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田中正造の映画をみてきました [2006年09月20日(Wed)]
 足尾鉱毒事件で闘った田中正造の足跡をたどるドキュメンタリー映画「赤貧洗うがごとき−田中正造 と野に叫ぶ人々−」(池田博穂監督)が佐野市で公開されたので、みてきました。  足尾銅山で働く鉱夫は、粉塵公害のために、短命だった。夏目漱石の「坑夫」は、足尾銅山がモデル でしょう。足尾の鉱毒で、渡良瀬川が氾濫するたびに、田畑が汚染された。足尾銅山が廃業すれば、公 害は止むはずだったが、日露戦争に突入する国家権力は、公害が悪いこととは知りながら、企業と政府 は結託して、民衆の健康と命をそまつにして、操業を強行する政策をとった。下流の谷中村をつぶして 遊水地にする計画を強行した。田中は、国会議員の職を賭して、銅山の事業停止、谷中村の存続の活動 を続けた。
 意外にも、福沢諭吉は政府側だった。学者や政治家が政府側に回った。天皇への直訴事件が新聞で報道された。石川啄木は、田中正造を支援する寄付金を送った。志賀直哉は足尾鉱毒事件の見学会に参加しようとしたところ、祖父がかつて古河市兵衛と足尾銅山を共同経営していたという理由から父に反対された。この衝突以後、父と不和となる。
 田中は、国会議員の職を辞職して、無収入となっても、銅山の事業停止、谷中村の存続の活動を続け たが、結局、政府は、谷中村の住民の住まいを強制撤去した。村を追われた住民は、北海道の原野に移住した。「政府による棄民であった。」
 当時の政府のすることが正しいとは限らないし、政府の強行な政策で、国民の命が失われたことは多 い。国民が苦しむ一方で、うるおう役人や企業人がいた。足尾鉱毒事件、太平洋戦争、水俣病、ハンセ ン病、エイズ、アスベスト、北朝鮮やドミニカへの移住推進、・・・。時の政府のあとおしをした企業 、学者、役人、医者、作家、・・・。
 国家権力によって、多くの命が失われていった事件は多い。現在も、種々の政策によって、一部の役 人、政治家が税金の無駄使い、裏金、多額の退職金、給与などを受け、一部の企業や富裕層がいよいよ 太るかげで、弱い国民の命が失われていく。福祉関連の支出が削減された。リハビリが受けられない、 介護サービスが受けられない、生活保護費が削減される・・。困った人が、うつ病となり、薬物療法で 治らず、自殺、心中・・。
 国家権力や富裕層のエゴと、弱者がきりすてられていく構図は、現代も明治時代と違っていない。役 人、政治家、企業人は、みな、いつか、「おろかな者」になる。
 正確にはおぼえていないが、映画の中で、田中のこんな言葉があった。
 「自分がおろかであると自覚している者はおろかではない。自分が愚か者であることを自覚していな い者は愚か者である。」
【目次】田中正造 
★田中正造の映画
★田中正造の映画
Posted by MF総研/大田 at 21:18 | こころを描く文学 | この記事のURL