「NPOは個人を社会へつなぐための中間組織」
[2009年01月28日(Wed)]
実名で「『はいはい』じょうちゃんへ」へ登場したのは「のりぴー」さんが初めてでしょう。
「『はいはい』じょうちゃんへ」のResに書こうかと思いましたが、いろいろ考えることがありましたので、別立てにしました。
1/11 シーズ・市民活動を支える制度をつくる会 応援キャンペーン 「自分たちと地域の未来を語り合う」フォーラム ご苦労様でした。
学会等いろんなMLに投稿された記事は読みましたが、まだ、HPには掲載されていないようですね。
HPに掲載されたら、お知らせください。
C’sの松原事務局長とじょうちゃんの認識は基本的に同じです。
1/11の時の松原事務局長の発言も共感を持つものでした。
現在、C’sが取り組んでいるのが「ファンドレイジング」ですから、この問題意識も共通しています。
「NPOくまもと」の目標は、「寄付」することが税金の替わりになる社会、そのための受け皿として「NPO」が社会に根ざすことです。
そのために、まずNPOの会計基準を作ろうというのには賛同し、今年の運動の一つとなります。
1/11の時は「人」に焦点が当たったようですね。
10年間の変化を「人」という視点(報告書では「支店」になっていましたよ)で捉えられたのも、この面子ならではだと納得しました。
2002年から「新規NPO設立のための人材養成講座」を毎年開催しています。
そこで、「NPO」「ビジョンとミッション」「組織づくり」「事業計画」「NPOの資源」「NPOの運営」について等を講義&ワークショップをしています。
行政では、「NPO法人の申請書類の作り方」は講義できても、「NPOとはどういうものか」とか「ビジョンとミッション」「組織づくり」は講義できません。これは、市民のものであり、行政から左右されるものではないのですから、講義できませんというより、講義してはならないのです。講義が出来るとしたら、「民間」だけなのです。
今年も、開催しています。
はじめた頃は、参加者の方たちが新規設立の希望者が多かったのですが、段々、運営に悩まれている方たちの参加が多くなりましたので、現在は「自立したNPO設立・運営のための『プロデューサー養成講座』」と開催しています。
これを書きながら、タイトルは「『自立したNPO設立・運営のためのプロ』養成講座』」とした方が良いかなぁ、とも思いはじめました。
先日、講義をしながら、なぜか突然「NPO」という組織形態を選択するのでしょうか? [2009年01月14日(水)] という疑問を持ったのか
について、自分なりの回答も同時に思い出してしまいました。
Q.NPOがなぜ必要なのか
社会的ハンディキャップを持っている方たちが、社会的資源(人物・もの・かね・情報等)を使って、社会とつながりが持てるようにするための組織=NPOが必要である。
せんだい・みやぎNPOセンターの加藤哲夫代表理事が言う「組織者=オーガナイザー」がいるときNPOは作られる、ということです。
NPOくまもとの第68回 NPOサロン(平成18年10月11日)でお話いただきました「たんぽぽの家」(前日本NPOセンター代表理事・日本ボランティア学会副代表)の播磨靖夫さんが唱えられていた「『社会的排除と市民活動』〜インクルーシブ・ソサイアティをめざして」で、語られた「社会的排除の解決に向けて取り組んでいる市民活動のための組織=NPO」ということと同じです。
日本財団(現在笹川平和財団出向中)の菅井氏(草鞋(わらじ)の緒さん)は、NPOには三つのタイプがあると言っています。
@現在、困っていることに取り組む
Aこれから困るであろうことに取り組む
B今より良くなることに取り組む
これも、個人を社会へつなぐことを言い表しています。
個人 → NPO → 社会
という構図が成り立つはずなのです。
しかし、昨年じょうちゃんに違和感を与えられた方たちは「NPO」の運営の話ばかりをされていました。
NPOの本質は「個人を社会へつなぐための中間組織」と言う認識をもって活動しはじめたはずなのに、語られた方たちからは、オーガナイザーである「個人」がすっぽり抜け落ちて、「自分たち」を社会へつなぐためにNPOという組織が使われていた、というわけです。
個人 → NPO(=自分) → ← 社会
という構図で話をされていたわけです。
腑に落ちないはずです。
NPOで働く個人のためのNPOであれば、行政がこぞって「NPO支援センター」だの「市民活動センター」等つくる意義がありません。
一民間組織の利益確保のために、行政が支援などする必要はないのです。
一民間組織の利益確保のために、行政が協働事業と言って資金提供のプログラムをつくる必要はないのです。
もう一度NPO側は、NPOの本質である「個人を社会へつなぐための中間組織」としてのNPOを設計することから考えられてはいかがでしょうか
そうすれば、自ずと組織体の「適正規模」があるはずです。
「適正規模」の運営をしていけばよいのです。
それを無理してしまうので、運営だけに時間を費やし、自分の金稼ぎの道具としてのNPOの一長一短ばかりに振り回されているのです。
「個人を社会へつなぐための中間組織」としての成り立っているNPOに対してのみ、行政は「支援」をし、「協働」の相手として相応しいプログラムを提供するのです。
自戒の念も含めて、もう一度、NPO側が考えなきゃならないときのようです。
NPOである自分たちの組織が「個人を社会へつなぐための中間組織」としての成り立っているのでしょうか
そして、「個人を社会へつなぐための中間組織」としてのNPOが成り立つ社会というのは、どういう社会なのか
大いに議論する時だと思います。
「地域コミュニティ」という言葉で消え去った感のある「市民社会」について、もう一度議論する時だと感じています。
NPO法に関ってきたアタシたちは、その議論からどういう社会づくりが必要なのかを示すことが求められているはずです。
「『はいはい』じょうちゃんへ」のResに書こうかと思いましたが、いろいろ考えることがありましたので、別立てにしました。
1/11 シーズ・市民活動を支える制度をつくる会 応援キャンペーン 「自分たちと地域の未来を語り合う」フォーラム ご苦労様でした。
学会等いろんなMLに投稿された記事は読みましたが、まだ、HPには掲載されていないようですね。
HPに掲載されたら、お知らせください。
C’sの松原事務局長とじょうちゃんの認識は基本的に同じです。
1/11の時の松原事務局長の発言も共感を持つものでした。
現在、C’sが取り組んでいるのが「ファンドレイジング」ですから、この問題意識も共通しています。
「NPOくまもと」の目標は、「寄付」することが税金の替わりになる社会、そのための受け皿として「NPO」が社会に根ざすことです。
そのために、まずNPOの会計基準を作ろうというのには賛同し、今年の運動の一つとなります。
1/11の時は「人」に焦点が当たったようですね。
10年間の変化を「人」という視点(報告書では「支店」になっていましたよ)で捉えられたのも、この面子ならではだと納得しました。
2002年から「新規NPO設立のための人材養成講座」を毎年開催しています。
そこで、「NPO」「ビジョンとミッション」「組織づくり」「事業計画」「NPOの資源」「NPOの運営」について等を講義&ワークショップをしています。
行政では、「NPO法人の申請書類の作り方」は講義できても、「NPOとはどういうものか」とか「ビジョンとミッション」「組織づくり」は講義できません。これは、市民のものであり、行政から左右されるものではないのですから、講義できませんというより、講義してはならないのです。講義が出来るとしたら、「民間」だけなのです。
今年も、開催しています。
はじめた頃は、参加者の方たちが新規設立の希望者が多かったのですが、段々、運営に悩まれている方たちの参加が多くなりましたので、現在は「自立したNPO設立・運営のための『プロデューサー養成講座』」と開催しています。
これを書きながら、タイトルは「『自立したNPO設立・運営のためのプロ』養成講座』」とした方が良いかなぁ、とも思いはじめました。
先日、講義をしながら、なぜか突然「NPO」という組織形態を選択するのでしょうか? [2009年01月14日(水)] という疑問を持ったのか
Q.NPOがなぜ必要なのか
社会的ハンディキャップを持っている方たちが、社会的資源(人物・もの・かね・情報等)を使って、社会とつながりが持てるようにするための組織=NPOが必要である。
せんだい・みやぎNPOセンターの加藤哲夫代表理事が言う「組織者=オーガナイザー」がいるときNPOは作られる、ということです。
NPOくまもとの第68回 NPOサロン(平成18年10月11日)でお話いただきました「たんぽぽの家」(前日本NPOセンター代表理事・日本ボランティア学会副代表)の播磨靖夫さんが唱えられていた「『社会的排除と市民活動』〜インクルーシブ・ソサイアティをめざして」で、語られた「社会的排除の解決に向けて取り組んでいる市民活動のための組織=NPO」ということと同じです。
日本財団(現在笹川平和財団出向中)の菅井氏(草鞋(わらじ)の緒さん)は、NPOには三つのタイプがあると言っています。
@現在、困っていることに取り組む
Aこれから困るであろうことに取り組む
B今より良くなることに取り組む
これも、個人を社会へつなぐことを言い表しています。
個人 → NPO → 社会
という構図が成り立つはずなのです。
しかし、昨年じょうちゃんに違和感を与えられた方たちは「NPO」の運営の話ばかりをされていました。
NPOの本質は「個人を社会へつなぐための中間組織」と言う認識をもって活動しはじめたはずなのに、語られた方たちからは、オーガナイザーである「個人」がすっぽり抜け落ちて、「自分たち」を社会へつなぐためにNPOという組織が使われていた、というわけです。
個人 → NPO(=自分) → ← 社会
という構図で話をされていたわけです。
腑に落ちないはずです。
NPOで働く個人のためのNPOであれば、行政がこぞって「NPO支援センター」だの「市民活動センター」等つくる意義がありません。
一民間組織の利益確保のために、行政が支援などする必要はないのです。
一民間組織の利益確保のために、行政が協働事業と言って資金提供のプログラムをつくる必要はないのです。
もう一度NPO側は、NPOの本質である「個人を社会へつなぐための中間組織」としてのNPOを設計することから考えられてはいかがでしょうか
そうすれば、自ずと組織体の「適正規模」があるはずです。
「適正規模」の運営をしていけばよいのです。
それを無理してしまうので、運営だけに時間を費やし、自分の金稼ぎの道具としてのNPOの一長一短ばかりに振り回されているのです。
「個人を社会へつなぐための中間組織」としての成り立っているNPOに対してのみ、行政は「支援」をし、「協働」の相手として相応しいプログラムを提供するのです。
自戒の念も含めて、もう一度、NPO側が考えなきゃならないときのようです。
NPOである自分たちの組織が「個人を社会へつなぐための中間組織」としての成り立っているのでしょうか
そして、「個人を社会へつなぐための中間組織」としてのNPOが成り立つ社会というのは、どういう社会なのか
「地域コミュニティ」という言葉で消え去った感のある「市民社会」について、もう一度議論する時だと感じています。
NPO法に関ってきたアタシたちは、その議論からどういう社会づくりが必要なのかを示すことが求められているはずです。




しかし、そこに本当に住民の意思が反映されているものか疑問が残ります。
住民発案で公開討論会をされましたが、その後の展開は決して住民の方たちの思いのようにはなっておらず、マニフェストの推進のためのアリバイづくりに利用されているといった印象があります。
みふねの樵さんたちがやった「学校給食について考える 食はいのち」の勉強会http://blog.canpan.info/jodoi/archive/957は御船町のPRに利用された感があり、御船町はその後の展開に8ヶ月間掛かってしまいました。
しかも、その展開に民間業者が「協力」をするというところに、町民の方たちや周辺の住民のアタシたちは「官と民間業者とのつながり」に要らぬ疑念を持ってしまいます。
木目の細やかさというか、こういうところの神経が行き届かないところに、不信感を抱いてしまいます。
みふねの樵さんたちのもっている住民感情を山本町長が切に感じられるかがポイントとなるでしょう。
一度きちんとぶつけてみてはどーか?という気もしてきました。
いかがですか?
住民不在のローカル・マニフェスト [2008年04月10日
(木)]http://blog.canpan.info/jodoi/archive/689
U[2008年04月11日(金)]http://blog.canpan.info/jodoi/archive/691
V[2008年05月14日(水)]http://blog.canpan.info/jodoi/archive/742
W[2008年05月30日(金)]http://blog.canpan.info/jodoi/archive/771
X[2008年08月07日(木)]http://blog.canpan.info/jodoi/archive/858
住民不在のローカル・マニフェスト状態を打破する住民の勉強会 [2008年10月31日(金)]http://blog.canpan.info/jodoi/archive/957