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批評は無私であるべき [2019年03月23日(Sat)]

批評は無私であるべき

https://www.asahi.com/articles/DA3S13940952.html
★朝日新聞3月20日、の記事に「 辛口批評、しにくい空気 SNS台頭、プロの書き手に逆風」というのがあります。

 ファッションや車についての批評です。ブランド側は肯定的な評価がほしい。 評価の世界です。批評が公平な眼でできるのかという問題です。肯定的な批評をしてくれる人を優待し、辛口な人を「出入り禁止」にする。
 一般人は、この批評は公平か、ブランド寄りか、判断しなければなりません。批評家はファッションや車を評価するが、我々は、その評価が偏っていないか評価しなければなりません。評価の評価です。社会はとにかく「評価」の世界です。自己中心的な見方、判断が入ります。

 記事が指摘するように、最近では、プロではない批評もインターネットに現れています。

 最後に、批評家の若松英輔さんの意見があります。「優れた批評には「無私性」が必要」で、さらに、弱点ができるかもしれません。 若松さんは「経験が好みを生み、無私の態度をゆがめることがある」ともいっています。

 自分の利益(様々ある)を考えて、批評に手ごころを加える、甘い批評をすることが起こるというのです。また、経験によって自分の好みが強まり(執着)、それを基礎に批評がされることも。

 「本」も批評の世界に現れます。「本」が出版されると、インターネット上に、5段階の点数がつけられ、批評文も記載されています。本の場合、プロの批評と素人の批評があります。判断基準が若松氏のような公平な評価とは限りません。自分にとって面白いかどうかとか、自分に理解できないと低い点にするようです。自分がそのテーマのことを経験していると、公平ではなくて、自分の好きなことに高い点をつける傾向があるでしょう。若松氏がいうような「無私性」はとても難しいです。

 いい本なのに、よく読み取れないひとが低い点数をつけたな、という暗澹たる気持ちを持つことがあります。著者がかわいそうです。しかし、自分の本を出版してもらえたことは、社会貢献です。めげずに、自分を貫いていっていただきたいと思います。いい本は古典として世界に保存されて後世の人も評価してくれます。

 オルテガのいう「大衆化」がインターネット上の評価にも起こっているでしょう。「天才を殺す凡人」というのもそういうことでしょうね。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3855
★認知的柔軟性の欠如

 このことは、専門家も、一般市民にもおこるわけです。後の時代に賞賛される人が、生きていた当時には、低い評価しかえられなかった偉人も多いですね。宮沢賢治、金子みすゞなど、あとの時代のほうが高い評価を得ています。「無私性」は、日本人の崇高な精神性でした。西田幾多郎は「至誠」といいました。こういう精神は、もう日本にも失われています。家庭、学校、企業でも教えられません。我利、闘争、排除が目立つ厳しい社会です。うわべは柔和で寄ってくるがいざとなったら何をするかわからない人間。つらくて、うつ病になり自殺もあります。 しかし、少数、教えてくれる人がいます。「こころの世界遺産」として保存されていきます。いつか、誰かの目にとまります。単独で生きていける状況ではなく「共生」すべき世界です。若松氏のいう「無私性」を教えていこうという動きは教育界、産業界、学会にはないのでしょうか。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4100
★オルテガ「大衆の反逆」

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4218
★専門家のエゴイズム 2019
Posted by MF総研/大田 at 21:19 | エゴイズム | この記事のURL