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●「鳩居堂」 (きゅうきょどう)

JR熊本駅前の電車通りで少々うるさく振動もある狭い住処を
じょうちゃんの「鳩居堂」と名付けました。
明治維新の頃、大村益次郎という人がいました。
その人は自分の住処を「鳩居堂」と言っていました。
その住処名にならいました。どうぞ、お立ち寄り下さい。

          住人 じょうちゃん


じょうちゃんの「ぼそぼそ」
鳩居堂の部屋名
鳩居堂のかかわり先
●「鳩居堂」訪問者の方のお部屋紹介 「思いつくまま」Fujita Yukariさん  http://nzpp.seesaa.net/         「ゆるすごたいむ」Benyさん http://blog.canpan.info/o222/     「南風ん風」日記さん  http://blog.canpan.info/haenkaze/   「きっと 夢の中」ピースケさん http://blog.canpan.info/munyamunya56/ 草鞋(わらじ)の緒さん    http://blog.canpan.info/faltboat/       蝸牛庵日乗/加藤哲夫さん  http://blog.canpan.info/katatsumuri/ 半田広宣「NOOS理論」   http://noos.cocolog-nifty.com/cavesyndrome/           ひととまち未来づくり・のりだーさん  http://blog.canpan.info/hitomachimirai/ ●「鳩居堂」お気に入りの方のお部屋 原田早穂さん      http://ameblo.jp/harada-saho/            大竹七未さん      http://ameblo.jp/otake-nami/ 
「NPOは個人を社会へつなぐための中間組織」 [2009年01月28日(Wed)]
実名で「『はいはい』じょうちゃんへ」へ登場したのは「のりぴー」さんが初めてでしょう。

「『はいはい』じょうちゃんへ」のResに書こうかと思いましたが、いろいろ考えることがありましたので、別立てにしました。

1/11 シーズ・市民活動を支える制度をつくる会 応援キャンペーン 「自分たちと地域の未来を語り合う」フォーラム ご苦労様でした。
学会等いろんなMLに投稿された記事は読みましたが、まだ、HPには掲載されていないようですね。
HPに掲載されたら、お知らせください。

C’sの松原事務局長とじょうちゃんの認識は基本的に同じです。
1/11の時の松原事務局長の発言も共感を持つものでした。
現在、C’sが取り組んでいるのが「ファンドレイジング」ですから、この問題意識も共通しています。
「NPOくまもと」の目標は、「寄付」することが税金の替わりになる社会、そのための受け皿として「NPO」が社会に根ざすことです。
そのために、まずNPOの会計基準を作ろうというのには賛同し、今年の運動の一つとなります。

1/11の時は「人」に焦点が当たったようですね。

10年間の変化を「人」という視点(報告書では「支店」になっていましたよ)で捉えられたのも、この面子ならではだと納得しました。

2002年から「新規NPO設立のための人材養成講座」を毎年開催しています。
そこで、「NPO」「ビジョンとミッション」「組織づくり」「事業計画」「NPOの資源」「NPOの運営」について等を講義&ワークショップをしています。
行政では、「NPO法人の申請書類の作り方」は講義できても、「NPOとはどういうものか」とか「ビジョンとミッション」「組織づくり」は講義できません。これは、市民のものであり、行政から左右されるものではないのですから、講義できませんというより、講義してはならないのです。講義が出来るとしたら、「民間」だけなのです。

今年も、開催しています。

はじめた頃は、参加者の方たちが新規設立の希望者が多かったのですが、段々、運営に悩まれている方たちの参加が多くなりましたので、現在は「自立したNPO設立・運営のための『プロデューサー養成講座』」と開催しています。
これを書きながら、タイトルは「『自立したNPO設立・運営のためのプロ』養成講座』」とした方が良いかなぁ、とも思いはじめました。

先日、講義をしながら、なぜか突然「NPO」という組織形態を選択するのでしょうか? [2009年01月14日(水)] という疑問を持ったのかはてなについて、自分なりの回答も同時に思い出してしまいました。


Q.NPOがなぜ必要なのかはてな

社会的ハンディキャップを持っている方たちが、社会的資源(人物・もの・かね・情報等)を使って、社会とつながりが持てるようにするための組織=NPOが必要である。

せんだい・みやぎNPOセンターの加藤哲夫代表理事が言う「組織者=オーガナイザー」がいるときNPOは作られる、ということです。

NPOくまもとの第68回 NPOサロン(平成18年10月11日)でお話いただきました「たんぽぽの家」(前日本NPOセンター代表理事・日本ボランティア学会副代表)の播磨靖夫さんが唱えられていた「『社会的排除と市民活動』〜インクルーシブ・ソサイアティをめざして」で、語られた「社会的排除の解決に向けて取り組んでいる市民活動のための組織=NPO」ということと同じです。

日本財団(現在笹川平和財団出向中)の菅井氏(草鞋(わらじ)の緒さん)は、NPOには三つのタイプがあると言っています。

@現在、困っていることに取り組む
Aこれから困るであろうことに取り組む
B今より良くなることに取り組む

これも、個人を社会へつなぐことを言い表しています。

 個人 → NPO → 社会

という構図が成り立つはずなのです。

しかし、昨年じょうちゃんに違和感を与えられた方たちは「NPO」の運営の話ばかりをされていました。

NPOの本質は「個人を社会へつなぐための中間組織」と言う認識をもって活動しはじめたはずなのに、語られた方たちからは、オーガナイザーである「個人」がすっぽり抜け落ちて、「自分たち」を社会へつなぐためにNPOという組織が使われていた、というわけです。

 個人 → NPO(=自分)  ← 社会

という構図で話をされていたわけです。
腑に落ちないはずです。
NPOで働く個人のためのNPOであれば、行政がこぞって「NPO支援センター」だの「市民活動センター」等つくる意義がありません。
一民間組織の利益確保のために、行政が支援などする必要はないのです。
一民間組織の利益確保のために、行政が協働事業と言って資金提供のプログラムをつくる必要はないのです。

もう一度NPO側は、NPOの本質である「個人を社会へつなぐための中間組織」としてのNPOを設計することから考えられてはいかがでしょうかはてな

そうすれば、自ずと組織体の「適正規模」があるはずです。
「適正規模」の運営をしていけばよいのです。
それを無理してしまうので、運営だけに時間を費やし、自分の金稼ぎの道具としてのNPOの一長一短ばかりに振り回されているのです。

「個人を社会へつなぐための中間組織」としての成り立っているNPOに対してのみ、行政は「支援」をし、「協働」の相手として相応しいプログラムを提供するのです。

自戒の念も含めて、もう一度、NPO側が考えなきゃならないときのようです。

NPOである自分たちの組織が「個人を社会へつなぐための中間組織」としての成り立っているのでしょうかはてな

そして、「個人を社会へつなぐための中間組織」としてのNPOが成り立つ社会というのは、どういう社会なのかはてな大いに議論する時だと思います。

「地域コミュニティ」という言葉で消え去った感のある「市民社会」について、もう一度議論する時だと感じています。

NPO法に関ってきたアタシたちは、その議論からどういう社会づくりが必要なのかを示すことが求められているはずです。
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コメント
「御船町」はサンデープロジェクトで取り上げられたりして、有名な「町」になりつつあります。

しかし、そこに本当に住民の意思が反映されているものか疑問が残ります。

住民発案で公開討論会をされましたが、その後の展開は決して住民の方たちの思いのようにはなっておらず、マニフェストの推進のためのアリバイづくりに利用されているといった印象があります。

みふねの樵さんたちがやった「学校給食について考える 食はいのち」の勉強会http://blog.canpan.info/jodoi/archive/957は御船町のPRに利用された感があり、御船町はその後の展開に8ヶ月間掛かってしまいました。

しかも、その展開に民間業者が「協力」をするというところに、町民の方たちや周辺の住民のアタシたちは「官と民間業者とのつながり」に要らぬ疑念を持ってしまいます。
木目の細やかさというか、こういうところの神経が行き届かないところに、不信感を抱いてしまいます。

みふねの樵さんたちのもっている住民感情を山本町長が切に感じられるかがポイントとなるでしょう。

一度きちんとぶつけてみてはどーか?という気もしてきました。

いかがですか?

住民不在のローカル・マニフェスト [2008年04月10日
(木)]http://blog.canpan.info/jodoi/archive/689
U[2008年04月11日(金)]http://blog.canpan.info/jodoi/archive/691
V[2008年05月14日(水)]http://blog.canpan.info/jodoi/archive/742
W[2008年05月30日(金)]http://blog.canpan.info/jodoi/archive/771
X[2008年08月07日(木)]http://blog.canpan.info/jodoi/archive/858
住民不在のローカル・マニフェスト状態を打破する住民の勉強会 [2008年10月31日(金)]http://blog.canpan.info/jodoi/archive/957
Posted by:みふねの樵さん、いらっしゃいませ/鳩居堂  at 2009年05月29日(Fri) 19:08
住民自治とか市民社会というものを、強く意識し始めたのは、私の身近な20代の青年たちが選挙に行かない理由を「立候補者の情報が何もないのに無責任に投票できない」という言葉にハットしたのがきっかけでしょうか。私はどうなの?投票だけは欠かしたことはないのですが、ちゃんと情報収集したり、自分の住んでいる地域のこと知ろうとしたりしていなかったことを反省することになったのです。
子どもたちの自立支援のNPOをやっていながら本当に勉強不足でした。
「個人を社会につなぐための中間組織!」
「NPOが成り立つ社会!」
あ〜かなり難しいですけど、小さな町でのプロジェクトを進めながら解るようになりたいです。
「なすことによって学ぶ」です。
応援ください。
Posted by:みふねの樵  at 2009年05月29日(Fri) 00:19
のりぴーさん、「個人が社会を排除する」は「のりぴー用語」のような気がするんだけど・・・

そう言えば、先週、松原君から電話がありました。
3月31日「お江戸に来て」ということでした。
「十数年の積み重ね」から派生してきた話です。

生憎、棚卸の日なので、精々日帰りが精一杯と言っておきました。

じょうちゃんは、しばらくは「火の国未来づくりネットワーク『まちむら探検隊〜熊本市』」
http://www.hinokuni-mirai.net/kiji/pub/detail.asp?c_id=1&id=83&type=top
に掛かりっきりです。
Posted by:やっぱりのりぴー用語/じょうちゃん  at 2009年02月17日(Tue) 17:33
じょうちゃんさんへ

なるほど、新しいきーわーどは、
「個人が社会を排除する」ということですね。

それではこれは上土井さんの命名ということで、
これについてふたたび静かに考えることにします。

                    のりぴーでした。
Posted by:服部則仁  at 2009年02月17日(Tue) 11:28
のりぴーさん、またまた長文有り難うございます。

前段のところでは、敢えて「必ず個人は社会とつながらなくてはならないのか?」と問うてみたくなりました。

つながりたくない人はそれでも良いんじゃないのかなぁ?と思ってしまいます。

「必ず・・・しなければならない」っていうのは、ちょっと苦手です。

「排除」ということは問題ですねぇ。

「社会的排除」というものが論じられているなか、個人側から社会を排除しているという説は新しいものです。

のりぴーさんの「消極的な自己防衛」というのは、適度に関わって自分に矛先が向かないようにしている社会状況ということでしょう。
アタシが言えたことではないのですが、「傷つきたくない」というから発想されたものということでしょうか?

「社会の本質は他者とのかかわりによる交換」なのですか?

最後の段落はよく理解できませんでした。

のりぴーさん用語の理解まではまだ遠いようです。
Posted by:のりぴーさん用語の理解には道遠し/じょうちゃん  at 2009年02月13日(Fri) 20:26
じょうちゃんさん、こんにちは
ぼーっとしていて、春ですね、すいません。

ずっとひっかかっていることがあります。

個人と社会をつなぐのがNPOというのはまったくそのとおりで全然OKなのですが、その個人は「社会とつながりたくない」という傾向がますます強くなっているように思うのです。

これはいったいなぜなのでしょうか。

明治以降に所属集団から独立しようとしてきた近代的自我が、戦後の経済成長で孤立しました。独立のはずが孤立した。お金があれば孤立してもそこそこ暮らしていける。今の孤立は所属を拒んでいるように思います。

子どもが大人になる過程で、生家から独立するのはよいとして、その後で新たな自分のコミュニティをつくらず、コミュニテイへの所属も拒否し、社会の中で自分はできるだけ透明であろうとしているように見えます。

社会の中で透明な存在であること、「背負う」という言葉を徹底的に自分から排除する感じを受けます。「思いは重い」。「自分は軽くありたい」。「かかわらない」。「ほおっておいてほしい」「かまわないでほしい」。「でも、自分気に触らない程度にちょっとはかまってほしい」。これは、今の社会に対する、「消極的な自己防衛」というスタンスかもしれません。

「社会の中で透明であることで、消極的な自己防衛をしている」

ということなのでしょうか。まるで、学校の中でいじめにあわないように、才能を開花させず、目立たず、多数の側にまわって、おとなしくしている子どもたちの姿にだぶってきます。

「社会の本質は他者とのかかわりによる交換」だと知っていれば、上手なかかわり方と交換の仕方を覚えようとするのかなとも思うのですが、どうでしょうか?


市民社会の市民とは、この「かかわりと交換」で、おたがいが納得できるような方法を確立できている人のことかもしれませんね。このあたりの手法のことを協働とでも言っておけばまずまずなのかもしれません。

                     のりぴーでした。

Posted by:服部則仁  at 2009年02月13日(Fri) 10:01
のりぴーさん、素直なご賛同、有り難うございます。

「他人のためになりたい」や「支援したい」なんて大袈裟なことを考えているわけではないのです。

民間人のアタシたちがアタシたちの手で運営するのに「支援」という言葉は重過ぎます。
それで「寄り添い」って言葉を使ったら、「じょうちゃんなんかに寄り添われたら気持ちが悪い」と言われてしまいましたので、「一緒にやりたい」という言葉に変わりました。

「お金」に関しても「NPOくまもと」設立時からの「思い」でしたし、のりぴーさんから「まちづくりと市民参加Y 市民社会へ 第二章 寄稿 21世紀方の市民社会とは」に頼まれて書いたものは「お金に意思を〜税金にも意思が反映する社会」でした。(ほら、「市民社会」ってのりぴーさん用語だったじゃない!!!)

このイメージした社会は、2001年(それ以前)から変わっていません。

のりぴーさんの言う通り、「十数年の積み重ね」が、こういう運動として起こってきたことを歓迎しています。

「踏絵」とするならば、「寄付」という行為による効果をもっと現実的に、一般の人たちまでイメージできるような「絵」が必要だと思います。

アタシたちみんなが、その「絵」をつくるチャンスをもっています。

これだけでも「市民社会」が少しずつ現実のものになろうとしていると感じてしまうのは、まだまた早いでしょうか?
Posted by:のりぴーさん用語「市民社会」/じょうちゃん  at 2009年02月04日(Wed) 10:26
じょうちゃんさん、こんにちは

うーーん、シブヤ大学はおもしろそう。楽しそう、愉快そう。
多くの人たちが元気にかかわっているのがよいですね。

さい、日本ファンドレイジング協会の設立趣意書(平成20年11月吉日)では、「NPO」という言葉を「市民社会」という言葉にしようという意志が盛り込まれていますね。

ちょっと注目しています。期待もしています。
日本のNPOの十数年の積み重ねからきた、ひとつの結論にしたいということだと思っています。

たぶんこのことを、じょうちゃんさんは言っているのだと思いますが、

この言葉の使い方について、
日本の既存のNPOたちは、どれだけ反応し、伝え、展開していくか。
あるいは、これがひとつの踏み絵となり得るかどうか。
私はこれらを、諸々の判断の基準にしてみようと考えています。

               のりぴーでした。
Posted by:服部則仁  at 2009年02月04日(Wed) 09:48
のりぴーさん、いつも遊んでやっているからこれくらいは良いでしょう。

日本の「市民社会」は元々なかった、という話には一理あります。

でも、身内贔屓で申し訳ないんだけど、甥っ子君の「シブヤ大学」http://www.shibuya-univ.net/ なんてのを見ていると、まんざら捨てたものじゃないじゃん!って思っちゃうんですよねぇ。。。

のりぴーさんの言う「日本の「人」と「社会」の両者の関係を論ずることが…」を一言で現される社会ってないのでしょうか?

のりぴー日本JC用語集にもないのでしょうか?

期待していま〜す!!!
Posted by:のりぴー用語集/じょうちゃん  at 2009年01月30日(Fri) 10:58
こんにちは、のりぴーです。

あまり実名以外でものを言ったことがないので、
はじめてとは!失礼しました。

できがよくないというか、落としているので
シーズに講演料を払って直接聞くのがよいかと思います。
それでも一応アップしておきました。

菅井さんの「解決に取り組む課題の分類」、
なるほどと思いました。


さて、市民社会ですね。

じょうちゃんのひまさ加減にも困ったものですが、
少々おつきあいするとして、
とっくに死語なんだと感じるのですけれど…

日本の市民社会の問題といえば、
そもそも市民がいないことだと、
誰かが言ったのは、もう10年以上前ではなかったかと。

つまり、市民社会と同時に市民を論じる必要があって、
つまり、日本の「人」と「社会」の両者の関係を論ずることが…

Posted by:服部則仁  at 2009年01月30日(Fri) 10:05
病み上がりなのに、丁寧な文章、有り難うございます。

遺言(?)がこうやって生きていますので、ご安心下さい。

と言いつつ、この文章を理解してくれる人がどれだけいるのでしょうかはてなとも思いますが、世間に期待しています。
Posted by:草鞋さん、こんにちは/じょうちゃん  at 2009年01月29日(Thu) 15:58
ご無沙汰してます。草鞋です。

事後承諾OKです。笑顔

あれは、本当は課題の類型をあげたものです。NPOは、企業や行政などが取り組めない社会的課題の解決を担うために組織されるものだ、と私は思っているので、課題解決に3類型があれば、NPOのタイプにも3類型あるということなんですね。ま、重複して取り組むことも多いですが。

それからNPOの発展段階も私なりの大雑把な理解ではいくつかあるんですが、最初の段階っていうのは、個人の発意で余った時間と余ったお金を自主的に提供するもので、この段階では決して無理はしない。無理すると自分がまいっちゃうんですね。続かない。

それでいいこともあります。

ただ、課題が大きかったり、範囲が広いとこれでは解決できない。

このときに、自分たちの目的と達成すべき目標と活動規模をどの範囲まで設定するのか?が大事なんですが、たいてい先に動いちゃっているから、あとから困ったりするんですね。

助成金の申請書にもそういうのが多いんです。とにかく何とかしたいから、やらないといけないから、やるべきだから...だからお金も必要だ!!と。

でも、それだけじゃ、周りの人たちは納得しないし、協力も得られないということが分からない。自分が、自分たちがなんとかしなくては、という使命感が強すぎて、周りが見えなくなってしまうんですね。

寄付を得たり、会員を増やしたり、助成金も含めて支援を得ようとするなら、もっと冷静に自分たちを見つめる目を持たないといけませんね。

「敵(?)を知り、己を知れば、百戦危うからず」
Posted by:草鞋  at 2009年01月29日(Thu) 13:41
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