金沢でマインドフルネス瞑想療法士🄬の講座と鈴木大拙館の見学
[2018年09月17日(Mon)]
金沢でマインドフルネス瞑想療法士🄬の講座と鈴木大拙館の見学金沢から、さきほど戻りました。昨日は、マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座の第4回、マインドフルネスのための西田哲学入門でした。場所の論理、対象と作用とは同じ場所にある、意識の階層、それに応じた自己の階層、そして、意志作用の哲学を学習しました。 本日は、北陸マインドフルネスセンターさんの企画で、加賀料理をたべて、鈴木大拙館の訪問でした。 料亭は寺町の一角にありました。時間があったので散策すると、寺がたくさん、何十もあるようです。一つの禅寺で松尾芭蕉の句碑に遭遇しました。芭蕉も「マインドフルネス心の世界遺産」の一人です。偶然みつけて嬉しかったです。芭蕉は、江戸の禅寺で修行し印可されました。句が深くなりました。そのあたりに芭蕉の足跡があります。 料亭を出て、閑静な小道を歩いて大拙館に向かいました。途中、三宅雪嶺(北陸マインドフルネスセンターさんが説明してくださいました)の生家跡をみて、大拙の生家跡を見て、大拙館にいきました。そこで学芸員さんの説明をききながら、大拙のことをしのびました。池があります。空を映しています。時々、水の噴出までいかない騒ぎが起こり、波紋がひろがります。源の騒ぎは消えたのに、波紋が延々とひろがっています。感情の尾のようです。 日本人ばかりでなく、外国の人も大勢おられました。鈴木大拙への世界的な期待が感じられます。 大拙館を見たあと、林の小道をあるいて、兼六園下のバス停まで歩きました。 ホテルに観光パンフレットがいくつか置いてありましたが、何と、ひとつは、 「金沢ふるさと偉人館」の「北條時敬(ときゆき)とその教え子たち」の案内です。西田幾多郎の先生です。 (9・15〜11・25) これはいかなくては! 来月の講座の余暇にいきます。 北陸は、西田、鈴木のほか、道元禅師、瑩山禅師、暁烏敏、清澤満之、雪門玄松(西田幾多郎の禅の師)、西谷啓治など、深い自己を探求した(今でいう、マインドフルネスの深いもの)人々が多くいました。かほく市では、小学生に「寸心読本」が配布されるそうです。やさしく書いた西田の伝記です。 だから、今も、深いマインドフルネスを探求したいというひとが多いのですね。「作られたもの(環境)から作るものへ(主体、自己)」ですが、北陸には、深い自己探求の遺産と現在活動がたくさんあります。それに囲まれて育つ北陸の人たち。小さいころから学ぶ環境あって、今、深いものがうけつがれるのですね。 伝統があって、今もまた日々見る機会があるから引き継がれているのですね。 東京には、深いマインドフルネスを生む伝統と場がありません。 「東京には深い空がない」 残念ですが、伝統ある環境はどうしようもないことです。関東には、日本の深いマインドフルネス(言葉以前の真の自己までの観察)は育たないような気がします。東京は、欧米発の対象的マインドフルネスなのでしょうか。 少し広くみると関東には鎌倉があります。西田幾多郎と鈴木大拙が晩年に住んだ住居2つが残っています。墓もあります。夏目漱石(この人もマインドフルネス心の世界遺産)の小説「門」に出てくる禅寺があります。これらを活用して鎌倉市民に関東一体の人たちに伝えて、日本の深いマインドフルネス、自己洞察探求、禅、仏教のもう一つのセンターになりえます。これまで活用した伝統がないので、困難ですが、遺産があるのでこれを活用すれば可能性があります。 哲学者の佐伯啓思氏がいっています(あとで紹介)が、伝統のないところには深い学問もなかなか生かされません。学問的にも哲学的にも深いマインドフルネスは、欧米に期待できません。深いものが生きている場がないのですから。昔からあった日本が深いマインドフルネスを開発できる伝統的な遺産を持ち、それに若いころから教育、芸術、武道、坐禅などで日常的に触れてきた日本です。期待できますし、努力しなければなりません。 |
Posted by
MF総研/大田
at 22:03
| 深いマインドフルネス
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