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『善の研究』(2) NHK Eテレビ 100分de名著 [2019年10月09日(Wed)]

『善の研究』(2) NHK Eテレビ 100分de名著

 =マインドフルネス心の世界遺産

 NHK Eテレビで、西田幾多郎の「善の研究」を紹介しています。7日第1回を見ています。 テレビで、次の言葉が紹介されました。

 「我々は何を為すべきか何処に安心すべきかの問題を論ずる前に・・・
先ず天地人生の真相は如何なる者であるか、真の実在とは如何なる者なるかを明らかにせねばならぬ。」

純粋経験

 若松英輔さんの説明になるます。
 我々はコップに入った水を認識するときに、様々な情報をもとにします。しかし、このような瞬間がーーーー
まだ何が起こったかもわからず、考える余裕さえありません。こうした経験こそが純粋経験だと、西田は考えたのです。その純粋経験から、道徳や宗教などの人生のすべてを考えなおしてみようとしたこころみが「善の研究」でした。

 本書は4編からなるが、西田自身が、第一編「純粋経験」は難しいという。このテレビでも、4編の「宗教」から見ていく。

宗教は生命の要求、そこでは知と愛は一つ

 「宗教的要求は我々のやまんと欲して、やむあたわざる大なる生命の要求である。・・・」

 そして、そこには知の働きと愛の働きを欠くことができません、と若松さん。

 「知と愛とは普通には全然相異なった精神作用であると考えられて居る。しかし余はこの2つの精神作用はは決して別種の者ではなく、本来同一の精神作用であると考える。・・・一言でいえば主客合一の作用である。我が物に一致する作用である。」

 若松さん。「私が他者に一致する、その時愛が働くと、西田はいうのです」
(途中、略します。このように、西田のこの頃の説明は、心理学的です。)

 「我が物に一致する作用である」という言葉があるが、若松さん、「物を仕事に置き換えると、私と仕事が一つになる状態なんだと。・・・
 愛するということは自分よりも大事になってくるということですね。
 その人の苦しみは私の苦しみを超えるということがきっとあるんじゃないでしょうかね」と。

 「善の研究」は、まだ宗教の絶対性、超越性が明確に説明されていません。 西田のこの頃の説明は、心理学的です。自己を忘れて行為になりきっている状況(知的直観)が主客合一だ、そこがみな宗教的なように受け止められそうな言い方になっています。
 後期になると、それは、知ること(直観)と行為が同一である状態を「行為的直観」といいます。そこに喜びがあります。行為と対象(客観、他者)を愛するのです。この場合、喜ぶのは「私」ですから、後期にはここも、まだ宗教ではないということを明確に説明します。「善の研究」では、「統一的或るもの」「背後に一つの統一力」があると表現されてはいますが。
 愛の作用が自分のものでなければ、宗教的になります。見る時、行為する時、底から自己を超えたもの、愛の働きが働くとしたら宗教的です。
 アインシュタインの言葉は、宗教的です。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3262

 若松さんも、そこのところは、第4回のテキストで、最終の論文「場所的論理と宗教的世界観」の言葉で紹介しています。(p116-120)

参照
「100分de名著 善の研究」若松英輔、NHK出版

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4382
★目次(これ)(1)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4384
★(2)


★「マインドフルネス心の世界遺産」の索引です
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/sekai-isan/mokuji-sekaiisan.htm

(注)マインドフルネス心の世界遺産の例=河井寛次郎、大山忠作。
★河井寛次郎
★大山忠作
Posted by MF総研/大田 at 14:55 | マインドフルネス心の世界遺産 | この記事のURL