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(15)日本の仏教は「マインドフルネス」どころではない? [2018年10月09日(Tue)]
★日本で唯一の「マインドフルネス精神療法」についての雑誌
「マインドフルネス精神療法」
こちらで購入できます。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/

また
メディカル・オンラインでは、バックナンバーのすべて見ることができます。
http://www.medicalonline.jp/

(15)日本の仏教は「マインドフルネス」どころではない?
 =大乗仏教の核心が失われ存在意義が問われている

 次の本は、日本の仏教者が信じているという大乗仏教は ブッダの仏教ではない、別の宗教だと指摘しています。そして、日本仏教は、大乗仏教の本道から乖離しているという。「利他」が弱い、人間完成がない、自ら証明する「自内證」がない。とすれば、日本の仏教の存在意義は何なのか。
 西田幾多郎も70年前から批判していた。仏教の学問は遅れているようだ。真剣に自己批判に向き合わないところがあった。

『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会

 科学と称する「マインドフルネス」が日本でブームですが、本書は、法華系、浄土系、曹洞宗の一部の僧侶が 「マインドフルネス」にならうことを批判しています。目的、哲学が違うと、手法が違うのです。ACTも別の哲学です。


 「現在、日本に進出してきている上座部仏教団体周辺の人々からは、しばしば、 「仏教は宗教ではなく科学である」という考えかたが発せられている。」(p232)
 「「仏教は宗教ではなく科学である」という考えかたは、一種の科学崇拝であると考えられる。 科学的であることは、少なくとも、人としての完成にとっては、あまり意味がない (科学的な知識を持っていても、人としての完成に至っていない人はいくらでもいる)。
大乗仏教は、あくまで、人としての完成や、人を超えたブッダへの無限の向上を 目ざすものであるから、ことさら科学的である必要はない。」(p232)

 (ただし、日本の仏教は、ただ坐禅するだけで利他にも弱く、「人としての完成」の精進も弱い。西田哲学では、至誠に生きよというのが日本の精神だというが、日本仏教はそれを言わない。=大田)

 「こんにち、都市部においては、新来の上座部仏教団体が、変動する社会において救いを求めて浮遊する人々を、 瞑想を教えることによって惹きつけつつある。 そのような人々のうち、科学崇拝との親和性が高い人は「仏教は宗教ではなく科学である」という 考えかたに親近感をいだきがちである。ただし、それはかならずしも多くの日本人ではあるまい。 (中略)
仮に「仏教は宗教ではなく科学である」という考えかたが日本を席捲する時が来るとすれば、それは 日本が日本でなくなる時であろう。」(p233)

 「法華系と浄土系との諸宗や禅系の曹洞宗を中心として、上座部仏教を摂取して瞑想を広めようとする人々もいる。あるいは、 諸宗の教えを上座部仏教に引きつけるかたちで改変して広めようとする人々もいる。」(p240)

 仏教が科学ならば宗教教団の存在意義が弱い。科学そのものはエゴイズムをやめようとか、人間の完成をいうこともない。
 「マインドフルネス」が、東南アジア系の仏教教団の宣伝になっているようではおかしい。マインドフルネスは科学ということで、マインドフルネスの「科学」?が特定の宗教への入口となると問題である。上座部の実践は、古代インドの六道輪廻からの解脱を求めるもので、現世で強く生きていこうという心得が弱い。
 日本の仏教者が、上座部の宗教を称賛するようで、居心地が悪い。自分の宗教はマインドフルネスにどう対応するか、困っているだろう。その前に、大乗仏教は、利他、人間完成、自内證などが核心であるはずなのに、科学的な「マインドフルネス」をいっている時ではないだろう。

 日本の仏教は、「マインドフルネス」の前に、自分たちは何であるのかが問われている。
 古代インドの輪廻を恐怖していた時代の仏教、家族や職を捨てて、在家からの布施に依存しながら六道輪廻からの解脱を目指す初期仏教では、現代日本の状況とは全く違う。
 大乗仏教は、家族仕事を持つ者が利他、人間完成を目指し、それを自内證で確認するというが、日本の自分の宗教はそれをしているか。
 大変、難しい状況にある。現状を招いたのは、長老方であり、それを「学問的」に支援した学者である。また、おかしいと声をあげなかったメンバー全員の問題である。長い伝統があり、内部で反対意見をいいにくい「空気」や、恐怖から「忖度」「あきらめ」が予想される。どうやって、誰が、現状を打開するのか。大きな組織は変わりにくい。 自滅していくのか。本書も、それも一つの予測としている。

 「実のところ、もはや立ち返れない地点にまで至ってしまっていると思われる。諸宗はいずれ行き着くところまで行き着くしかない。」(p241)

 日本の仏教に、同情を感じる。何とかしたい。「瞑想」が悪いわけではない。うつ病などを改善できる瞑想もある。瞑想する智慧(哲学)次第である。大乗仏教の六波羅蜜にも瞑想がある。禅定波羅蜜がある。ここに突破口があるだろう。利他と人間完成の自己洞察である。ビパッサナー瞑想に習うのではなくて、大乗仏教の六波羅蜜として構成できないか、検討するのである。

 長い期間、信じられてきた教団の公式見解が変わるのは、検討期間が必要であり、10年かかるかもしれない。末端の人はそれを待たず、自発的に大乗仏教の気概をもって、現世の苦悩を解決したい国民のために利他のためのマインドフルネスの活動に先行参加していいのではないか。たった一回きりの人生、自分の頭で決めていいのではないか。組織全体は変われなくても、個人や少数のグループで本道に戻ることはできるだろう。
【書籍紹介】『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会 【連続記事】【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
【自己保身、「空気」を読む、忖度する】

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3866
『忖度社会ニッポン』(片田珠美、角川新書)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3873
『「空気」の研究』(山本七平、文春文庫)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3875
阿部欣也の「世間」。記事の本のほか『「世間」とは何か』(講談社現代新書)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3853
【目次・書籍紹介】「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3918
『日本型組織の病を考える』村木厚子、角川新書

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3916
『異端の時代 〜 正統のかたちを求めて』森本あんり、岩波新書

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3461
『見て見ぬふりをする社会』マーガレット・ヘファーナン、河出書房新社

【連続記事】【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
Posted by MF総研/大田 at 10:13 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
働く人のためのマインドフルネスSIMT・心の健康クラブ [2018年09月29日(Sat)]
働く人のためのマインドフルネスSIMT・心の健康クラブ

埼玉県以北に、マインドフルネス心理療法を実践できるところがないようです。 働く人のためのマインドフルネスSIMTを計画しようとしています。

参加しやすいように、勤務の日の夜、帰宅前に参加できるように開催したいと思います。 みなさんのご希望を参考にして曜日を決めたいと思います。 ご希望をおしらせください。 参加するとしたら、何曜日がよろしいでしょうか。

対象者:心の病気が重くないかた。がん患者さんもどうぞ。

開催日: ?曜日(月曜日から金曜日)
      月1回か2回、希望により

時間 :19:00 〜 21:00

会場 :JR蓮田駅下車、徒歩10分くらいの公共の施設

内容 :マインドフルネス 自己洞察瞑想療法(SIMT)によるストレス低減の実践
    グループセッションになります。

    坐禅会に類似しますが、実践中に実践の方法の説明が多いです。

    順次、セッション1からセッション10までを説明し実践します。
    日記指導や個人面談はありません。 必要な方は、マインドフルネス瞑想療法士を紹介いたします。
会費 :1回300円。

テキスト:大田健次郎「うつ・不安障害を治すマインドフルネス」佼成出版社

開催曜日(できれば、2つ以上、火曜または木曜のように)と回数(月1回か2回)のご希望をメールでおしらせください。

ご希望が多ければ、詳細を決定し会場を確保して、2,3か月後から開始いたします。

主催:マインドフルネス総合研究所
       http://mindfulness.jp/ 
後援:日本マインドフルネス精神療法協会


http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/10steps.pdf
10段階
★しっかりと課題の実践をするひとは、うつ病、パニック症、PTSDさえも改善します。まして、予防効果は高いです。家庭や職場での対人関係の悩みの改善も。

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session1.pdf
★セッション1
    自己洞察(マインドフルネス)のためには、腹式呼吸ではなくて、「ゆっくり呼吸法」がいいです。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session2.pdf
★セッション2
    呼吸法の時も、対人の時も仕事の時も、意識作用を観察します。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session3.pdf
★セッション3
    不快な出来事が起きることは避けられません。しかし、 その時限りにして、後で思いだして考えて感情を再現してしまうことは、ストレス反応を起こしてしまいます。早く気づいてストップします。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session4.pdf
★セッション4
    いつも、今なすべきとは何かという「価値」を思いうかべて、 その実現のための思考、行動をします。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session5.pdf
★セッション5
    いつも、価値実現の行動をしながら、自己の内面を観察して自分を成長させる心の使い方を心がけます。この意志作用は、一生、用います。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session6.pdf
★セッション6
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session7.pdf
★セッション7
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session8.pdf
★セッション8
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session9.pdf
★セッション9
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/m&a/session10.pdf
★セッション10

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3899 ★PTSD(災害、交通事故、犯罪被害、恐怖体験)
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3901 ★小中学生の自殺
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3900 ★産後うつ病
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3835 ★非定型うつ病
Posted by MF総研/大田 at 06:59 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
【書籍紹介】専門家の多数決のエゴイズム [2018年08月11日(Sat)]
【書籍紹介】「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)

専門家の多数決のエゴイズム

 西田幾多郎がいうように、この世界には独断偏見が充満している。数か国の独裁者によって 支配されている国をみればわかる。人権を否定し、自由を奪う。自分を批判することをゆるさない。思想、意見の自由を制限する。

 さて、日本の大小無数の組織にも独裁的な人物と多数の取り巻きがいるだろう。メンバーの自由を束縛している。 自分をゴリ押ししている。批判するものをいじめ排除する。 一般的には
「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)
でその心理を知ることができる。このような人物が 幹部になった組織はみじめである。

 日本の大小の組織も、その意見、行動がおかしくても多数決で遂行される。 そして、 多数決ですすめるべきではない領域でも多数決で組織が運営される。これは弊害である。

 哲学者、ドイツのマルクス・ガブリエルさんと國分功一郎さんの対談で警告している。 (朝日新聞、2018/6/29)

 「少数意見の切り捨て」になり、「民主主義の理念から隔絶している」との声があった。
「國分さんは「日本で民主主義=多数決となる傾向は「変なことと指摘。」

 宗教(仏教など)やマインドフルネスの組織も、専門家なのであるが、多数決の意見で、少数の意見が排除されているように見えるものがある。オウム事件をみればわかるように、宗教や哲学の領域に近い領域では、多数派の解釈がすぐれているわけではない。しかし、 いくつかの組織では、メンバーの教育のためとか、期待する外部(顧客、信者、学生、市民など)のためとかに、組織の公式見解を表明する。ここで、ごり押ししなければいいのだが、 ある時代、ある期間、攻撃的な人物が自分の意見解釈を絶対視することがある。 深い哲学を理解しない多数が結託して、深い真理らしいものを主張するひとを排除することがある。そうすると その組織のメンバーは深いものを知らされないし、外部に提供する思想、哲学、手法、サービスは浅いものとなる。

 遠藤周作は、多数派である教会の聖書解釈に賛同できないで、独特のキリスト教観をもっている。小説の形で国民に教えた。 小説の才覚のないひとはそれはできない。

 仏教やキリスト教やマインドフルネスは「哲学」がある。多数決で遂行されることは「変」なのである。多数派の利益の確保のために、 多数派の解釈で、少数意見を排除してはならない。さもないと、組織の周辺の市民が真理を知らされなくなる。少数意見を排除していれば、科学的な解明が遅れる。メンバーの自由な創造性の発揮を抑圧するので、手法、サービスの向上が 妨げられる。損するのは学生、顧客、患者、クライアント、信者など国民である。

 SIMTでは「本音」という「独断」的心理を観察する。己見我利我執、独断偏見はおぞましい心理である。白日にさらされれば、恥ずかしい心理なのであり、気づいて抑制しなければならない。 日本では、精神療法の独創がすくない。翻訳、輸入が多い。なぜ、日本はこうなのだろうか。 仏教、マインドフルネス、精神療法の領域で、多数派による少数意見の排除があるのならば「変」である。

 SIMTのカウンセラーは、おのれの本音に気づくように、一生洞察していく。
【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】

【目次・書籍紹介】「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)
【関連記事】

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3835
【New 目次】非定型うつ病のマインドフルネスSIMT

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3866
【目次・書籍紹介】「忖度社会ニッポン」(片田珠美、角川新書)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2228
【目次・連続記事】専門家のエゴイズム
Posted by MF総研/大田 at 07:48 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
マインドフルネス心理療法の実践普及を妨げる深層意識・本音 [2018年08月08日(Wed)]

マインドフルネス心理療法の実践普及を妨げる深層意識・本音

 =うつ病が治らない・本人や家族の独断だが影響は自分家族の範囲
 =日本では心理療法が普及しない(患者が治る利益を得られない)・専門家の独断偏見・影響が甚大・多くの患者家族の救済が遅れる

 禅の哲学や西田哲学によれば、すべての人に、独断があります。科学、学問も執着すれば独断になります。たとえば、「〇〇はこれだけを主張した」という単純化した命題を固執して押し付けることも独断です。自分だけの信仰なら弊害はありません。信仰の自由ですから。
 しかし、地位、名誉ある人物が組織のメンバーや市民におしつけると弊害が大きいです。
 研究者が学問的論文の形で、命題の真理であることを論証したつもりです。しかし、選択的抽出、自己の立場からの解釈、選択的無視排除に基づく論文であることがあります。その個人が独断偏見をもつと、そういう論文が書かれます。科学的、学問的なよそおいをもって、メンバーや外部に従うことを求めます。フランクルが指摘した、全体主義、画一主義、還元主義です。

 西田哲学によれば、図のように、意識作用や自己存在について階層があります。 (ACTも独特の自己観を提案していますが)

 専門家は、叡智的自己ですが、そこにも「独断偏見」を持つ人がいます。専門家とは、ビジネス、スポーツ、政治、学問、医療、介護、宗教。心理、法律、マスコミ、NPO活動などすべての産業領域で働く(ポイエシス)ひとたちです。もちろん、学者、宗教者も独断偏見を持ちます。 だから、すべての階層のひとが「マインドフルネス」すべきなのです。図ですべての自己の階層に「マインドフルネス」が表示されています。独断偏見、本音でもって、他者に迷惑をかけていないか、他者が救済されるべきことを妨害していないか、など我利(自己の地位、名誉、収入、生きがい、面子など)優先の心理を観察しきづくのです。

 まず、非定型うつ病の患者さんの本音ですが、心理療法についての嫌悪(*)が強ければ、治りません。嫌悪(*)して、信じない(*)と課題を回避(*)して、真剣に実践しないので、治りません。マインドフルネス心理療法は、自己洞察ですから。カウンセラーからアドバイスを受けて、「自分自身で実践」するのです。嫌悪、不信、回避逃避などの本音(*)を観察して、さらに拒絶過敏にある本音(*)、不安過敏、怒りっぽいところにある本音(*)を観察して、反応パターンをかえていくのです。、 クライアントさん自身が,こういう 心理療法を信じ好きに思う気持ち(*よいほうの)=本音が重要です。 真剣にならないと治せません。本音が観方、考え方、行動に影響するのです。特に、課題の実践への行動に影響します。
(これは専門家にも言えます。自分はわかっているつもり(=*我見我執、本音)であると、すぐれたものを嫌悪し排除(*)します。それでクライアントに応対すれば、レベルのギャップのある問題の支援ができませんが患者のせい(*)にします。技術スキルの向上にはつとめません(*)。またあとで叡智的自己のところで考察します。)

  注(*)印は「本音」です。患者さんにだけあるのではありません。すべてのひとにあり、専門家の本音は弊害が大きいです。本音を「ゴリ押し」することを強くいうと地位の低い他者を怖がらせて、他者の自由を奪い、市民の苦悩から解放される行動などを自粛させ救済を妨害します。

L-8q3-種々の自己マインドフルネス2.jpg
『マインドフルネス精神療法』創刊号、日本マインドフルネス精神療法協会、p45
大田健次郎「東洋哲学・実践にあるマインドフルネスの多様な局面」


http://blog.canpan.info/jitou/archive/3835
【New 目次】非定型うつ病のマインドフルネスSIMT

Posted by MF総研/大田 at 08:02 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
さまざまなマインドフルネス、坐禅、禅、仏教、宗教、ヨーガ [2018年07月20日(Fri)]


さまざまなマインドフルネス、坐禅、禅、仏教、宗教、ヨーガ

 仏教には、種々の流派があるように、マインドフルネス(瞑想、坐禅、禅、仏教すべての宗派も広義のマインドフルネス、瞑想です)も種々の流派があります。

 日本の禅や西田哲学を参考にした自己洞察瞑想療法(SIMT)。他のマインドフルネスとの違いのゆえに、深い問題に効果があるのでしょう。問題ある人や教えるカウンセラーだけの実践ではなくて、すべての人が実践すればいい生き方です。

 似ているものに、坐禅、禅があります。坐禅、禅の場合、専門の僧侶は満足するが社会的救済実践が弱い(外部の一般人の苦悩を傍観することを正当化する傾向)と禅をも批判した西田哲学。その論理にあやかり、僧侶ではなくてすべてのひとが社会活動(ポイエシス)のすべてにおいて、内面を観察洞察(プラクシス)すべきという後期西田哲学を模範とします。専門家のエゴイズムの観察、人間の平等、死ぬ覚悟の死生観のマインドフルネスまでも西田哲学は含んでいます。 「あなたはがんです」と告知された時、他のマインドフルネスは、どうするのでしょうか。
 日本人は、昔から広く深く観察してきた歴史があります。人間はみなエゴイズム(己見我利我執)で他者を傷つけます。だから、一生、自己洞察探求(=マインドフルネス)を継続せよということは、釈尊の仏教、部派仏教、大乗仏教、中国禅、日本の仏教各派などが教えてきたのですが、 それぞれ目標とする哲学が違います。 家族や職業を持つ人には不利な教え、方法になっているものがあります。時代、環境の変動にあっていないものがあります。 西田哲学はそれらを批判して独特の実践論を提案しています。認識論、実在論(自己存在とは何か)に基づいています。西洋のマインドフルネスも哲学が違います。多分、一生常に実践する専門家はいないでしょう。常時の実践法、つまり人生論でなく他者の問題解決手法の意味づけでしょう。
 東南アジア、欧米のマインドフルネス、日本、それぞれに、推進者賛同者(良いと「評価」した)がおり、一定の効果があるので「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)です。

(そして、あぶないことには、反社会的なイデオロギー、反社会的行為までも容認することを含んだ哲学を秘めた「カルト」にも、マインドフルネス、瞑想があるのです。だから、表層の瞑想、坐禅などのトレーニングの次の段階、究極には、どういう方向を目指しているのかという全貌の哲学が何であるのかを知ることが重要なのです。私は大丈夫ではないのです。長い期間、実践するうちに、じわじわとそめられていくのです。ある流派のマインドフルネスの実践にはいると、他を知ろうとしない傾向が形成されます。自分のものを執着する傾向が形成されます。長く実践していて、健康、収入、地位、評判などの効果が得られるとその執着が強くなります。自分の満足に執着する叡智的自己です。)

 日本のマインドフルネスも長い歴史があり深化していますので、「外国産のものでないのでつまらないだろう」と「評価」しないで、お見捨てなきようお願いいたします。
 今後の課題は、誰もが経験する自分の死を探求するマインドフルネスや専門家が知らずにおかしてしまう全体主義、画一主義、還元主義の独断に気づくマインドフルネスです。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3823
前の記事
のように、カミュ、フランクル、西田幾多郎などが指摘した多数派による組織的なエゴイズムの心理に気づくマインドフルネスです。容易ではありません。
【目次】「自分の中にある悪」アルベール・カミュの『ペスト』
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3781


関連する記事です。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3476
★組織の悪

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3159
★マインドフルネスは危険なことも
 =坐禅、瞑想、マインドフルネス、ヨーガ、宗教、理想、思想、などを標榜するものすべてに言える
 =枠に閉じ込める、外部社会への行動を抑制

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3675
★「寺よ、変われ」

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3605
<目次>本音の観察

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2228
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3616
★専門家のエゴイズム

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2370
★カウンセラーや精神科医が自分の枠内にとじこめるおそれ

http://blog.canpan.info/jitou/archive/1812
★無視・傍観・軽視・放置・見放される病

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2669
★全体主義、画一主義、還元主義
Posted by MF総研/大田 at 09:14 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
マインドフルネス精神療法研究第4回発表大会でした [2018年05月19日(Sat)]

マインドフルネス精神療法研究第4回発表大会でした

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/nenjitaikai/04kai/prog-04.pdf
プログラムです。

IMG_1915.JPG
Posted by MF総研/大田 at 22:26 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
フランクルのロゴセラピーと類似する西田哲学、SIMT [2018年05月06日(Sun)]

フランクルのロゴセラピーと類似する西田哲学、SIMT

 フランクルのロゴセラピーは、定評があります。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2633

その哲学と類似するのが西田哲学であり、SIMTです。

 フランクルは、内在と超越をいいます。内在は、西田哲学、SIMTの叡智的自己の行為的直観までです。自己、自我が残っています。
 超越は、西田哲学の人格的自己です。ロゴセラピーのセラピストは扱わないで、宗教者が扱うといいます。しかし、ここまでSIMTで扱いたい。ここを説明して扱う宗教者が極めて少ないからです。このレベルで苦しむひとが多いのですから。

 フランクルは、セラピストは、超越の入口を閉ざしてはいけないといっています。西田哲学、SIMTも、人格的自己まで開かれています。
 セラピストが、「超越」を無知のゆえに、超越を否定してはいけないでしょう。救済されるはずの人を絶望させます。

本音の観察、影響の評価
 マインドフルネスのブームを批判する論文にも言っています。 浅いマインドフルネスを提供すると、重いひとに、 本来受けるはずの治療を回避させるおそれがあるのです。 SIMTでいう「本音」を形成させるのです。この場合は、「マインドフルネス (全体)」の「嫌悪」(知的)そして「回避」(意志的レベル)です。そして、それを提供した人物までも嫌悪(人物そのものの嫌悪)の本音を持つことまで発展します。本音にも、階層があります。SIMTは、本音の観察、その影響の評価を重視します。相手の本音の違いをよみとれず、私(大田)も、憎まれました、今も嫌われます。このブログの内容も嫌悪されるでしょう。これは「感情」です。そして、形成されるのが、嫌悪の「本音」です。病気でない人も、それぞれの産業、学問をする人も、数々の嫌悪の本音を持っています。そして、自分のものの「執着」の本音です。

 MBCTは、3回以上再発した人の、うつ病の再発防止法としてしられています。しかし、100%ではないはずです。再発するひともいるでしょう。だから、「もっとほかにもマインドフルネス心理療法がある」といっておくのが良心的でしょう。再発したひとが、「マインドフルネス(MBCTです)でもだめだった。もう絶望だ。マインドフルネスだって、再発する。マインドフルネスでは、治せない。」と絶望して、もっと、強力な治療を回避させるかもしれません。MBCTを提供する時には、支援者に「他のマインドフルネスもあります」と伝える義務を課すべきではありませんか。マインドフルネスの提供の倫理、ガイドラインを作成していただきたいものです。(SIMTのMMTには、倫理があります。経験をかさねて、より厳しくしていきたい。)

本音の観察、影響の評価のスキルの差が大きい
 マインドフルネス瞑想療法士🄬(MMT)のスキルのうまいへたがあります。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3280
☆日記でわかる自己洞察のスキル

 だから、資格取得の後も、スキルの向上に努めます。研究会、発表大会、実際の活用支援など。しない人は、5年後、資格を更新できません。かなり、多数が更新なさらないでしょう。MMTは、少数です。
 マインドフルネスは単なる「技術」のものもありますが、SIMTはやさしくありません。我利我執、独断が渦巻く人生の全過程で、生き抜いていくこころ全体の観察探求ですから。MMTには、生涯、自己洞察の深化が求められます。深い苦に直面なさるクライアントがおいでになります時に、自分の未熟さに気づく、観察されるでしょう。

 「私がだめでも、もっとうまいMMTがいます。紹介します。」
 「SIMTで治らなくても、認知行動療法のカウンセラーがいます。」

というのがいいのでしょう。自分のところに、とじこめてはいけません。大切な命がかかっています。自殺がある病気です。

Posted by MF総研/大田 at 18:14 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
言葉を見て聞き、言葉を書く、発言する [2018年04月26日(Thu)]
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/nenjitaikai/04kai/taikai-04.htm
★第4回発表大会

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kikansi/hp-04/4gou-hyousi.pdf
★日本で唯一のマインドフルネスの雑誌『マインドフルネス精神療法』

言葉を見て聞き、言葉を書く、発言する

 さらに、西田哲学の「言葉」「言語」についての哲学を見て、マインドフルネス(観察)の範囲を考えます。 対人関係でない時の、感覚は人間の意志、欲求を表現したものではないので、無視していいものです。無評価?でも。

 しかし、対面や電話で言葉を聞くとか、本やメールなどの言葉を見る時は、無評価ではありません。

西田幾多郎は、こういいます。

 「自然現象は何物をも志向せない、自然現象としては何物も言表せない。・・・。一が他を表現するには、表現するものが我々の意志的行為の性質をもたねばならない、空気の振動が意味を表現するのではなく人間の声が意味を表現するのである。言語とか文字とかいうものは意志の客観化せられたもの、否意志的行為の延長として、道具の意味をもったものでなければならない、いわば之によって何物かを掴み得る手の如きものでなければならない。」(『自覚的一般者に於いてあるもの及それとその背後にあるものとの関係』旧全集、巻5, p318-319 )

 MBSRの手法は、食べる、歩く、ヨーガ、正座などにおける感覚の受け止めである。そこには、相手からの言葉はない。壁や畳や、食べ物、歩いていく風景や自然現象が意識される。無評価観察でよいだろう。しかし、我々は、家族のいるところでも、職場でも芸術、教育、医療、福祉、政治、あらゆる現場で、「言葉」を見、聞き、そして、言葉で考えて、言葉を他者に向かって発している。

セクハラ、パワハラ、差別思想、人格否定などが含まれていないか、言葉を発しようとする時に、評価すべきなのである。また、実際、多くの人は評価している。しないものが、セクハラ、パワハラ、アカハラ、ドクハラなどと批判されて、地位、名誉を失う。

言葉は、人の欲求、感情、意志などを表現しているのである。無評価観察ではありえない。こういう哲学が考慮されず、一部の自然相手の感覚の観察に還元した方法で行うものから、対人関係における方法まであるから一貫しないと言われるのだろう。少なくとも、ACT,弁証法的行動療法、自己洞察瞑想療法(SIMT)は、もっと深く観察している。「自己の階層」もいう。浅い自己は真の自己ではないと評価させる。そこも、無評価ではない。

では、どのように「観察」するのか。西田哲学では「独断を捨てて見、独断を捨てて考え、独断を捨てて行動する」である。これは、非常に広い。

 人間の科学の範囲は、広く深いのであるが、全体主義、画一主義、還元主義がはいりこみやすいとフランクルがいうが、どうなのだろうか。(この言葉や上記の西田哲学の「言葉」をどう見られるだろうか。無評価だろうか。こういうことを真剣に検討していっていただきたい。そういうことが学問なのだろうと思う。哲学の違いもある。また、ACTは、西田哲学と違い、西洋哲学である。ビパッサナー瞑想は、古代インド哲学が背景にあり、これは六道輪廻からの解脱を目標にしている。)

 こう考えると、マインドフルネス心理療法は、対人関係でない状況での観察技法と対人関係やすべての人生の場面における観察法とがあると言っていいのだろう。おそらく、こういうところから、MBSRやMBCTは、それだけでは、うつ病、不安症、過食症、人間関係の苦悩の改善にはなりにくいのだろう。他の療法などとの併用が考えられているのであろう。それはそれでいい。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3549
【目次】第3世代の認知行動療法
Posted by MF総研/大田 at 20:38 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL
言葉を見て聞き、言葉を書く、発言する [2018年04月26日(Thu)]

言葉を見て聞き、言葉を書く、発言する

 さらに、西田哲学の言葉についての哲学を見て、マインドフルネス(観察)の範囲を考えます。 対人関係でない時の、感覚は人間の意志、欲求を表現したものではないので、無視していいものです。無評価?でも。

 しかし、対面や電話で言葉を聞くとか、本やメールなどの言葉を見る時は、無評価ではありません。

西田幾多郎は、こういいます。

 「自然現象は何物をも志向せない、自然現象としては何物も言表せない。・・・。一が他を表現するには、表現するものが我々の意志的行為の性質をもたねばならない、空気の振動が意味を表現するのではなく人間の声が意味を表現するのである。言語とか文字とかいうものは意志の客観化せられたもの、否意志的行為の延長として、道具の意味をもったものでなければならない、いわば之によって何物かを掴み得る手の如きものでなければならない。」(『自覚的一般者に於いてあるもの及それとその背後にあるものとの関係』旧全集、巻5, p318-319 )

 MBSRの手法は、食べる、歩く、ヨーガ、正座などにおける感覚の受け止めである。そこには、相手からの言葉はない。壁や畳や、歩いていく風景や自然現象が意識される。無評価観察でよいだろう。しかし、我々は、家族のいるところでも、職場でも芸術、教育、医療、福祉、政治、あらゆる現場で、「言葉」を見、聞き、そして、言葉で考えて、言葉を他者に向かって発している。

セクハラ、パワハラ、差別思想、人格否定などが含まれていないか、言葉を発しようとする時に、評価すべきなのである。また、実際、多くの人は評価している。しないものが、セクハラ、パワハラ、アカハラ、ドクハラなどと批判されて、地位、名誉を失う。

言葉は、人の欲求、感情、意志などを表現しているのである。無評価観察ではありえない。こういう哲学が考慮されず、一部の自然相手の感覚の観察に還元した定義で行うものであるから、方法が一貫しないと言われるのだろう。少なくとも、ACT,弁証法的行動療法、自己洞察瞑想療法(SIMT)は、もっと深く観察している。「自己の階層」もいう。浅い自己は真の自己ではないと評価させる。そこも、無評価ではない。

では、どのように「観察」するのか。西田哲学では「「独断を捨てて見、独断を捨てて考え、独断を捨てて行動する」である。 フランクルが言ったように、人間の科学には、全体主義、画一主義、還元主義がはいりこみやすい。
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自分を知らない [2018年04月23日(Mon)]

自分を知らない

 北陸での特別講座が終わりました。大変多くのかたのご参加がありました。
関東地区以外の皆様が、マインドフルネス心理療法にご関心をもってられるようです。 来年は、マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座を、埼玉ではやめて、関東以外の地域で、2か所実施していこうと考えます。

 5月19日は、マインドフルネス精神療法研究第4回発表大会です。マインドフルネスには、様々なレベルのものがありますし、哲学の違うものがあります。自己には階層がありますので、問題に応じたマインドフルネスを適用することが大切です。

 「無評価」だけではいけません。自分の見方、考え方、行為は、たとえば セクハラ、パワハラではないかと観察評価しなければならないのです。ブームのマインドフルネスは、簡単なことに還元していますが、現実の世界は複雑です。

マインドフルネスとは、自己洞察です。自己の作用や自己を観察していきます。この点は、日本にある禅が大変深く実践されてきました。 禅は、「金儲け」と非難されることはありませんでした。

禅のような深い自己洞察を、一般の人でもわかるように実践方法をアドバイスすればいいわけです。 西田哲学によれば、自己の意識作用は、判断、感覚、思考、意志作用、行為的直観、創造的直観と深くなります。発表大会でも触れる見込みです。すべての人の、平等であることを教えています。繰り返し考え、実践していくとわかってきます。女性を蔑視して、セクハラがあります。とんでもないことです。性別に関係なく、すべてのひとの根源が、絶対者のごときものであることを西田哲学で説明しています。

 不幸な家庭、緊張の家庭もあります。自分がひきおこしていることに、気づいていません。 家族の間にも、相手を苦しめる行為があります。その背後にある心理を観察しなければなりません。無評価ではいけません。深い位置からの眼で、見た瞬間、考えた瞬間、行為した瞬間、発言しようとする瞬間に、冷静に本音を観察し、評価判断し、適切な行動をしなければいけません。

日本には、もっとも深く探求されたマインドフルネスがありますので、再興していきましょう。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3288
世界は根源を持つ。自己は根源を持つ。それが一つです。

 日本では、多くの人が表現してきました。

 北陸での講義を終えて、感じました。やはり、西田幾多郎、鈴木大拙を生んだ北陸で、深いマインドフルネス心理療法の実践が広まるだろうと思います。
 最高の哲学があります。これは、実在論、自己とは何か。という問題です。どの自己でものをみるか、考えるか、行動するか、はマインドフルネスになります。ちょうどいい機会がきたのです。治りにくいうつ病や不安症も、日本的なマインドフルネスで治るひとが出てきています。哲学と、脳神経生理学で説明できます。

 日本のマインドフルネスを再興しましょう。西田哲学では、従来の禅を超えて、室内だけの実践ではなくて、独断偏見の渦巻く現場での実践をいっています。現代こそ必要になったのです。発表大会でも、これが話題になります。

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/nenjitaikai/04kai/taikai-04.htm
★発表大会

 どなたでも、ご参加ください。治りたいかた、ご家族、マインドフルネスや禅や仏教の専門家(禅の現代化のようです)、メンタルな領域に活用したい方、精神医学関係に従事人、、・・・。
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