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(15)日本の仏教は「マインドフルネス」どころではない? [2018年10月09日(Tue)]
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(15)日本の仏教は「マインドフルネス」どころではない?
 =大乗仏教の核心が失われ存在意義が問われている

 次の本は、日本の仏教者が信じているという大乗仏教は ブッダの仏教ではない、別の宗教だと指摘しています。そして、日本仏教は、大乗仏教の本道から乖離しているという。「利他」が弱い、人間完成がない、自ら証明する「自内證」がない。とすれば、日本の仏教の存在意義は何なのか。
 西田幾多郎も70年前から批判していた。仏教の学問は遅れているようだ。真剣に自己批判に向き合わないところがあった。

『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会

 科学と称する「マインドフルネス」が日本でブームですが、本書は、法華系、浄土系、曹洞宗の一部の僧侶が 「マインドフルネス」にならうことを批判しています。目的、哲学が違うと、手法が違うのです。ACTも別の哲学です。


 「現在、日本に進出してきている上座部仏教団体周辺の人々からは、しばしば、 「仏教は宗教ではなく科学である」という考えかたが発せられている。」(p232)
 「「仏教は宗教ではなく科学である」という考えかたは、一種の科学崇拝であると考えられる。 科学的であることは、少なくとも、人としての完成にとっては、あまり意味がない (科学的な知識を持っていても、人としての完成に至っていない人はいくらでもいる)。
大乗仏教は、あくまで、人としての完成や、人を超えたブッダへの無限の向上を 目ざすものであるから、ことさら科学的である必要はない。」(p232)

 (ただし、日本の仏教は、ただ坐禅するだけで利他にも弱く、「人としての完成」の精進も弱い。西田哲学では、至誠に生きよというのが日本の精神だというが、日本仏教はそれを言わない。=大田)

 「こんにち、都市部においては、新来の上座部仏教団体が、変動する社会において救いを求めて浮遊する人々を、 瞑想を教えることによって惹きつけつつある。 そのような人々のうち、科学崇拝との親和性が高い人は「仏教は宗教ではなく科学である」という 考えかたに親近感をいだきがちである。ただし、それはかならずしも多くの日本人ではあるまい。 (中略)
仮に「仏教は宗教ではなく科学である」という考えかたが日本を席捲する時が来るとすれば、それは 日本が日本でなくなる時であろう。」(p233)

 「法華系と浄土系との諸宗や禅系の曹洞宗を中心として、上座部仏教を摂取して瞑想を広めようとする人々もいる。あるいは、 諸宗の教えを上座部仏教に引きつけるかたちで改変して広めようとする人々もいる。」(p240)

 仏教が科学ならば宗教教団の存在意義が弱い。科学そのものはエゴイズムをやめようとか、人間の完成をいうこともない。
 「マインドフルネス」が、東南アジア系の仏教教団の宣伝になっているようではおかしい。マインドフルネスは科学ということで、マインドフルネスの「科学」?が特定の宗教への入口となると問題である。上座部の実践は、古代インドの六道輪廻からの解脱を求めるもので、現世で強く生きていこうという心得が弱い。
 日本の仏教者が、上座部の宗教を称賛するようで、居心地が悪い。自分の宗教はマインドフルネスにどう対応するか、困っているだろう。その前に、大乗仏教は、利他、人間完成、自内證などが核心であるはずなのに、科学的な「マインドフルネス」をいっている時ではないだろう。

 日本の仏教は、「マインドフルネス」の前に、自分たちは何であるのかが問われている。
 古代インドの輪廻を恐怖していた時代の仏教、家族や職を捨てて、在家からの布施に依存しながら六道輪廻からの解脱を目指す初期仏教では、現代日本の状況とは全く違う。
 大乗仏教は、家族仕事を持つ者が利他、人間完成を目指し、それを自内證で確認するというが、日本の自分の宗教はそれをしているか。
 大変、難しい状況にある。現状を招いたのは、長老方であり、それを「学問的」に支援した学者である。また、おかしいと声をあげなかったメンバー全員の問題である。長い伝統があり、内部で反対意見をいいにくい「空気」や、恐怖から「忖度」「あきらめ」が予想される。どうやって、誰が、現状を打開するのか。大きな組織は変わりにくい。 自滅していくのか。本書も、それも一つの予測としている。

 「実のところ、もはや立ち返れない地点にまで至ってしまっていると思われる。諸宗はいずれ行き着くところまで行き着くしかない。」(p241)

 日本の仏教に、同情を感じる。何とかしたい。「瞑想」が悪いわけではない。うつ病などを改善できる瞑想もある。瞑想する智慧(哲学)次第である。大乗仏教の六波羅蜜にも瞑想がある。禅定波羅蜜がある。ここに突破口があるだろう。利他と人間完成の自己洞察である。ビパッサナー瞑想に習うのではなくて、大乗仏教の六波羅蜜として構成できないか、検討するのである。

 長い期間、信じられてきた教団の公式見解が変わるのは、検討期間が必要であり、10年かかるかもしれない。末端の人はそれを待たず、自発的に大乗仏教の気概をもって、現世の苦悩を解決したい国民のために利他のためのマインドフルネスの活動に先行参加していいのではないか。たった一回きりの人生、自分の頭で決めていいのではないか。組織全体は変われなくても、個人や少数のグループで本道に戻ることはできるだろう。
【書籍紹介】『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会 【連続記事】【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
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【自己保身、「空気」を読む、忖度する】

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『忖度社会ニッポン』(片田珠美、角川新書)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3873
『「空気」の研究』(山本七平、文春文庫)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3875
阿部欣也の「世間」。記事の本のほか『「世間」とは何か』(講談社現代新書)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3853
【目次・書籍紹介】「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3918
『日本型組織の病を考える』村木厚子、角川新書

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『異端の時代 〜 正統のかたちを求めて』森本あんり、岩波新書

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『見て見ぬふりをする社会』マーガレット・ヘファーナン、河出書房新社

【連続記事】【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
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Posted by MF総研/大田 at 10:13 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL