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南部地域ではこれまでUXOLaoが処理したことがない大型爆弾など多数の爆弾の存在が確認されており、2006年11月18日から24日の1週間、UXOLapの要請を受けてサバンナケート、カムワン及びサラワンの南部3県の不発弾調査を実施した。その際、処理した経験がない特殊な不発弾の処理時にはJMAS専門家の技術支援をお願いするとの要請を受けていた。他の国際NGOのアドバイザーも判断できないという不発弾も含まれていたため、JMASとしては本来の業務の範囲外であったが、技術移譲の恰好の機会でもあり、アドバイスする必要性もあり、要請を快く引き受けることとした。
 3月20日早朝06:00、UXOLaoXKH差出しの車両で出発し、日没直前の17時半、総走行距離615Km、所要時間11時間30分をかけてサラワン県ピン郡に到着した。健康であるが故に可能な強行軍であった。到着後ドイツ人アドバイザーと信管について2時間の勉強会を開き、処理を万全にするための調整を実施した。翌日、山中で発見された750LB徹甲爆弾及び100LB発煙爆弾(PWP)等の発掘、回収、爆破場への輸送(一部搬出が困難で発見現場での爆破処理を検討中)を実施し、翌22日、UXOLao10年来の懸案事項であったUXOの爆破処理を完了した。
 今回処理した不発弾は、1997年11月に発見されていたものであるが、多くの外国のアドバイザーからガス爆弾らしいとの情報で放置されていたものである。この地域は所謂ホーチミン・ルートがあった地域であり、これから未知の爆弾の出現が予想されるところから、JMASとしても無関心ではおれないところである。今回の処理を南部4県のSEOD12名が研修したことは、JMAS専門家の不発弾処理技術に対する関心の高さを如実に示しているものと思われる。
 JMASはラオスにおける事業の大きな目的の一つは不発弾処理技術の移譲である。JMASがシェンクワンでの事業を開始して以降、UXOLaoXKHを含めて不発弾処理中の人身事故はないが、常に事故とは隣り合わせの危険な作業であることに変わりはなく、常に細心の注意が要求される。シェンクワンでは、住民の被害も減少しているが、JMASの専門家を含めていつ事故に遭遇しても不思議ではない状況である。現に不発弾の捜索活動中の隊員から、僅か16メートルの場所でボール爆弾が自然爆発したことがあった。2年度目の事業に入り初年度以上の成果を上げるとともに、少なくとも不注意による事後の絶無を期して不発弾処理を実施して行かなければならないと気を引き締めている。


100LB発煙爆弾 750LBを協力して移送の準備

750LB徹甲爆弾 WPの爆破処理(1900m離れた場所で点火)

WP爆弾の処理 竹林の中で発見された爆弾

徹甲弾爆破処理後の弾底盤と破片



Laos No21

バーシー(ラオスの儀式) [2007年08月23日(Thu)]
「バーシー」は、ラオス人の生活には切っても切れない宗教上の大切な習慣・儀式である。新年、出生、結婚、死別等人生の節目や、歓迎、送別、快気、厄払い等人の動きに応じて賑々しく実施される。娯楽も少なく、村人にとっては数少ない楽しみの機会でもあるようだ。先日、留学先の中国から帰ってくる人の歓迎バーシーに招待された。二日間、家族総出で祭壇(一般の家庭では床に敷物を敷き直に置くことが多い。)の飾りや料理作りに仕事を休んで準備したとのことだ。通常、祭壇はバナナの葉っぱで編んだ円錐状の芯に白い糸の束(9本の糸の束が最小単位、紐と表現するのが正しいだろう。最近は黄色、赤色、青色、桃色なども使われ、カラフルになっている。)を結んだ竹串や花などを刺し、豚・鶏等の丸焼き、お米、果物、お菓子、40度もある蒸留酒ラオラーオ(代用品として何故かスコッチウィスキーのジョニ赤がよく使われる。)等が所狭しと飾られる。
祭司は、通常、部落の長老でもある祈祷師が務め、口伝の祝詞を唱えながら、儀式を進める。当日の主役の健康、幸せ、安全、繁栄などを祈っているようだが、お経と同じでなんとなく有り難味は感じられても、その内容はラオス人でも分からないという。祝詞が一段落したところで祭壇に供えられていた白い糸の束でお払いをし、主役の手首に白い糸が結ばれる。その後は参会者同士で相互に手首に結びあい、最低3日間は結んだままにしておかなければならない。途中で切るとご利益がないどころか、不幸や災難が訪れると信じられている。バーシーの後には食事がつきもので、時には生演奏に合わせてラーオダンスが繰り広げられる。ここまで来ると費用は優に数百ドルになる。
ラオスの不発弾処理機関であるUXOLapは、村々を巡回して不発弾の恐ろしさや発見した時の処置要領などを普及する目的で啓蒙活動を行っており、その際、日本から贈られた文房具や玩具等を届けている。村人にとっては最も厄介で、地域の開発・発展の障害になっている不発弾処理を行い、その上、プレゼントまで持って来てくれるJMASやその実行部隊であるUXOLaoの隊員たちは、最も歓迎に値する人たちであり、村を上げてバーシーを行うのは、当然という意識のようだ。それに係わる費用は、村人たちが夫々負担する。一般的に個人が実施する場合は20〜30万キープ(10万キープくらいの場合もある。)から100万キープ(1万円強)くらいまで、バーシーの規模、祭壇の内容によって様々である。村で実施する場合は豚や鶏、野菜、米、焼酎など多くは現物供出なので金額は不明だが、村人の負担は決して小さくはない。
UXOLaoが啓蒙活動で訪れた村は、初年度161ヶ村で、全村の25%である。一つの村を訪れるのは4年に一度の割り合いだから、村人にとってはまたとない賓客である。情報伝達手段も未発達のラオスであり、地方の村々では口コミに頼っているが、日本の文房具や玩具などが隣村に配られたと言う類の情報は、意外に早く伝わっているようだ。村人にとっては「隣村には来たのに、オラが村には何時来るのか。」との期待と不満がない交ぜになることが多い。また、バーシーは村人が自主的に計画するものとは言え、それに掛けた費用に比べ贈り物が少ない等不満の種になることもあり、善意の贈り物にも細心の注意が必要である。JMASにとっては痛し痒しのバーシーである。
屑鉄回収(ラオス) [2007年08月09日(Thu)]
世界的に金属の需要が増え、値段が上昇しており、日本では電線と言わずマンホールの蓋といわず、中には釣鐘まで持ち去られるなど、各地で銅や鉄などの金属類の盗難が相次いでいる。ラオスでも屑鉄の値段は急激に上昇しているが、金属の盗難事件は耳にしていない。首都ビエンチャンでは、早朝からゴミ篭を漁るのは犬だけでなく、朝暗いうちからリヤカーを引いた廃品回収人が夫婦や親子で、各家々のゴミ篭を漁ってペットボトル、ビン類などとともに鉄などの金属類を回収して行く。しかし、地方ではペットボトルなどの普及率は低いから廃品回収が仕事として成り立つほど、家庭から廃品は出て来ない。
シェンクワンの人たちが鉄や銅、真鍮など金属を探すとなると、いきおい野山に眠る不発弾ということになる。特別の知識や技術もない貧しい人たちに残された現金収入の道は不発弾探しである。最近の屑鉄の上昇がそれに拍車を掛けている。県都ポンサワ―ンでは廃品回収を生業としているところが10軒以上あり、1キログラム当たりアルミ1万キープ(約100円)、鉄1万5千キープ、銅4万キープ、真鍮5万キープで買い取ってくれる。一年前に比べると倍以上の値段だ。砲弾には鋼鉄や真鍮など良質な金属が使用されており、また、火薬類はそれ以上の値段で買い取ってくれるので、大型爆弾一個を発見すれば家族が優に1年は暮らせるだけの現金を手にすることができる。彼らにとっては、不発弾は宝物である。最近は地上に露出している砲弾等は少なくなってきているため、金属探知機まで買い込んで土中の不発弾探しをしている人もいる。それもこれも貧しいが故である。
先日、中国製の迫撃砲弾を爆発させて死傷した3人は、建築作業員として一緒に仕事をしていた仲間だと言う。県都ポンサワーンは、建設ラッシュが続いており、この一年間で町の様相が一変するほど新しい建物が増加した。観光客増を当て込んだホテル、レストランなどの建設ラッシュに加え、一部富裕層の個人住宅建築も盛んに行われている。農林業以外に特別な産業がないシェンクワンの人々にとって建築現場で労務者として働くことは、数少ない現金収入の道である。それでもシェンクワンでは建築作業員や土木作業員が一日働いて手にする報酬は3万キープ程度にしかならない。その上、全ての作業員が毎日建築現場で働けるわけではなく、仕事にあぶれた人の中には不発弾を探しに出掛け、日銭を稼ぎ、口を糊している。
食用となる野草や小動物が豊富なため、食べることには困らない人々も、衣類、日用品、学用品、嗜好品など一部の品物の購入にはどうしても現金を必要とする。我が子が欲しがる物は、近所の子ども並には買ってやりたいと思うのが親心、危険とは分かっていても家族のためには、背に腹は替えられない。貧しくとも明るさを失わないラオスの人たちだが、不発弾の犠牲者の話しが出る度に表情は曇る。不発弾に頼ることなく、安定した生活ができるようになるのはいつの日だろうか。そう言えばラオスに来て間もなく2年になるが、子どもたちの底抜けに明るい笑顔は全体的に少ないように感じられる。(了)
Laosの不発弾による死傷事故と統計数字 [2007年07月31日(Tue)]
2007年7月23日午前9時頃ペク郡ニワン村(JMASシェンクワン事務所から西北へ約2km)で中国製の120mm迫撃砲弾を解体中に爆発させ二人死亡、一名負傷する事故が発生した。建設作業員仲間の3人が探してきた砲弾を鉄屑にするため解体しようとハンマーで信管部分を叩いているうちに爆発させ、叩いていた本人(38歳男性)と直ぐ近くで見ていた17歳の男性が死亡、25歳の男性が足と腕に負傷したものである。爆発した砲弾の破片の状況から信管を爆発させたものではなく、炸薬を誤って爆発させたものと判断される。現金収入に乏しく、貧しい生活を余儀なくされている村人にとっては、不発弾を解体することは危険ではあっても、現金を手にする手っ取り早い方法である。定期的に収入を得ている人は数えるほどしかいない。そのため多くの人は、子どもたちに何か買ってやりたくても買うお金がない。3人で一緒に飲むビール代を稼ぐには鉄屑を売る以外、泥棒でもしない限り道は残されていない。砲弾を解体し、鉄屑にして売る以外に他にどんな道があるというのか。実に悲惨な状況であり、そこから脱却できる曙光はいつ射すのだろうか。 不発弾による犠牲者は、統計を取り始めた1999年から2006年末までの8年間に938人に上る。そのうち死者は279人である。ただし、この数字はラオスの不発弾処理機関であるUXOLaoが活動した地域内(この活動した地域内の定義もはっきりしない)で発生し、かつ報告された件数であり、全体の犠牲者はこの数倍に達するものと判断される。昨年1年間のシェンクワン県の犠牲者は、JMASが把握している数では、14名になっているが、最近出されたUXOLaoの2006年版年次報告書では事故発生件数一件(3人死亡、3人負傷)となっている。意図的に数字が改竄されているのではなく、データの取り方に違いがあるようだ。 このため、ラオスの統計数字についてどのように判断するかは、非常に難しい。ラオス政府にとって都合の悪い数字は消され、差し障りのない数字が並べられることが少なくないからである。また、統計自体に慣れていないし、統計をとるシステムが未だ整備されていない。各国は通常5年に一回実施している国勢調査にしても、ラオスでは10年に1度しか実施されていないし、しかも外国の支援を受けなければ実施できない。(過去に1995年と2005年の2回スウェーデンの支援を受けて実施した。)  UXOLaoが組織されて活動を開始したのは1996年であり、2006年までの11年間の成果が、前述の年次報告書の中にまとめられているが、その表題には「10年間の成果」と記述されている。几帳面な日本人が、11年間の誤りではないかと糺したところ、真面目な顔で(2006年−1996年=10年)だから10年に間違いないと紙に書いて説明してくれた。確かに算数では「2006−1996=10」で間違いないが、日本の小学生でも少し変だと思うようなことが、ラオスの行政機関では堂々と罷り通っている。11年であろうと10年であろうとデータの取り方に問題があるのだから目くじら立てて詰問するほうが間違っているのかもしれない。「1年くらい違ったところで大勢に影響はないし、もっとおおらかに考えたほうが良いよ。」と言っているようにも聞こえる。 ことほど然様に大まかで些事にこだわらないのがラオス人である。しかし、不発弾による犠牲者は後を絶たず、家族の悲痛な泣き声が耳に残り、気が重たくなる厳しい現実はいつまでも続く。戦争と言う人間の愚かな行為が無くなるのはいつのことだろうか、犠牲者が出る度に考える。
JMASラオス事業1周年記念式典 [2007年07月17日(Tue)]
Laos No23


 
  2007/07/11
ビエンチャン         
  田川 友康

一周年記念式典


 
 JMASシェンクワン(XKH)事務所を開設してから、早くも1年が過ぎた。昨年6月、代掻きが始まったばかりの県都ポンサワーンに西元会長、高倉理事、濱崎職員を迎え、開所式を実施したのは、ついこの間のように思われる。あれから既に1年、JMAS XKHはこれまで約24,000発、約23トンの各種不発弾を処理し、処理した面積は約420ヘクタールにも及ぶ。この間、隊員の不注意な取扱いによる軽微な負傷事故が1件、及び捜索活動中の隊員の直ぐ近くで原因不明の自然爆発が1件発生したが、幸いにも人命が損なわれる事故には至らなかった。しかし、シェンクワンでは至るところに不発弾が非常に危険な状態で潜んでおり、ひと時も油断することはできない緊張した日々を余儀なくされている。
 雨季に入り雨天が続くシェンクワンも一周年記念式典を実施した当日は青空も広がり、爽やかな風が吹き抜ける穏やかな一日となり、恰も天までがJMAS及びJMASラオスの事業が順調に進展するのを祝しているかのようであった。この機会に、これまで多くの成果を挙げ、無事に今日を迎えることができたことを改めて皆で喜び合い、これからもJMASとUXOLaoが協同して、シェンクワンにおける不発弾処理事業を安全、確実かつ整斉と実施する決意を新たにした。
 式典には、地元シェンクワン県副知事、ラオス政府側からUXOLao局長、NRA(National Authority Regulatory)次長の他、多数の来賓とUXOLaoXKHの隊員及びJMASラオスの全員が出席し、会場は200名近い人で埋まった。また、在ラオス日本大使館の藤村臨時代理大使から祝辞を頂戴し、錦上花を添えていただいた。
 ラオス現地代表のラオス語による式辞に続き、西元会長、シェンクワン県副知事、UXOLao局長、UXOLaoXKH所長のスピーチがあり、臨時代理大使の祝辞を鳴海主任が英語で代読し、最後に鈴木専門家の下で練習を重ねてきた尺八同好のメンバーによる両国の国歌の吹奏を披露して式典は滞りなく終了した。初めてラオス語で式辞を述べることには冷汗三斗の思いであったが、そのことがJMASスタッフとラオス人、特にUXOLaoXKHの隊員との親近感を増すことに繋がることがあれば望外の喜びである。
 式典の後、UXOLaoXKH所長の強い要望もあって、ラオス人の生活にとって欠かせないバーシー(出生、結婚、新年、送別、快気等各種祝い事や人生の節目に行われる宗教行事でこれについては改めて紹介したい。)が執り行われ、全員の無事と事業の成功、及び日本とラオスの友好関係が益々緊密になることを祈った。この行事には40度以上もあるラオスのお酒(蒸留酒)ラオラーオを回し飲む習慣があり、盃を空けなければ先に進まないから、否応もなく飲み干さなければならない。それが何度も回ってくるため、アルコールに弱い身には堪える。祈祷師の呪文を受けながら、出席者が互いに白い木綿糸を両手首に結び終わる頃には、体中にアルコールが回り、足元が不如意になることもある。
 バーシーの後、来賓を招いて昼食会を実施し、全ての公式行事を終了したが、タイトなスケジュールと昼も夜もラオラーオ攻めに遭い、流石にタフな西元会長も疲労の色を隠せなかった。しかし、会長一行のラオス訪問は、現地大使館を初め、UNDP、ラオス政府関係者、及びシェンクワン県当局のJMASに対する評価を高め、UXOLaoの隊員とJMASの親近感を増進する機会になったことは確かなことであり、改めて感謝申し上げたい。(了)


「勿体ない」はラオスにあるか? [2007年07月09日(Mon)]
もったいない

戦中戦後に育った世代は、使えそうもない物でも捨てることができない「勿体ない」が口癖の世代である。特に「お米はお百姓さんの汗と涙の結晶だから、一粒たりとも無駄にしないで感謝して食べなさい。」と教えられ、汗と涙が染み込んだ米なんて気持ちが悪くて食べられないなどと言う捻くれた子供はいなかった。お米に限らず日本人は物を大切にせよと家庭でも学校でも徹底して教え込まれた。そんな時代に育った者から見ると、ラオスの人々は、こと食べ物に関しては勿体ないとの発想は少なく、また、物を効率的に使用する考えも少ないように感じられる。この風潮は一体どのようにして形成されたのだろうか。
日本の一般家庭では、今でもお米を粗末にはしない。しかし、ラオス人は、釜に残ったご飯をお茶碗1〜2杯分でも惜しげもなく捨ててしまう。冷蔵庫など保存設備がなければ残飯は直ぐ腐るし、汗と涙を流さなくても米は幾らでも採れるため、ありがたみがそれ程湧かず、捨てることに抵抗がないのかもしれない。最近は冷蔵庫も普及しているが、未だに冷蔵庫に保存する習慣もないし、意識もない。また、人数を考えて料理の量を加減することもなく、通常かなり多めに作る人が多いため残飯は必然的に多くなる。尤も残飯の多くは街中をうろついている犬の腹の中に納まるのだから、無駄にはなってはいないとの意識が根底にあるのかもしれない。
インドシナ三国は長くフランスの影響を受けており、フランス様式の建物、至るところで売られているフランスパンはその名残だ。フランス映画で主演のマリーネ・ディトリッヒだったか泡で満たされたバスタブから長い足を突き出し、脚線美を誇示しているシーンがあり、かの国では大きなバスタブを泡一杯にして入浴する習慣なのかと驚いて見たことがある。ラオス人は盥の中の洗濯物が見えないほど泡立てて洗濯するし、食器を洗う時も、先ず洗剤を注ぎこみ、洗い桶を泡で真っ白くして洗い始める。それは映画のシーンを髣髴とさせる。洗剤を多く使えばより奇麗になると考えているのかもしれない。
UXOLaoは、不発弾の処理に使用する爆薬を、従来JMASの専門家が使用する量の10倍以上を使用していた。多量の爆薬を使用したほうがより確実に処理できると考えていたのだろうが、多ければ多いほど良いというものではない。必要以上の爆薬を使用すると却って完全に処理できないし、環境に与える影響も無視できない。また、予算上の制約から爆薬の調達量も少なく、不発弾の処理活動そのものに影響が出てくる。そのため、必要最小限の量で効率的に爆破処理する知識をUXOLaoに伝えるのもJMASの重要な任務の一つとなっている。
自然災害も極端に少なく、食べ物は自然の恵みが至るところにあり、明日を考える必要がないラオス人は、概してノンビリした性格の人が多い。それがラオスの良さでもあり、「癒しの国」と言われる所以もそこに起因しているのかもしれない。少々のことには頓着しないで「郷に入っては郷に従え」の精神こそ、オヤジたちの国際貢献に最も要求される資質であろうと考えている。(了)
Posted by jmaslao-ngo at 15:58 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
ラオス人の仕事振り [2007年06月28日(Thu)]
  2007/06/24
ビエンチャン事務所         
  田川 友康

インセンティブは
 
  日本では今、社会保険庁の業務処理に批判が集まり、年金問題が次期参議院選挙の争点の一つになりそうな状況になっている。2年前に社会保険事務所を訪れた時、この人たちは効率的に仕事をしようという意識があるのだろうか、自分の仕事に誇りを持っているのだろうかと腹立たしいより、気の毒に思ったことがある。多くの人の相談を適当に処理し、時間が来れば早々に退庁しても、一定の給料が保証され昇給にも影響しなければ、身を粉にして働く人はいないのは当然のことである。より良い仕事をしようとの意識は、余程使命感を叩き込まないかぎり出てこないだろう。仕事の成果を適正に評価するシステムがなく、親方日の丸的発想では組織が堕落するのは自明の理である。
 現在、ラオスは地球上に5カ国しかない社会主義国の一つである。多くの人から「ラオスが社会主義国であるが故に仕事をする上で何か困ることがありますか。」との質問をよく受ける。業務処理に時間が掛かる、早く処理してもらおうとすればアンダーテーブルを考えなければならない等は、社会主義国ではよくある話と耳にしたことがあるが、それは決して社会主義国に限らず制度的に成熟していない発展途上国にも大なり小なりあり得ることだ。ラオスでは多くの場合、省庁に書類を出してその日のうちに処理されることはない。机の上は常に書類がうず高く詰まれていても慌てず、騒がず一向に気にする風はない。
 つい最近、シェンクワンの二人の専門家がUXOLao主催の会議に出席を求められビエンチャンを訪れた。偶々、ビザとIDの更新のため、身分を証明するものが手元になく、身分を証明する文書をUXOLao所長に書いて貰って5日間の会議に参加した。(ラオスでは国内移動時でも身分を証明するパスポート又はIDを携行しなければならない。) 会議を終えて帰任する時、空港でパスポートの提示を求められた。UXOLaoの所長発行の文書を見せると、「それでは駄目だ。パスポートかIDがなければ飛行機に乗せられない。」と頑として譲らない。仕方なく預けていたパスポートを届けてもらい、パスポートを改めて提示すると(その時は出発7分前だった。)もう飛行機は出発したので明日来てくれと言ってさっさと窓口の電気を消してしまった。
 ラオス語で金曜日は「ワンスック」と言うが、真面目な顔で「ワンサオ・ノーイ」(小さな土曜日)とも表現し、役所や公共機関の職員は早々に仕事を切り上げ、半ドン並の仕事しかしない。その日は金曜日でパイロットも空港職員も一刻も早く帰宅したかったのだろう。乗客へのサービスや営業利益を上げることを考えることはほとんどなく、時間的ノルマを果たせばそれでよしとする風潮があることは否めない。
 過日、タイとの国境の入国管理事務所で出国者の長蛇の行列ができていた。二人の係官がノンビリとパソコン画面を見ながら処理していたが、そのうち一人が席を立ち、長蛇の列を横目で見ながら、ドアの外へ出て来た。そして、やおらタバコに火をつけ、近くで飲食していた人の輪の中に入って飲食を始めた時には唖然として開いた口が塞がらなかった。このような例は枚挙に暇はないが、こんなところがラオスらしいというか、社会主義国らしいといえるのかもしれない。行政サービスが低下しようと国民に不利益が生じようと一顧だにしない体質の転換を願わずにはおれない。

読売国際協力賞の受賞とその後 [2007年06月27日(Wed)]
2007.6.24

 
 2007年6月24日(日)付け読売新聞に「読売国際協力賞の歩み」と題してこれまでの受賞者・団体の紹介と代表3団体の現在の活動状況が紹介されました。
その中でJMASについて、「高まる社会認識」と題して、「国際協力賞のおかげで会の基盤がを確立できた。会の認知度が高まり、法人会員や支援者が増大した。外務省からも、政府開発援助(ODA)を担える団体として認知されたのです。」との西元徹也会長の感想とともに、最初の活動拠点カンボジアからラオスさらに昨年11月からアフガニスタンでの活動を開始したこと、また、ベトナムでの活動のための調査や今後アフリカへも支援を広げる計画があることなどが紹介されています。

初年度の事業無事終了 [2007年05月25日(Fri)]
2006年2月28日から2007年2月27日までを初年度とするNGO支援無償資金協力によるシェンクワン県の不発弾処理事業は、関係各機関の支援と協力を得て、整斉円滑に実施することができた。本事業の大きな目的は技術移譲と処理現場におけるアドバイスであり、危険と隣り合わせの緊張を強いられる連続であったが、OJTによる技術移譲、各種砲爆弾等の処理の間に一件の事故もなく、かつ県内の事故発生件数も前年に比べ4分の一に減少する等多大な成果を収めることができ、所期の目的を十分達成したものと考えている。

 不発弾処理現場においては、JMASの高い技術及び知識がUXOLaoに大きなインパクトを与えるとともに、それが信頼感の醸成に繋がり、UXOシェンクワンの責任者が引き続きJMASの技術指導を受けたいと支援の継続を強く要請していることは、プロジェクトの妥当性、有効性を端的に表しているものと思う。また、不発弾の脅威を広報する啓蒙活動時には、多くの村民(小学生から大人まで)と、夜遅くまでラオ・ラーオ(現地の焼酎)を飲み交わしながら懇親の度を深めて、日本・ラオスの友好関係促進に多大の貢献をした。

 この1年間に、不発弾等の処理は4,107回(実働日の平均処理回数16回強)に及び、処理弾数は危険なクラスター爆弾を初め各種砲爆弾17,776発を処理し、約400.4haの土地の安全化を図り、村民が安心して暮らせる環境作りと県の開発発展に貢献した。特に、公共用地の安全化により小中学校や職業訓練センター等の建設を促進し、将来のラオスを担う子供たちの教育環境を整える基礎造りに寄与できたものと考えている。

 啓蒙活動は、2006年度CA(Community Awareness)2個チームで161ヶ村を巡回して、小学低学年、同高学年、及び大人の区分で、村民に不発弾に関する情報を模型、人形劇、ゲーム等によって、不発弾の脅威及び対処要領について啓蒙し、この間裨益した村民は38,107人に上った。しかし、村の総数は634か村、総人口は約256,000人であり、訪問した村は全体の25.4%、裨益した村民は総人口の14.9%に過ぎず、全村を一巡するだけで約4年、啓蒙活動に全員が参加するためには単純計算で約7年かかり、現在の啓蒙活動の要領では不発弾に関する正しい情報を全村民に早急に普及することは新聞テレビが普及していない本地域では極めて困難である。郡当局及び村の指導者等の協力が不可欠である。

 啓蒙活動には後半からJMASスタッフが同行し、JMAS本部を通じて日本国内の個人、団体から寄せられた1500点を超える衣類、文房具等の物資を村民に配布し、日本(JMAS)がシェンクワン県の不発弾処理事業を支援していることを周知するよう努めた。

 なお、啓蒙活動に使用する模型等各種教材は、MAGが支援していた当時のものを使用しているが、製作から約10年を経過して老朽化し、かつ、ビデオ等視聴覚機材が不足している。村民に更に印象に残る啓蒙をするためにはビデオ、プロジェクター等の機材を充実することが望ましいと考えている。

 2年度目も、引き続き不発弾処理事業を整斉と実施するが、シェンクワン県におけるJMASの事業は緒に就いたばかりであり、技術移譲の促進、不発弾処理の適切なアドバイスと安全確実な実施及び啓蒙教育の効果的な実施についてUXOLaoと協同して事業を推進する。他の国際NGOにはない高度な技術をJMASの専門家が有していることは、UXOLaoの共通の認識となっており、それがラオスはもとより、カンボジアやアフガニスタン等におけるJMASの事業を円滑に遂行し得る大きな要因になっていると考えている。

 最後になったが、ラオスにおける本事業の準備から実施に亘って日本財団の支援がなければ、今回の大きな成果はあり得なかったことを忘れてはならない。重ねて日本財団関係各位のご支援ご協力に対し、この場を借りて深甚の謝意を申し上げたい。
不発弾の調査・回収 [2007年05月25日(Fri)]
2006年7月10日、UXOLaoから化学爆弾(WP)の処理について経験がないためアドバイスをして欲しいとの依頼を受け、翌11日、現場、現物の確認のため現地調査を実施した。
 調査地域はシンクワン(XKH)北部 Moung Kham Districtで、UXOLaoから SEOD以下2名、JMASから鈴木専門家以下6名、その他現地採用案内人と車両、GPS等の装備で実施した。
 調査の結果、現場の状況は深い谷が連なった急峻な山地で以前は焼畑農地として耕作されていたが、現在は荒地となっており、野生動物や家畜の保護、水資源の保護のため、現場における処理は実施できない所であった。
 発見した不発弾は、 100LB WP爆弾(USA)×3発及び70mmR WP(USA)×2発であった。
 処置要領として不発弾を発掘し、処理場に運搬して爆破処理することに決定し、発掘・運搬について、爆弾の信管部の防護処置をして砂箱に入れ、砂で爆弾を覆い動揺、振動を防止するようアドバイスした。
 7月13日にUXOLaoのSEOD以下18名及びJMASの鈴木専門家以下6名で不発弾の発掘・回収・輸送を実施した。
 これまでUXOLaoシンクワンでは今回、回収した化学弾の処理経験がなく、JMASとして専門的なアドバイスを実施した最初のケースである。今回JMASがUXOLaoを支援する大きな目的は、技術移転と回収・処理等に関するUXOLaoへのアドバイスであり、日本の専門家の知識を早速活かすことができ、JMASに対する期待は一層大きくなった。山間部に限らずUXOLaoシンクワンのSEOD等が見たこともない弾種が出てくる可能性は大きいと判断されることから、今後は技術移転とアドバイスを積極的に実施して行きたいと考えている。
新たな種類のUXO出現 [2007年05月25日(Fri)]
ベトナム戦争時にラオスに投下された爆弾の量は、200〜300万トン(8,000万発)と言われ、これは当時のラオスの人口一人当たり1トンに相当する。最近になって、米国から400〜500万トンもの爆弾が投下されたとの情報も伝えられ、不発弾も予想していた以上に多く存在することが窺われる。中でもJMASが処理事業を支援しているシェンクワン県は、不発弾の汚染が酷く、実際どれだけの不発弾が存在するかは明らかでない。田畑と言わず山林と言わず至るところから不発弾が出てくる。
 投下された各種砲爆弾の不発弾が発生する確率は、10〜30%と言われており、20%と仮定すれば、ラオスには約1600万発が不発弾として残存していることになる。UXOLaoが不発弾処理事業を開始した1996年1月1日から本年9月30日までに処理した各種不発弾の総数は、約71万発に過ぎない。現在の処理程度で推移するとすれば20年以上の歳月がかかる。実際は50年でも処理は終わらないと予想され、次の世代にも負担を強いることは間違いない。
 過日、シェンクワン県内の学校建設予定地(200m×200m)を捜索したところ、その狭い範囲から大小さまざまな不発弾が165発も出てきた。その周辺は、未だ、捜索すら手が回らず、子供たちは学校の敷地外では、安全かつ安心して遊ぶことも出来ない。しかし、道路以外の原野を通って通学する子供たちもいるし、知らずに危険地域に入り込むことも少なくない。(それが皮肉にも不発弾の所在を知る貴重な情報源にもなっている。)子供たちを不発弾の被害から護るために、不用意に不発弾に触らないこと、見つけたら親や近くの大人に知らせること、不発弾が非常に危険な物であることを教えること等が子供の被害を局限する重要な施策となっている。そのためシェンクワンでは2個の啓蒙チームが県内を巡回して子供たちや村人たちに不発弾の恐ろしさを周知させる努力を継続している。
 1996年からUXOLaoは不発弾の処理を開始して10年が過ぎ、これまで処理した総数は、前述のとおり約71万発であるが、本年10月UXOLaoがこれまで処理したこともない化学弾が出現した。また、南部のサラワン県では、UXOLaoでは処理方法も分からない全く未知の不発の化学弾が最近発見されたとの連絡を受けた。現在、その化学弾の処理要領及び処理の時期について全く目処は立たないと言う。JMASはUXOLaoからその化学弾の調査及び処理技術について指導して欲しい旨の要請を受け、近日中に専門家を現地に派遣する予定である。今後もこの種新たな不発弾が発見される可能性があり、事業の終了時期が遅延する可能性は否定できない。気の遠くなるような処理活動が続く。
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