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瞑想の時でも「評価」しなければいけないことも? [2019年04月10日(Wed)]

瞑想の時でも「評価」しなければいけないことも? =マインドフルネス実践の科学をさらに厳密に

 科学、学問は、発展しゆくものであると聞いています。私は学者ではなく、実践家ですが。
 「評価」「無評価」で観察というマインドフルネスを考察しています。 この前、「評価」には、種々のものがあると言いました。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4181
「評価」の種類・評価の場面 ・ 重い評価・軽い評価

 「評価」のなかには、重いものがあり、たとえば、瞑想の時であっても、「評価」しなければならないことがあるのではないかという疑惑です。瞑想時には普通は、「無評価」でいいかもしれませんが。
 評価のうちでも「好き嫌い」は浅いものが多いでしょう。しかし「正邪」「正不正」「身体の異常」「生命危機」の評価は重いです。いかなる場合にでも、これは評価すべきでしょう。
 次は、静座瞑想やヨーガ瞑想、ボディスキャンの時に起きたらどうでしょうか。評価して、適切な対策行動を判断するでしょうね。

1.心臓の異常を感じた。
2.気分が悪くなった。
3.主催者の行為が、セクハラ、パワハラだと判断をしてはいけないか。
4、主催者の言うことに疑問、不正、不満を感じるが、そういう評価はいけないのか。
5.瞑想の場所、方法が怖いと評価して、言ってはだめか。
6.主催者の指導法がおかしいと評価してはだめか。
7. 「死」の意識が侵入してくる。無評価ではいられない。ごまかせば、瞑想していない時にも侵入してくる。

 次は、食べる瞑想に参加したが、主催者が次の食べ物を配布した
1.私には、アレルギーがあるが、含有されていると困ると言う評価はダメか
2、配布された食べ物が変な匂いがする。腐っていなるのではという評価はせずに食べるのか?

 日常生活の場面での評価は「正邪」は「好き嫌い」よりも重いと哲学者はいう(青山)。 無とする「評価」とはどういうことだろうか。
 現実は、評価するされる世界であるのに、瞑想の時間が多いひとは、現実社会で評価するされることが苦手になっていかないか。不正をみても見ぬふりする傾向を助長しないか。自分の頭で評価して考えることを苦手にしないか、検討していかねばなりません。

★文献
青山拓央(2016)『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』太田出版。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3855
榎本博昭(2017)『正しさをゴリ押しする人』角川新書。
 認知的複雑性の欠如


http://blog.canpan.info/jitou/archive/4169
【仕事、家庭は「評価」の現場、評価観察のマインドフルネスが必要】

関連事項

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3605
★本音、感情の観察
 自己洞察瞑想療法(SIMT)では、「評価」の洞察をします。さもないと、評価がとびかう職場などで生きていくことが難しいですから。
Posted by MF総研/大田 at 21:40 | 無評価・有評価 | この記事のURL