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“わからない”との向き合いかた=自分の未熟を認めることが [2019年05月11日(Sat)]
2020年1月発売。
すべての階層のマインドフルネスSIMTの実践ができる本を執筆中です。 感覚的自己、意志的自己、叡智的自己(専門家の自己、行為的直観)、人格的自己(絶対無、無分節を自内證し、創造的直観で慈悲実践)までをカバーする本。マインドフルネスの方法で実践できる本。
感覚的自己の瞑想は、無評価でいいですが、それ以外は、激しい評価の場面、無評価では生きていません。観察のしかたが違います。

“わからない”との向き合いかた=自分の未熟を認めることが誠実

 11日朝、NHK総合テレビの7時台の番組「令和に生きる」で、歴史学者呉座勇一さんが、すばらしい提言をなさいました。

 自分に分からないことがある場合、簡単に納得する意見に同調したり、決めつけるような結論を下すようなことをしないで、 「自分がわからない」「勉強が足りていない」と素直に認めることが大切だというような趣旨のことを提言されました。

 そういう態度が「誠実な知的な態度、知的に正しいやり方であって、それをやらないと結局 成長もない。」と言われました。

 全く、同感です。 深い問題であって、分かりにくいテーマで、自分でわからないことが不愉快であっても、そのままにすればいいのに、他の人を否定、誤りを犯したというひとがいます。

 最近では、榎本博昭さんも、同様のことを指摘しておられました。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3855
★ 認知的複雑性が乏しい各種の専門家の「ゴリ押し」

自分が未熟であることを認めることは不愉快ではありますが、 それに耐えるのが、誠実な態度です。「しったかぶり」は、仏教でも批判していました。 専門家がそういうことをしやすいのです。そういうことをすると、自分が成長しませんし、その人の話を聴く人を同じく浅いところにとじこめてしまいます。

 仏教者(出家、学者)がそういうことをすると、悩む人の救済を妨害することになるので、大乗仏教は戒めていました。「わかったつもり」「しったかぶり」は、 自分の成長がないばかりではなく、悩む他者の救済の妨害をします。だから、西田哲学では、「至誠」で見て考えて行動するようにいうのだと思います。

 悩む人に関わる仏教、心理学、カウンセリング、マインドフルネスについても同様のことが言えると思います。 「私が知っているのは、ここまでです。もっとほかの〇〇ならば、あなたの問題に応えることができるかもしれません」と、他のものを推薦するのが誠実でしょう。医者はそうしています。他の専門医を紹介します。
 仏教、心理学、カウンセリング、マインドフルネスの人も、そうしたいものです。事実を伝える、否定排除しない、選択はクライアントの自由にまかせる。さもないと、かかわったクライアントが不幸から抜けることを妨害する可能性があります。
【専門家のエゴイズム2019】

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4218
★“わからない”との向き合いかた=自分の未熟を認めることが誠実

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4222
★また、論考著作に不正

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4165
★詩人 茨木のり子さん 倚りかからず
 思想、宗教、学問、権威。学問までも! 学問の名で浅いところに閉じ込められることがある。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4163
★批評は無私であるべき
http://blog.canpan.info/jitou/archive/4100
【目次】専門家の驕り=オルテガによる批判

Posted by MF総研/大田 at 13:38 | 無評価・有評価 | この記事のURL