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不退転 [2019年06月11日(Tue)]
★家族のうつ・自殺を予防するマインドフルネス体験会
http://mindfulness.jp/2019-hasuda.pdf ☆チラシ
 不登校、ひきこもりは、不安やうつによるものもあるはずです。そうだとしたら、早いうちからマインドフルネスSIMTを体験していて、解消できる不登校、ひきこもりは長引かせないようにしたい。

★マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座
まもなく、マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座が開始です。来年は、関東地区ではありません。関東のかたは、今年、ご参加ください。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4243
★被災地でうつ病、不安症、PTSDなどを軽減、予防するマインドフルネス
 被災地でのマインドフルネスを提供できるというカウンセラーがおられます。カウンセラーの時間、費用が限られているので、求めるかたが真剣でないと実現しないので、現地で協働してくださるボランティア団体があればありがたいです。

不退転

 西田幾多郎に学んだ西谷啓治の言葉をみています。絶対無の自覚あるものは、自己が違う見方になります。

 体認するとは、見性、悟るということですが、最も深い真の自己や世界のありさまを知るので、もう、他の思想、宗教などに向かうことがなくなります。 そこを「不退転」といいます。現代でも、強い決意を表明することに用いられます。 大乗仏教からの言葉なのですね。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3060
ここに説明があります。「不退転の菩薩」です。

 マインドフルネス、仏教でも、いろいろな流派、宗派がありますが、ある種の観察トレーニングを続けていると、二元的でない、意識的自己がない(道元は身心脱落という)特殊な体験が起きるのです。西谷は「体認」という。中国禅や日本の臨済宗は「見性」「悟り」という。道元禅師は、見性の用語を嫌って「身心脱落」の語を好んで使いました。事実としての体験は同じです。自分、精神、心、世界などが、分節する以前の状態(如、無分節、無、空)を体験するので「身心脱落」というのです。
 これで、すべての精神的な苦悩から解放されている自己の根源を体認する。仏教経典や聖書に文字で書いていることが、別な意味をもって読みとることができます。だから、もう、他の専門家の言葉には、くらまされなくなります。それで、「不退転」といいます。
 この体験をしない人は、宗教、仏教でも色々な宗派があるので、そちらにいったり、やめてしまう、これを「退転」といいます。マインドフルネスも、他に移るとかやめてしまうならば「退転」です。宮沢賢治は、自分がつかんだものが、不退転のものだと思っていたわけです。彼の作品はそういう深いものが背景にあることになります。日本の芸術家にはそういうひとが多いのです。そういう人、作品を味わい、探求していくのは興味深いものです。「マインドフルネス心の世界遺産」として、鑑賞し現地を訪問します。
⇒「マインドフルネス心の世界遺産」
 大乗仏教では「無生法忍」というのです。マインドフルネス、正念、観察の極み、ここにゆきつきます。すべての評価、差別、苦悩の起きる前のありさま。 そこを道元は、「なし、せず」で表現している。  ( ⇒ http://blog.canpan.info/jitou/archive/3137 )
 ( ⇒ http://blog.canpan.info/jitou/archive/3074 )
 日本の禅がそういうことであるから、日本のマインドフルネスである自己洞察瞑想療法(SIMT)は、深い方向への道筋となるように実践していきます。欧米のような限界はありません。見性以前の観察方針も違います。無評価ではありません。自分や他者の価値実現を妨げるような見方(感覚)、考え、行動をしていないかをすべての場面で瞬時に評価して、価値実現の行動を選択するのです。だから、瞑想場面ではなく、家族との対話、学校、病院、職場、学問の場面、スマホ、メールの場面でもです。すべての生活場面です。
 ジョン・カバット・ジン氏は、わかっているのです。「全体性」が不退転となる体験で知る深い哲学があることをご存知ですから。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3085

文献
西谷啓治(1987)『西谷啓治著作集』創文社、【巻、ページ】で示す
http://blog.canpan.info/jitou/archive/2734
★人格的自己のマインドフルネス(自己洞察)
マインドフルネスSIMTはここまでカバーする。これでないと解決しない苦悩があるからです。 そういうものが不要というのは、「私は難病にかかっていないから難病の治療法の開発は不要だ」ということに似ていませんか。そのような深い問題に目を向けないひとのエゴイズムではないでしょうか。身体の病気だけで苦悩するのではありません。精神の深い苦悩の中にあるひともいます。精神医学や宗教のテーマではないでしょうか。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2425
★大乗仏教の人は自分の安泰にはとどまらない
 インド大乗仏教のひとは、「これが悟りだ、これこそ真理だ」としては留まりませんでした。専門家は自分の幸福(スキル、思想、地位、収入などを得た)で満足しがちですが、世界に目を向けると自分が持つもので救済できる可能性があることで苦悩するひとがいます。自分の苦悩ではないからといって無視傍観はしませんでした。大乗仏教の精神が失われているようです。
むしろ、がんや難病の治療の研究開発をする医師に大乗仏教の精神がみられるように見えます。自分はその病気ではないのに、研究に尽力しておられます。宗教者や精神医学者、マインドフルネス者は?

【目次】第4世代の認知行動療法? 第5世代?
http://blog.canpan.info/jitou/archive/4236


【目次】第3世代の認知行動療法
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3572
Posted by MF総研/大田 at 06:16 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL