CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«マインドフルネス心の健康クラブと宮城県で講演 | Main | 【目次】無評価の観察のマインドフルネスは家族、職場、学校、病院などでは両立しない»
宮城県大崎市の千手寺で講演 [2019年01月27日(Sun)]

宮城県大崎市の千手寺で講演

 本日、講演を行いました。
その内容です。

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kouen/2019-1-26-miyagiken.pdf

 1部は、日本のマインドフルネスSIMT(自己洞察瞑想療法)、競争の激しい社会で生き抜いていくためには、対人場面で起きる評価はさけられない (怒り、イライラ、不安など感情が起きるが、その時自分の基準に合わないと評価判断しているのである) が、衝動反応(闘争や逃走)をせずに、意志的反応ができる。そうしないと、組織、社会で生きていくことが難しい。そこで、自己中心的な本音、行動基準に気がつくことが大切。こういう訓練を10か月繰り返すから、難治のうつ病、不安症、PTSDなども治るし、家庭や職場での人間関係も改善できる。欧米のマインドフルネスのように、ひとりでいる時に行う無評価の観察とは違う。SIMTは、ポリヴェーガル理論の批判にも耐えられる。すべての時に「正念相続」という深い禅に通じ、自己は常に動きゆく創造的世界の創造的要素だから。対人関係の場(=ポイエシス)での自己洞察(=プラクシス)が当たり前だから。

 2部は、ポージェスの『ポリヴェーガル理論入門』によって、 無評価のマインドフルネスは、対人交流場面では両立しないと 指摘された、欧米のマインドフルネスの限界。そして、仏教の弱点でした。 部派仏教は、六道輪廻からの解脱のための手法であるから、家庭や職場での生き方ではない。 大乗仏教が批判した。ただ、日本仏教は、一般市民の支援が弱い。たとえば、うつ病の人や対人関係での悩みなどのごく普通の市民の解決支援を教えていない。

 以上が主な講演内容です。
 今年は、マインドフルネスの新時代です。研究がすすむでしょう。仏教が2000年たどった歴史を、マインドフルネスは数十年ですばやく経過するようです。 初期仏教(四諦八正道、ビパッサナー瞑想)は、働く現場でどう生きるかを教えないと大乗仏教に批判されて別の大乗仏教が起こりました。「マインドフルネス」が早くも、働く現場では両立しないと指摘されました。
 世界中に、自分がファーストというエゴイズムが顕著です。大小の組織で対立抗争が起きて、私の知る組織も衰退、消滅していきました。大学も社会のために価値ある研究をして、社会が向上できる模範となる教育を講座を社会に提供しているのですか。
 なにが、個人の生きる価値、社会貢献なのでしょう。 個人の人生価値は組織団体への貢献だとして、その組織団体が激動し変化しゆく「世界」に存在する価値は何なのか。

 自分が一人いる個室以外の現場は、見た瞬間に、何かされる、瞬間的に評価判断しなければ、生命をおびやかされます。犯罪、ハラスメント、死ぬ、ミスする、叱責される、殺される、騙される、排除される、排除する、研究者も論文でくだらないことをすると研究者生命が終わりになるとポージェスもいう。そういう緊張の場面が多いです。エゴイズムが充満する社会で「無評価」だけでは、居心地よい社会は建設されません。疲れを休めてまた社会建設の現場へ出る準備のために、一時、しずかな安全な自室で憩い、反省するのはいい。しかし、社会を建設する現場は、家庭と職場の「今」。
 世界中で対立抗争、この 非常時に、無評価だけでは生きていけません。新しい時代のマインドフルネスが研究されるでしょう。


http://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
★関連記事【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
Posted by MF総研/大田 at 00:03 | 私たちの心理療法 | この記事のURL