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すべての人間の自己は絶対無の場所に於いてある [2018年11月25日(Sun)]
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3976?1541731623
★2019年1月26日、宮城県大崎市のお寺(真言宗)で、マインドフルネスSIMTの体験、説明会。
=初心者向け体験のほか、専門家向けの講座のガイダンスも。2019年に、講座を宮城県で希望がありますか。
2019年は、関東、宮城、福岡のうち希望の多い2か所で考えています。


http://blog.canpan.info/jitou/archive/3992
★2019年度の講座
 カウンセラーになりたいひとも経営者も管理者も

すべての人間の自己は絶対無の場所に於いてある

 アインシュタインの言葉を見た記事に関連して西田哲学の言葉をご紹介しました。 『人間的存在』とはどういものであるか、説明したものです。

 「超越的なるものという語は、色々の誤解を惹起するかも知れないがそれはるるいったごとく絶対矛盾の自己同一として、意識的自己、知的自己に超越的であるということである。行為的自己、制作的自己に対してはかえって直接であり、我々はこれに於いてあるということができる。・・・・
宗教は過去の迷信とか愚民の阿片とかいうものでなく、歴史の底にはいつも宗教的なるものが動いているのである。」(『人間的存在』旧全集9巻66頁)
 「宗教的体験というものは、自己というものが死にきって、絶対が出て来ることである。そこに言語思慮を入る余地がない。故に宗教には生命の転換、いわゆる回心というものがなければならない。」(『人間的存在』旧全集9巻67頁)

 文章をていねいに読んで、再確認します。意味をとりにくいところを・・・にして省略すると、次のとおりです。

 「超越的なるものという語は、・・・絶対矛盾の自己同一として、意識的自己、知的自己に超越的であるということである。行為的自己、制作的自己に対してはかえって直接であり、我々はこれに於いてあるということができる。

 「超越的なるものという語は、・・・絶対矛盾の自己同一として、意識的自己、知的自己に超越的であるということである。」は、こうなります。
 「超越ということは、それよりも内奥に働いていて、浅いものでは意識できないということです。パソコンでいえば、ワードやパワーポイントなどのアプリケーションソフト(AS)で作業しますが、その底に基幹システム(OS)が動いています。しかし、ASの操作からは絶対にOSのことを操作できません。OSは深いところで動いていて、浅いASを動かしています。
 そのように、意識する自己、知る自己は同じ場所で働いているが(絶対矛盾的自己同一)、超越的なるもの(絶対無、大乗仏教は仏性といった、初期仏教にはない)が、意識的自己、知的自己の内奥に働いているが、浅い自己にはわからない。
 「我々はこれに於いてある」というのは、こういうふうに読めます。

 「歴史の底にはいつも宗教的なるものが動いている」に行きます。
「歴史」は、世界の動きですが、それは(やはり絶対矛盾的自己同一的に)世界が自己と一つですが、そうであるから、その世界の底に絶対無(宗教的なるもの)が動いていると言っています。このブログを見ておられる「あなた」と「あなたが見る世界」も「このブログの底にも、OSばかりでなく、さらにその内奥底に、絶対無が動いている。
 絶対無、宗教的なるもの(科学で対象的には絶対に見えないので宗教的なるものといいます)は、すべての人に事実です。嫌っても、無視しても、動いています。
 「マインドフルネス」は、宗教を排除したといっても、そういう人にも動いているのです。真に自己を知るということはそこまでいくのです。
 しかし、うつ病や不安症、人間関係の改善などのためには、このような「宗教レベル」のマインドフルネスは必要ありません。本で発表したのは、その程度の宗教的でない自己観察の方法です。意志的自己のSIMTです。「死」の問題、真の自己の問題、宗教の問題でなければ、これで 充分です。

 自己の階層は、この記事で触れています。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3572

 自己の階層によって、「マインドフルネス」の仕方、範囲が違います。意志的自己、叡智的自己は現在進行形で、見て考えて「働く自己」です。働く自己は無評価ではすみません。自己の言動、他者の言動に、不正、パワハラ、セクハラなどがないかも、現在進行形で「評価」しなければなりません。家族、同僚、上司、部下、顧客、先生生徒、医師患者の間で、頻繁に感情が起こります。それはどうしてであるか「評価」しなければなりません。この領域の「マインドフルネス」もあります。 「マインドフルネス」は、まだ歴史が浅いために、日本の深い実践(後期の西田哲学の実践論)までは参照されていません。やがて、欧米のマインドフルネス専門家も参照するでしょう。 鈴木大拙の著書も西田幾多郎の著書も外国に翻訳されていますから。まもなく、深いマインドフルネスも欧米で発表されるでしょう。


http://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】

Posted by MF総研/大田 at 19:24 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
2019年の講座 [2018年11月23日(Fri)]

2019年の講座=マインドフルネス瞑想療法士🄬(MMT)

 2019年(6月から10か月継続)は、関東、宮城のうち希望の多い所で考えています。埼玉県(または東京)は決定です。ほかの都市で、受講をご検討されるかたは、希望地をおしらせください。
 遠隔地の講座を10か月、受けるのは大変です。交通費、宿泊費がかかり、往復の時間もかかります。そのために、この数年に限り、関東以外でも開催しています。沖縄、金沢で開催しました。

★日記は提出しないで講座を受ける
 経営者、管理者、医師、看護師、心理士、宗教者などで、マインドフルネス瞑想療法士🄬(MMT)の資格が無用のかたの受講も歓迎します。 受講した人から、この講座はそういうひとたちも受けるべきだという声があるからです。西田幾多郎や鈴木大拙が発見した深い日本の精神を学習できるからです。世阿弥、千利休、松尾芭蕉、良寛、志賀直哉、遠藤周作、武者小路実篤、宮沢賢治、平塚らいてふ、永井隆、神谷美恵子などにも流れている精神です。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/program/nihonbunka.htm
⇒日本文化の底に流れる深い精神、西田幾多郎が「至誠」というもの

 MMTの資格が不要のかたは、日記提出をしないで、講座だけを受けます。日常生活での本音(嫌悪、執着、自己中心的な基準など)を観察して日記に書いて提出していただくことがMMTの資格認定の条件です。こういう記録の訓練も、資格も不要という人は、日記は提出せず、講座を受講してください。日本の深い哲学、実践指針を学習することができます。経営者、管理者、他のマインドフルネス推進者のかた、仏教関係者にもおすすめします。「マインドフルネス哲学実践リーダー」というような位置づけです。

★背景
http://blog.canpan.info/jitou/archive/4022

 自己の内面を洞察すること=マインドフルネスです。釈尊に始まりましたが、初期仏教教団の教えは変質しました。家族・職業を捨てて、この人間世界からも六道の世界から輪廻することから解脱することをめざします。それを、大乗仏教が批判しました。大乗仏教は、この人生を捨てず、家庭、職業生活を営みながら、自分のエゴイズムのこころを観察します。そして、自分と他者のこの世での苦悩を克服しながら、人生価値を実現して生き抜いていきます。しかし、 日本の仏教は、大乗仏教のはずなのに、大乗仏教の核心部分が抜けていると、大竹晋氏が指摘しました。西田幾多郎博士からも批判されました。何が批判されたかおわかりいただけます。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3930 大竹晋氏)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3855
★認知的柔軟性の欠如
http://blog.canpan.info/jitou/archive/4100
★浅いものでは深い人間哲学はわからない
 たいていの講義では、大体一人の講師の講義だけを受けるので、その先生の立場だけが教えられるので、かたよります。仏教もマインドフルネスも種々の流派があるのに、偏ってしまいます。オルテガがいうように専門家の宿命です。マインドフルネス心理療法は、クライアントの生命がかかっています。また、クライアントを持たなくても、家庭や職場を生きていく自分の人生にかかわる自己探求の全貌を学習しましょう。仏教、マインドフルネスの全体展望も学びましょう。そのうえで、自分の頭で選択してください。

 現代人にふさわしいマインドフルネス=至誠の観察が、西田哲学ですすめるものです。 どの仮説、定義にも立たない、すべての立場を取り去った立場です。しかし、入口として、 マインドフルネス瞑想療法士🄬の講座の範囲は、意志的自己の意志作用です。宗教レベルではありません。真剣に観察すれば対象的意識作用で観察できる範囲です。うつ病などの支援、人間関係の悩みなどは、これで十分です。管理者などが、職場で部下を配慮しながら、自分と組織の目的を遂行していく時の、普遍的な意識の用い方(叡智的自己の行為的直観)もわかるでしょう。

★内容
 日本的マインドフルネス、自己洞察瞑想療法(SIMT)、西田哲学の実践論、初期仏教と禅その西田哲学からの批判(世界創造・社会建設の側面、弱い人の救済の側面が弱い)を学習し、SIMTを習得します。それらを超えていく至誠の叡智的自己人格的自己はどういうものであるかの哲学の勉強をして、さらに実践したい希望者のみ講座の後で研究実践していきます。

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kouza/textbook.pdf
講座のテーマとテキスト

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3995
★ここにも、日本的マインドフルネスである西田哲学の実践論のことを述べました

★申込み方法、資格認定条件など
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kouza/2014kouza.htm
Posted by MF総研/大田 at 11:44 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
マインドフルネス精神療法研究会の定例会 [2018年11月12日(Mon)]
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3976?1541731623
★2019年1月26日、宮城県大崎市のお寺(真言宗)で、マインドフルネスSIMTの体験、説明会。

★2019年1月13日は、専門家向けの講演(下記)
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kouen/2019-1-13-kouen.pdf
=僧侶、学者、マインドフルネスの推進者、医療関係者など
上座部仏教、日本仏教の問題を超えていくために
日本の社会問題の解決のための「利他=マインドフルネス」
どういう道があるか。
現代の日本的なマインドフルネスの展望

★2019年3月1日、アメリカの大学院心理学専攻の学生へ、日本独自のマインドフルネスSIMTの講義。

マインドフルネス精神療法研究会の定例会

 昨日は、マインドフルネス精神療法研究会でした。

★研究会のテキスト
『後期西田哲学の実践論』
『叡智的自己への課題』
参加者には、上記を贈呈。 さらに研究会に入会者には、機関誌創刊号、 および、『深い日本的マインドフルネス』を贈呈。

今回は、次の内容でした。

★我々は、日本的マインドフルネス精神療法である、自己洞察瞑想療法(SIMT)をすすめている。仏教やマインドフルネスは多数の流派にわかれている。 日本の哲学実践を好きでないひともいる。SIMTもすべて支援できるわけではない。 それぞれを選択する人の自由であるし、適応できる問題や関心あることが違うから「すみ分けて」、他を否定はせず、共生していく。みな、それぞれの価値を選択して世界を創造していく、皆を尊重する。

★また、初期仏教の本が出版された。家庭を捨てる、職業を捨てる、というものである。厳しい実践であるが、自分で選択した学問領域を紹介していく。叡智的自己のありさまである。人間世界からも解脱したいという目的を持つ。
 一方、大竹氏の本もある。初期仏教と大乗仏教は別の宗教。大乗仏教は、家庭、職業を捨てない。そして、3つの核心を実行していく。人間世界で利他、人間完成を実行していくことを目指す。

★初期仏教と大乗仏教とは別の宗教であるという大竹氏の本の紹介。
 日本仏教は、3つの核心が弱いと。利他、人間完成、自内證。

★西田哲学、SIMTでいう、自己の階層。判断的自己、知的自己、 意志的自己、叡智的自己、人格的自己。

★研究会は、意志的自己の熟練と、至誠の叡智的自己、至誠の人格的自己の研究と実践をめざしていく。それぞれの段階のSIMTで社会貢献していく。

★『福岡伸一、西田哲学を読む』(明石書店)の紹介。生命学者によって、西田哲学と類似する生命科学の発見があった。細胞の分解と合成が同時に起きている。これは、西田哲学がいう「絶対矛盾的自己同一」と類似するという。
自己と世界、自己と絶対的一者(神、仏など)、この人生と極楽、死と生、もそうである。 観ることと行為することもそうである。行為的直観という。これは叡智的自己の意識作用。
矛盾するものが、絶対現在においては、同時に一つである。このために、苦悩の解決の実践もある。
★哲学には、認識論、実践論、実在論がある。これまでの科学は、対象的な存在のみを扱い、実在を扱えなかった。福岡伸一氏が、対象にならない実在、生命をピュシスといい、西田哲学の絶対無と類似する。

★ 実在論によって、認識論、実践論が違ってくる。仏教やマインドフルネス流派によって、 実在論が違うので、マインドフルネスの観察方法・範囲や修行のしかた、生き方が違ってくる。実在論の哲学の全くないマインドフルネスもある。輪廻転生の思想を持つ流派、言わない流派もある。
★「禅」が利他、人間完成、自内證を言わないならば、SIMTはそれとも違う。西田哲学の批判に賛同する。西田哲学にならって、生涯、社会的行動(ポイエシス、家庭、職業、ボランティア活動などの利他の行動)の陰で、内面の自己洞察(プラクシス)を続ける道も開かれている。うつ病や人間関係の苦悩を解決するのは、意志的自己の意志作用のSIMTで十分である。SIMTは、一時期だけ実践するものではない。生涯、家庭での家族との対面時に、職場で他のメンバーや関連の人々との対人関係の現場で実践するもの。単なる瞑想の時は、ポイエシス、世界創造ではない(西田哲学)。世界創造と人間完成が同時で一つである(ここも絶対矛盾的自己同一)。

★日本人は、深い人格的自己を経験したひと、(体験しなくても)これを言う人がおおい。芸術家、宗教者、哲学者、一般人など。今回は、禅僧の仙香i堪忍、〇△□)を鑑賞。機関誌で、河井寛次郎、武者小路実篤をとりあげた。

★そして、実践。現場で活かすための至誠の意志的自己、至誠の叡智的自己、至誠の人格的自己を目指しての瞑想。
Posted by MF総研/大田 at 10:14 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
マインドフルネスによる専門家の倫理 [2018年11月10日(Sat)]
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3976?1541731623
★2019年1月26日、宮城県大崎市のお寺(真言宗)で、マインドフルネスSIMTの体験、説明会。

★2019年1月13日は、専門家向けの講演(下記)
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kouen/2019-1-13-kouen.pdf
=僧侶、学者、マインドフルネスの推進者、医療関係者など
上座部仏教、日本仏教の問題を超えていくために
日本の社会問題の解決のための「利他=マインドフルネス」
どういう道があるか。
現代の日本的なマインドフルネスの展望

★2019年3月1日、アメリカの大学院心理学専攻の学生へ、日本独自のマインドフルネスSIMTの講義。

マインドフルネスによる専門家の倫理

 今日は、マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座の第6回です。 この講座では、道元禅、初期仏教、大乗仏教、西田哲学などについて学びます。マインドフルネス=自己の意識作用のすべてを観察しますが、エゴイズムの心理も観察します。

 この記事は、大乗仏教の支援者の倫理です。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2425

 これは、今日、勉強します。日本でも各種分野の専門家がエゴイズムによって、人々を苦しめています。自殺させる、うそ、改竄、不正、パワハラ、セクハラ、アカハラなど が頻発しています。

 ひとは、自己中心的な見方をもちます。執着、嫌悪、行動基準を持っています。無評価で観察するのは無理です。現実には、評価は避けられません。自分のみかた、考えかた、行為が、エゴイズムでないか「評価」しなければなりません。
 初期仏教は、家庭、職業を捨てて修行して六道輪廻から解脱することをめざすように構成されています。大乗仏教は、家庭、職業を捨てずに、人間完成を目指します。
 大乗仏教では、推進者の倫理がきびしいです。家庭や職務の中での人間完成をめざしたので、エゴイズムが起こります。それで、自分のエゴイズム、自己中心の心理を観察評価するのです。
 日本のマインドフルネス、自己洞察瞑想療法(SIMT)は、これを「本音」として、観察、評価します。無評価では家庭、職場で、生きていくことはできません。
 これを今日、勉強します。マインドフルネスも洗練されてきました。SIMTでは、西田哲学が従来の仏教、禅などの観察が不十分であるとして、「至誠」が実践指針であるという西田哲学を参照して、現代的なマインドフルネスを研究しています。

Posted by MF総研/大田 at 06:39 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
(15)日本の仏教は「マインドフルネス」どころではない? [2018年10月09日(Tue)]
★日本で唯一の「マインドフルネス精神療法」についての雑誌
「マインドフルネス精神療法」
こちらで購入できます。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/

また
メディカル・オンラインでは、バックナンバーのすべて見ることができます。
http://www.medicalonline.jp/

(15)日本の仏教は「マインドフルネス」どころではない?
 =大乗仏教の核心が失われ存在意義が問われている

 次の本は、日本の仏教者が信じているという大乗仏教は ブッダの仏教ではない、別の宗教だと指摘しています。そして、日本仏教は、大乗仏教の本道から乖離しているという。「利他」が弱い、人間完成がない、自ら証明する「自内證」がない。とすれば、日本の仏教の存在意義は何なのか。
 西田幾多郎も70年前から批判していた。仏教の学問は遅れているようだ。真剣に自己批判に向き合わないところがあった。

『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会

 科学と称する「マインドフルネス」が日本でブームですが、本書は、法華系、浄土系、曹洞宗の一部の僧侶が 「マインドフルネス」にならうことを批判しています。目的、哲学が違うと、手法が違うのです。ACTも別の哲学です。


 「現在、日本に進出してきている上座部仏教団体周辺の人々からは、しばしば、 「仏教は宗教ではなく科学である」という考えかたが発せられている。」(p232)
 「「仏教は宗教ではなく科学である」という考えかたは、一種の科学崇拝であると考えられる。 科学的であることは、少なくとも、人としての完成にとっては、あまり意味がない (科学的な知識を持っていても、人としての完成に至っていない人はいくらでもいる)。
大乗仏教は、あくまで、人としての完成や、人を超えたブッダへの無限の向上を 目ざすものであるから、ことさら科学的である必要はない。」(p232)

 (ただし、日本の仏教は、ただ坐禅するだけで利他にも弱く、「人としての完成」の精進も弱い。西田哲学では、至誠に生きよというのが日本の精神だというが、日本仏教はそれを言わない。=大田)

 「こんにち、都市部においては、新来の上座部仏教団体が、変動する社会において救いを求めて浮遊する人々を、 瞑想を教えることによって惹きつけつつある。 そのような人々のうち、科学崇拝との親和性が高い人は「仏教は宗教ではなく科学である」という 考えかたに親近感をいだきがちである。ただし、それはかならずしも多くの日本人ではあるまい。 (中略)
仮に「仏教は宗教ではなく科学である」という考えかたが日本を席捲する時が来るとすれば、それは 日本が日本でなくなる時であろう。」(p233)

 「法華系と浄土系との諸宗や禅系の曹洞宗を中心として、上座部仏教を摂取して瞑想を広めようとする人々もいる。あるいは、 諸宗の教えを上座部仏教に引きつけるかたちで改変して広めようとする人々もいる。」(p240)

 仏教が科学ならば宗教教団の存在意義が弱い。科学そのものはエゴイズムをやめようとか、人間の完成をいうこともない。
 「マインドフルネス」が、東南アジア系の仏教教団の宣伝になっているようではおかしい。マインドフルネスは科学ということで、マインドフルネスの「科学」?が特定の宗教への入口となると問題である。上座部の実践は、古代インドの六道輪廻からの解脱を求めるもので、現世で強く生きていこうという心得が弱い。
 日本の仏教者が、上座部の宗教を称賛するようで、居心地が悪い。自分の宗教はマインドフルネスにどう対応するか、困っているだろう。その前に、大乗仏教は、利他、人間完成、自内證などが核心であるはずなのに、科学的な「マインドフルネス」をいっている時ではないだろう。

 日本の仏教は、「マインドフルネス」の前に、自分たちは何であるのかが問われている。
 古代インドの輪廻を恐怖していた時代の仏教、家族や職を捨てて、在家からの布施に依存しながら六道輪廻からの解脱を目指す初期仏教では、現代日本の状況とは全く違う。
 大乗仏教は、家族仕事を持つ者が利他、人間完成を目指し、それを自内證で確認するというが、日本の自分の宗教はそれをしているか。
 大変、難しい状況にある。現状を招いたのは、長老方であり、それを「学問的」に支援した学者である。また、おかしいと声をあげなかったメンバー全員の問題である。長い伝統があり、内部で反対意見をいいにくい「空気」や、恐怖から「忖度」「あきらめ」が予想される。どうやって、誰が、現状を打開するのか。大きな組織は変わりにくい。 自滅していくのか。本書も、それも一つの予測としている。

 「実のところ、もはや立ち返れない地点にまで至ってしまっていると思われる。諸宗はいずれ行き着くところまで行き着くしかない。」(p241)

 日本の仏教に、同情を感じる。何とかしたい。「瞑想」が悪いわけではない。うつ病などを改善できる瞑想もある。瞑想する智慧(哲学)次第である。大乗仏教の六波羅蜜にも瞑想がある。禅定波羅蜜がある。ここに突破口があるだろう。利他と人間完成の自己洞察である。ビパッサナー瞑想に習うのではなくて、大乗仏教の六波羅蜜として構成できないか、検討するのである。

 長い期間、信じられてきた教団の公式見解が変わるのは、検討期間が必要であり、10年かかるかもしれない。末端の人はそれを待たず、自発的に大乗仏教の気概をもって、現世の苦悩を解決したい国民のために利他のためのマインドフルネスの活動に先行参加していいのではないか。たった一回きりの人生、自分の頭で決めていいのではないか。組織全体は変われなくても、個人や少数のグループで本道に戻ることはできるだろう。
【書籍紹介】『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会 【連続記事】【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
【自己保身、「空気」を読む、忖度する】

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3866
『忖度社会ニッポン』(片田珠美、角川新書)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3873
『「空気」の研究』(山本七平、文春文庫)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3875
阿部欣也の「世間」。記事の本のほか『「世間」とは何か』(講談社現代新書)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3853
【目次・書籍紹介】「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3918
『日本型組織の病を考える』村木厚子、角川新書

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3916
『異端の時代 〜 正統のかたちを求めて』森本あんり、岩波新書

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3461
『見て見ぬふりをする社会』マーガレット・ヘファーナン、河出書房新社

【連続記事】【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
Posted by MF総研/大田 at 10:13 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
働く人のためのマインドフルネスSIMT・心の健康クラブ [2018年09月29日(Sat)]
働く人のためのマインドフルネスSIMT・心の健康クラブ

埼玉県以北に、マインドフルネス心理療法を実践できるところがないようです。 働く人のためのマインドフルネスSIMTを計画しようとしています。

参加しやすいように、勤務の日の夜、帰宅前に参加できるように開催したいと思います。 みなさんのご希望を参考にして曜日を決めたいと思います。 ご希望をおしらせください。 参加するとしたら、何曜日がよろしいでしょうか。

対象者:心の病気が重くないかた。がん患者さんもどうぞ。

開催日: ?曜日(月曜日から金曜日)
      月1回か2回、希望により

時間 :19:00 〜 21:00

会場 :JR蓮田駅下車、徒歩10分くらいの公共の施設

内容 :マインドフルネス 自己洞察瞑想療法(SIMT)によるストレス低減の実践
    グループセッションになります。

    坐禅会に類似しますが、実践中に実践の方法の説明が多いです。

    順次、セッション1からセッション10までを説明し実践します。
    日記指導や個人面談はありません。 必要な方は、マインドフルネス瞑想療法士を紹介いたします。
会費 :1回300円。

テキスト:大田健次郎「うつ・不安障害を治すマインドフルネス」佼成出版社

開催曜日(できれば、2つ以上、火曜または木曜のように)と回数(月1回か2回)のご希望をメールでおしらせください。

ご希望が多ければ、詳細を決定し会場を確保して、2,3か月後から開始いたします。

主催:マインドフルネス総合研究所
       http://mindfulness.jp/ 
後援:日本マインドフルネス精神療法協会


http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/10steps.pdf
10段階
★しっかりと課題の実践をするひとは、うつ病、パニック症、PTSDさえも改善します。まして、予防効果は高いです。家庭や職場での対人関係の悩みの改善も。

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session1.pdf
★セッション1
    自己洞察(マインドフルネス)のためには、腹式呼吸ではなくて、「ゆっくり呼吸法」がいいです。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session2.pdf
★セッション2
    呼吸法の時も、対人の時も仕事の時も、意識作用を観察します。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session3.pdf
★セッション3
    不快な出来事が起きることは避けられません。しかし、 その時限りにして、後で思いだして考えて感情を再現してしまうことは、ストレス反応を起こしてしまいます。早く気づいてストップします。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session4.pdf
★セッション4
    いつも、今なすべきとは何かという「価値」を思いうかべて、 その実現のための思考、行動をします。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session5.pdf
★セッション5
    いつも、価値実現の行動をしながら、自己の内面を観察して自分を成長させる心の使い方を心がけます。この意志作用は、一生、用います。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session6.pdf
★セッション6
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session7.pdf
★セッション7
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session8.pdf
★セッション8
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session9.pdf
★セッション9
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session10.pdf
★セッション10

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3899 ★PTSD(災害、交通事故、犯罪被害、恐怖体験)
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3901 ★小中学生の自殺
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3900 ★産後うつ病
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3835 ★非定型うつ病
Posted by MF総研/大田 at 06:59 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
【書籍紹介】専門家の多数決のエゴイズム [2018年08月11日(Sat)]
【書籍紹介】「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)

専門家の多数決のエゴイズム

 西田幾多郎がいうように、この世界には独断偏見が充満している。数か国の独裁者によって 支配されている国をみればわかる。人権を否定し、自由を奪う。自分を批判することをゆるさない。思想、意見の自由を制限する。

 さて、日本の大小無数の組織にも独裁的な人物と多数の取り巻きがいるだろう。メンバーの自由を束縛している。 自分をゴリ押ししている。批判するものをいじめ排除する。 一般的には
「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)
でその心理を知ることができる。このような人物が 幹部になった組織はみじめである。

 日本の大小の組織も、その意見、行動がおかしくても多数決で遂行される。 そして、 多数決ですすめるべきではない領域でも多数決で組織が運営される。これは弊害である。

 哲学者、ドイツのマルクス・ガブリエルさんと國分功一郎さんの対談で警告している。 (朝日新聞、2018/6/29)

 「少数意見の切り捨て」になり、「民主主義の理念から隔絶している」との声があった。
「國分さんは「日本で民主主義=多数決となる傾向は「変なことと指摘。」

 宗教(仏教など)やマインドフルネスの組織も、専門家なのであるが、多数決の意見で、少数の意見が排除されているように見えるものがある。オウム事件をみればわかるように、宗教や哲学の領域に近い領域では、多数派の解釈がすぐれているわけではない。しかし、 いくつかの組織では、メンバーの教育のためとか、期待する外部(顧客、信者、学生、市民など)のためとかに、組織の公式見解を表明する。ここで、ごり押ししなければいいのだが、 ある時代、ある期間、攻撃的な人物が自分の意見解釈を絶対視することがある。 深い哲学を理解しない多数が結託して、深い真理らしいものを主張するひとを排除することがある。そうすると その組織のメンバーは深いものを知らされないし、外部に提供する思想、哲学、手法、サービスは浅いものとなる。

 遠藤周作は、多数派である教会の聖書解釈に賛同できないで、独特のキリスト教観をもっている。小説の形で国民に教えた。 小説の才覚のないひとはそれはできない。

 仏教やキリスト教やマインドフルネスは「哲学」がある。多数決で遂行されることは「変」なのである。多数派の利益の確保のために、 多数派の解釈で、少数意見を排除してはならない。さもないと、組織の周辺の市民が真理を知らされなくなる。少数意見を排除していれば、科学的な解明が遅れる。メンバーの自由な創造性の発揮を抑圧するので、手法、サービスの向上が 妨げられる。損するのは学生、顧客、患者、クライアント、信者など国民である。

 SIMTでは「本音」という「独断」的心理を観察する。己見我利我執、独断偏見はおぞましい心理である。白日にさらされれば、恥ずかしい心理なのであり、気づいて抑制しなければならない。 日本では、精神療法の独創がすくない。翻訳、輸入が多い。なぜ、日本はこうなのだろうか。 仏教、マインドフルネス、精神療法の領域で、多数派による少数意見の排除があるのならば「変」である。

 SIMTのカウンセラーは、おのれの本音に気づくように、一生洞察していく。
【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】

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Posted by MF総研/大田 at 07:48 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
マインドフルネス心理療法の実践普及を妨げる深層意識・本音 [2018年08月08日(Wed)]

マインドフルネス心理療法の実践普及を妨げる深層意識・本音

 =うつ病が治らない・本人や家族の独断だが影響は自分家族の範囲
 =日本では心理療法が普及しない(患者が治る利益を得られない)・専門家の独断偏見・影響が甚大・多くの患者家族の救済が遅れる

 禅の哲学や西田哲学によれば、すべての人に、独断があります。科学、学問も執着すれば独断になります。たとえば、「〇〇はこれだけを主張した」という単純化した命題を固執して押し付けることも独断です。自分だけの信仰なら弊害はありません。信仰の自由ですから。
 しかし、地位、名誉ある人物が組織のメンバーや市民におしつけると弊害が大きいです。
 研究者が学問的論文の形で、命題の真理であることを論証したつもりです。しかし、選択的抽出、自己の立場からの解釈、選択的無視排除に基づく論文であることがあります。その個人が独断偏見をもつと、そういう論文が書かれます。科学的、学問的なよそおいをもって、メンバーや外部に従うことを求めます。フランクルが指摘した、全体主義、画一主義、還元主義です。

 西田哲学によれば、図のように、意識作用や自己存在について階層があります。 (ACTも独特の自己観を提案していますが)

 専門家は、叡智的自己ですが、そこにも「独断偏見」を持つ人がいます。専門家とは、ビジネス、スポーツ、政治、学問、医療、介護、宗教。心理、法律、マスコミ、NPO活動などすべての産業領域で働く(ポイエシス)ひとたちです。もちろん、学者、宗教者も独断偏見を持ちます。 だから、すべての階層のひとが「マインドフルネス」すべきなのです。図ですべての自己の階層に「マインドフルネス」が表示されています。独断偏見、本音でもって、他者に迷惑をかけていないか、他者が救済されるべきことを妨害していないか、など我利(自己の地位、名誉、収入、生きがい、面子など)優先の心理を観察しきづくのです。

 まず、非定型うつ病の患者さんの本音ですが、心理療法についての嫌悪(*)が強ければ、治りません。嫌悪(*)して、信じない(*)と課題を回避(*)して、真剣に実践しないので、治りません。マインドフルネス心理療法は、自己洞察ですから。カウンセラーからアドバイスを受けて、「自分自身で実践」するのです。嫌悪、不信、回避逃避などの本音(*)を観察して、さらに拒絶過敏にある本音(*)、不安過敏、怒りっぽいところにある本音(*)を観察して、反応パターンをかえていくのです。、 クライアントさん自身が,こういう 心理療法を信じ好きに思う気持ち(*よいほうの)=本音が重要です。 真剣にならないと治せません。本音が観方、考え方、行動に影響するのです。特に、課題の実践への行動に影響します。
(これは専門家にも言えます。自分はわかっているつもり(=*我見我執、本音)であると、すぐれたものを嫌悪し排除(*)します。それでクライアントに応対すれば、レベルのギャップのある問題の支援ができませんが患者のせい(*)にします。技術スキルの向上にはつとめません(*)。またあとで叡智的自己のところで考察します。)

  注(*)印は「本音」です。患者さんにだけあるのではありません。すべてのひとにあり、専門家の本音は弊害が大きいです。本音を「ゴリ押し」することを強くいうと地位の低い他者を怖がらせて、他者の自由を奪い、市民の苦悩から解放される行動などを自粛させ救済を妨害します。

L-8q3-種々の自己マインドフルネス2.jpg
『マインドフルネス精神療法』創刊号、日本マインドフルネス精神療法協会、p45
大田健次郎「東洋哲学・実践にあるマインドフルネスの多様な局面」


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Posted by MF総研/大田 at 08:02 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
さまざまなマインドフルネス、坐禅、禅、仏教、宗教、ヨーガ [2018年07月20日(Fri)]


さまざまなマインドフルネス、坐禅、禅、仏教、宗教、ヨーガ

 仏教には、種々の流派があるように、マインドフルネス(瞑想、坐禅、禅、仏教すべての宗派も広義のマインドフルネス、瞑想です)も種々の流派があります。

 日本の禅や西田哲学を参考にした自己洞察瞑想療法(SIMT)。他のマインドフルネスとの違いのゆえに、深い問題に効果があるのでしょう。問題ある人や教えるカウンセラーだけの実践ではなくて、すべての人が実践すればいい生き方です。

 似ているものに、坐禅、禅があります。坐禅、禅の場合、専門の僧侶は満足するが社会的救済実践が弱い(外部の一般人の苦悩を傍観することを正当化する傾向)と禅をも批判した西田哲学。その論理にあやかり、僧侶ではなくてすべてのひとが社会活動(ポイエシス)のすべてにおいて、内面を観察洞察(プラクシス)すべきという後期西田哲学を模範とします。専門家のエゴイズムの観察、人間の平等、死ぬ覚悟の死生観のマインドフルネスまでも西田哲学は含んでいます。 「あなたはがんです」と告知された時、他のマインドフルネスは、どうするのでしょうか。
 日本人は、昔から広く深く観察してきた歴史があります。人間はみなエゴイズム(己見我利我執)で他者を傷つけます。だから、一生、自己洞察探求(=マインドフルネス)を継続せよということは、釈尊の仏教、部派仏教、大乗仏教、中国禅、日本の仏教各派などが教えてきたのですが、 それぞれ目標とする哲学が違います。 家族や職業を持つ人には不利な教え、方法になっているものがあります。時代、環境の変動にあっていないものがあります。 西田哲学はそれらを批判して独特の実践論を提案しています。認識論、実在論(自己存在とは何か)に基づいています。西洋のマインドフルネスも哲学が違います。多分、一生常に実践する専門家はいないでしょう。常時の実践法、つまり人生論でなく他者の問題解決手法の意味づけでしょう。
 東南アジア、欧米のマインドフルネス、日本、それぞれに、推進者賛同者(良いと「評価」した)がおり、一定の効果があるので「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)です。

(そして、あぶないことには、反社会的なイデオロギー、反社会的行為までも容認することを含んだ哲学を秘めた「カルト」にも、マインドフルネス、瞑想があるのです。だから、表層の瞑想、坐禅などのトレーニングの次の段階、究極には、どういう方向を目指しているのかという全貌の哲学が何であるのかを知ることが重要なのです。私は大丈夫ではないのです。長い期間、実践するうちに、じわじわとそめられていくのです。ある流派のマインドフルネスの実践にはいると、他を知ろうとしない傾向が形成されます。自分のものを執着する傾向が形成されます。長く実践していて、健康、収入、地位、評判などの効果が得られるとその執着が強くなります。自分の満足に執着する叡智的自己です。)

 日本のマインドフルネスも長い歴史があり深化していますので、「外国産のものでないのでつまらないだろう」と「評価」しないで、お見捨てなきようお願いいたします。
 今後の課題は、誰もが経験する自分の死を探求するマインドフルネスや専門家が知らずにおかしてしまう全体主義、画一主義、還元主義の独断に気づくマインドフルネスです。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3823
前の記事
のように、カミュ、フランクル、西田幾多郎などが指摘した多数派による組織的なエゴイズムの心理に気づくマインドフルネスです。容易ではありません。
【目次】「自分の中にある悪」アルベール・カミュの『ペスト』
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3781


関連する記事です。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3476
★組織の悪

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3159
★マインドフルネスは危険なことも
 =坐禅、瞑想、マインドフルネス、ヨーガ、宗教、理想、思想、などを標榜するものすべてに言える
 =枠に閉じ込める、外部社会への行動を抑制

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3675
★「寺よ、変われ」

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3605
<目次>本音の観察

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2228
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3616
★専門家のエゴイズム

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2370
★カウンセラーや精神科医が自分の枠内にとじこめるおそれ

http://blog.canpan.info/jitou/archive/1812
★無視・傍観・軽視・放置・見放される病

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2669
★全体主義、画一主義、還元主義
Posted by MF総研/大田 at 09:14 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
マインドフルネス精神療法研究第4回発表大会でした [2018年05月19日(Sat)]

マインドフルネス精神療法研究第4回発表大会でした

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/nenjitaikai/04kai/prog-04.pdf
プログラムです。

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Posted by MF総研/大田 at 22:26 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
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