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講演でした [2019年01月13日(Sun)]

講演でした

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概要=1部 2部 3部

【1部】マインドフルネスの問題点

 無評価で観察できるのは、安全な場で一人でいる時、ボディスキャン、ヨーガ、静座瞑想している時。
 しかし、この世は、一歩外へ出ると、国内も国際的にも、独断偏見、我利我欲が充満している(西田幾多郎)。そんな厳しい環境で生き抜いていくために評価判断が必要な場とは、職場、学校、家庭、病院、ビジネス、官公庁、外交、など、人とが交流しながら動いていく現実の社会。

☆ポリヴェーガル理論
 ブームのマインドフルネスは評価の場では両立しない。だが、一人でいる時のマインドフルネスの訓練が無駄ではない。その時の訓練で得られた変化の影響を及ぼすのだろう。だが、現場の瞬間は、厳しい評価判断が必要である。その瞬間はどう観察するのか。西田哲学では、「至誠」で、という。

☆MBSR・ブームの源流
 全体性を強調しているのにMBSRの利用者は実践していないようだ。MBCTさえも、「全体性」をとりいれていない
 まさに生産活動の現場、対人場面でのその瞬間には評価判断が必要である。MBSR,MBCTの教える「無評価」ではいられない。どう観察したらいいのか、、、。

☆ACT=アクセプタンス・コミットメント・セラピー
 観察する自己が真の自己というが、仏教や禅の自己とは違う。

☆四諦八正道・ビパッサナー瞑想は非常に難しい
 六道輪廻からの解脱が目標である。この人生の現場(家庭、職場)でよく生きるというのではなくて、特殊な禅定(灰身滅智慧、滅尽定)を尊いとする。

【2部】仏教の問題点

一般市民から隔絶している
    利他、自内證、人間完成が弱い

★大乗仏教と初期仏教は別の宗教

★西田哲学による仏教批判
   「道元に深い自己の根源」=無視されている

深い人間哲学を見捨てている

★鈴木大拙・日本的霊性(自内證が失われている)

★竹村牧男氏・初期仏教は現代的でない
   初期仏教の涅槃・六道輪廻からの解脱・利他をしない

★井筒俊彦も道元禅師に深い哲学を指摘

★フランクルにも深い自己が

【3部】これからの研究課題

★竹村牧男先生の提言

★後期西田哲学の実践論
 仕事の現場、家庭では、自己の心を観察して、独断偏見がないかどうか、私欲的でないか評価判断しながら、見て、考え、行為しなければならない、というのが、日本人の精神であったと西田幾多郎がいった。
 西田哲学でいう、観察の指針は「至誠」で。全体の立場で、絶対の立場で判断するのだという。MBSRがいう「全体」の語が、西田哲学でもでてくる。ジョン・カバット・ジン氏がいう「全体性」と同じか、違うのか、「科学的」検討が必要である。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】
Posted by MF総研/大田 at 19:41 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL