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すべての人間のこころと現実の歴史の底にはいつも宗教的なものが動いている [2018年11月24日(Sat)]
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3992
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すべての人間のこころと現実の歴史の底にはいつも宗教的なものが動いている

 アインシュタインの言葉を見た記事の中に、西田哲学の引用をしました。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3263
 「宗教的体験というものは、自己というものが死にきって、絶対が出て来ることである。そこに言語思慮を入る余地がない。故に宗教には生命の転換、いわゆる回心というものがなければならない。」(『人間的存在』旧全集9巻67頁)

 この前の言葉まで引用すると次のようです。私も「すべての人の自己の底に自己を超えたものがある」という西田哲学の言葉をしばしばいいますが、次のようなことです。 「知らないけれど(すべてのひとに)あるんだよ」似た言葉が金子みすゞにあります。

 「超越的なるものという語は、色々の誤解を惹起するかも知れないがそれはるるいったごとく絶対矛盾の自己同一として、意識的自己、知的自己に超越的であるということである。行為的自己、制作的自己に対してはかえって直接であり、我々はこれに於いてあるということができる。・・・・
宗教は過去の迷信とか愚民の阿片とかいうものでなく、歴史の底にはいつも宗教的なるものが動いているのである。」(『人間的存在』旧全集9巻66頁)
 このあとに、前記の文が続きます。
 「宗教的体験というものは、自己というものが死にきって、絶対が出て来ることである。そこに言語思慮を入る余地がない。故に宗教には生命の転換、いわゆる回心というものがなければならない。」(『人間的存在』旧全集9巻67頁)

 行為的自己は叡智的自己ともいい、制作的自己は、人格的自己とも創造的自己ともいいます。すべての人にある深い自己です。人格的自己は、宗教者が体験することが多いのです。道元、白隠、エクハルトなどがいます。すべてのひとが用いているのに、体験で証明できるのは宗教者が多いのです。宗教者以外にもいます。世阿弥、千利休、松尾芭蕉、河井寛次郎、東山魁夷、多数います。

 しかし、他の自己はすべてのひとが体験していて、ちょっと深く思索して観察(=マインドフルネス)してみると「なるほど」と体験できます。

 「知的自己」は、感覚で見ている自己と思考して知る自己です。 これよりも深い底から動く主体があるというのです。

 「意識的自己」は、意識される自己です。アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)の文脈としての自己もこれです。西田哲学はもっと深い自己があるというのです。 それでないと解決できない心理上の苦悩があります。たとえば、がん患者さんや高齢者は、文脈としての自己さえもが消えるという「死」の苦悩を解決できないでしょう。ACTは社会に貢献できる領域があります。しかし、万能ではないということを科学者は理解していなければならないでしょう。良き他のものを否定してはいけないのです。
 人格的自己も他の自己のことを否定しません。他のものを好きであると評価してそれぞれの価値を遂行して環境・世界を作っていくからです。「みんなちがってみんないい」(金子みすゞ)です。みんな一つだけを好きになるはずがありません。

 自己洞察瞑想療法(SIMT)は階層的に構成しています。「うつ・不安障害を治すマインドフルネス」(佼成出版社)に発表したのは、全く宗教ではありません。宗教的なものは、人格的自己レベルです。これは、とても、すぐに、うつ病などのひとや人間関係の悩みをかかえる人が実践できるものではありません。

 しかし、企業人で、「4つの満足」(下記)を崩壊させず、不幸にせず、また、不正、我利、パワハラ、セクハラなどをして犯罪者になりたくない人は、少なくとも、行為的自己、人格的自己を理解して、実践してもらいたいものです。人格的自己を「証明」するのは、宗教者だと西田幾多郎がいうほどに、容易ではないからです。 理解して信じて実践することは心の病気でないひとならできます。がん患者さんでもできます。経営者でも管理者でも、職務を遂行(ポイエシス)する時に同時に、至誠の心の成長(プラクシス)ができます。

 西田哲学の原文は難しいので、がん患者さんのマインドフルネスSIMTのような本があればいいなと思うので、まとめてみようと思いはじめました。

 経営者のためのマインドフルネスSIMTは、紹介しつつある「これからの経営学」にも通じるものです。社員の幸福と家族の幸福と会社の繁栄と顧客の満足の「4つの満足」を重視する経営者は、不正、我利、パワハラ、セクハラをしないはずです。4つを苦しめることはよくないと「評価」して抑制するはずです。
 科学者も、対象にならない自己は科学では扱えないとか、自己を超えたもののあることを理解する人がでてきました。

 「無評価で観察」は、ごく一部でしょう。瞑想、ヨーガ、ボディスキャンなど対人関係でない時でしょう。家族とか職場の人との会話、仕事では、不正、パワハラ、などではないかと「評価」しなければなりません。「嫌だ」という評価は必ず起きます(注)。評価するが、価値を崩壊させない反応であるかどうか「評価」しつつ、見て行動して行く。西田哲学の教えるところです。
(注)家庭、職業を持つ人は、感情は誰でも起こします。その時にすでに評価がされています。自分の本音に合わないと評価しているのです。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3992
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 日本には、西洋にないものがあることを見出したのは、夏目漱石でした。禅にあこがれました。今でも読まれるのは深いものがあるのためでしょうか。志賀直哉、川端康成、武者小路実篤もそうですね。


http://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】

Posted by MF総研/大田 at 06:56 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL