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南部地域ではこれまでUXOLaoが処理したことがない大型爆弾など多数の爆弾の存在が確認されており、2006年11月18日から24日の1週間、UXOLapの要請を受けてサバンナケート、カムワン及びサラワンの南部3県の不発弾調査を実施した。その際、処理した経験がない特殊な不発弾の処理時にはJMAS専門家の技術支援をお願いするとの要請を受けていた。他の国際NGOのアドバイザーも判断できないという不発弾も含まれていたため、JMASとしては本来の業務の範囲外であったが、技術移譲の恰好の機会でもあり、アドバイスする必要性もあり、要請を快く引き受けることとした。
 3月20日早朝06:00、UXOLaoXKH差出しの車両で出発し、日没直前の17時半、総走行距離615Km、所要時間11時間30分をかけてサラワン県ピン郡に到着した。健康であるが故に可能な強行軍であった。到着後ドイツ人アドバイザーと信管について2時間の勉強会を開き、処理を万全にするための調整を実施した。翌日、山中で発見された750LB徹甲爆弾及び100LB発煙爆弾(PWP)等の発掘、回収、爆破場への輸送(一部搬出が困難で発見現場での爆破処理を検討中)を実施し、翌22日、UXOLao10年来の懸案事項であったUXOの爆破処理を完了した。
 今回処理した不発弾は、1997年11月に発見されていたものであるが、多くの外国のアドバイザーからガス爆弾らしいとの情報で放置されていたものである。この地域は所謂ホーチミン・ルートがあった地域であり、これから未知の爆弾の出現が予想されるところから、JMASとしても無関心ではおれないところである。今回の処理を南部4県のSEOD12名が研修したことは、JMAS専門家の不発弾処理技術に対する関心の高さを如実に示しているものと思われる。
 JMASはラオスにおける事業の大きな目的の一つは不発弾処理技術の移譲である。JMASがシェンクワンでの事業を開始して以降、UXOLaoXKHを含めて不発弾処理中の人身事故はないが、常に事故とは隣り合わせの危険な作業であることに変わりはなく、常に細心の注意が要求される。シェンクワンでは、住民の被害も減少しているが、JMASの専門家を含めていつ事故に遭遇しても不思議ではない状況である。現に不発弾の捜索活動中の隊員から、僅か16メートルの場所でボール爆弾が自然爆発したことがあった。2年度目の事業に入り初年度以上の成果を上げるとともに、少なくとも不注意による事後の絶無を期して不発弾処理を実施して行かなければならないと気を引き締めている。


100LB発煙爆弾 750LBを協力して移送の準備

750LB徹甲爆弾 WPの爆破処理(1900m離れた場所で点火)

WP爆弾の処理 竹林の中で発見された爆弾

徹甲弾爆破処理後の弾底盤と破片



Laos No21

南部3県の現地調査 [2008年03月10日(月)]
南部3県の現地調査 が公開されました。

               南部3県での調査(1)アタプー・セコン

 
 ラオス北東部シェンクワンでの事業も間もなく3年目を迎えようとしている。
現在のシェンクワン県での不発弾処理事業を継続しながら今後はJMASとして新事業の展開を検討しているが、このたび2008年2月18日〜21日の日程でUXOLaoの協力のもと、田川現地代表と鳴海総務経理主任の2名でサラワン・セコン・アタプー各県で第1回目の現地での情報収集調査を行った。
 ラオス南部はシェンクワン同様ベトナム戦争当時の不発弾が数多く残っており、ボンビー(クラスターの子爆弾)をはじめ大型の爆弾も多い。
 今回の訪問先をUXOLaoアタプー事務所・セコン事務所・サラワン事務所の3箇所に設定しそれぞれの所長・副所長等から現状に関する情報収集を行った。いずれの3県ともアクセスが悪く、ビエンチャンから現地へ行くには南部最大の商業都市、チャンパサック県の首都であるパクセーを経由して陸路で向かうこととなる。今回はパクセーまでの航空券が満席で取れず、止むを得ず陸路バスで移動して1晩を費やし、翌朝、更に3時間あまりをUXOLao差し回しの車で走り、アタプー・セコン・サラワン県の順で調査を開始した。
 UXOLaoアタプーは所長以下85名で構成されており、5郡あるアタプー県のうち全郡で活動を実施中である。うち2郡(サンサイ郡・プーブオン郡)は不発弾による汚染が酷い地域であり、県当局から優先除去地域に指定されている。しかしながら不発弾による事故が絶えず、2006年は15名が犠牲(内子供6名)になり、2007年は鉄屑回収業者2名の死亡事故があった。
 
 アタプー県での面談を終え、車で約1時間半移動をして隣のセコン県へ向かう。UXOLaoセコン事務所は所長以下86名で構成されており、セコン県内4郡全域が不発弾の汚染地域であり全郡で活動を行っている。大型爆弾のほか、アメリカ製の対人地雷M16等も発見されている。
 この地域の道路状況は非常に悪く、各県都を結ぶ幹線道路から外れて県内の各郡に向かう移動は悪路に阻まれ、特に雨季は処理自体が困難になる。たとえばセコン県内でも実際に不発弾処理を行う際に日帰りで任務が可能な場所はターテン郡だけで、ラーレン・ラマン郡の一部やダクチュン郡は1泊しなければ業務が難しい状況であり、しかも満足な宿泊施設もない。昨年までアタプー・セコン両県をベースとして探査技術の機能強化分野(以下「ETS」という)でのアドバイザーが1名赴任していたが、撤退したため現在は常駐の国際アドバイザーは居ない。ETS自体がUXOLaoでも新しいスキームであるうえ隊員に技術が浸透していないこと、大型爆弾の処理については不安が残るため専門家に技術指導をしてもらいたいこと、事務処理能力、特にファイリング等について指導をしてもらいたいことなどの問題点を抱えていることなどの事情を把握した。(つづく)

注  探査技術の機能強化:ETS=Enhanced Technical Surveyの略称
探査を行う際にいくつかの区画をグループ分けし、選択したいくつかの区画の探査を行ってサンプリングを行う方法。サンプリングの結果によって土地の汚染度合いを判定し、除去活動を行うかどうか判定する。2007年7月からUXOLAOでは探査チーム、チームリーダーを対象に研修を始めているが具体的な実施方法については試行錯誤中である。


UXOLAOアタプー事務所スタッフとともに(アタプー事務所) UXOLAOセコン事務所スタッフとともに(セコン事務所)

ラオスにおけるセコン・アタプー・サラワン県の位置関係(全体図) セコン・アタプー・サラワン県詳細(3県)








成果物詳細ページへ(ファイルダウンロード)
急激な物価上昇 [2008年03月07日(金)]

 
 米国のサブプライムローンに端を発した世界経済の不安定状態は、原油の高騰を招き、2007年初め1バーレル50ドル代だったものが年末には一時100ドルを突破する状況が現出し、高止まりのまま推移しそうな気配であり、米国の景気低迷を予測するむきが強く、それが株価下落を招き、世界経済は悲鳴を上げている。社会主義国のラオスでも昨年中頃から急激な物価高に見舞われ、軒並み3〜5割高くなっている。日本に比べると安いとは言え、給与が増えないのに食品を初め生活用品の高騰は、都市部の給与生活者にとっては厳しいのではないかと想像しているのだが、それが市民の不満として現われては居らず、従容として受け入れているように感じるのは、生来のノンビリしたラオス人の性格から来るのか、集会等を禁じられ、何を言っても仕方がないとの諦観に基づくのか分からないが、ラオスは平穏に過ぎているように見える。
 公共交通機関が整備されていないラオスでは、最近バイクや車の需要が増えており、あちこちに車の販売店がオープンしている。それにつれてガソリンスタンドも増えているが、給油時に満タンにする人は少なく、特にバイクに乗っている人は1〜2リットル(1〜2万キープ)程度しか入れないから、ガソリンスタンドは仕事が終る時間帯になると何処も多くの人で溢れる。レギュラーガソリンは2年前7,800キープだったが1年前には8,900キープ代、昨年の12月にはついに10,000キープをオーバーし、高止まりしている。
 物の値段がどのように決められているのか皆目見当も付かないが、二重価格制の故か外国人に対しては、やや高めに要求していると感じることがある。外国人が利用するマーケットではつい半年前は21000キープだった2リットル入り牛乳ボトルが昨年末には29000キープに、豆乳は一袋(500CC程度のビニール袋に入れてくれる。)が2000キープ(3袋まとめて買うと5000キープ)だったのに現在は一袋3000キープから時として4000キープになっている。心なしか豆乳が水っぽくなって来たと感じているのはけだし気のせいばかりではなさそうだ。
 為替の変動も激しく、1ドルが10000キープを超えていた2年前の話は、遠い過去のことのように思えてくる。現在は9100を既に割り込んでおり、ドルで給与を貰っているラオス人は物価高とドル安の二重苦に喘いでいる。給与をドル払いにしているところでは、一部の社員から給与を上げてくれとの要求もあり、目減りしているのは明らかなため、それも当然の要求だろうと考えざるを得ない状況にあるようだ。
 ラオスでは労働組合などの組織はなく、賃上げを要求して赤旗を林立させて集会をしたり、デモ行進する光景は全くない。禁止されているからとおとなしく国の方針に従っている。公務員給与と民間給与、あるいはラオスの企業と外国企業、国際機関との給与格差を監視する政府組織もなさそうで、どこでガス抜きをする作用が働いているのか分からないが、政府にとってこれほど統治しやすい民族は他にはないだろう。実に愛すべき稀有の国民は、明日のことを気にする風もなく、今日も100CC〜120CCの安物のバイクで老いも若きも、男も女も街中を走り回っている。


路上に並べられたバイク、安い中国製が多く、日本製を買えるのは一部の人
道路わきの野菜果物屋は安くて人気

奇麗になったスタンドでガソリンを入れるドライバー
奥の汚い市場の手前にできた完成したばかりの市場への入居者は少ない




知事からの感謝状 [2008年01月29日(火)]
鈴木、後藤両専門家に知事から感謝状

 
 2006年2月からシェンクワン(以下XKH)県における不発弾処理の専門家で現場の責任者として事業開始当初から勤務していた鈴木昭二氏は、本年1月19日をもって任務を終了した。これに先立ち、同氏と後藤専門家は、これまでのUXOLaoXKHへの技術移譲及び不発弾処理の指導・助言並びにXKH県の発展に寄与した功績に対し、1月14日、同県知事から感謝状を贈呈された。鈴木氏(シニア・テクニカル・アドバイザー/EODエキスパート)は、50年にも及ぶ不発弾処理の経験及び知識並びに円満な人格と抜群の行動力をもってUXOLaoシェンクワンの隊員を的確かつ親身に指導し、UXOLaoのみならず在ラオスの不発弾処理関係機関から高い評価を受けてきた。
 同氏は、各種弾薬の構造機能を正確に理解させるためのカット模型(教材)を、休日を返上して作製し、技術移譲を円滑にするとともに、余暇には尺八教室を開いてUXOLaoXKH所長ほか多数の隊員に日本文化の一端を紹介し、時にはラオ・ラーオを酌み交わして親交を深める等現地に溶け込み、いつまでもXKHに居て欲しいと懇請され、離任を納得してもらうのに苦労したほど現地の人々から一様に愛され、JMASの名を高からしめたものと確信している。同氏がこの約2年間、XKH県の不発弾処理事業の専門家及び現地責任者として全力投球してきた裏には、不自由な現地の生活にも拘らず、XKHでのホテル住まいを続けて内助の功を発揮された奥様の支えがあり、それを抜きにしては無事に多大の成果を上げ得たことを語ることはできない。
 XKHの処理現場は、不発弾に汚染された人跡未踏の地も少なくない。特にXKH県はラオスの中でも汚染が酷くその多くは山岳地帯であり、処理現場での活動にはかなりの体力を要する。体力の不足から来る疲労は、常に細心の注意を要する不発弾処理に大きな危険を伴う。また、文明とは程遠いラオスの田舎には、未だに電気、水道などの設備もなく、満足な宿泊施設もない所が多い。そのような厳しい環境の中でも任務を完遂するためには、頑健な身体を保持していることが必須の要件である。若い隊員に着いて行けない体力では、幾ら知識・経験が豊富でも彼らの信頼を勝ち得ることは困難である。50歳も半ばを過ぎると体に変調を来たす人も少なくなく、国際貢献の現場に立つためには、日頃の鍛錬が必要であると鈴木氏を見て痛感する。
 71歳を過ぎても衰えを知らない同氏の体力には、在ラオス日本大使館の館員を初め、現地を訪れた人々が一様に驚嘆し、賞賛の声を惜しまない。彼の引退を惜しむ声が満ち満ちているのは承知しているが、幸い国際貢献を目指すオヤジたちも逐次育ってきており、後進に道を譲ることも組織を活性化する上で必要なことであり、泣いて馬ショクを切る心境である。しかし、JMASが必要とすればいつでも馳せ参じられる用意だけはしておきたいとの頼もしい言もあり、このようなオヤジたちがいるからこそJMASが順調に成長しているものと確信している。(了)


             県知事からの感謝状

          尺八の練習の成果を披露する専門家とUXOLao隊員

              現地現物で指導する専門家.

             常に行動で示す専門家


急激な変化(ラオス事情) [2008年01月15日(火)]
「男児、三日も会わざればかつ目して見るべし。」成長期にある人は日に日に変化し、一年もすれば見違えてしまう。発展途上の都市も同じことで、ビエンチャン市も成長期の子供のように、この2年間の変わりようは目を見張るものがある。2005年9月、初めてラオスの地を踏んだ時、街全体が暗い感じで、かつ埃っぽい所だとの印象が残っている。空港から市内へ向かう道路は酷い凸凹道で車は前後左右に激しく揺れるため、のろのろと走らざるを得なかった。街路灯もなく、両サイドには空き地が沢山あって薄暗く、ゴーストタウン然としていたが、その面影は、今はない。
空港からビエンチャン市中心部を通ってタイのノンカイとの国境までの国道1号線の改修工事は、日本のODA予算によって2006年春に着工され、2007年12月は完成し、これに伴って市内のいたるところで舗装工事が実施され、舗装率は格段に向上した。また、舗装工事の進捗によって車が増え、スピードが上がり、信号機の設置は必然的であったのかもしれない。2年前は市内に2〜3箇所しかなかった信号機は、今は各交差点ごとに設置されている。ピックアップタイプの車に代わって乗用車タイプが増え、それ以上にバイクが急増し、我が物顔で走行している。ヘルメット着用が義務付けられているが、警察官は何の注意もしない。スピードの出し過ぎ、一旦停止無視はまだしも逆走する車を見ても咎めないし無免許で運転している人も少なくないようで、交通事故が増加するのは当然の帰結である。道路交通法などの法律の整備と取り締まりを強化しないかぎり交通事故は増加する一方であろう。経済的にも豊かな人々が増えて車の需要があがり、多分ラオスでは初めてのことと思われるが、12月下旬になってモーターショーが実施され連日多くの人が集まっている。
初めてビエンチャンに事務所を開設した2005年10月から2006年末ごろまでは、事前の通知もなく、しょっちゅう断水や停電があったが、今では浄水場の整備や下水道工事などで大々的に断水する場合を除けば、断水や停電は少なくなった。ただ、車が電柱などの電気設備に衝突したり、ダンプカーが架線を引っ掛ける事故が発生し、(架線の高さの基準もなく、かつ低い)その復旧工事の際に局部的な停電ががないことはないが、2年前に比べると随分生活しやすくなった。
景気が良くなっているのかは判然としないが、世界的な原油高はラオスも直撃し、レギュラーガソリン1リットル当たり8,400キープだったものが現在では10,000キープをオーバーしている。公共交通機関が発達していないため、バイク頼る市民が少なくなく、現金収入が少ない庶民の懐をもろに直撃している。ラオスの通貨キープはタイのバーツに連動して上がっているに過ぎないが、ドルに対して上がる一方であり、2年前には1ドル11,000キープ程度だったのが、この1年以上9,000キープ半ばで推移している。通貨は紙幣だけで、従来5000キープが主に流通していたが、現在は2万キープが主流で、今年に入り5万キープ札も多く出回るようになっている。100キープ紙幣はほとんど流通しておらず500キープが最小単位に近いため、公共料金などの支払では切り上げられることが多く、消費者が割を食っている。住宅や商店の他にもゲストハウスや貸し店舗などの建設工事、特に、幹線道路に面した車の販売・展示場や商店の増加は、街全体を急速に明るくしている。更に、ホテルの建て替え工事、レジャー施設の建設、市場の建て直しなどこれまで非常に少なかった外国資本による大規模な工事も多くなっており、市内の様相を一変させている。12月中旬、久しぶりにシェンクワンを訪れたが、ビエンチャン以上に建設ラッシュで、街の様相が一変しているのに驚かされた。
服装も大きな変化をした一つだろう、特に女性の衣装に顕著に現われている。ラオスの女性の服装は民族・部族によって違いはあるが、巻きスカートに近い「シン」が伝統的なものだが、役所や会社勤めの女性以外シンを佩く人が少なくなり、極端に股上の浅い短パン(腰パン?)やジーパンを佩く人が増えてきた。いずれシンも和服と同じような運命を辿るのかもしれない。シンの利用者が減り、それに伴って伝統的な絹織物、綿織物などの文化が廃れて行くとすれば寂びしい限りである。



日本のODAで整備された国道1号線 早朝転落したトラックを興味深げにに見ている市民

早朝の通行は閑散としているがラッシュ時は危険が一杯となる 新しい国会議事堂の建設現場

郊外の交差点にも信号機 右信号待ち、左通行中 デンマークの資金援助で建設中のウォータースライド

インターナショナルスクールの建設現場、開校までは1年以上か
JMAS 新理事長のラオス視察 [2007年12月28日(金)]
2007/12/28
野中光男JMAS 新理事長の初度視察(ラオス)
12月5日(水)から7日(金)までの間、野中光男理事長はカンボジアに続き、ラオスシェンクワン県における不発弾処理事業を初度視察しました。同理事長にとってラオス訪問自体が初めてであり、ラオスの現状と事業の進展状況の確認、及び今後の継続の可能性を探る事が目的でした。短期間ながら初日はビエンチャンの日本大使館を初めラオス政府関係機関などカウンターパートを訪問し、JMASの活動に対する高い評価を頂き、事業継続及び拡大の可能性に関する資を得ることができました。
日本大使館では着任間もない宮下正明特命全権大使から、JMASへの高い評価をいただきました。同じ時期UNDP主催会議が南部地域で開催されていたため、生憎UXO関係機関のトップは不在でしたが、UXO Lao副局長カムダラ氏、UNDP副代表ステファン氏及びラオス外務省国際組織局局長代理コンマシット氏などから等しく、日本政府の取組み姿勢とJMASの技術支援能力の高さを評価され、更なる活動継続を要請されました。事業年度2年目の後半を迎えたJMASにとってまことに心強い限りです。
不発弾処理活動現場のシェンクアンでは、熱烈歓迎を受け、不発弾関係事業のみでなく、人間関係でも高い信頼関係が現地においても構築されていることが感じられました。
たまたま到着したその日UXO Laoシェンクアン事務所の女子職員の結婚式があり、理事長以下随行者も招待され熱烈な歓迎を受けました。ラオラーオと呼ばれるシェンクアン名産の焼酎の集中砲火に振舞われ、地域の伝統的なフォークダンスなどに興じ、日本・ラオスの友好親善の醸成にも一役買うことが出来たと感じています。また、」UXO Lao各チームの現場での活動を安全上の観点から視察し、JMAS専門家の指導の成果、確かさを確認することができました。
ラオスでの事業の主目的は「不発弾処理技術の移譲」においています。高い技術を早く、確実にそして出来るだけ効果的に移譲するということは大変な困難も伴いますが、その方法論を理事長とビエンチャンの田川代表、及びシェンクアンのJMASの専門家との間で深く議論できたことは、今回視察の大きな成果であったと考えています。
JMAS 設立5周年記念式 [2007年11月29日(木)]
不発弾処理:「支援する会」活動5周年
 各地での紛争後、市民に被害を与え続けている地雷やクラスター弾など不発弾の処理・除去活動を続ける非営利組織「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」(本部・東京都新宿区)が活動5周年を記念し、21日、都内で実績などを報告した。

 JMASは02年7月、カンボジア東部プレイベン州でクラスター弾などの不発弾処理を開始。04年5月から1年2カ月間、国連の委託業務としてアフガニスタンでの元軍閥兵士の武装解除、社会復帰活動(DDR)にも参加してきた。

 アフガンで活動を続ける地雷・不発弾処理専門家の奥村信司さん(40)は「クラスター弾と地雷の両方が残ったままの地域もあり、状況を知らずに帰還する難民、子どもたちの被害が目立つ」と話した。

 現在、ベトナム中央部やアフリカのアンゴラなどに活動を広げることを検討している。

毎日新聞 2007年11月22日 東京朝刊

食 文 化 [2007年10月23日(火)]
飛んでいるものは飛行機以外、四足だったらテーブルと椅子以外は何でも食べると言われる中国人だが、私から見るとインドシナ三国でも似たり寄ったりだ。市場ではモグラ、コウモリ、コオロギ、イナゴ、センザンコウ、蜘蛛など様々な食材(ゲテ物の類)が売られている。それでもラオスは、中国に比べると食材の種類は少ないようだ。例えば、ラオスでは昆虫の幼虫や蛹など白色のものは食用にしているが、茶色や緑色など色のついているものは食べないし、犬や猫を食べる習慣も元来はなかったようだ。犬を食べるようになったのは、最近のことで、移住したベトナム人がその習慣を持ち込んだものだと言う。
現在ラオスで飼われている犬はペットとしてよりも家畜として飼われていると考えたほうは妥当なのかもしれない。現にこの僅か1年あまりの期間で、散歩のコースで見かけていた犬が視界から消えただけでも10指に余りある。何処ぞの国(人)に拉致されたのか、飼い主にたべられたのかは分からないが、知人の話では飼い主に食べられるケースが多いのだと言う。ラオス人は赤犬が一番美味しく次いで黒犬、白犬の順だと言い、戦後日本でも犬が食用になった時代があり、同じことが言われていた。日本の場合は、犬の肉を食用とすることは習慣化しなかったが、ラオスではビエンチャン市内にも狗肉を扱っている店があり、いまや食文化として定着しているようだ。
ベトナム、カンボジア、ラオスの街中の様相で一番大きな違いは犬の多寡だろう。ハノイでは、市内を闊歩している犬は目に付かないし、ペットとして飼われている犬をたまに見かける程度である。プノンペンでは市内を放浪している犬を見かけることはあっても、決して多くはない。一方、ビエンチャンでは町部であると地方であるとを問わず、至る所で犬たちが屯しているのを見かける。事務所の前に立っていても視界から犬が見えなくなることはない。飼い犬もほとんど放し飼いで首輪も着けておらず、それらは飼い犬か野良犬かの区別すらも付かない。多分、市内だけでも数千頭、否それ以上いるのではないかと思われる。その上、雌犬が発情するのは、一般的には雨季末期の9月、10月が多いそうだが、その時期に限らず一年中交尾できるため、次から次に子犬が生まれる。犬の寿命が10数年ではあっても、現在の状態を放っておけば街中犬だらけになってしまうのではないかと思われるほどである。極端な増加を食い止めているのは、犬が食用となっているからかもしれない。
ラオスでは元々獣肉よりも魚介類が多く消費され、特にメコン川で取れる魚や海老は、淡白で柔らかく日本人にも好まれているが、若い人たちの間では獣肉の消費が増えているようだ。様々な肉、ソーセイジが入ったラオス様のハンバーグを売る道端の店の前にはバイクを止めて買い求める行列までできるほどだ。若い人に何を食べたいか尋ねると、庶民には高すぎて食べる機会は少ないステーキと言う人が多い。肉類を好む人が着実に増えているようで、ラオスの食文化も時代と共に変化している。
天気予報(ラオスの場合) [2007年09月25日(火)]
日本は季節の変化が明瞭で、天候・気象の変化が激しいため、日本民族は古代から天変地異に大きな関心を抱いてきた。我々の祖先は、天候気象の影響を大きく受ける農耕を主体とする民族であり、天候が死活に係わることも度々で、否応なく天候気象に関する知識は国民の間に広く流布してきた。現代の日本人にとっても天候気象に関する情報は生活の基本になっており、そのため常に大きな関心を払っている。テレビやラジオは週末予報、週間予報を含めて一日に何度も、しかも微に入り細にわたりニュースとして放送しているが、ラオスでは夕方に一回だけ、翌日の天気予報がテレビで簡単に放送されるだけである。
新聞の天気欄もごく簡単なものだ。面積は本州とほぼ同じ24万平方キロメートルで、17個の県に区画されているが、天気予報も各県ごとに最低・最高気温と晴、曇、雷雨、霧、靄、所により雨(何故か「雨」だけの表示はない)の区分が絵で示されているだけである。如何に大雑把に報じられているかがこのことからも分かる。しかも、それは英字新聞の「ビエンチャン・タイムス」だけで、ラオス語の地元紙「ビエンチャン・マーイ」には掲載されていない。ラオス人は、天気予報にほとんど関心がないから、報道する必要はないということなのだろう。ラオスで天気予報を気にしているのは、日本人を含む外国人たちだけである。
天候は、乾季と雨季では極端な違いがあるが、天気を予報する場合は、乾季には「晴れ、ところにより曇り」と言っておけば当たる確立はほぼ100%だし、こんな所では誰でも気象予報士が勤まる。日本のように天気予報が当たったか否かを気にする人もいなければ、その必要もない。一方、雨季には「朝夕雨、日中晴れ又は曇り、所により一時俄か雨」と言っておけば多くの地域に当てはまる。しかし、県を複数の地域に細分化して予報するとなると、局地的な気象に大きな違いがあり、正確を期するとなると極めて困難である。近くで土砂降りの雨が降っていても、1〜2キロメートル先では陽が射していることがしょっちゅうだからである。違いがあるとすれば気温くらいのものだ。
そのため郡や特定の地域ごとに細部の予報をしようとすれば、地域気象観測システム(アメダス)のようなシステムを整備して、より多くのデータを収集する必要があるが、数百箇所の気象観測システム(日本は約690箇所)を設置しようとすれば膨大な経費がかかり、ラオスにそのような余裕は今のところはない。気象データが非常に少ないラオスで、日本のように天気予報が外れれば苦情の電話が鳴りっぱなしになるようなお国柄であれば「やってられない!」ということになろうが、天気予報に目くじらを立てるようなラオス人は一人もいない。
間もなく雨季が終わり、乾季に移行して天候は一変するが、それさえ話題にはならない。いつ雨季が明けるのかと尋ねても皆違った答えが返ってくるのは、共通の情報がないからであろう。雨季に依存するラオスの農業だが、乾季に米が取れなくなると山菜や野草を摘めば良いし、昆虫や蜥蜴、蛇など蛋白源も事欠かないから、餓えることもない。集中豪雨や台風の来襲もないため、天気予報をもとに生産性を上げる知恵を働かせる必要もない。「天候を気にしながら、そんなに齷齪して働いてどうするのですか。」と言う声が聞こえてきそうなラオスである。
数 字(日本とラオスの違い) [2007年09月20日(木)]
ラオス人は、数字は単なる数を表すものであり、縁起が良い数とか悪い数などと日本人のような発想は全くない。日本人は数に対しても拘りが非常に強い民族であり、何かにつけて牽強付会とも思える論になることが少なくない。男性の大厄は42歳、女性は33歳で夫々「しに」と「散々」と語呂合わせも妙である。「4」は「死」に通じるため、忌み嫌われるケースが多く、ホテルなどでは部屋の番号に「4」を使わないところが多い。
「3」が「惨」、「5」が「誤」、「7」が「失」・「死地」、「9」が「苦」に通じて縁起が悪い、「八」はその形が末広がりになっているために縁起が良い等と数字の発音や形から吉凶を言い出したら数字など使えなくなる。因みにラオスの数の呼称は「ヌン、ソーン、サーム、シー、ハー…」であり、中国では「イー、アル、サン、スー、ウー…」である。日本の「イチ、ニ、サン、シ、ゴ…」と並べてみると、3と4の呼称は3カ国とも非常によく似ていることが分かる。中国語の「四」の発音は「スー」で「死」(スー)と同じだが、中国人が「4」が不吉な数字と考えているとは寡聞にして聞かない。
ラオス(ビエンチャン)の人が不吉と考えるのは、唯一写真を撮る場合に3人が並ぶことだけである。特に真ん中に立つ人は、ピー(お化け)に魂を抜かれるからと中央に立とうとする人はいない。しかし、カメラが庶民の中で普通に見られるようになったのは最近のことであり、田舎では今でもカメラはまだ珍しいものだから、都市部に住む人たちだけが気にしていることかもしれない。
ラオスでは、宗教が関係するところでは一般的に奇数が多く使われているようだ。托鉢に出掛ける時のお坊さんの人数は、3人、5人、7人、9人、11人…の場合が多い。新年に7箇所のお寺を回ると幸せになると信じられているし、9箇所回ればなお良いと言われている。バーシーでお坊さんをよぶ場合、裕福な家庭では9人を招き、その際、腕に巻く白糸(紐)は9本の糸を束にしてある。寺の装飾に使われる竜(蛇)の頭は三つか五つか七つで各種飾りも同様である。挨拶言葉や手紙(メール)の最後に「meet with five gems of Buddhist blessing」と仏陀の5つの宝物に会えますようにと表現するのが一般的である。
キリスト教圏では不吉な日とされるのは、英米独仏等では13日の金曜日だが、イタリアでは17日の金曜日とされており同じではない。「7」は幸運な数字であり、野球などでは7回の攻撃を「ラッキーセブン」と称している。これらの数字に吉凶や運、不運があるはずはないのだが、単なる数字であるにも拘らず洋の東西を問わず、ある特定の数字に拘っている人たちが多いのには驚かされる。そこには単なる数だと言って済まされない何かがあるのかもしれないが、ラオス人にとっては好まれる数字はあっても、不吉で縁起の悪いと言われる数字はない。それは彼らが物事を深く考えない国民だからと評する向きもあるが、変な拘りがない、至っておおらかなラオス人の方が幸せであろう。

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雨 季(ラオス) [2007年08月30日(木)]
ラオスの雨季は、5月末頃から9月末頃までの約5ヶ月間であり、今年はあと約1ヶ月で乾季に移行する。雨季でも日本の梅雨と大きな違いがあり、じめじめした感じはなく鬱陶しいと感じることはないため、雨季明けを待ち焦がれる気持ちはない。雨は一日中降り続くことは稀で、今季はこれまで10時間以上降り続いた日は一度だけである。雨が降る時間帯は日中より朝夕、或いは深夜の方が圧倒的に多く、通勤時間帯に雨に降られることは余りないので、バイク通勤のビエンチャン市民は、降雨のことをあまり気にしていない。雨粒は雹のような大粒で、真夜中に降ると屋根を打つ音で眼を覚ますことがしばしばである。
雨季の初めと末期では降り方に違いがあり、特に末期には、雷雨が多くなり、落雷の被害が多く発生する。昨年はJMAS事務所のエアコンの基盤が全て壊れる被害を受けた。そのため、その後は事務用機器のコンセントは、夜間や休日など使用しない時には抜くよう習慣付けている。現在は、既に雨季の末期に入っており、連日、雷鳴が轟く。気温も朝夕は30℃以下、日中も35℃以上になることは稀で、凌ぎ易く、寝苦しいと感じることはなくなった。降雨はゲリラ的でいつ、何処に降るのか予測することは困難である。青空が広がっていても急に真っ黒い雲が現われたかと思うと、俄かに椰子の葉をザワザワと鳴らす強風とともに、一気にバケツをひっくり返したような土砂降りとなる。しかし、極めて短時間かつ局地的で、500メートルも離れた所では燦燦と日が照っていることはよくある。そのため雨宿りをしているうちに止んでしまうことが多い。
ラオス人は同じ農耕民族とは言え、台風などの自然災害をほとんど受けないため、天候を見ながら農事メモに従って作業する日本の農業とは大違いだ。天候を気にしないラオス人に囲まれている所為か、ここでは天気を全く気にしないでいることが多い。気候の変動幅も少ないため体調を崩すことも稀で、日本に比べるとはるかに過ごし易い。天気は、乾季と雨季では極端な違いがあるものの、その中ではほとんど変化はない。乾季には「晴れ、ところにより曇り」と言っていれば外れることはないし、雨季には「朝夕雨、日中晴れ又は曇りところにより一時俄か雨」と言っておけばまず間違いない。こんな所では誰でも気象予報士が勤まるだろう。
従来、雨季には市内の幹線道路までしばしば冠水していたが、昨年初め頃から急速にビエンチャン市内の舗装工事とそれに関連する排水工事が進み、交通がスムーズに流れるようになって来た。そのため雨季でもスピードを出して走行する車が増え、かつ一旦停止をする車もほとんどないため、交通事故の発生率は以前にもまして高くなっている。その上、ラオス人は雨天、晴天に係われず傘(雨傘、日傘)を差してバイクを片手で運転する人が多く、バイクが絡んだ事故をあちこちで見かける。安価な中国製バイクが月賦販売され、誰でも購入できるようになり、自転車感覚で運転できることと併せ、雨季でも交通事故が増えているのは、なんとも皮肉なことである。
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