと言い切れるところが何度もありました。
つまり、麻生さんは「昔取った杵柄」でこの一年間戦われていたのではないでしょうか
今までの預金を遣われて、その預金が破綻していることをご存知なく、ご自身を使われていたのではないでしょうか
それで、躓いても、「こんなのところに出っ張りがあるのが悪い」程度で、大事を小事と考えられていたように思われます。
これって、「最高位の横綱だ」と威張っていてもその実力(勢い)が遥かに落ちていることに気付かないで負けている朝青龍によく似ているように思います。
ということで、今回の麻生解散を、じょうちゃん的表現にすると「朝青龍的昔取った杵柄解散」ということになりました
しかし、ここでちょっと慎重に見ていなければならないことがひとつあります。
「昔取った杵柄」でも、時々勝っちゃうことがあります。
朝青龍の優勝のように、もうだめだ、引退だと思ってもそこから踏ん張ることもあります。
麻生総理も、そういう星を持っていますので、一気に逆転と行くのかは“微妙”なところだと思っています。
いざ、選挙なのでしょうが、近頃は「●●さんに入れて下さい」のももめっきり少なくなりました。
事実、衆議院の場合、鳩居堂は二区に有り、一区との境あたりになります。
当然ながら、熊本県市の中心は一区です。
しかし、一区から外れた鳩居堂には、地域的にも人的にもつながりがない二区の方たちからのアプローチはありません。
随分近い関係と思われる国会議員や県会議員の方たちが候補者を連れてこられることも有りませんでしたし、今回の解散(選挙)前までに一度も二区の候補者の方たちが来られることも有りませんでした。
小選挙区になり、有権者が地域に限定されるために知り合いでも選挙区内住人でない場合は、無視されるからでしょうか
そのため、既存の選挙母体で選挙をされる方たちは、小選挙区より大きな選挙区、例えば熊本市とか熊本県という範囲が選挙の時には限られた情報のなかで戦われているのでしょうねぇ。
そうやって漏れていった人たちまでもが、「無関心層」「無党派層」と扱われてしまうのでしょうねぇ。。。
思わぬ納得です
「解散」は、実にあっさりしていました。
ラジオで聞いていました。
もうちょっといろいろあるのかと思っていましたが、今回は単なる手続きだけだったようで、河野議長の「衆議院を解散します」で終わりでした。
そのかわり「バンザ〜イ」は大きく聞こえました。
93年、日本新党中心の内閣をつくる選挙の解散のときもラジオで聞いていましたが、「バンザ〜イ」をした人が少なく、不揃いで、よく聞こえませんでした。
解説の人も「バンザ〜イ」がない解散ははじめてではないかと驚いていたのが印象的でした。
小沢軍団や後の’先駆け’一派の内閣府信任投票などで当事者の方たちは揺さぶられ、動揺をし不安があった解散だったので、「バンザ〜イ」のしようがなかったのでしょう。
それと比べると、今回は、「バンザ〜イ」を言うだけですから、国会議員の方たちも覚悟の「バンザ〜イ」だったと感じました。
やっと「解散」をした麻生総理についてです。
麻生総理誕生 [2008年09月25日(木)]以来となります。
安倍さんの時は、安倍お坊ちゃまへの決まり手は「一人肩透かし」(但し、“一人相撲”による) [2007年09月12日(水)]でした。
福田さんのときは、 ヒニク人福田ご隠居様の詰め将棋 “積みきれず「参った」”(今回の決まり手) [2008年09月02日(火)]でした。
その二人がいなくなった後、対抗馬がいないところで麻生総理が誕生しました。
そこではご自身がやりたい「予算編成」「サミット」「解散」「選挙」をすべてやられることが出来ました。
これは、対抗馬がいないところでの圧倒的力(勢い)の誇示があったからだと思います。
(ここからは超個人的な感覚です)
麻生総理の特徴として「あなたたちにはお解りにならないでしょうが、私は会社経営をしてきた側ですから経営者感覚で言いますと・・・」という国会答弁が多かったと思います。
時々「病院を経営していましたので・・・」というのもありました。
その発言内容を聞いていると、どーもとなるのです。
30年前ならそうだったのでしょうが、現在の感覚ではそうではないのではないでしょうか
大企業ならそうやって、もし失敗してもどこかで取り返すことができるのでしょうが、零細企業では、その判断が「生死」を分けることになるのです
もし判断ミスでもしようものなら、銀行から取引先からコテンパンな目にあいます。
そういう意味でも、そんな判断はしないと言い切れるところが何度もありました。
つまり、麻生さんは「昔取った杵柄」でこの一年間戦われていたのではないでしょうか
今までの預金を遣われて、その預金が破綻していることをご存知なく、ご自身を使われていたのではないでしょうか
それで、躓いても、「こんなのところに出っ張りがあるのが悪い」程度で、大事を小事と考えられていたように思われます。
これって、「最高位の横綱だ」と威張っていてもその実力(勢い)が遥かに落ちていることに気付かないで負けている朝青龍によく似ているように思います。
ということで、今回の麻生解散を、じょうちゃん的表現にすると「朝青龍的昔取った杵柄解散」ということになりました
しかし、ここでちょっと慎重に見ていなければならないことがひとつあります。
「昔取った杵柄」でも、時々勝っちゃうことがあります。
朝青龍の優勝のように、もうだめだ、引退だと思ってもそこから踏ん張ることもあります。
麻生総理も、そういう星を持っていますので、一気に逆転と行くのかは“微妙”なところだと思っています。
http://www15.atwiki.jp/houdou/
http://www35.atwiki.jp/kolia/